第19話 残酷な現実

 着替えなどの外出準備を済ませた後、俺は城内に残る三人の少女たちに外出をする旨を告げ、凍てつく空気が支配する外へと出向いた。際限なく降り続ける粉雪に包まれ隠された道を歩く。足を踏み出す度に、新雪を踏み固める音が鼓膜を揺らす。ザッ、ザッ。足元から規則的に鳴り響く季節の音に耳を傾けていた俺は視線を左隣へと向け、肩を並べ共に歩いていたメルフに声をかけた。


「あの三人、何であんなに嫌そうにしていたんだ?」


 脳裏に数十分前の記憶を浮かべる。少女たちに王都へ行くと報告に行くと、全員が驚きと同時に顔を顰めた。表情から読み取ることができたものは、自分は王都には行きたくないという気持ちと、俺にも行ってほしくないと願う、願望。山に捨てられ不安でいっぱいになっている子犬を連想させる反応だった。

 あの三人が王都に対してあまり良くない印象を抱いていることは、その反応を見ればわかる。気になるのは、どうして露骨に嫌がるほどになってしまったのか。俺が眠っている間に、この国の王都は嫌悪の対象になるほど治安が悪化してしまったのだろうか。

 俺の疑問に、メルフは苦笑して言った。


「単純な話、人が多いからだよ」


 結論を先に告げ、続けて理由を告げた。


「僕を含めて全員、人混みが嫌いだからね。苦手な場所には出来る限り出向きたくないだろう?」

「まぁ、気持ちはわからなくもないな」


 納得を示す。俺自身、大勢の人で溢れかえっている場所は好きではない。どちらかと言えば人の少ない静かな田舎、人目を気にすることなく伸び伸び過ごせる環境が好ましい。ただ、少女たちのように嫌悪するほどではない。都会には都会でしか楽しむことのできないものが存在するし、良いところもあるのだ。時たま立ち寄るくらいなら、抵抗はない。


「苦手って言っていたが、お前は大丈夫なのか?」

「それなりにね。人混みが嫌いなことに変わりはないけど、割り切ってるから。それに──」


 細めた横目で俺を見やり、メルフは声量を落として言った。


「見せないといけないからね」

「? どういう意味だ?」


 呟きのような言葉の意味が理解できずに聞くが、メルフは『何でもないよ』とはぐらかす。どれだけ追及の言葉を並べても、彼女はそれら全てをのらりくらりと回避するだけ。

 これ以上、何度繰り返したところで教えてはくれないだろう。

 早い段階で理解した俺はそれ以上の追及を止め、顔を正面に向け──その時、枯れた樹木の森の終点が見え、目を凝らしてその先を見つめた。


「あれが──」

「王都ゼルティラだよ」


 名称を告げたメルフに目を向けることなく、俺は森が開けた出口で一度足を止めた。

 まだ、距離はある。しかしここからでも、平坦な地上に広がる街は俺の注意を奪った。色彩豊かな煉瓦で造られた建造物、舗装された石畳の道を歩く人や馬、黒い煙を輩出しながら地面に敷かれた金属の梯子を移動する鉄塊。数十メートルはありそうな時計塔など、俺が生まれ生きた時代には存在しないものが幾つも見られた。名称も変わっているが、街時代が七百年の間に凄まじい進化を遂げている。

 世界は変わったんだな。

 呆然とそんなことを思いながらその場に立ち尽くしていると、不意にメルフが俺の手を取り、先を急かすように引いた。


「ほら、呆けてないで早く行くよ」

「あ、あぁ……」


 促されるままに、俺は止めていた足を踏み出し街へと身体を近づけていく。

 森の出口から更に十数分歩き辿り着いた街は、活気で溢れていた。道を歩く人々の表情は晴々としたものが多く、氷点下を下回る寒空の下でも笑顔が絶えない。また、街の八方からは多種多様な産業の音が響き渡り、ここに暮らし働くものたちが精力的に活動していることが実感できた。鉄鋼を叩く音も、料理を作る音も、織機が稼働している音も、響くそれらは関わる人が頑張っている証明だ。

 舞い落ちた雪が瞬時に溶ける歩道を進み、俺は視界に映る新鮮な景色に感嘆の声を零した。


「街全体に、数百年前からの進化を感じる。当時はあんなに大きな時計塔はなかったし、熱を発して雪を溶かす道路も、煙を吐いて走る乗り物もなかった」


 俺の呟きに、メルフが反応する。


「そっか。列車が発明されたのは今から大体五〇年くらい前のことだから、ロゼルは知らないんだね」

「意外と最近できたものなんだな。あれはどういう原理で動いているんだ? 何の魔法を用いて動力部を?」

「詳しいことは専門家じゃないからわからない。ただ、蒸気の力を利用して走っているとは聞いたことがあるけど……」

「蒸気、ね」


 今しがた見た鉄塊の乗り物──列車から放出されていた黒い煙を思い浮かべた。あれは技術の革命によって生み出された産物と言える。従来、短時間で長距離を移動することができるのは魔法を扱う魔法師のみの特権とされていた。それが今や、誰もが移動の手段を手にしている。俺が生きた時代では、考えられなかった出来事だ。

