第6話 麒麟児

菊幢丸は朝からひたすら剣術の稽古を一人で黙々と続けている。

少し離れたところでその様子を見つめている男がいた。

菊幢丸の振るう太刀筋のひとつひとつをしっかり見つめている。

やがて菊幢丸は稽古をやめ、手拭いで汗を拭く。

そして、稽古の様子を見ていた男に声をかける。

「六角定頼。何かあるのか」

体格のしっかりした男が立っていた。

上質の着物を着こなし、それでいて油断なく自然な立ち姿をしている。

「これは失礼しました。菊幢丸様のあまりに見事な太刀筋に感服しておりました」

「世辞は良い」

「いえいえ、これほどの腕前の者は滅多におりません。長年修行をしても、これほどまでに刀を

振ることができるものはいないでしょう。いつの間にこれほどまでの腕前になられたのです」

「日々の鍛錬の賜物だ」

「日々の積み重ねで御座いますか。倅に聞かせてやりたいお言葉です。菊幢丸様がこれほどの腕前となれば、まさに武家の棟梁に相応しい存在となりましょう」

「それで今日は何のために、わざわざ近江観音寺城から京にきたのだ。父上なら御所の中だ」

「今日は菊幢丸様のご機嫌伺いだけで御座います」

六角定頼は今年49歳になる。

内政も外交も巧みであり、六角家歴代当主の中でも随一の名将と言われている。

六角家最大の版図を築き、配下にも多くの有能な家臣を抱えている。

さらに多くの甲賀の忍びも抱えている。油断のならん相手だ。

「儂には誇るべきものは何もないぞ」

「本当で御座います。菊幢丸様は、将来征夷大将軍を継がれるお方。その姿を拝見させて頂いただけで御座います」

「そうか。それで、本音はどうなのだ」

「本当でございます」

菊幢丸の再三の問いかけにもえがを崩すことはなかった。

「今日はこれで稽古は終わりだ。儂は部屋に戻る」

菊幢丸は、そのまま屋敷の中に入って行った。

六角定頼はその後ろ姿を見つめている。

「さて菊幢丸様は、麒麟児なのか、それとも口先だけの童なのか、どう見る」

誰もいなかった六角定頼の後ろに、いつの間にか一人の若者がいた。

「まだ、なんとも言えません。ですが明らかに普通の童とは違います。稽古の時のあの動き、太刀筋は明らかに一流の武人でございます」

「そうかそうか。甲賀筆頭望月三郎の目にもそのように映るか」

六角定頼の後ろにいたのは、甲賀忍者筆頭望月家の頭領である望月三郎。

人によっては甲賀三郎と呼ぶ甲賀忍者の上忍であった。

「噂では、狼も野盗もひと太刀で斬り捨てたと言われております。先ほどの稽古の太刀筋。噂の信憑性がかなり高いかと思います」

「フフフ・・面白い。実に面白い」

六角定頼は、口角を上げ笑いを抑えることができないかのように笑っている。

「面白い?・・・のですか」

「そうだ。面白い。久しぶりに将軍家に獰猛な光をその目に宿した者が誕生したのだ。どんな牙を隠しているのか楽しみではある。最近の将軍家は武家の頭領でありながら腑抜けた公家のようになってしまった。そんな中で、久しぶりに武家の真の頭領が誕生するかもしれん。武家であればこんな面白いことはあるまい。久しぶりに血が沸き立つようだ」

「我ら忍びはその辺は分かりかねます」

「下手をすると倅では太刀打ちできずに、食われてしまうかもしれんな」

「義賢様が負けてしまうと言われるのですか・・あの童に」

「あの目の輝きは、まるで歴戦の強者つわもののようであり、その目には強烈な意志の力が宿っている。残念だが、倅の義賢にはそこまでの強さを感じない」

「それほどでございますか」

「そうだ。面白いと同時に恐ろしくもある。菊幢丸様は麒麟児であり、多くの人を引き寄せ、雲を呼び、嵐を呼び、乱を呼び寄せる人物となる。このまま静かに一生を終える事は無いだろう」

「如何されます」

「何もせん」

「何もしないのですか」

「しばらくは何もせん。どのみち、将軍家の置かれた状況は少しぐらいの努力でどうなるものではない。この圧倒的不利の状況をひっくり返すことができなければ、真の武家の頭領にはなれん」

