第18話 デートへの誘い

「少し、疲れたな……」


 少女たちへの授業を終えた、午後一時。

簡単な昼食で腹ごしらえを済ませた俺は地下室へと戻り、双肩に感じる疲労に小さな声で呟いた。どうも、俺はかなり疲れているらしい。自覚した途端に立っているのも辛くなり、身体が求めるままにソファへ横たわった。

 疲労感は倦怠感へと昇華し、脱力した途端に起き上がる気力が消滅した。今はここで十分に身体が休まるまで眠るべきだ。本能が自分自身に告げた途端、その瞬間を待っていたかのように、眠気が脳と瞼を強襲した。このまま身を任せれば、ぐっすりと気持ちの良い睡眠をとることができるだろう。

 しかし、俺は瞼を閉ざし視界を黒で満たしたい衝動に抗い、そのままの姿勢を維持したまま、頭を左右に振った。

 思い返してみれば、ここ最近は多忙な日々が続いている。少女たちへの指導に加え、授業の考案と資料収集、質問に対する解を導き出し、加えて桜を開花させる際に必要な多くの魔法の構築と、忙しなく働いている。頭とマナを常に酷使している状態で、疲弊して当然の生活を送っている。睡眠も十分に取れているとは言えないため、蓄積した疲労は鉄球を持つ足枷のように、俺から離れない。身体や心が休息を必要としていることは、俺も十分に理解していることだ。

 けれど、休んでいる暇はない。そんなことに割く時間は、今の俺には残されていないのだ。僅かな時間だって貴重な今、余裕を作ることなんてできるわけがない。

 起きろ。休息は、最悪の未来に直結するかもしれないんだ。

 自分に発破をかけ、俺は沼に浸したように重い上体を起こした。

今考えるべきことは、先ほどの授業で得ることができた情報に関する考察だ。即ち──少女たちが火を一定以上の大きさにすると、霧散させてしまう現状の原因と改善策について。

 これはとても深刻な問題だ。今の状態が持続してしまうと、最終的に到達しなければならない領域に、彼女たちは足を踏み入れることができない。それはつまり、彼女たちに不幸な結末を与える元凶となる。何とかしてこの問題を解決しないと……。

 危機感を抱きながら、俺は机の上に置いてあった本を手に取った。数百ページにも上る分厚さを持つそれは、魔法に関する基礎が記されている教本だ。少女たちへの授業を作る際、俺はこの本を参考にして作っている。重要な部分がとてもわかりやすく記されており、重宝しているのだ。

 辞書にも似たそれの栞が挟んであるページ──俺が昨晩読んでいた箇所を開き、そこに記されていた文章に視線を滑らせた。

 ──魔法は精神と連動している。未熟な精神の者、魔法を恐れる者に、成長の未来はない。

 とても重要な文だった。

 魔法と精神が密接な関係にあることは、広く知られている。精神が乱れている時は魔法の発動が上手くいかず、強引に発動したとしても精度が低かったり、発動した瞬間に事象や効果が消えてしまう。

 少女たちが直面している状況は、正にそれだ。心の安定を図ることができず、意図せず火を消してしまう。マナの制御とか、練度とか、そういう問題ではないように思えた。

 今の問題に、少女たちの心の問題が大きく関係している可能性は高い。きっと、それは正解なのだが……。


「心を乱す原因がわからん」


 天井を仰ぎ、呟いた。

 新たな問題は、そこだ。少女たちの心から平静を奪う何かがあるのだとしても、その原因や、それを取り除く方法がわからない。直接聞くしかないとは思うが、心の闇を容易に話すことができる者は少ない。特に思春期の彼女たちは、問題を一人で抱え込みやすい。何も行動を起こさないという選択肢は最初からないが、果たして、俺はどう行動するべきなのか。

 正答が存在しない難解な問題を前に鈍る思考を何とか働かせ、考えを巡らせる。最善とは言わない。悪手を回避する行動がないものかと、模索し続ける。違う、駄目だ、これじゃない。提案と切り捨てを何度も繰り返す。

