第2話 弱さを知る

目を覚ますとそこは懐かしさを思わせる部屋であった。

儂は二条御所で死んだはず。ここはあの世なのか。

だが共に死んだ近習達は見当たらない。

ここは何処だ。

体を起こして周囲を見る。

何故だろう自分の目線が低いように感じる。

自分の手を見ると小さな手だ。

そこに一人の人物がやってきた。

「・・菊幢丸きくどうまる様(将軍足利義輝の幼名)、お気づきになられましたか」

目の前にいるのは若き日の細川藤孝であった。

状況がわからず返答に困ってしまった。

「菊幢丸様、どこか痛みませんか」

「お主は・・・・・」

「頭を強く打って私をお忘れなのですか、細川万吉でございます。暴れ馬を避けようとされ時に頭を強く打たれ、1週間も目を覚さなかったのですよ」

自分が11歳で将軍となった時に、儂の名を一字与えて元服して与一郎藤孝と名乗ったのだったな。

「すぐに典医を呼んで参ります」

慌てて万吉は出ていった。

思わず手をつねってみる。

しっかり痛みはある。

どうやら幻覚とか夢では無いみたいだ。

周囲をよく見るとここは足利将軍家の邸宅でもある室町御所であり、父義晴が今出川に再建した直後に自分が使っていた部屋だ。

自分が部屋の中で小太刀を振って柱につけた傷もある。

慌ただしい足音が聞こえてきた。

「菊幢丸!気がついたか」

父である将軍義晴と母の慶寿院であった。

「心配をかけて申し訳ありません。もう大丈夫です」

父義晴と母慶寿院は、とても儂に甘々な人たちだったな。

将軍家の嫡男は、代々政所の伊勢家に預けられて養育されるが、両親はそれを良しとせず、歴代将軍の中で初めて両親が育てた嫡男が自分であった。

もう会えないと思っていた両親の顔を見たら自然と涙が出てきた。

「菊幢丸。心配はいらんぞ」

「そうですよ。母は心配しましたよ」

両親はそっと抱きしめてくれた。

理由はわからんが、もう一度人生をやり直せるようだ。

もう一度やり直せるなら将軍家を立て直して、この二人に長生きしてほしい。

そう強く思う菊幢丸だった。



典医の診察も特に問題ないと言われたので、少し萎えた体を戻すために少し遠くまで歩くことにした。

体がまだ小さいため小太刀ほどの脇差を腰に刺して歩く。

周囲にはお付きの小姓達がいる。

「万吉」

「はっ、いかがされました」

「頭を強く打ったせいか記憶が曖昧な部分がある。今が何年なのか記憶が曖昧なのだ。今は何年だ」

「天文13年(1544年)10月でございます」

ならば儂が将軍になるまではあと2年ほどある事になる。

それまでに少しでも状況を好転させるようにしなくてはならん。

できれば自分の直属の家臣たちが必要だ。

荒事でも汚れ役でも何でもこなせるもの達が必要だ。

小姓達も全て儂の言う通りに動く訳ではない。

皆何らかの後ろ盾のあるもの達が多い。

万吉は細川家ではあるは、三淵家の生まれであり養父である細川晴広も細川晴元の言いなりでは無いから信用はできるだろう。

山間近くまできた時、子供の悲鳴が聞こえてきた。

「う・うゎ〜・・・助けて・・・誰か」

子供の声が聞こえてきた。

菊幢丸は声の方へ走り出す。

「お待ちください。危険です。菊幢丸様お待ちください」

慌てて後を追う万吉たち小姓。

子供に襲い掛かろうとしている1匹の狼が見えてきた。

この時代は、まだ多くのニホンオオカミが生息していた。

狼の前で恐怖に怯えながら子供が棒を振り回して、狼が近寄らないようにしているが、狼がジリジリと距離を詰めるのが見える。

菊幢丸は、足を止めることなく狼に向かって走っていく。

狼が走り寄る菊幢丸に気がつき、菊幢丸に飛びかかる。

菊幢丸は狼をギリギリまで引きつけ狼の牙と爪を避けながら一気に脇差を抜いた。

長さ2尺ほどの脇差での居合切りで狼の首を一太刀で切り落としていた。

その光景を見ていた万吉は、驚きのあまり一瞬声が出なかった。

菊幢丸の動きは、一切の無駄な動きがなく洗練された動きであったからだ。

剣の達人のごとき動き。

周囲の大人達でもあの様な動きは出来ない。

「菊幢丸様、危険な真似はおやめ下さい。もしものことがあったらどうするのです」

「無事であったから良かったではないか」

「そんな軽い問題ではございません。もう少し自覚をお持ちください」

「分かった、分かった」

万吉の言葉を意に返さない菊幢丸に少し呆れ気味の万吉。

「菊幢丸様、いつの間にあれほどの太刀さばきができる様になられたのですか。狼の首を落としたのは居合抜き。あれほどの居合をできるものは畿内にはおりません」

「無我夢中だったからな自分でも何故出来たかよくわかん」

菊幢丸は、まだ自分の秘密を話す訳にはいかないと考え曖昧な返事にとどめた。

「あの動きは偶然では不可能なのですが・・・まあいいでしょう」

渋々引き下がる万吉。

菊幢丸は、襲われかけていた子供のところに近寄る。

「大丈夫か、怪我はないか」

「あ・・ありがとうございます」

「年は幾つだ」

「7歳・・」

「どうしてこんなところに一人でいた」

「ばあちゃんと二人暮らしなんだ。父ちゃんと母ちゃんは戦に巻き込まれて死んじまった。ばあちゃんが病気がちで元気無いから美味しいものを食べさせたくて、あの山の麓まで行って茸を取ってきたんだ。遠いけどお侍さんも取りに行けば美味しい茸が沢山あるよ」

