第27話 アカネチェイス(中編)

 言葉数少なく、今も沈黙の時間が流れる。

 息を呑むのも憚られる緊張感も一緒に混じる。

 なるほどこれが張り込みってヤツか。気まずいぜ。

 こんな遊びの延長線上でも、重い空気は共通なのな。

 まあなんつーか。成り行きでこうしてるだけだが、この風情はちょっとドキドキしなくもない。

 別に魔族も地球外生命体も幽霊も、正直なんも来なくてもいいが……こうしている時間も、どうなんのかなっていう楽しさがある。


「……ねえねえ香和ちゃん」

「なぁに……」


 小声で瑠璃垣が香和の背中にポンポンと問い掛ける。

 対する香和も小声で応えた。


「これってさ、どれくらいの大きさまで検知するとか分かるの?」

「んー……とりあえず人は反応するはずだよ。もしかしたら犬とか猫とかもかな? でもアリンコみたいなちっちゃいのは無理だと思う」

「ということはクマとか現れたら……」

「おそらく反応するだろうね」

「……そのときは逃げなよ。捕まえるんじゃなくて」

「ふぇ?」

「香和ちゃんまさか……クマにまで対峙するつもり?」

「……やっぱりダメ?」

「ダメダメ。死んじゃうって。正直UMAよりも脅威だって」

「だよねーにゃははは……」


 まあ……瑠璃垣の心配は学校裏っていう立地上杞憂だろうが、全くのゼロパーセントってわけじゃねぇ。確かに地球外生命体や幽霊や魔法使いやっぱりよりも、クマとかただの肉食動物の方が怖いよな。物理で圧倒されちまうだけだ。

 香和が捕まえると言って、なんとなく流しちまったのはあくまで、遭遇確率が天文学的数字に表せるかどうかの存在に対してだからこそ、俺の思考がファンタジーとして処理出来たからだ。これがもし地球外生命体との遭遇率に確変が起きて、そいつらが到底人間じゃ敵わねぇ輩だとしたら、今すぐにでも下山する。だから瑠璃垣の心配もちょっとばかり理解は出来る。夜も遅いし、自然の恐怖も増してるしな。


 一番良いのはやっぱ、このままセンサー反応なし。

 センサーをたくさん設置した……しかし何も起こらなかった。これが結局のところ最も平和だから。

 香和には悪いが、俺は空想の存在よりも、ここに居る全員が無事に帰る方が優先だわ。なんか引率の先生の常套句みたいなこと言っちまったが、事実そうなんだよな。


 でも、それじゃあ香和の望みは叶わない。

 ここまで来て今更徒労だったとか思わねぇし、学校周辺の地域巡りの枠組みならかなり楽しい部類だ。

 目的はどうであれ、この気持ちは香和のおかげ。だから平然を望む俺はどっかで、自称魔女の興味が揺さぶられるなにかがあって欲しいとも思う。矛盾しちまっているかもしれんが、そう思って止まない。


 だからよ……おい見ているか。聴いているか。香和が憧れる魔法使いとやらが本当に実在するなら、たまの気まぐれ程度の、面白おかしい魔法でもかけたみろってんだ。魔法だとひけ散らかしたくないならそれでもいい。でもよ、そんくらいの褒美があってもいいだろうがよ。


 憧れの概念に見放されるのは辛い。

 何も起きないのは平和だけどつまらない。

 そんで、香和がしょんぼりするのはもっと悲しいんだ。

 俺は香和が、自称魔女が、浮かれながら夜の帰路に就く姿を見ていたいんだよ。


「………………およ?」

「どーした、香和?」

「い、今センサーに反応があったっ。ほらこれランプ点いてる」

「ほんとだ」

「あとねあとね。このリモコンもブルブルってなった」

「それ振動付きだったっけ?」

「うん」

「ね、ねえ香和ちゃん? その反応はどっちから? 場合によっては私たち逃げる準備もしとかないと。クマとかもそうだし、この山の管理者とかだと面倒だよ」

「あ、えーとねえ——」


 そう香和が視線を向けながら方角を言おうとしたとき、突如として俺たちと魔法陣を点と線で結んだ先の木々が、まるでスポットライトでも浴びたのかと勘違いするくらいの輝きを放った。いつもならこれこそ怪奇現象だとか抜かしちまうところだったが、こんときばかりは比較的冷静だった。

