第五章 不可能 (20)~(22)

20)もふもふ

1/3

 だれもが自分たちの明日を疑うことなく、穏やかな季節が流れていく。


 五月の最中の出来事が、それからの高校生活に大きな転機を与えようとしていた。


 意外な理由でまかり通ったアルバイトの許可をもらえた僕は、放課後になると、各方面の良さそうなお店の求人に応募してみていた。毎回写真付きの履歴書を持っていくのだけれど、なかなか採用には辿り着けなかった。面接は最初の方がうまくいっているのに、後半からぎこちない会話になっていってしまう。


 女性の制服が似合うはずだけれど、男性の制服を着たら、なにかこう、都合が良くないみたいな会話になっていって、雲行きが怪しくなっていく。どの店長さんにもお考えがあるんだろうけれど、とにかく残念だった。


「はあーあ。どうしてダメなんだろ」


 そのぼやきは隣の人にも聞こえていた。登校中の朝のこと、もちろん、それは先輩に他ならない。


「何がダメなんだよ」


 僕はごまかして、詳しくは話さなかった。アルバイトのことを知られると、何か損する気がして、せめて女子の制服を着て登校できるまでは言わないでおこう。


 この数日の間に、カグラ先輩は変わった気がする。僕が後ろから来ることにつっこまなくなったし、速く歩かなくなった。僕のこと、少しは考えてくれるようになったのかもしれない。


「ケッ。何一人でにやにやしてやがる」


「何でもないですよ、先輩。今日も一日、頑張っていきましょう!」


 元気なら余っていた。学校のある日だけとはいえ、こうして二人で過ごせる時間が持てるのは幸せだ。当たり前の積み重ねでも、入学したばかりの自分の視点に立ってみるとあり得ない事だった。


 通い慣れた通学路が安らぎの場になっていた。




 学校が終わったら、また面接に行かないといけない。一刻も早く、制服を買うためのお金を手に入れないと。そのつもりで校門を出ていく時に、意外にも同じ時間に現れた人が居た。


「今日は早いんですね」


 鞄を肩に引っかけるように持っている先輩は無言で歩いていく。遠目で見ると怖い人かもしれないけれど、近くで見るとそうでもない。怒っていることの方が少ないくらいだ。それにとても優しいから好き。


 そんな視線で見つめていると、睨み返されてしまった。


「ちょっと付いてこい」


 初めてのお誘いだった。面接の予定をキャンセルしても構わない。先輩と過ごせるなら、わるい子にだってなってみせるさ。どんな所に連れていってくれるのだろう。


 学校を出て、家々が立ち並んでいる普段の通学路とは違った方向へと二人で進んでいく。友達と遊ぶ時にも通り掛かる、飲食店や遊び場が密集した一角に来ている。下校途中の学生や買い物に訪れた通行人の姿もある。

2/3

 先輩はためらいなく、一軒のお店に向かって歩いていく。看板には「うさポジ」という楽しげな文字が見えた。中をのぞいてみると、大きめなケージに小さなウサギがたくさん居る。


「ここに、入るんですか?」


「ああ」


 笑いを堪えるのが大変で苦しい。先をゆく彼の後ろに続いて、ガラス張りの引き戸を閉めて、店内を見渡す。いろんな種類の「本物の」ウサギが居る。耳が立っているのや寝ているのが居て、なんとみんな口が縦に割れている。


 丸い目をしていて、なんだかかわいらしい。小さい動物を見ていたら不思議と癒される。実際に飼うのは大変なんだろうけど、一緒に居たがる人も居るんだろうな。


 一頻り見終わると、先輩は一人でさっさと外に出ていってしまった。まだしばらくウサギたちを見ていたら、近くに居た中年の女性店員さんがひそひそ声で話し掛けてきた。


「あなた、彼のお友達? ああ体の大きい人が近付いてくると、このコたち怯えちゃってね。もう来ないでくれたらいいのだけど」


 愛想笑いをして、その場を後にする。ウサギさん「は」かわいかったと思う。




 かわいいものとそうでないものが混在していた奇妙な店を出ると、道端に先輩が立っていた。あり得ないとは思ったけれど、一応、念のため尋ねてみる。


「さっきの話、聞こえてました?」


「別に。何も聞いちゃいない」


 店員さんの言ってることはうさちゃんの視点では正しいのかもしれない。だけど、僕はそれをただうのみにすることだけは避けたかった。


「やっぱり、先輩はうさちゃんが好きなんですね」


 否定も肯定もせず、彼は歩き出す。後ろを付いていくと、その大きな身長はわるいことばかりではないという確信を抱かせてくれた。だって、こんなにも頼りがいがあって、付いていきたくなる背中は滅多にない。