一つの山を指差すその子の足元を見ると5個ほどの茸が落ちていた。

菊幢丸はその茸を見て驚いてしまった。

それは椎茸であった。

この時代、椎茸は超がいくつもつくほどの高級品。

松茸は村々に大量に生えており、松茸はこの時代はごく普通の茸である。

明国でも日本からの干し椎茸は超高級品として珍重されていた。

わずか数個で足軽が数年は暮らせると言う。15貫目程度あれば小さな城がひとつ買えるほどだ。

「名は何という」

「・・・平助・・」

「そうか。平助、この茸は他の人に絶対見せるな。お前のばあちゃんだけに食べてもらい、他のものには絶対にこの茸のことを話すな。いいな」

「う・・うん。分かった」

誰かこの子を村まで送ってやれ。

二人の小姓が平助を送っていった。

「菊幢丸様どうされたのです」

菊幢丸の慌てぶりに万吉が聞いてきた。

「これから話すことは絶対に他言するな。もし他言すればお前を儂の小姓から外す」

「この身は終生菊幢丸様のためにございます。心配無用でございます」

「平助と申すあの童が持っていたのは、椎茸だ」

「えっ・・椎茸でございますか」

「声が大きい」

「申し訳ございません」

「そうだ。椎茸だ。嫌な予感がする。しばらく平助の村に気を配ってやってくれ」

「承知いたしました」

二人の話を雑木林の奥で隠れて聞いていた男がいた。

「椎茸か、こいつはいい話を聞いた。頭に報告だ」

男はそっと奥へと消えていった。


ーーーーー


翌日も菊幢丸は、足腰の鍛錬を兼ねて歩いていた。

その菊幢丸は正面から血だらけで走ってくる農民らしき男と鉢合わせした。

「どうした。何が起きた」

「野盗が村を襲って・・・助けてください」

「菊幢丸様、その男は昨日平助を送って行った時にいた同じ村の農民です」

平助を送って行った小姓が怪我をしている農民のことを話した。

「村はこの先か」

「この道沿い・・・」

菊幢丸は全力で走り出した。

「菊幢丸様、お待ちください・・・・・」

万吉の言葉を無視してひたすら走る。

昨日の万吉との会話を盗み聞きされていたかもしれない。

自分の不注意から村が襲われたかもしれないと思うと、自分の愚かさを恨めしく思えた。

風に乗って血の匂いが流れてくる。

村に到着すると笑い声を上げて金目のものを運び出し、女達を連れ去ろうとしている男達がいた。

木の根元に血まみれの平助がいた。

菊幢丸は平助に駆け寄る。

「平助・平助・起きろ起きろ・起きてくれ・・・なぜだ・・」

既に平助は息をしていなかった。

「どこの武家の童だ。めんどくせな切り捨てておけ」

野盗の頭らしき男が手下に命じた。

「貴様ら、何のために村を襲った」

「はぁ〜、餓鬼が何を寝ぼけてる。欲しいものは奪い取るそれだけだ。金になる椎茸のありかを餓鬼が知っているらしいが、どんなにぶん殴っても吐かねえから面倒くさいから始末した。それだけだ何が悪い」

