第6話 青空の下で瑠璃色はサボる(中編)

 屋上に閉じ込められてから三十分が経つ。

 既にホームルームが終わって、一限目の授業が開始されたくらいだろう。もう遅刻は確定だ。

 俺はどうしたもんかと少し頭を抱えたが、そういえば屋上からの風景をちゃんと一望していなかったなと思い立って、網柵の隙間から映る校舎内な街並みを眺める。


「……いい景色、だな」

「でしょ。私もお気に入りなのよ」

「ああ。今朝歩いた街や、人並みが、ミニチュアみたいに感じるわ。めっちゃ新鮮——」

「——他人ひとがゴミのようね」

「そこまでは言ってねぇよ」

「ふーん……」

「な、なんだよ? ノリが悪いってか?」

「ううん違う。閉じ込められてるのに、落ち着いてるなって」

「そりゃそうだろ、スマホあるし。充電はまだ90パー以上あって、屋上になると急に圏外になるようなご都合主義もないからな」


 どんな緊急事態でも、割とスマホだけでなんとかなるもんだよな。電源を入れたら時刻も分かるし、助けが欲しいなら電話を掛けたり、メッセージを送信すればいいし……その気になれば建て付けの悪い扉の開け方を検索すりゃヒットするだろう。いっそ困らなさすぎて、頭を抱えたまであるからな。


「なぁんだ。そっちも持ってるんだ」

「その言い方、お前も持ってんのな」

「当たり前でしょ。じゃないと屋上の扉を閉じて、待ってなんかいないよ」

「そこまで織り込み済みだったのかよ……つか閉じ込められてるんだぜ? 早く連絡の一つでも入れたらどうなんだ?」

「嫌よ。授業に参加するハメになるじゃん」

「……高校生にあるまじきセリフだな」

「あと連絡しろっていうの、そっくりそのまま返してあげる。なんでしないの?」

「……そう、なんだよな」

「釈然としないね」

「あ〜あ。俺も何がしたいのか……サボりたい、みたいなのはしょっちゅうあるんだが」


 なんでだろうな、教室に戻ろうって気力がない。遅刻に対して負い目とか、授業が嫌になったとか、そういうんじゃないんだよ。ただ今戻ったところで、この屋上からの景色を超える感動に出逢えるかと訊かれたら……そうじゃないと悟ってしまう。

 強いてあげるなら、香和なら俺が予期しない何かを齎してくれそうな気がするが、あいつが登校してる保証がない。あと高知も居ないかもしれない。ああそうか、親しいヤツが皆無な空間に行くのが、俺はちょっと億劫なのかもしれないな。


「まあそういうときもあるでしょう。かくいう私もその一人だから」

「お前と一緒にされるのは気に食わねぇ」

「なんでよ……あとさっきから私のことを、お前お前って、口が悪いんじゃないの?」

「口が悪いのは元からだ。どうにも直らねぇんだよ。それと俺、お前の名前知らねぇんだよ。つか今更だが、お前誰だよ」

「ほんとに今更ね。でも、言われてみたら私のこと全然話してなかったかも」


 そういや自然と喋ってて忘れそうになってるが、こいつとまともに話したのって、これが初めてなんだよな。この状況、想像以上に怠いな。


「……何年? まさか先輩?」

「うわ、そこからなのか。なら順々とは話していきますか……まず私の名前は、瑠璃垣るりがき 蒼乃あおの。十倉高校の一年、同級生ね。クラスは別だけど」

「瑠璃垣……一年……お前、ダブってないのか?」

「失礼ね、ダブってないよ。あと名前教えたのに、またお前って言った」

「……まだ名前知ったばっかだから慣れねぇんだよ。元々の性格もあるけどな……いきなりダブってるかどうか訊く時点でお察しだろ」

「私、そこまで察し良くないっ!」

「……威張って言うことじゃねぇからな、それ」

「……そういえば、私はなんて呼べばいいの?」

「なんてって?」

「察し悪いな〜。私はアナタのことを、苗字か名前か、あだ名か、どれで呼べばいいの」

「気にせず好きに呼べばいいだろ」

「でもさ、四国って呼ぶと地方のことにならない?」

「確かにそれはややこしいかもな……下の名前にするか?」

「……いきなり異性を下呼びにするのかなんか、嫌」

「嫌って言われるのは傷つくが……分からんでもない理由だな」

「でしょ。なんか男慣れしたビッチ感でない?」

「でねぇよ、偏見だろ。普通にはずいでいいだろうが」

「……普通ってのは他人それぞれの価値観が——」

「——またそこに戻んのかよ。結構前だぞ、それ」


 いやそれにしても名前の呼び方……か。あんま考えたことなかったが、俺って苗字でも下の名前でも呼ばれる頻度少ないかもな。どちらももれなく別の意味が付随するからな。その差別化で、おいっだの、お前だの呼ばれがちだ。つい他人をお前って言っちまうのも、もしかしたらこの辺が絡んでんのかもな。

 ちなみに高知は俺のことを四国って苗字で呼ぶが、あれは共通の事柄からの流れっ感じで参考外だ。となると、香和が一番良い例になりそうだが、あいつ俺のことを君って二人称で呼ぶこと多いんだよな。どことなくゲームのキャラクターみたいな感じがある。意識してんのか?