「あのお店、どのくらい通ってたんですか」


 僕がその質問をした後ぐらいに、大きな爆発音が鳴り響いて、それと同時に地響きが起こった。肩が動くくらいに驚いて後ろを向くと、先ほどまで居た場所が粉々に砕けた瓦礫の下敷きになっていた。そこに、もうウサギの姿はなかった。


「中に入ったのは、初めてだった」


 先輩も煙が上がって、以前の形を失くしたあの店の方を向いていた。それだけ言うと、ポケットに手を入れて、やじ馬が現れて騒ぎの中心になっている、事件の起きた所から去っていく。


 あのお店に入れたのは僕が居たからなのだと直感したものの、素直に喜べなかった。いや、むしろ先輩の誘いを受けてしまったことを後悔したっていいのかもしれない。彼をわるく言ったあの女性がどんな人だったかはよく知らないままだったし、ついさっきまで元気に動き回っていたうさちゃんたちがどうなったかはこれ以上考えたくはなかったから。

3/3

 通学路に合流してくると、先輩は一人で行ってしまって、僕は自宅から別れるその道を付いていこうとは思えなかった。アルバイトの面接を断った手前、寄り道をしてしまう気にもならなかった。


 あの大きかった背中が小さく見えたのは単に遠ざかったからというだけではない。もしも、何かできることがあるとするならば、精一杯癒してあげたい気持ちだった。あんなことになるなんて、僕だったら胸が張り裂けそうになる。それにしても、この前もあったあの爆発はなんだったんだろう。


 考え事をしながら立ち尽くしていると、耳をついた轟音を感じ取るよりも早く、近くの建物の屋根がいきなり近くなってきた。数メートルと上に築かれたそれはあっという間に僕の目の前まで、押し倒された積み木みたいに崩れてきた。


 ああ、僕の人生はここで終わってしまったのかもしれない。


 そう思って目を閉じた瞬間、激しく崩落する物音を立てた屋根の破片は僕に降り注ぐことはなく、何一つも体に触りはしなかった。少しずつ目を開いていくと、見覚えのある人が立っていた。その体はおよそ人体とは異なる構造をしていたけれど、青白い光を放っている機械の顔がほのかに笑ったように見えた。


「ケガはないですか、リア様」


 あれほどの瓦礫が押し寄せてきたのに、その小さな体はどこにも致命的な破損がなくて、ぶれることなくきれいに立っている。壊れた住宅は高さを失って、構成していた部材が粉々になって地上に拡がっていた。


 しかも爆発の音が絶え間なく、街のいろいろな方向で連鎖的に巻き起こっている。道端では治安維持を任務とする円柱形の無人ロボットがサイレンを鳴らしながら忙しく行き来している。近隣の住人や通行人たちの姿も増え始めてきている。


「そうだ、先輩! カグラ先輩」


 慌てて振り向いた。


「お前、大丈夫なのか」


 すぐそこまで来てくれていた。何も考えられず感極まって、そのたくましい体に飛び込む。鉄のように硬いのに、温かみがあって、いつも隣に居て覚えている匂いがする。次第にシャツを握る力が弱まっていくと、触れていたお腹や胸から反射的に、全身を一気に離した。


「ふわっ、ご、ごめんなさい。僕、失礼な事をしました」


 動じない彼はさっと、手を伸ばしてくる。お仕置きされるのかと、純粋な恐れとほんのちょっとの期待に目を細めていくと、手のひらが僕の髪の上に置かれた。こんな風にだれかに頭を触られるのはいつ振りだったろう。すごく気持ちいい。緊張していた顔がほころんで、溶けてしまいそうなくらいだった。




21)第一人類解放戦線

1/3

 何者かによるテロ行為。その規模は日に日に増していった。アルバイトどころではなくなり、どの学校もお休みになった。自宅で過ごすことが多くなった僕は「普段着」の装いで、それまでよりは自然な自分で居ることが許されていた。部屋の鏡を見て思う。


 僕が僕で居られるなら、男の子らしさなんて要らないのかな……。弱気になっている場合じゃないのに、だれかに甘えたくなる自分が嫌になる。まして、こういう時だからこそ変わろうとしなくちゃいけない。


 膨らんだ胸元の装いはそのままに、凛々しい表情を作る。でも、やっぱり僕が何かに立ち向かったり闘ったりするのは想像も付かない。できることなら、争わないで済めばそれでいいし、そのために負けるのだって何も悔しくない。だって、それは本当の意味で負けとは言わないと思うから。