「放っておくことでよろしいので」

「かまわん。真の麒麟児であれば、この状況を変えることができるかもしれん。もしもそうなれば、この命を預ける価値があることになる」

「命を預ける価値があると!命懸けで仕えるおつもりで」

「あくまでも可能性にすぎん。楽しみは先にとっておくものだ。さて、帰るとするか」

六角定頼は、屋敷には入らずにそのまま近江国へ帰って行った。


ーーーーー


菊幢丸は万吉たち供のものを引き連れて、日課となっている散歩に出ていた。

菊幢丸たちは深く編み笠を被った年老いた僧侶とすれ違った。

「御坊様、ぜひ有難いお経をあげていただけませぬか」

菊幢丸は、そう言って幾ばくかの銭をその僧侶に渡す。

その時に小さく折りたたんだ紙が菊幢丸に渡されていた。

「御仏に対するそのお心に経文を上げさせていただきましょう」

僧侶はその場で喜捨された銭に対する感謝として経を唱えて、会釈して去っていった。

菊幢丸たちはそのまま歩き去っていく。

僧侶はしばらく進むと一人の行商人とすれ違う瞬間、行商人が苦無で僧侶に切りつけてきた。

僧侶はその苦無を信じられない身の軽さで飛んで避けた。

「クククク・・・さすがは伊賀の服部。長らく困窮していても腕は衰えていないか」

行商人の男は嬉しそうに呟く。

「なんの真似だ。甲賀三郎。この場でやり合うつもりか」

「保長。その年老いた僧侶姿がなかなか様になっているな。儂でなければ見破れないぞ。他の甲賀の者たちでは見破れんな」

「答えろ。なんの真似だ」

「伊賀服部党は、将軍家嫡男である菊幢丸様に仕えているのだろう。しかもかなりの額の銭を貰えているそうじゃないか」

甲賀三郎の言葉に服部保長の目つきに鋭さが増す。

「何の事だ」

「安心しろ。このことは六角定頼様には報告していない」

「何が言いたい」

「せっかくのうまそうな話。伊賀だけで独占せずに甲賀も一枚噛ませろ」

「甲賀は六角についているのだろう」

「何を言っている。正式に仕えているのは甲賀の一部だけ。ほとんどの甲賀の民は貧しい。そのことはお主もよく知っているだろう。伊賀も甲賀もほとんどの者たちは貧しい生活を強いられている」

「我らが誰に雇われているかなど、甲賀に関係ない」

「先ほども言ったが伊賀服部党が菊幢丸様の配下になっている情報は、儂のところで止めてある。六角定頼様には話していない」

服部保長の背後に三人の伊賀の忍びが現れる。

甲賀三郎側も四人の忍びが現れた。

「保長。忍びのくせに相変わらず堅物だな。もう少し柔軟に物事を考えたらどうだ」

甲賀三郎は緊張感の無い軽いノリで話している。

「甲賀筆頭でありながら、貴様のそのヘラヘラとした喋りは、どうにかならんのか」

服部保長の怒りの声で、伊賀と甲賀の忍びたちが一触即発の状態となり、緊張感が増していく。

「待て!!!」

子供の声がする。

菊幢丸たちが戻ってきていていた。

「保長。説明せよ」

僧侶姿の服部保長は渋い表情をしながら説明を始める。

「目の前にいる商人は、甲賀の忍びであり、そこの中央にいる男は甲賀忍び筆頭と言われる望月家当主である望月三郎こと甲賀三郎でございます」

「その甲賀三郎が何用だ」

「甲賀衆の売り込みに参りました」

「ほ〜、甲賀衆の売り込みか。ここではまともな話もできん。万吉」

「はっ」

「すぐ近くに宗無殿の寺がある。部屋を貸して欲しいと申し入れてまいれ」

「承知いたしました」

「皆、ついて来い」

以前、伊賀衆と納屋との会談に使った寺へと向かうのであった。


ーーーーー


寺の一室に入ると奥の中央に菊幢丸が座り、左右に供回りの者たちと伊賀衆が菊幢丸を守るように座る。

甲賀三郎と甲賀忍びは、菊幢丸と向かい合うように座る。

「改めて話をしよう。儂が将軍家嫡男菊幢丸である」

「甲賀忍び筆頭望月家望月三郎と申します。人は甲賀三郎と呼ぶ者たちもおります」

「それで甲賀忍びの売り込みと聞いたが本気か」

「本気でございます」

「甲賀忍びは六角家に仕えているはずだが」

「それは極一部の者たち。多くの甲賀衆は、仕えている訳では無く緩やかな協力関係にあります。そのため六角家に仕えていない者たちは、六角家からは何かを強制または命令される事はありません。その代わり、皆貧しいため、自らの力を頼りに諸国に出稼ぎに出ています。その時、伊賀服部党の忍びたちが菊幢丸様にいい条件で雇われ、さらに他の伊賀衆も加えようとしていると聞きました。そこに我ら甲賀衆も加えていただきたく参上いたしました」

「望月家は六角に仕えているのであろう」

「六角家に仕え禄をもらっている甲賀の家は僅か。多くの甲賀衆は貧しい。我が望月家は六角に仕えていますが同時に甲賀の里を取り仕切る惣の責任ある立場の一人。皆の生活にも気を配る必要があるのです」

甲賀の里は惣と呼ばれる自治組織を作り里を運営している。

さらに甲賀の各忍びの家もそれぞれ一族の惣を作り一族の意思決定を行なっていた。

菊幢丸はしばらく考え込んでいた。

伊賀服部党を雇いれ、さらに伊賀衆を増やそうとしていることを甲賀衆に知られた。

甲賀の売り込みを断れば、六角定頼や細川晴元に話が行くだろう。

そうなれば警戒が増す。

取り込んだら取り込んだで情報が漏れる恐れもある。

甲賀三郎を斬っても六角定頼に報告が行く。

甲賀は惣を作っているが、一族間の結束が強く、一族の惣が強い。

「いいだろう。甲賀衆も雇い入れよう。ただし、甲賀53家の内でどこに依頼するかはこちらでいくつかの家を指定する。その中で人を出してくれ。当然だがこちらの情報を漏らさぬことが条件だ。条件は伊賀衆と同じとする」

「ご決断いただき感謝いたします。甲賀を雇っておいて決して損は致しません」

「ひとつ聞きたい。答えられなければ答えなくて良い」

「どのようなことでしょう」

「六角定頼は儂をどう見ている」

「数日前に稽古を拝見なされ、菊幢丸様を麒麟児と評しておりました」

「麒麟児とな」

「そして、真の武家の頭領であれば、命を預ける価値があると評してもおりました」

「真の武家の頭領であればか・・定頼の奴、晴元と儂を秤にかけるか。なかなかの狸よな」

「定頼様の心内は我らでも窺い知れませんので、どこに本心があるかは分かりません」

「まあ、いいだろう。保長。甲賀のどこと手を組むかは、保長に任せる。決まったら報告せよ」

「承知いたしました」

菊幢丸は立ち上がると寺を後にした。

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