第18話 縁なき夜釣り(前編)

 十倉とくら高校こうこうは県南に位置している、他校と比較すると海辺に近い高校だ。だからといって校舎の窓から海面を一望出来るわけじゃなくて、一応は禁止区域の屋上からも山とか家屋根とか諸々が遮蔽になってろくに見えやしない。校舎に居ても潮の香りなんぞちっともしねぇし、海の近くにある高校ってことで進学を決めた輩はもれなく後悔するだろうな。

 

 遊泳エリアなんかは更に遠いしな。まさにパリピや陽キャなんかが、そこに期待して選んだら、ぬか喜びする高校……うん、そこは評価してやろう。ノリで生きてられるほど、世の中甘くはないのさ。


 そんなことをのらりくらりと考えながら、体感一時間くらい歩き……いやもっと掛かったか? いやいや、んなことどうでもいいんだが……この頃の秋って思ったより暗くなるのが早いんだなって、茜色が潜め出した波止場を含めた風景を眺めながら潮風を感じる。流石にここまで来れば、ああ海があるんだなと、重くなったしょっぱい空気と一緒に頷くしかなくなる。


「さて、ここまで来たんだ。居てもらわなきゃ徒労にもほどがあるんだが——」


 ここは俺が住んでる家からも逆側にある。

 いくら暇してたからって、俺にしてはアクティブ過ぎる行動だ。帰りは夜道確定だし。

 顔と名前が一致すればいいやみたいな考えが、どうしてこうなっちまったんだろうな。

 自業自得な部分もあるが、ほんと俺らしくもねぇ。

 一体誰の何を、ここまでして知りたかったんだろうか。


「——あっ……あいつか? いやあいつ以外にありえんだろ」


 とりあえず、近くの波止場へと歩みを進め凝視した。感覚でいえば幾つか仕掛けたワナの、記念すべき一つ目を確認しに行ったくらいの気安い行動だったが……どうやらいきなり当たりを引いたらしい。


「影を落とす堤防。海はまさしく墨染め。誰も彼もが帰り支度をする時間。そこに俺と同じ高校の制服を着た女生徒……あいつじゃなかったら誰だって言うんだ」


 俺はそいつに近付く。そーいや名前や顔はおろか、性別までも知らなかったなと思いつつ、どうやって第一声を呼び掛けようかと思案する。あいにくこっちは基本受け身な性格してるからな。なんもきっかけがねぇとムズい。

 そんで近付けば近付くほど、そいつの後ろ姿もはっきりと捉えられてくる。まだ完全に真っ暗ってわけじゃないからな。十倉高校の女制服で、背もたれが小さい折り畳み椅子に座り、少しクセ気味の茶色っぽいセミロングが靡き、頭上からなんか棒線みたいなのが生えて見える。付近には椅子よりもデカいクーラーボックスと工具入れらしきものがあって、適当に網も置かれていた。そこまで分かれば、そいつが何をしているのかは一目瞭然だな。


「……なるほどフィッシングか。そりゃあこの立地なら、制服のまま、遊びも出来やしない海に行きたくもなることもある……か」


 高校生の趣味にしては、やや珍しい部類ではあるだろうが、休みの日にうっかり早起きして、テレビを付けたときにやってる番組とおんなじことをしてると思えば、あんま釣り自体に驚きはしなかった。なんというか、同じ学校のヤツが学校指定のジャージを着て、ランニングしてるのを目撃したのと似たような気分だ。へぇあいつ、学校があるのに別のことにも精を出してんだな……みたいな。


 ただ……潮風も相まってか、孤高な空気を感じる。あれはそう。高校で真っ黒のローブを着て孤立気味の香和を想起させる空気感だ。

 これを上手いこと説明しろとかなんとか言われても困るんだが……集団の同調圧力に屈しないというか、右向け右の指示を受けてジャンピングスローしているというか、彼女だけの特有の目印があるというか……とにかく浮いている。


 俺がすぐに瑠璃垣が言ってたヤツだと思ったのだって、それが原因かもしれない。きっと他に釣り人が居たとて、放課後に一人で制服を着た少女の釣りなんて目立つはずだ。

 根拠は全くないが、暗黙の偏見と雑感が、彼女を異質にさせる。そしてその理屈は、香和が教室で浮いてるのと類似した理屈なんだと思わされる。ぼやぼやとした黒に、佇んでいるみたいだ。


「なんつーか……あんまりだな、俺も……」

「……なにを。さっきからグチグチ言ってるんだ、おまえは」

「ん?」


 変わらずそいつの元へと歩いている途中だった。いきなり向こうから、振り返りもせず声を掛けられる。それはもちろん俺の前方から……若干刺々しく声質もやや低めだが、女の人の声だなと思う。