 外には行くなって親に言われているけれど、音を立てないように玄関を出ていく。


 庭先に立っていたのは人の装いをしているけれど、この前、僕の命を助けてくれたダイムだった。彼のような二足歩行型のロボットは珍しくなくて、公共の施設の運営や、お金持ちの家庭なら何台か所有しているほど普及している。


 こういった非常時に嫌悪され、責められるのは機械よりも人間側の方だ。通説では、本能や衝動に任せて悪事を働くのは抑圧された社会的生物の生み出す因果だとされ、それを正し導くのはプログラム通りに与えられた仕事を遂行できる機械の唯一の優越といわれている。この前の情報技術の授業で学んだ。


 みんながみんなわるい人だと思っていたらいけないけれど、人を信じ過ぎるのもよくない。だから、僕は自分にできることを探そうと思う。


 ダイムは僕の言う通りに動いてくれる高性能なアンドロイドだった。これを直した人がいじったからかもしれないけれど、それにしても賢い。行きたい所を伝えると、すぐにその経路を教えてくれる。ちょっぴり融通が効かないのは愛きょうだ。そこは僕がちゃんと学習させてあげればどうにかなりそう。


 まず、僕が向かったのは自分の通っている学校だった。門は堅く閉ざされ、人の居る気配がしない。先生方も自宅で待機しているのだろうか。


「避難所候補第三位、耕乍披雅高等学校」


 隣に居た彼が道案内と同じ要領で教えてくれた。そうか、有事はここに近隣住民が集まれるような準備はされていないとおかしい。でも、だったらなんでこんなにも静かなのだろう。


「先生たちは居ないのかな」


「……校内のネットワークにアクセスしたところ、運営されていない模様です」

2/3

 立ち止まっていられなかった僕は学校を後にして、崩れ落ちた建物を見に行くことにした。最も近い所で、ここから五分程度の距離にあるという。ダイムの告げる経路を頼りに、ヒビの入った道路を歩いていく。


 街全体が緩やかに滅んでいくような光景が拡がっていた。空が青いのが気持ちわるく思えるほど、地上は日常を失い、だれの目からも危機が迫っていることは明らかだった。


 歩いた先で見たのは、きれいに片付けが済まされた更地だった。こうした「空き地」は既視感がある。通学時、外出時、下校時、……この危険な状態になる前から、幾度となく目にしていた光景。その時は全然意識していなかった。それがどのようにして発生した土地だったのかまでは。


「君が倒れていたのもこういう所だった。ねえ、何か覚えてないの?」


 ダイムはかぶりを振って、心当たりのいかんを表現した。相づちを打って広い地面を眺めていると、不意に突き飛ばされた。


「いたたたた、何するの」


 手を着いたものの、そのまま低い体勢になって衝撃を少しでも和らげることに必死で、すぐに立ち上がれなかった。身をよじって、僕らの歩いてきた道がある後ろの方を向く。


 そこには、複数の人がかたまって立っていた。大人がほとんどだけど、高校生くらいの少年も居る。手には金属製の野球バットや鉄パイプが握られていて、友好的な雰囲気な放っていない。


「下がっていてください。ここは第三種ジェノサイド型のワタシの出番です」


 あの後、気になってちょっと調べてみたけど、ジェノサイドは「ある特定の集団を排除するために行われる暴力行為」と出てきた。精神的な危害から大量殺人に至るまで、その言葉の及ぼす範囲は広い。その典型は民族を根絶やしにするために行われた、古代の闘争にまでさかのぼる。


「殺したらダメ! 解ってるでしょ」


「ええ。リア様がそうおっしゃるのであれば尊重いたしましょう」


 彼は迫りくる暴徒から顔を逸らすことなく受け答えをする。


 丸腰の小柄なロボット一体に対して、武器による攻撃は六人係りで行われていた。力の差は歴然で、各部を叩かれて鈍くて大きな衝撃音と共に割れていく機械仕掛けの体に呼応して、戦うための動きが鈍くなっていく。


 下がってみていて判った。もうすでに勝機はなかった。横たわったダイムは頭部・胸部のそれぞれの中枢部にある電子回路までぼろぼろに壊されて停止している。生気のない表情をした彼らは次の獲物である僕の方に歩いてくる。