野盗の頭は吐き捨てるように何が悪いと言わんばかりであった。

「貴様ら」

「さっさと始末しろ」

手下達が菊幢丸に襲いかかってくる。

「悪のかぎりを尽くし天下の正道を乱す貴様らを許す訳にはいかん。悪鬼のごとき貴様らを切り捨てるまでだ」

菊幢丸の居合で一瞬で野盗の一人が切り捨てられた。

襲いくる野盗を次々に一太刀で切り捨てていく。

そこに万吉達小姓が到着するが、再び菊幢丸の太刀さばきに驚愕することになった。

「こ・・これは一体・・・この完成され、洗練された太刀さばきは・・・・・」

「万吉。呆けている場合か、菊幢丸様をお助けするぞ」

他の小姓たちに促され皆で太刀を抜き野盗を切り捨てていく。

「こ・・この餓鬼、貴様は一体何もんだ」

「これから死にゆく貴様に知る必要はない。あの世で閻魔大王に裁いてもらうがいい。世を乱す貴様らはまさしく悪鬼の如く、残らず切り捨てる」

「舐めるな餓鬼」

野盗の頭は刀を抜き上段に構える。

野盗の頭は既に菊幢丸を油断のならない相手と認識して徐々に距離を詰めてくる。

菊幢丸も徐々に距離を詰めていく。

上段から一気に刀を菊幢丸に振り下ろす。

だが、菊幢丸はその刀をわずかな動きで避けてそのまま野盗の頭の腹に一太刀浴びせる。

そのまま野盗の頭は前に倒れてた。

「馬・・・馬鹿な・・・流免許・・・皆伝である俺が・・・」

やがて野盗の頭は息たえた。

野盗の頭を見下ろす菊幢丸に声をかける万吉。

「菊幢丸様」

「万吉」

「はっ、いかがされました」

「なぜ、こんなにも世が乱れるのだ。なぜ、これほどまでに理不尽が罷り通るのだ。平助は病の祖母を喜ばせるために一生懸命だっただけだ。なぜ、死なねばならんのだ」

菊幢丸は泣いていた。

「そ・・それは・・・」

「我ら将軍家が弱いからか・・・将軍家が弱いから世が乱れ・・・将軍家が弱いから人々や大名達は勝手に争うのか・・・将軍家が弱いから理不尽が罷り通るのか」

「菊幢丸様・・・」

「万吉」

「はっ」

「儂は決めた。将軍を継いだら、足利将軍としてもう一度天下を平定し直す。欲望のままに戦を起こし、世を乱す輩を打ち払い、もう一度世の中に秩序を取り戻す。お前はどうする。儂の真の家臣となるか、細川晴元の意のままに動くか」

涙を流しながらも強い決意を秘めた目で万吉を見つめる。

「それは既に決まっております。この万吉。どこまでお供いたします。たとえそれが修羅の道でも、地獄に落ちる道でも、どこまでも菊幢丸様を支えお供いたします」

「分かった。他のものはどうする」

「「「「「我ら、万吉と同じく終生お仕えいたします」」」」」

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