 いやまあそれは良いし、ぶっちゃけやりやすさもあるが……それをこいつ、瑠璃垣? に強要するのもなんか違う。名前なんて、適当に俺だと分かればなんでもいい気がするが……名付け親が誰しもいるように、当人が決めることでもないだろう。


「んー……これは保留にしとこう。本題はこれじゃないし、自然と私が呼びやすいモノが見つかるでしょ」

「あんだけ話したのに保留かよ……別にいいが、本題ってのはなんだ?」

「わざわざ屋上に呼び出した方」

「マジでそっちが本題だな。俺も知りてぇわ。寧ろお前……じゃなかった、瑠璃垣よりも知りたい度高いはずだぜ?」

「何そのへんてこ度数は? 初めて聴いたわ」

「安心しろ、俺も初めて言ったわ」

「でしょうね——」


 自分で言っといてアレだが、えらく限定的な度数だな。

 今後こんな尺度を使うことはないに違いない。

 使う機会なんてあったら教えて欲しいわ。


「——えっとそれでね、私が屋上に呼んだのはね……」

「ああ」

「私は………………香和 朱音と、仲良くなりたかったから、なの」

「え? 理由は、それだけなのか?」

「う、うん。そうだけど」

「あの………………すー……香和を呼べば、良かったんじゃね? 俺じゃなくてよ」


 散々溜めに溜めて、それなのかよ……とりあえず現実じゃガラに合わないから、心の中だけでいいから叫ばさせてくれ……俺、ここに呼ばれる必要マジでなくねぇか!?




 普段使いしてる教科書をダメにされたと勘違いしちまうイタズラ紛いなことをされ、首を絞められて、挙げ句屋上に閉じ込められた理由が……香和のため。いやあ、のちのちどうにかなるモノばかりとはいえ、割に合わんよな。


「いいや違うの……シコシンに聴きたいんだよ」

「何を……つかシコシン? ってのは俺のことかっ!?」

「他に誰がいるのよ」

「いないから戸惑ってんだよっ! んな呼ばれ方されたことねぇもん」


 四国 心理から、それぞれの頭二文字を取ってシコシン。あだ名としたら悪くはない。悪くはないが、なんか毎回上手く発音出来る気がしねぇな。たまに舌足らずになりそうだ。


「でも、語感いいと思わない? なんか有名タレントや配信者っぽくない?」

「ぽいだけで言いにくいだろ……まあだが、瑠璃垣がそう呼びたいなら別に……って今はんなことどうでもいいわ。俺に聴きたいことってのは?」


 そう。今はなんて呼べばいい問題が解決したことよりも、そっちだよな。

 ただ香和と仲良くなりたくて、その香和じゃなく俺に聴きたいことなんてあるのか? なんか、第三者視点からのあいつを知りたいとか、そういう感じなのか? 自分で思うのもアレだけど、あんま役に立ちそうにないぞ。


「どうやったらさ……あんなに懐かれるの?」

「………………は? 懐かれる? 誰に?」

「香和 朱音に決まってるでしょ。鈍感装ってるなら止めた方がいいよ」

「いやそうじゃなくてだな……香和のことなんだろうなとは思っていたが、どこをどうみたら俺があいつに懐かれるなんて印象になんのかなって——」

「——どこをどうみてもよ」

「ざっくりし過ぎだろ。具体例はないのか?」

「具体例? そうね……一学期中はほとんど独りぼっちだったのに、二学期になって急にシコシンと喋り出したところかな」

「まあ……そう言われたら、そうだな」


 一学期のクラスで香和が誰かと絡んでるとこなんか、ほぼ見なかった。格好の主張こそ強めだったが、あいつ自身はずっとおとなしく、授業をこなしていただけ。腫れ物のような扱いでは無かったけど、どう触れていいか、みんな迷ってしまって、距離を取っていたように思う。そして情けないことに、俺もそのうちの一人だったわけだ。