 立ち上がれず、後ろに手を着いて、腰を降ろしたまま後ずさっていく。先頭に居た人がバットを自身の頭上に掲げ、外の光を遮ってできたその影が僕の顔に覆い被される。

3/3

 怖い。死ぬのは嫌……、思い出される記憶。僕に銃を向けた女性の姿。とても美しい人だった。兄の友人だったのは覚えている。その人がどうしてあんなことをしたのかは解らない。だけど、鮮明にその時の事が甦るのは、またも訪れようとしているからだった。


 僕の運命がそこで動き出す。


「裡娃くん。ここで終わる気は、ないわね」


 どこかから銃声の音がして、握られていた鈍器が地面に落ちる。女性の声が耳元をかすめたのは後のはずなのに、ほとんど同時だった。敵が密集している所から視線が横を向くと、そこには何の前触れもなく、背の高いだれかが立っていた。


 つやのある黒く長い髪がなびく。黒のドレスのすそからのぞかせる長くしなやかな脚がまっすぐと、しっかり地面に突き立っている。かたわらに機関銃を携えて、凛々しい立ち姿だった。


「ゑ瑠寡、さん?」


 驚く間も与えられず、周囲の塀から続々と人が現れた。完全に壁に溶け込んでいたそれらが凹凸、立体感を伴って初めて人だと把握できる。隠れていた人以外にも、隣接していた建物の上方から降りてくる人も数名居て、たちまち八名は集まった。見たこともない金属の棒で武装した男性たち。うち一人が、僕を襲おうとした男性に体当たりして押し倒し、肉弾戦の様相を呈している。全員、味方みたいだった。


 六対八の戦いが始まり、兄の同級生だった女性、ゑ瑠寡さんと二人だけで孤立した。黒色からでも分かる柔らかそうな膨らみを意に介さず腕を組んで、鋭い目付きで戦いを見守っている。僕がどんなに頑張っても、こんな女性にはなれない。


 そういう日常的な感想よりも大事にするべき事柄はあった。へたり込んでいた身をゆっくりと起こして、手をはたき、服の汚れを払う。


「元気にしてたみたいね。……オサフロボは残念なコトになってるけど」


 彼女が僕とダイムを交互に見やってそう言う。すると、殴り合いをしている、覆面姿で中肉中背の男性が「俺、そんなチビじゃないってば」と言い返す。確かに背格好は彼の方が少し勝ってる。


「ゑ瑠寡さん――」


 気を取り直して大事な事柄に言及するよりも先に突然、隣から気配がし始めた。まるで、さっきの銃声を先回りした彼女みたいに。 


「おほー。また派手にやられちって。オックスくん」


 この前、壊れていたダイムをその場で修理してみせた、古ぼけた学生ジャージを着た小太りのお姉さんだった。「だから、俺はそんなに弱くねーっつーの」と叫ぶ男性の声が応える。彼女はおもむろに、放置されていた壊れかけのロボットに歩み寄って、ウエストポーチから工具を取り出している。手袋もはめて、作業を始めていた。


「まったく、世話を焼かせやがって。……野郎ども、引き上げるよ!」


 愚痴のような独り言を挟み、予測できなかった音量で声高々に告げられる。辺りには六人の体が横たわる。勝利を手にした八人が集まって、一人の女性の前に膝を着いて、見事な統率が執られている。男性たちを見下ろす冷淡とも思える眼差しは一人ずつ順々に見据えて、彼らの服の乱れを整えていた。女性である以前に、戦う人の顔だった。


 その様子を見て、僕は尋ねようとしていたことを聞かずに置いてしまった。その代わり、その場でこういうことを質問した。


「どうしたら、あなたのような強い人に、なれるのでしょうか」


 立ち上がった八人の男の人を率いて立ち去る直前、同じ方向に進んでいく集団の中で唯一振り向いた人が先頭に居た。他の人は同時に歩みを止めている。


「強くなどないわ。こいつらに助けてもらってる。あたしはこういう生き方を選んだ。ただそれだけ」


 痛みを堪えているような儚い表情なのに、輝いて見えた。遠ざかって姿が見えなくなるまで目を放せずにいた。尊敬とは違う、もっと荒々しい感情が僕の中には渦巻いていた。あの人を超えたい。それができたら、僕は――。


「直ったぜ。……ジェノサイドモードなら、一人で六人相手しても負けないはずなんだけどね」


 一番最後に現れて、仲間たちに置いていかれた陽気な女性がそんなことを言った。




22)メカトロニクス・オーガニゼイション

1/4

 高校生活最初の一学期、学校が再開する見通しは着かず、自宅学習を余儀なくされていた。画面越しに授業を受けるような日々が続く。こうしたオンライン授業では制服を着る必要がないのだけれど、最初の頃は男子っぽい服装にしようかどうか迷っていた。


