第5話 青空の下で瑠璃色はサボる(前編)

 平日早朝の校門前。俺が通う十倉高校には、神出鬼没のバケギツネが歓迎する。……なんて、こんなことを与太話を香和に告げると、有無を言わずに食い付いて来そうだが……真相はもっと単純で、自称とはいえ魔女や、警察や、胡散臭い霊媒術師もいらないくらい平和的な存在だ。


「……ほぼ、毎日居るな。あのキツネのコスプレのヒト」


 バケギツネもとい……全身キツネのキャラクターを模した着ぐるみを着る誰かが、無言で手を振り続ける。多分学校関係者の誰かの厚意か、ボランティア活動やら慈善活動やらの一貫なんだろうが、ちょっとズレた感性だよな……それ以上に突飛な自称魔女のせいで霞んじまってはいるが。

 そのキツネの着ぐるみは俺たち生徒はもちろんのこと、近くの小学校に通う子どもたちや、通勤途中の社会人や、ゆったりとした速度で懸命に歩く老人……とにかく、校門前を行き交う他人全員に向けて愛想を振り撒く。実際何のキャラクターかは知らないが、カワイイといえばカワイイ。


 まあ、これだけの感想なら美談になるだろう。だが実際はスルーされる頻度の方が高くて、身体と不釣り合いのバッグを背負った少年少女からはオモチャのように蹴られ叩かれ掴まれ、毛艶は傷んで、ところどころ黒っぽく黄色っぽい痣みたいになっておられる。若干哀れではあるが、俺にはなにもしてやれない。せいぜい、このキツネに手を挙げて返事をするだけで、今日も一般通過するだけだ。


 校門をくぐり、校舎に入ってから、渡り廊下を経由して、教室の自席に着く……至っていつも通りの行いだ。高校生活の日々も、秋にもなれば退屈して来るもんだな。こんなんで卒業までモチベーションが持つのかどうか……そういや香和も、あと高知もまだ来てない。遅刻常習犯の高知はともかく、香和はいつも早めに登校して来るヤツなんだが……黒毛のノラネコでも追いかけて寄り道でもしてんのか? 理由はなんであれ、気ままなヤツだもんなー。そういう日もあるか。


「今日の一限は……んん?」


 バッグを引っ掛け、机の中に突っ込んだままの教科書を適当に取ろうとしたとき、どう考えても本の感触じゃない小さな固形物の手触りを覚え、なんだこれはとすぐに引っ張り出す。


「え……いや、いやいやいや。これ絶対誰かが入れたやつだろ」


 その固形物は三本指で摘めるサイズで、丸みを帯びた三角形……俺も実際に触った記憶もいつだったか曖昧だが、これがギターピックであることはすぐに判る。

 ただギターなんぞ学校の授業で訳も分からずジャラジャラした経験しかなく、なのにピックなんてもんを俺が学校に持って来る理由もなく……そもそも一個も持ってない。つまり、こんなものが机の中に突っ込まれるとしたら、クラスメートが他のヤツの机と間違えて入れた……くらいだよな、普通なら。


「へぇー……意外とツルツルしてんのなー。何個かの青色グラデーションデザインもオシャレで悪くねぇ……んん?」


 なんか子どもの頃、河辺を探し回って最強の水切り石を発見したときの喜びに似たような新鮮な感覚がフラッシュバックしつつ、そのギターピックを表裏と翻して眺める。


「はぁ? 『屋上にて待つ!!』……まさかこれ、俺に言ってるんじゃ……いやいや」


 すると、裏側のデザインの方に黄金色の一文が記されていた。最初はてっきり音楽性に対する座右の銘みたいな、なんちゃって名言風デザインなのかと思ったが……偶然だよな? そうだよ、そうに違いねぇ。


「……んまあ仮にそうだったとしても、これに気が付かなかったフリでもしときゃあいいだろ……気を取り直して、教科書を取り出そ……なっ……——」


 やたらとピンポイントなメッセージ性を無視し、教科書とノートをそれぞれ軽く引っ張り出してみて、一限目に使うモノだけを引き抜こうとした……そう、引き抜こうとしたんだよ……その一枚のプリント用事が流れ落ちそうになるまでは。


「——『朝のホームルーム前、屋上で待ってます。一人で来て。呼び出す理由は、アナタが魔女のお気に入りだからで事足りるよね。あと同じような内容を書いといたギターピックもあげる。大事にして』……だと?」


 朝……しかも立ち入り禁止のはずの屋上に一人。魔女のお気に入り……この魔女はおそらく香和のことだろう。俺がお気に入りなのかどうかは置いといて。

 だがつまり、つまりだ。こんなイタズラ染みた真似をしたのが、香和ではない誰かである確率が高い。

 アイツならこんな回りくどいやり方はしねぇ。そもそも屋上は校則で禁止だからって、無断で入ろうともしなかったヤツだ。

 となると、高知の悪ふざけとかであって欲しいもんだが……まだ登校もしてないのにするか? ってなる。

 もちろん前日に準備しといたパターンもあるだろうが……そんなら俺のリアクションを楽しみたいからと、早めに登校して来ても良さそうなもんだ。このメッセージもどこか他人事な文章だし……いったい誰の仕業なんだ? 少し気になりはするな……メッセージ内容もだが、他にも憤りを覚えたという意味合いで。