 どれだけの時間、そうしていただろうか。

 集中が途切れた俺は深い溜め息を吐いて項垂れ、結局、一番最初に考えた行動を取る結論に至った。

 駄目を承知で、彼女たちに悩みの原因を聞いてみる。

 色々と案は考えたが、これが一番現実的な行動であり選択だ。面と向かって話さないことには何も始まらない。今日中に再び少女たちと顔を合わせ、尋ねることにしよう。

 方針を固めた俺は開いたまま本を閉じて机に戻し、魔法の構築をしようと魔筆を手に取りソファから腰を上げる──と、ガチャ、という音が入り口から聞こえた。


「や。お邪魔するよ」


 そう言って片手を上げながら入室してきたのは、メルフだった。先ほどとは装いが異なり、今の彼女は外出用と思しき分厚く白いコートに身を包んでいる。

 外出でもするつもりなのか? 魔精文字を描くために持ち上げた魔筆を下ろし、俺はこちらに歩み寄ってくる彼女へと身体の正面を向けた。


「どうしたメルフ。出掛けるのか?」

「んー? いや、特にそういうわけじゃないよ」

「じゃあ、暇つぶしか」


 時折フラッとこの部屋に立ち寄っては、俺と雑談しながら酒を飲んでいることがあるので、今回もそれが目的なのかと推察する。酒に関しては止めさせるべきなのだろうが、各々が自由に過ごす時間帯に、それも呂律が回らなくほどではない量しか飲んでいないので、これ以上の締め付けは逆効果だと思い特に注意していない。どうも、駄目と言われるとやりたくなる心理があるらしい。塩梅が必要とは言ったものだ。

 俺が予想を告げて反応を待つと、メルフは直後に両手の人差し指で×印を作り否定した。


「残念。今日はちゃんと目的があって、ここに来たんだよ」

「目的?」

「うん」


 単語を復唱した俺に頷きを返したメルフは足を数歩前に出し、右手の人差し指、その先端で俺の胸の中央を突き──言った。


「これから──僕とデートに行かないかい?」

「……は?」


 何の脈絡もないあまりにも突然の誘いに、俺は目を丸くした。

 デート。俺の認識と知識が正しければ、それは男女が互いの関係を深めるため、街などに繰り出し遊びを堪能するというもの。種類は様々で、外出する以外にも自宅に留まり二人で過ごすこともデートと呼ぶこともあるらしい。

 つまり、デートは男女の間にある者たちが行うもの。これまでの態度などを見る限り、メルフが俺に好意を抱いている可能性は皆無だ。それなのに、どうして俺を……?

 頭が疑問と考察の坩堝と化していると、硬直している俺を見つめていたメルフが笑った。


「そんなに深く考えなくてもいいよ。ただ、ちょっと気分転換がてら一緒に外出しよう、って言ってるだけさ。ほら、目を覚ましてから一度もこの城から出ていないし、七百年後の世界を見るのもいいんじゃないかと思ってね」

「あぁ、そういう……」


 メルフの提案に、俺は顎に手を当て思案した。

 正直なところ、今は遊びに行くほどの余裕がない。やることは山積みで、睡眠時間を限界まで削らなくてはならないほどに多忙なのだ。

 しかし、色々と悩み、詰まっていることも事実。閉塞的な城の中に居続けるよりも、気分転換も兼ねて外の空気を吸いに行くのも、悪くない。実際、同じ空間にいすぎて頭がおかしくなりそうな気もしていたところだ。七百年後の世界にも、興味がある。

 考えた末、俺は首を縦に振った。


「そうだな。リフレッシュもしたかったし、行くか」


 俺の答えに嬉しそうな笑みを浮かべたメルフは『決まりだね』と言い、片目を瞑り親指を立てて見せた。

 七百年後の世界は、どんな風に変わったのだろう。

 これから出向く未来の世界に想像を膨らませ、年甲斐もなく、俺は期待に胸を躍らせた。


 これから目の当たりにする残酷な現実を、知りもせずに。

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