「……何の用かは知らないが、同じ目的ならもっと離れろ、邪魔だ」

「はあ?」

「アタシに用事なら今すぐに帰れ、いいな?」

「なっ……なんだその言い方はよぉ」


 クソこいつ、なんでこんな喧嘩腰なんだよ。

 もっとなんか、社交辞令というか。そーいうのあるだろうが。


「あぁん? その口ぶり……お前アタシに説教でもしに来たのか? やめてくれやめてくれ、今のうちから身勝手な正義感を押し付けるのは。老害の兆候だぞそれ……いやもはや、そこまで生きて欲しくないまである」

「お前なぁ……ろくに話したことのないヤツに対して、随分な言いようじゃねぇか」

「そんなこと関係あるか。ただアタシは、背後からブツブツ言いながら近付いて来る気色悪い害悪を遠ざけたかっただけだ」

「誰が害悪だっ。つかお前に言ったんじゃねぇよ、自意識過剰で気色悪りーのはお前の方だ」

「じゃあそれ、誰に向けてたんだ?」

「誰もクソもねぇ。独り言だ」

「なら独り言をアタシの耳に届かせてくれるな。お前に勧める脳外科医も精神科医も知らんぞ」

「おい病人扱いしてんじゃねぇ」

「違う。知能に著しい障害があると思っただけだ」

「なんだとおい、そっちのがよっぽど悪口だよな?」

「悪口じゃない。知能に軽微な障害がある場合は、当人もその周りのヤツも気が付かないケースが多いからな。あと後天的の場合もあるし……アタシは心配してやってるんだ。感謝してくれてもいい」

「心配ねぇ……とてもそんな言い方じゃないが」

「当たり前だ。そんな言い方をした覚えはこれっぽっちもない。偽善を演じてるだけだ」

「なんだと——」


 俺はさらに反論しようとする。もうなにに反論するかじゃなくて、こいつの言うことなすこと、とりあえず気に食わないって感覚だ。ああそうか、これが瑠璃垣が言ってたヤツか……早速忠告を破って言い争っちまってるわ。


 落ち着け、冷静になれ。クールダウン。

 まだ俺はこいつのことをよく知らないんだ。

 ましてや瑠璃垣のときみたいに、イタズラから始まったわけでもねぇ。

 もっと客観的なスタンスで居ないとな。


「——はぁ全く、なんでこんな初っ端から疲れなきゃいけないんだよ」

「疲れるなら説教なんかしに来るな」

「違うっての。誰が釣りしてるだけの女に説教なんかするかよ、めんどくせー」

「……っ」

「……ん?」


 てっきりまたなんか嫌味でも言われるものだと思っていた。だがそいつはだんまりになって、調子が狂わされる。どうしたんだ一体?


 そんなことを俺が考えていると、目の前のそいつは、なんの前触れも無くその場で立ち上がって……振り返る。それすなわち、さっきまで後ろ姿にひたすら反論していた俺と、顔とか顔とが対面する瞬間。


「……幸の薄そうな顔してるな」

「第一印象がそれかよ」


 荒ぶる前髪が、つまらなそうな両目にかかる。

 おそらく半開きの状態だ。ちゃんと開けばマシになるだろう。

 鼻が高くて、唇は思ったより小さい。

 潮風で今は荒れてこそいるが、髪質はサラサラとしていて、キューティクルとやらが詰まっていそうだ。

 身長は俺より少し低い。香和よりは高いかな。骨格は割とシャープで、身体のラインはそこそこ女性的っぽい……いやそれは当たり前なんだが。ここが大きくて引き締まってて良いとかいうのもほら、角が立ちそうだろ? そこそこ辺りも暗いし、制服の上からだと分かりにくいのもあるし、あともっというと、ブレザーの上にクリーム色のパーカーを着ている……おそらくは防寒対策だろう。だから正確なことは言えない。

 ただそんな制服姿もきっと似合っているんだと思う……こんな仏頂面じゃなければ、もっとずっと。


 その『幸の薄そうな顔』というのがそいつから俺への印象なら、俺から名前も知らないそいつへの印象がそれだ。ツンケンとして可愛げがないが……あくまで俺基準で、間違いなくこの薄暗さでも分かるくらい、可愛らしい女ではある。無論黙っていればだが。