 構造や使用されている魔法など、列車に対する興味が尽きない。無事に冬を終わらせることができたら、詳しく調べてみよう。

 興味関心の引くものに出会えたことを嬉しく思った後、しかし、と俺は自分の周囲を見回した。


「本当に人が多いな。この寒い中、どうして皆平気で出歩いていられるんだ?」

「この国の人たちにとって、寒さなんて慣れっこなんだよ。七百年間、ずっと寒いままなんだから」

「寒さに慣れているからって、多すぎだろ。この街はどれくらいの人口なんだ?」

「十万くらいだった気がする」

「多いな……」


 告げられた膨大な数字に、俺は思わずそう言った。

 国の中心、経済の中心である王都に人や物が集まるのは、いつの時代も変わらないことだ。ただ、俺の常識から考えると、今この街にいる人間の数は相当多い。七百年前は何処の国の首都であるとも、多くて五万人に届くか否か、といったところ。その二倍の数が一つの街に集結している事実には、驚かざるを得ない。

 同時に、少女たちが嫌がるわけだ、とも思った。人混みが苦手な彼女たちにとって大所帯の街はさぞかし窮屈で不快なことだろう。しかも極寒となれば、外出が嫌になるのも無理ないことだ。


「ちなみに、夜はもっと凄いよ?」

「夜?」

「うん。一日の仕事を終えた人たちが居酒屋とかバーとかで大騒ぎして、その賑わいが外にまで伝染するんだ。毎日、ちょっとしたお祭りみたいになるんだよ」

「へぇ……外出する気が失せるな」

「同意見」


 馬鹿騒ぎが繰り広げられる光景を想像すると、家に籠っていたいという気持ちが芽生えた。夜になると何故か、街の治安が悪くなる。仕事を終えた解放感なのか、あるいは夜なら騒いでもいいという教育を幼い頃から受けてきたのか、如何せん安全や倫理と言ったものが消失してしまう。いや、夜間に多くの者が賑わうことができるというだけで、この街の治安はいいのかもしれないが……もしも今後、この街に宿泊する機会があるのなら、陽が沈んだ後は出歩かないようにしよう。

 と、言葉に出すことなく、密かに心に決めた……その時。


「これ全部──君が世界を救った結果だよ」

「……」


 不意にメルフが口にした言葉に、俺は小さく肩を竦め口角を上げた。


「別に俺は、世界を救いたかったわけじゃない。あくまでも結果として、そうなっただけだ。俺は、一人の女の子を救うために行動しただけなんだよ」

「その女の子って、災厄の?」

「この世界では、そう呼ばれているらしいな」


 疫病神のように不名誉な名前が後世に伝わってしまったものだ。けれど、彼女が世界に齎した影響を考えると、仕方ないとも思う。災厄。そう表現して差し支えないほど。アイラは世界に破壊と渾沌を与えた。当時を生き抜いた人々からすれば、元凶である彼女は憎悪の対象。忌むべき存在として語り継がれるのは、当然のことなのだろう。

 けど、後世には伝わっていないけれど、あの惨劇には理由があるのだ。アイラが世界を崩壊寸前まで追いやる結末に至ってしまった理由が。


「……彼女が力を暴発させたのは、彼女のせいじゃない。魔女の巨大な力に目が眩

み、それを利用しようとした汚い大人たちの策略が、悲劇を招いてしまった。俺は悲惨な運命を辿ることになった彼女を救い、一緒に生きるために動いたんだ。……まぁ、結果的に俺は代償として七百年の眠りに就くことになったから、一緒に生きることは叶わなかったが──後悔はない」


 言い切り、俺は建物の角を曲がった。人混みが視界の大半を埋め尽くしているが、今歩いている大通りの先に開けた広場のような場所が見える。降る雪によって視界が悪く、そこに何があるのかはわからない。しかし、今いる地点よりも多くの人が集まっていることはわかった。何か、催し物でも行われているのだろうか。


「羨ましいね」


 俺が目を凝らして先を見つめていると、何処か悲哀を含んだように思える声色で、メルフが言った。


「世界を壊すようなことをして、世界中から憎まれて……それでもまだ、愛してくれる人がいたなんて。災厄の魔女は、凄く恵まれているよ──僕たちと違って」

「? 何を言って──」


 突然変わったメルフの様子に首を傾げた──その時だった。


『魔女を殺せ──ッ!』


 冷えた空気に叫びが浸透し、人々の注意を引き付けた。発生源は正面にある広場の方角。怒声を聴覚で捉えた者たちは皆、何の騒ぎだというようにその方向を見ていた。

 魔女を殺せ、だって? 一体何を言っているんだ? 