「いやつか、意味がよく分からん呼び付けやギターピックはまだいい……だが、メッセージを書いた紙をっ! 俺の教科書に貼り付けることはなかったんじゃねぇのかっ! ああクッソぐっちょくちょじゃねぇか……こんなことで、のりでベッタリと、貼り付けやがってよ……何のための置き石だよ全く、意味ねぇじゃねぇかっ!」


 教科書の表紙と同様のサイズの用紙が、四隅をしっかりとのりで塗りたくられてる。しかも貼り付けてからそれほど経過していないらしく、危うく他の本まで影響が出るところだった。マジでこれ、メッセージが無ければイジメられてるでも通りそうだぞ。


「このやろう。ああ、分かったよ、行ってやるよ……バリクソ文句言いになっ!」


 本来ならこんなの余裕で無視する内容だ。

 どこの誰かも、見ず知らずのヤツと逢う気もないしな。

 だが他人の教科書に無断で糊付けするようなイカレッぷりへの怒りと、この送り主は魔女……つまり香和と何らかの関係があるらしいこと。


 もし香和を使って揶揄からかいに来てるのなら纏めて苦言を呈してやりゃいいし……香和に近しい人物なら、無碍にするのはなんだかやるせない気分になった。

 行くとは呟きつつ、何事もないことを望んではみる。ただ香和が関与しといて、そんなの確率低ぃなとも思いながら。




 十倉高校には屋上と呼べるのは一ヶ所しかない……訳じゃないんだが、俺は以前に香和と昼メシを共にした近くの屋上しか馴染みが無くて、自然とそこに赴く。

 これで違ったら違ったで別にいいし、縁がなかったくらいで済む。あんな他人を挑発するようなやり方をするヤツだ、向こうもすっぽかされるのは想定内じゃねぇかな。


 つか、俺が遅刻絶対しない主義を掲げてる真面目君なら行かねぇもん。ホームルームが控えていて、ここまで教室から離れることなんか基本ないだろうし、校則で禁止されてる屋上なんか尚更だ。


 んなことを考えながら階段を上り切って、無駄に防御力は高そうな、厚めで錆だらけの扉をギギィっと重々しく開く。屋外の風を一身に浴びつつ、ああ朝日ってこんな風なんだなと感慨深くなりつつ、随分と手荒い呼び付け方をして来たであろう誰かを探す。そういえば、屋上の建て付けが悪くて閉じ込められるかもしれないんだったな……開けっぱなしにしとくか。


「おはよう。屋上に来るなんて悪い子ね」

「……お前か」

「ふふ、オマエなんて言ってくれるじゃない? 初対面同然のはずだけど?」

「関係あるかよ。他人の机の中無断で漁っといて、不遜な態度してんじゃねぇか」

「証拠はあるのかな?」

「証拠はないが疑念はある。この通りに屋上に来たらお前が居たんだからな。問い詰める理由にはなるだろ」


 俺のことを呼び出したであろうそいつは、手ごろな段差に座って脚を組み腕を組み、屋上の設置された安全柵に仰々しく寄りかかっていた。

 香和と違ってローブなどは羽織っておらず、普通に学校指定のブレザー制服のみを着用。どう見ても染めてるであろうブロンドヘアーを二つ結びのおさげにして、この気に及んでも憎たらしく細目にして、口角をわざとらしく吊り上げる。ケンカ売ってるとしか思えねぇんだが?

 そんで香和の知り合いってことだから、あいつの学校生活の不遇さを考慮しても、そっちの方がありそうだなとは思ってたが……やっぱ女みたいだ。組んでいる腕は細く、スカートから伸びる組まれた脚も同じく。座ってっから正確なことは分からんが、多分俺よりも小さく、線の細い身体をしているはずだ……態度はそりゃもう太々しいがな。


「……なにジロジロみてるのよ」

「お前が誰か分かんねぇから警戒してんだよ」

「なんで私が警戒されなきゃいけないのよ? まだ疑いでしょ……まあ私なんだけどね」

「自白すんのかよ。つかやっぱお前じゃねぇか。なら、お前が俺の教科書をダメにしたからだろっ、こんなくだらねぇもんと一緒にな」


 そのメッセージが貼り付いたままの教科書を、そいつに向けて突き出す。

 こんなの、例えば高知とかがこんなことをしでかしたら、マジで当人に投げつけるところだからな? お互いに全然知らない関係に感謝して欲しいくらいだ。それで自制が効いてるようなもんだからよ。