「でしょ。あと私のクラスでは、噂の魔女が生け贄を手に入れたってことになってる、けど——」

「——ほう………………って、誰が生け贄だ。爪の垢一つもやらんわ」

「うん。それも私は違うよなーって思ってたのよ」

「へぇ。別クラスで香和と接点も薄そうなお前が、やけに知ったような口を開くじゃねぇか。まさか、同中とか?」

「ううん違うよ。中学以前にも逢ったこともない……だけど私たちは、生徒会の人の要請で、いわゆるスカウトされたうちの一人なのよ。そのときに出逢って……ちょこっと話しまして、ああこの子、自分の信念を持ってる子なんだなって」

「生徒会……やっぱそこに繋がるんだな」


 香和も次期生徒会長に誘われたと言っていて、瑠璃垣も生徒会室で廃棄処分になりそうな教科書を使い回したと言っていた。同級生とはいえ、特に関わり合いもない別クラスの二人の接点を考えれば、そこしかない。


「うん。でも香和 朱音とはさ、そこでは話すんだけど、他があんまりで。そもそもまだそんなに活動するような感じじゃないから逢う頻度低いし、たまに放課後に誘っても、向こうは向こうでミステリーサークル探しとかしてて、忙しいみたいだし」

「高校生らしからぬが、めちゃくちゃあいつらしいな」

「そうなのよ。だから、私もそれ手伝おうかって訊ねたら……あまり、一緒にいない方がいいんじゃない? って感じで、やんわりと断られる」

「まあ、一人になりたいときもあるんじゃないか?」

「……そのとき。まだ夏休みになる前は、私もそう思ってた。この子は一人な好きな子なのかなって。気分が乗らないなら仕方ないかって」

「そうだな。仕方がない」

「でもっ、でもだよっ!? 二学期になった途端に、やたらとシコシンと一緒っ! しかもシコシンの方からじゃなくて、ずっとダンマリたった香和 朱音の方から喋りかけてるって言うじゃない!? それがもう私羨ましくて羨ましくて……だからお願いシコシン。どんな方法を、いや魔法を使ったら、私にもあんな風になってくれると思う?」


 なんとなくシリアスムード漂っていたのに、最後の怒涛の畳み掛けのせいで、一転してコミカルになる。あともうシコシンで行くのな……それもシリアスさを水で薄めている気がしてならないが、まあいい。


「つまりは瑠璃垣が言ってるのは……お前自身が香和に何度誘っても乗り気になってくれないのに、俺にはなんであんなに話し掛けてるんだって聴いてるんだよな?」

「そうっ。ちなみに一回、シコシンより先に、この屋上に呼び出したことがあったんだけど、そのときも上手く行かなかったわ」


 なるほど、試し済みか。

 香和も屋上に来たことあったのか。

 校則を気にしてた節があるし、てっきりこの景色を知らないんだと思っていたが……確かにそうだとすれば、屋上の扉が建て付け悪くて逆からだと開かない、なんてニッチな情報を知り得ないよな。あと校則で禁止かどうかを即答してた気がするから、どっかで調べるときがあったと考えるのが自然だ……うん、辻褄は合いそうだ。


「……嫌がってたろ、香和」

「どうかしらね。ただ校則に引っ掛かるって言ったら、ちょっと及び腰だったわ」

「校則に引っ掛かるからな。そりゃあビビりもするだろ」

「てっきり魔女なら、天に近いところから手を上に伸ばしたい人種だと思ってたのにな……高所恐怖症とかだったのね、きっと」

「凄まじい偏見だな。いや、まあとりあえず? 俺と香和がなんで話し出したのか……だよな」

「うん。きっと参考になるはずだから、教えてくれると助かる」

「じゃあその……一応きっかけみたいなのはあるが、あれは大きなアクシデントみたいなもんだからな」

「アクシデント? しかも大きな……ああ、病院に運ばれたヤツ?」

「げっ……それ、もしかして広まってる?」

「この学校の他人なら大抵知ってる。だって救急車が来たんだよ? しかも体育館やグラウンドじゃなくて、ただの教室に。気にならないわけがないよ」

「……だよな。っと、それは置いとくとして。とにかくそのときに、香和と少しばかりサシで話すときがあった。内容も取るに足らないモノばかり……なのに、二学期が始まったときにあいつから、他愛のない話が続いたんだよ……んで、現在に至る」

「それって——」

「——ああ。要するに香和が俺に絡んで来た理由は……知らん。寧ろお前に訊ねたいくらいだ」

「ええ……使えない」

「俺を使おうとするな」


 香和本人へのアプローチが上手くいかず、苦肉の策で俺にシフトしたんだろうが……悪りぃな、どうもやっぱ役には立てそうもねぇわ。というか、誰かと誰かが仲を深めるきっかけを伝えるのって、普通に難しくね?

 普通と同じく、色んな価値観があるだろうが、改めてこんな単純なことを、こうして思い知らされた気がする。

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