 なぜならこの光も、別種のセンサーの機能としてあるのを知っていたから。つまりはその光が放たれたところに、香和のセンサーに反応したなにかがあるってことだからな。


「——おおっ! そうあそこっ! まさにあそこ! わーいっ! やったー引っ掛かった引っ掛かったー」

「えー……」

「……んん? なにか影が見えるね」

「ほんと蒼乃ちゃん、どこどこ?」

「ほらあそこにうっすらと……あっ、向こうに逃げていくみたい」


 瑠璃垣が言う影というのは、俺には視認出来なかった。

 こればっかりは角度の問題もあるだろうからな。切り替えだ切り替え。

 でも……瑠璃垣がいうことが正なら、妙だな。


「逃げて行く?」

「正確には引き返して行ったって言った方があってるかも」

「それは反対側にか?」

「うん。そこは間違いない」

「へぇ……もし野生動物だとするなら、なかなか頭回ってんな」

「そう?」

「ああ。この突然の光に警戒出来る頭があるってことだ……もちろんたまたまかもしれんが、反射的に警戒して踵を返す生き物はそんなに多くないと思うぜ。まさに人間的だな」


 なんというか、行動に無駄がないよなって思う。これがもし野生動物だとしたら光に驚いたあと、何がどうなったのかと近付いて行きそうなものだし、そもそも視力の色彩感覚の関係で気が付かないまでありえる。だからその影とやらは、判別が人並みに早そうだなって推測がよぎった。


「人間……今人間って言ったよね」

「あ、ああ。それがどうした香和?」

「ならクマとかの心配が薄くなる……なら、じゃあボク行ってくるよ」

「はあ? 行ってくるってどこに?」

「あの光の向こうの影を捕まえてるっ! いえーい魔法使いだっ! 魔族召喚だっ! 閻魔大王様だー! とりゃあぁぁぁ! 来るもの拒まず。されど逃しもせずっ!」

「ちょ、おいバカっ、よせっ!」


 そんな死を顧みないモブキャラクターAの特攻を、なんとか呼び止めようとするモブキャラクターBのセリフの甲斐虚しく、香和は輝きの彼方にロングローブをゆらゆらとさせながら突っ走って行ってしまった。おいおいどーすりゃいいんだ……というか、香和って意外と——


「——足、速くね?」

「香和ちゃんだからね」

「いや固有名詞にされても……寧ろそうなった経緯を説明して欲んだが?」

「そこからか……香和ちゃん、体力測定なら女子でナンバーワンだよ」

「マジ……?」

「うん。あとあのローブとか、スカートとか、ブーツとかのせいもあって、あれでも減速してると思う」

「はあ、あんなので運動神経良いのかよ……あーでも、そーいやチャリ通だし、この山も余裕で登ってたな。しかもローブを着たままで……そりゃあ足腰鍛えられるか……」

「それと勉強も出来るね」

「……だろうな。みんなスルーしてるが、出身中学で察しが付くわ……この高校を選んだ理由も訳ありってな」

「中高一貫の私立秀勉中学……そこ、県内トップクラスのところだもんね。魔女に傾倒したのも、わざわざ十倉高校に外部進学したのも、頭が良過ぎた故にぶっとんだ……とか思われてそうね」

「ああ……つか、体育じゃローブは着てないのか?」

「当たり前でしょ。ていうか、シコシンは同じクラスなのになんで知らないのよ?」

「体育は男女別だからな。あと……クラスのヤツが香和の話をすることがほぼねぇんだよ」

「……薄情ね」

「面目なくて胸が痛い……」

「別にシコシンを責めてるわけじゃないって」

「いいや。いっそ責めてくれた方が潔いわ」

「……クズめ」

「そういう意味じゃねぇよ」


 責めてくれとはいったが、罵ってくれとは言ってない。

 そんな性癖は俺にはない……ないはずだ。ないよな?

 まあとにかく。責めてくれってのは、心の中で軽蔑しても構わないみたいな意味合いだ……香和を孤立させたうちの一人として、存外なく後ろ指刺してくれってことだな。


 きっと香和から関わってくれなかったら、今でも変わらなかっただろう。それこそ高知と同じようなポジションに収まっていたに違いない。もちろん高知を非難してるわけじゃない……あの空気で香和に声を掛けるのは、正直重々しい。しかも性別も違うんだ……高校生の男女の壁は厚いし、色々勘繰られて二次的な軋轢も生みやすい。慎重になって然るべきだ。逆なら俺はもっと無視を決め込んでいたかもしれない。


 そういう状況を加味すれば、俺はかなり特殊な立場に居ると思う。病院送りになったのも含めて。

 だからといって、香和の……自称魔女の受け皿を作るまでには至っていない。

 こいつが不甲斐ないと言われないで、薄情と言われないで、一体なんになるってんだ。クソったれ。


「なあ瑠璃垣、ちょっと行ってくる」

「行ってくる? どこに?」

「香和の後。あいつがなんのトラブル拾ってくるか分からねぇし、山ん中で走ると危ねぇから止めに行ってくる。滑落でもされたら謝っても謝りきれん」

「追い掛けるの?」

「ああ」

「追いつけるの?」

「分からん」

「頼りないなー」

「うっせぇな。自分でもそう思ってるって」

「……なら私も行きますか。更に頼りないかもけど」

「お前はほんとうに香和が好きだな」

「……そっちこそ」


 よーいドンのピストルのような、スタートの合図なんてもんはなかった。バッグをなおざりに置いてすぐに、隠れ木から俺がまず飛び出す。そこに瑠璃垣も後に続く。

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