「ああ、それねー」

「何がそれねーだ」

「だって読んで来てくれたんでしょ? 私の想いを記したお・て・が・み」


 腕と脚を組んでいるのを止め、急に猫撫で声でそう言う。

 しかもさっきまでの上からな表情とは打って変わって、シンプルな笑顔にもなる。

 なんかこういうところは香和と似てるのな、こいつ。

 いや顔が似ているという訳じゃなく……きっと、黙って変なことさえしなければ、そこそこモテるみたいな意味だ。


「な、なるほどな。俺に対する果たし状みたいなもんか」

「なんでそうなるの。普通はラブレターでしょ?」

「普通の概念どうなってんだよ。あとこれで両想いになるヤツの気が知れんわ」

「普通って私、他人それぞれの価値観で決まると思うの」

「じゃあ価値観の……ついでに倫理観の相違だな」

「……もう、どうして怒ってるの? そろそろ身の危険を感じちゃうなー。そっちが加害者になるのは勝手だけど、私はやめて欲しいなー」

「加害者はどちらかといえばお前だろ。これ、少なくともあと半年は使わなきゃいけないだよ。俺が買い替えとか冗談じゃねぇぞ?」

「あはは、それについては大丈夫だって」

「……何がどう大丈夫なんだ?」

「だってそれ、私が生徒会室で廃棄処分になってたところを拾ってあげた旧版だもん」

「え……は?」

「ホンモノはここに……あっ、ちゃんとお名前も書いてあるんだね……四国 心理くん?」


 そいつは背中の後ろから、全く同じサイズとデザインが描かれた現代文の教科書を取り出す。そして最後のページを開くと、そこには誰のものか分かりやすくするためのネーム欄があって、確かに四国 心理と俺の名前が記されたモノだとまざまざと見せつけられる。


「……なんのマネだ」

「とりあえず、これで怒らなくて済むよね?」

「そりゃ盗みにならないか?」

「たまたま拾って返してあげようと思ったのよ。盗みだなんてとんでもない」

「やり方が随分と回りくどいな」

「私はね、他人と話すと緊張して声が震えるのよ。とくに大勢が居るところは苦手……たまに保健室に登校するだけの日もあるくらいよ……こっちはただのサボりだけど」

「……まあいい。俺のだと分かったんだ、返して貰おうか」

「もちろん——」

「——あっ、ちょ、おいバカっ!」


 そう言ってそいつは俺の本当の教科書を指先に挟むと、バックスピンを掛けながら投げやがった。俺は上を向いて、途中で開いて不規則に動く教科書を迎えようとする。ったく、まるでフライングディスクを追い掛ける犬の気分だぜ。クッソ……なんで俺がこんなことを。普通に取れんし……ちくしょうめ。


「うん……ナイスキャッチ」

「いや普通に落としたんだが……」

「見ればわかる、言ってみたかっただけ」

「煽りにしか聴こえんぞ」


教科書は運が良いのか悪いのか、側面の硬い部分から着地する。そのおかげで目立った汚れとか、破れたりとかはしてないみたいだ。よかったといえばよかったが……教科書一つでここまで必死になるほど、真面目な学生生活送ってないはずだったんだがな。はぁ……俺もどうしようもなく高校生なんだなって思っちまった。なんだかな。


「ちっ。でもこれでもう、ようはなくなったわ……帰る」

「え? いやいや待ってよ……まだ私の話してないじゃん」

「俺の目的は達成されたからな。今ならまだギリ遅刻を免れるし、お前との無駄話に付き合ってるヒマねぇんだよ、じゃあな」


 ここに来てやることは、もう済んだ。

 教科書のこともそうだが……一番はやっぱり、こいつが香和と同じく、別タイプでめんどくさいヤツだと分かったこと。

 あと生徒会が云々も言っていたことから、きっと香和ともどこかしらで接点がある……つまりは友達までは行かなくとも、気に掛けてくれる存在ではありそうなこと。


 だってやり方は決して褒められたもんじゃねぇが、こいつはこいつなりに、お節介を焼いたようなもんだろ? おそらくは俺と一緒に居る頻度が高くなった香和を、心配でもしたんじゃねぇかな……あくまで推測だが、都合良く解釈するくらいいいだろう。


「はぁ……しょーがないな。ちょっと、失礼っ!」

「はぁ? なん……がっはっ!?」


 心の中でいい感じに締めようとしたのとほぼ同時に、俺の首が絞まる。そのまま後ろに引っ張られ、やっとブレザーの襟をこいつに無理やり引かれたと理解し、一瞬だけまともに呼吸が出来なかった不意を突かれ……一度大きく深呼吸をしている間に、建て付けの悪い屋上の扉が、そいつの手によって閉ざされる。


「これでよしっと」

「な……はっ……お前、何すんだよ」

「うーん……閉じ込め、られちゃったね。それ、建て付け悪くてこっちからじゃ開かないんだよ。こうなったら仕方ない、無駄話でもして、時間を潰そうか」


 そう言ってそいつは、さっきと同じ位置に戻って座る。

 やっぱ何事もないわけがなかった……マジで情けないぜ。建て付けが悪いと分かっていたのに、閉じ込められるなんてな。

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