消せない痕と消えない痕
守本氷魚
第1話
平凡な日常と聞くと「つまらない日常」と捉えがちだけど、私は違うと思う。何気ない日常にも変化があって、その都度面白味や興味深さ、好奇心がかきたてられるのだと思う。そんないつもの、平凡な日常になる”はずだった”ある土曜日。
「じゃあ、いってきまーす!」
「はーい、気を付けてねー」
元気よく玄関から出る娘の姿を見て、私は少し自分を褒めた。娘は友達と一緒に出掛け、そのまま泊まって行く事を一週間前に伝えて来た。我ながら親バカかつ心配性なのも相まってあれこれ言いたい事はあったけど、そういう気持ちは敢えて封印して娘の意見を尊重した。ちょっと前なら断固として断ってたかもしれないけどね。そうなると私と夫だけになるのだが、夫も出張で帰ってくるのは日曜日の夕方頃。つまり今日と明日お昼ぐらいまでは私一人になる。
普段なら家族で過ごす土曜日、今日はいつもと違う私一人だけの土曜日。
とは言えやる事はいつもと同じで、「自分」を押し出す事は出来ない。
「さぁてと…」
掃除洗濯も澄み、後はいつもの買い物、と準備を進め軽く身だしなみも整え、いざ家を出て近くのスーパーに向かう所でようやく気付く。
「…あ、そうだった今日一人だったんだ」
やはり癖と言うのは治る物ではない。スーパーに行くにも家に帰るにも中途半端な距離の所まで来てしまい、どうしようか考えていたら一人の女性を見た。今思えば、この時「平凡な土曜日」から「変化のある土曜日」に変わる瞬間だったのだろうか…。
「…?菜々、さんですよね?同じクラスの」
「…あらこんにちは。アナタもこの辺?」
「この辺、と言うか少し歩くんですけどね。菜々さんもこの辺だったんですね」
「あぁそうか、あまり私の事話してないものね、色々と…」
少し笑みを浮かべながら他愛のない話をする。彼女は同じクラスのいわゆるママ友、とは言え深い付き合いがあるわけでもなく、学校で会って話をする、悪く言ってしまえば社交辞令?的な会話だけをする。知人以上友人未満だろうか、そんな関係。ただ少しミステリアスな雰囲気と、紫外線アレルギーを持っているから常に長袖を着ている。
「じゃあ私はこの辺で…」
「アナタも、また学校で」
そうお互い挨拶し、別れようとした。突風が吹き、菜々さんの束ねていた髪が靡く。髪に隠れていた首が露わになり、私は何かを見た。アレルギーで出た日焼け、と思ったけど更にその下の方を見ると何か「模様」があった。
「…ん?」
「あら…気付いちゃった?」
怒った様子でもなく、むしろ少し面白そうな事が起きたと言わんばかりの言い方で菜々さんは私に問いかけた。
「えぇ…と」
「この後時間、ある?」
「はい、今日は娘も夫もいないので…」
「…私も、いないのよね。とりあえず私の家に行きましょう」
どうしてこの時お互いに、夫と子供が家にいないのを確認したのだろう。たぶん無意識にだったんだと思う。
「紫外線アレルギーって言って上手く肌を隠してきたけど、まさかアナタに見られちゃうなんて」
「ご…ごめんなさい」
「…ふふっ、むしろ良かったのかも」
菜々さんは少し笑いながら応えた。束ねた髪を持ち、首を晒し背中が開いてる服を少しずらした。そこにはさっき見た”模様”、それももっと大きな物だ。繊細で、綺麗で…。唖然としてしばらく見入ってしまった。
「そ、それ刺青、ってやつ?」
「そうよ」
服を戻しながら、何気ない会話をするかのように応えてくる。
「どこまで」
「全身よ、服で隠れている所は全部」
「全部?!」
さも当然のように言う菜々さんに驚きを隠せない。でも菜々さんはただただ普通に話す。
「昔彫り師と付き合っててね…まぁ色々と」
「付き合ってたって…今その人とは」
「別れたわ…色々あって」
「今の旦那さんは”その事”を承知で?」
「”その事”を知って結婚したわ…色々あって」
淡々と話す菜々さんの声は、後悔やネガティブな事は全くなくて、凄く活き活きとしていた。
私は衝撃と、そして”ある感情”が芽生えたんだと、今となっては思う。
平凡な日常を過ごす私が経験しなかった事を、たくさん経験してきたであろう菜々さんに私は興味が沸いた。どうして沸いたのか、衝動的になのか、”何か”があるのか、もっと知りたいと思ったのか…。そのどれもだろうか。
いやそれは元より…。菜々さんと私がこうやってママ友しているという事は子どもを産んでいると言う事。つまり彼女の旦那さんは彼女の身体の全てを見ているわけで、どういう感情で抱いているの?と言うかその時菜々さんはどんな…。
「…!!」
そこまで思考を巡らせて我に返る。いくらなんでも妄想が…それに人様のそういう…恥ずかしい…。私の馬鹿。
「見てみる?」
ふと発せられた菜々さんの声に、先ほどまで無かった”熱さ”があった。菜々さんの方を見ると私をじっと見ている。私も菜々さんの方を見るが、さっきまでの思考も相まって上手く目を合わせられない。
「えっ、見?」
「うちの寝室の照明、旦那がこだわっちゃってね。それに照らされて見るのが一番綺麗なの私の身体」
「…えっと…あの」
何か言わなきゃ、何か反論をしなきゃ。その考えはすぐに薄れて…。
「…ふふっ、こっちにいらっしゃい」
手を引かれ、私は菜々さんと寝室に入った。
目を覚ますと寝室のベッドに横たわっていた。隣を見ると菜々さんが寝ていて、私も菜々さんの腕枕で寝ていた。あの後、菜々さんの身体、見たんだよね…。凄く綺麗で、何故か分からないけど涙が出てきちゃって…。菜々さん、慰めてくれたんだよね…。
『菜々さん、私…』
『ふふっ、アナタって意外と涙もろいのね』
平凡な私と、正反対の菜々さん。交わるはずのない私達だったけど…。
「ごめんなさい、無理させちゃったかしら?」
私が起きたのに気付いたのか菜々さんも起きた。
「はぁ…いえ、私は大丈夫、です…。菜々さんこそ、その…無理させちゃいましたか?」
「私?そうね…アナタのせいで、しばらくは大丈夫だわ」
「…私の方こそ…しばらくは、大丈夫だと…」
自分で言っておきながら恥ずかしくなって尻すぼみになってしまう。
「そうね…また、”見てくれる”?」
その言葉はただ単純に”見てくれる”の意味ではなく、昨日のベッドの上での事全般を言う事なのは明白で。
「…色々と、考えておきます」
「そう?ありがとう、色々とね」
秘密を持つ私達の見えない所に、消えない痕を残した。
消せない痕と消えない痕 守本氷魚 @morimotohio
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