「……なんだ?」

「なんでもねぇよ。こんな顔のヤツに文句言って、言われてたんだなって思っただけだ」

「なんでもないって言った割には、ちゃんと理由を言ってくるじゃあないか」

「……確かにな」

「つまりは面食いってことか」

「ああそう……じゃねぇわっ。顔だけに意識向いてたわけじゃねぇわ」

「……顔の話しかしてなかったじゃないか」

「違うし言い方に語弊がある!」

「他に何があったんだ?」

「いや……名前も知らねぇのになって」

「なんだ、知らずに声を掛けたのかお前は」

「掛けたのはそっちだろ」

「いやお前からだ。ホラー映画の背後霊みたいに」

「悪かったな独り言がデカくてよぉ」

「いいや、デカくはなかった。ボソボソしてて耳障りこの上なかった。今もそうだが、もう少しハッキリと話せ」

「仕方ねぇだろ、そういう性質なんだ。つかお前だって割とボソボソ系の喋り方じゃねぇか」

「今アタシのことはどうでもいいだろ、四国 心理」

「どうでもよくは……え?」


 あれ俺……こいつに名乗ってないよな?

 まさか当てずっぽうか? いいやそんなわけない。


「どうした?」

「なんで俺のこと——」

「——知ってるさ。知らされたとも、言えなくもないけど」

「知らされた? 誰に?」

「誰にだと? はぁお前、なんで分からないんだ。ここに来る前、お前とアタシのことについて話してたのは誰だ?」


 こいつについて話した相手……か。

 そんなの、一人しかいない。


「……瑠璃垣」

「ああ」

「でも瑠璃垣がどう絡んでんだ?」

「……瑠璃垣から、アタシがここに居るかどうかの連絡が来てたんだよ」

「連絡先知ってたのか」

「いいや知らなかった」

「はあ?」

「瑠璃垣から、香和を通じて、アタシのところまで来た。それまでは知らなかったし、知る必要もなかった」

「香和……か」

「ああ。その結果アタシは、瑠璃垣に連絡先を晒されるハメになった……お前のせいだからな」

「……それで、逢ってからずっと不機嫌だったのか? もしかして?」

「……原因の一つだな。他には独りにしてくれっていうのと、瑠璃垣と話してたときに口論になったのと、釣果が芳しくなかったこともある」


 口論ね……独りになりたいときに、誰かも知らない俺のことで電話を掛けられた挙句、剰え教えたくない連絡先まで教えられたとなれば、怒りたくもなるか。それは確かに嫌だな。あと、釣果って釣りの結果……みたいな意味か? 


 それは俺、関係ないよな? 

 瑠璃垣のことはともかく、ここは言い掛かりだよな?


「ああ……苦労かけたな。釣果は知らんけど」

「全くだ。それで? お前の用事はアタシを知りたかっただけだろ? もう済んだか?」

「いいや。それこそ全くだ」

「ちっ、別に何もないだろ」

「何か……か。俺もよく分からん」


 そう。俺自身でも、どうしてこんな行動をしたのかよく分かってない。

 ほんと、どうかしてるって感覚だな。


「その反応……はあ、そういうことか」

「そういう? え、お前には分かるのか?」

「知るかよお前の気持ちなんて……ただ推測くらいは出来る」

「マジか」

「なんとなくは。どうせ香和関連なんだろうなってのは」

「香和……」

「香和からちょくちょくお前の話を聴いてたから。そこで四国 心理って名前なのも知ってた。印象に残りやすいフルネームだしな」

「ああ、そこでか」

「それで………………ちょっと待て」

「え?」

「今少し竿が引いた。どうでもいい話をしてる場合じゃない」

「お、おお——」


 断りを入れて、そいつはまた海の方へと直る。

 俺の存在価値は魚類以下かよ。ちくしょうめ。

 でもそれだけ、釣りが楽しいってことなのかもな。

 つうかここってどんな魚がいるんだ? 全然知らねぇわ。


「——なあ」

「なんだ。うるさいぞ」

「それ、釣れるのか?」

「まだ分からん。でも近くを泳いでいるみたいではある」

「そうか。なら俺にも手伝えることはないか?」

「ない」

「そうだ、この網を使うくらいなら」

「何聞いてたんだ。ないって言って……ちっ、まあいい」

「もう入れたらいいか?」

「気が早い。まだその段階じゃ……と、食い付いた」

「おお、マジかよ。どどど、どうすりゃあいい?」

「焦るな。あんまり声を出すな。逃げたらどうする」


 さっきまでピンとしたままの竿が、不規則に上下にしなり出す。だけどそいつはほとんど動じず見据え、引き上げる機会を窺っているみたいだった。合ってるよな?