 言葉の意味はわかるが、その主張をする理由がわからない。困惑し立ち止まっていると、再びメルフが俺の腕を掴んだ。


「行くよ」

「いや、でも──」

「いいから。君をこの街に連れてきた理由が、そこにあるからさ」


 そう言って、メルフは有無を言わせず力強く俺の腕を引っ張った。一方の俺は、余計に頭が混乱するばかり。城にいるとき、メルフは気分転換に街へ行こうと言ったのだ。しかし、今の言葉から考えると、それ自体が嘘であったことがわかる。本当は、どうしても俺に見せたいものがあった。詳細は現時点ではわからない。けれども先ほどの怒声を聞いたことで、それがとても不穏なものであることは想像できる。

 何だ。この先に、一体何があるんだ。

 前を進むメルフに牽かれ、小走りで広場へと急ぐ周囲の民衆と並走し、俺は開けた空間に足を踏み入れる。

 そして、その瞬間。


「──は?」


 一瞬にして俺の目を奪った景色に、呆然と声を零した。

 大勢の人々で溢れかえる広場。賑わいを見せる空間の中央に設置された台の上に、一人の女性が立っていた。否、立っているという表現は適切ではない。黒い髪を持つ彼女は儀式に用いられる白装束に身を包んでおり、その全身を、幾本も束ねられた薪に鎖で縛りつけられている。薪には油が沁み込んでいるらしく、色が変色していた。女性の顔には暴行を受けた痕跡と思しき痣が幾つも見受けられ、頬は痩せこけており、かなり憔悴している様子。瞳に宿るものは絶望。とても痛々しく、見ていられない。

 そんな女性を取り囲み見上げる者たちは大きな声を上げ『殺せ!』と叫んでいる。その台詞と叫びは空気で融合し、広場の外にも響く大合唱となっていた。どれだけの人数が大合唱に参加しているのかはわからない。しかし、とてつもない数の者たちが、縛り付けられた女性の死を待ち望んでいることは確かだった。

 何だ、この悍ましい光景は。

 人間の醜悪な部分が凝縮されたような空間に、俺は顔を顰め口元に手を当てた。気持ち悪い、吐き気もする。他の生物にはない、人間特有の汚い面が、こうも露骨に晒されているとは……。

 他者の死を、処刑を娯楽として消化しようとする者たちへの嫌悪が胸の内で増幅する。こいつらは、命を何だと思っているんだ。


「──ぁ」


 気が付くと、縛られた女性の傍に死刑執行人と思しき男が立っていた。ペストマスクと呼ばれる不気味な仮面を身に着け、身体を黒衣で覆ったその男の手には火が灯る松明が握られており、民衆が期待に声を大きくする中──徐に、彼は火を薪に灯した。

 途端、移された火は巨大な炎へと進化し、周辺を明るく照らしながら鎖を、女性を包み込んだ。高温の炎に抱かれた女性は苦悶に喘ぎ、苦痛に絶叫を上げ、その熱から逃れようと必死に藻掻く。しかし彼女の身体に巻き付いた鎖がそれを許さない。焼かれ続ける女性の肌は徐々に爛れ、溶け落ち、炭となる。断末魔は段々と聞こえなくなり、苦しみに悶える動きも少なくなる。その後、女性は完全に動きを停止し命の終わりを迎えるが、それでも尚、業火は彼女の遺骸を焼き尽くさんと燃え盛る。

 魔女が死んだぞ。

 空間にその声が響き渡ると、民衆は一斉に大歓声を上げた。


「何が楽しい……」


 歓声に掻き消される小さな声で、俺は吐露した。

胸が痛い。死を笑い、娯楽とし、命の重みを考えない群衆に怒りが湧く。人の数が増えたことで、一つの命の価値が下がってしまったのかもしれない。

 俺は、この広場にいる人間たちが自分と同じ種族であるとは到底思えなかった。


「彼女は、魔女の疑いがかけられたんだよ」


 胸を押さえる俺に、メルフが言った。


「世界に終焉を齎した魔女は悪の存在。疑わしき者は殺せ。そんな共通の概念が人々の間には存在していて……魔法を使える女の人は、問答無用で殺されてしまう。きっと、彼女は魔法師だったんだと思うよ」

「……なぁ、メルフ」


 名前を呼び、俺はこの醜い光景を目にし気が付いたことを、彼女に問うた。


「もしかして……お前たちが常に手袋をしている理由って……」

「……正解」


 答えを告げる前に肯定したメルフは口元を歪め、しかし、瞳に大きな悲哀を宿し──右手を胸に当て、告げた。


「この世界はあまりにも──魔女に冷たすぎるからね」

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