「おっと悪い……じゃあその、この網が必要になったら言ってくれ……えっと」

「えっと、なんだ?」

「その……お前なんて言うんだっけ? そーいや知らねえわ」

「……はあ………………鉄炮塚てっぽうづか

「え?」

「鉄炮塚だ。いかつい苗字なのは自覚してる。笑いたければ笑え」

「へぇ……いいや、カッコいいじゃん」

「煽っているのか?」

「純粋な感想だって」

「あっそ。くれぐれも邪魔はするなよ」

「しねぇよ」


 鉄炮塚か……なんだよ、めっちゃ羨ましい名前じゃんか。

 イカつくて気に入らないなら交換して欲しいくらいだ。

 まさに凄腕のガンナーって感じたもんな……まあここに佇むのはフィッシャーだが。

 とか所感しつつ、そのまま俺は海面を少し覗き込む。

 現在進行形で格闘中のこいつ、鉄炮塚のサポートをするために。


「その受け答えが邪魔なんだ、けどっ」

「なんだよ。どうすればいいか分からねぇんだから仕方ないだろ」

「だから、頼んでないって」

「そんな寂しい言い方しなくてもいいだろ」

「かまってちゃんか、お前」

「残念だったな鉄炮塚。そうそう簡単に誰かにかまってもらえると思ったら大間違えだ」

「ちっ、もううるさいな。ああそこ見えない、どいて」

「こうか?」

「逆っ! 分かるだろ。そっちに、寄せたんだから」

「だから分からねぇって。せめて左か右とかあるだろ」

「そんな暇がない」

「そうか暇がないか。ならそれこそ、網役は必要じゃないのかい?」

「……揚げ足を取る前に構えとけ」

「え?」

「そろそろ水面から覗かせる頃だから」

「いや、ちょ、そんな急に言われても」

「お前が名乗り出たんだろうが。こっちだって暇じゃないんだから、網くらい使いこなせ」

「じゃあ………………こう、網を入れたらいいか?」

「今入れろバカ! アタシに訊いてる場合か」

「バカはないだろバカは」

「早くしろ早く。バレるだろ」

「……何がバレたんだ?」

「お前の無知さ加減だよ」

「はあ無知だ? 俺だってさ、釣り番組とか流し見したことくらいあるんだぜ。そりゃあねぇだろうよ」

「それならアホだお前は」

「アホとはなんだ」

「絶対ちゃんと見てなかっただろ……って、こんなつまらない言い争いしてる場合じゃない。ほらっ掬い上げろ」

「お、おう……ここだよな。ほっ」


 暗くてよく見にくい海面に、網をそっと入れる。

 めちゃくちゃ暴言吐かれてる気がするが、今はいい。

 せっかくここまで来たんだからな。

 ちょっとくらい役に立ちたいところだ。


「もっと下、それじゃ水面をなぞってるだけ」

「クソ、暗くて全然見えんが……下か、了解。……な、なんだ軽いぞ? 入ってないのか……」

「なら、音を頼りにしてみたらいい」

「音か……難しい注文だな」

「こーゆーのは慣れだよ、慣れ」

「慣れも不慣れもあるか。俺これ初めてなんだよ……こうか?」

「もっとガッツリいけ」

「無茶言うなよ」

「うん、うん、そのまま………………あ」

「どうした……あ」


 そんな息を合わせたような『……あ』と共に、俺はさっきまでしなっていた竿が夜空へと一直線に向かっている姿を見る。釣りについて無知な俺でも、流石にこれは逃げられたんだなーって、分かる。


「………………はぁ」

「いや……すごい溜め息だな」

「吐きたくもなる。こんな雑魚を逃すなんて……最悪」

「はあ? 雑魚?」

「ちっ……それ、引き上げて。周りの魚が逃げる」

「お、おお。そうだな」


 言われた通り、ゆっくりと網を引き上げる。まあこういうときもあるよな。なかなか上手くはいかないもんだな……とか、開き直ろうとしても、モヤっとはする。

 これが終わったらさっきの暴言の数々に、数々の文句でも言って返そうと思ったが、どうにもそんな雰囲気じゃねぇな、これ。

 それにしても雑魚……小物のことだよな確か。俺には魚影がよく見えなかったから分からんが、こいつの感覚ではそうってだけの話……なのか? いやでもかなりしなってた気がするけどな……。


 鉄炮塚の方もグルグルと回して垂らした糸と針引き戻し、エサを付け直してるみたいだ。なんか俺が知ってるやり方と違うが、多分そうだろう。数少ない釣り番組流し見知識がそう言っている。

 気付けば辺りはすっかり真っ暗で、遠くの街灯がまるで月明かりのように、神々しく見えた。

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