 だけど、選択肢が思いのほか少なくなる。スカートを穿くのは論外だし、そうなると必然的にパンツルックに合うトップスを着なければならなくなって、個性がつけにくくなってしまう。あえて、そういう無個性に寄せた表現をするでもいいけれど、視覚的なたのしみが損なわれてしまう。


 結局、ボトムスの選択に悩みこそすれど、白いブラウスを主軸にして、女の子っぽさ控えめのファッションでオンライン授業に参加している。他の人たちから顔が見えることは少ないにしろ、時々「カメラを入れてください」と指示されることもある。ボトムスなんか、なおさら見られないのだけれど。


 オンラインでの授業は一日に三~四コマ用意されていて、それぞれ三〇分程度。平たくいえば、二時間程度で終わり。午後は好きに使えるけれど、しばらくはクラスメイトと会えそうにない。


 家にこもって勉強ばかりしているのは気が滅入る。外出するには自宅に居る両親を欺かなければならず、それが通用するのも週に一度程度で、頻繁に出歩くこともできない。ちなみに、父はリモートワークをしているため、母と一階に過ごしている。


 この日は、許されている(不安がっている友達の様子を見に行くということになっている)日なので、男の子らしい着回しで外の空気を吸いに出られる。過去に何度か死にかけているものの、危機感は微塵も芽生えなかった。


 庭先に置かれた“彼”が居てくれるためだ。


「お出掛けされる予定の時間ですね。それでは、参りましょうか」


 先日の暴行を受けて破壊されてしまっていたダイム(あちら側の人たちからはオサフロボと呼ばれていた)がすっかり元気な姿で庭の奥の方の物置の片隅から歩いてくる。両親には「借り物」だとごまかしてある。


「ええ。行きましょうか」


 手を取り、なるべく身を近付けて歩く。彼の索敵範囲外に出てしまうと危ない。


 この前の修理を経て、ダイムはより賢い挙動を取ることが可能になった。たとえば、爆発物が近くにありそうな場合は、目のセンサーが赤色に素早く点滅してから口頭で教えてくれる。


 さて、街を散歩し始める。建物の損壊事件は自宅近辺には及んでおらず、爆発や治安の悪化は僕らの通っていた学校の先の方が顕著だった。クラスメイトたちとよく遊んでいたお店も、この前見に行った時はきれいになくなっていた。


 後始末は機械がしてくれるとはいっても、急激な変化は戸惑いを生んだ。あのウサギが販売されていたお店だって、一回しか寄らなかったけれど、記憶に深い爪痕が残っている。

2/4

「いつになったらこの状況が終わるんだろう」


 平穏な学校生活がなければ、先輩や哀此くんと会うこともない。失われてから、当たり前だった事の有り難さに気付く。ふと、お兄ちゃんの姿が頭を過る。ゑ瑠寡さんたちはあれから一度も姿を見せていない。一見して何も変わりないように見える通学路をひたすら歩いていく。ここまでで五軒以上の建物がすでに入学当初とは違った形跡に変わっていた。


「何事にも終わりは来るものです。ロボットにも人間にも永遠なんてないのですからね」


 ダイムなりに励ましてくれているつもりなのだろう。表情を明るくして僕は相づちを返す。背の高くない彼は僕と同じ目線で、常に周囲を見回して警戒している。本気を出せば、強い戦闘力があるという。


 とっさに思い付いた。


「僕がだれかに襲われることで、敵の素性を調べるきっかけにならないかな」


 同伴者はすぐさま首を横に振った。


「危険です。どんな武装をしてくるかも解らない以上、うかつに刺激すべきではありません」


「この前に僕を襲ってきた六人組は様子がおかしかったけど、一般人みたいだった。じゃあ、もしかしたらそこまで危険じゃないのかもって思うし、君だって気にならないの。どうして僕が『マスター』になっているのかってわけを」


 しばらく沈黙して、長考の姿勢だ。危険であることは解っている。命が奪われそうになった事も経験してしまっている。だからこそ、僕はその先に足を踏み込んでいきたい。ちょっと感覚がマヒしてしまっているのは否定しない。


 ロボットは握っている手を強めにして、僕を見つめてきた。


「従属する身分で、これ以上マスターであるリア様にたてつくわけには参りませんね。しかし、お守りするべき方を危険にさらすのもまた最善ではありません。折衷案ならば、ございます」


 彼は僕に一つの作戦を提案した。




 この前の人々が「ある理由」に従って動いていることを想定した作戦。状況からいって、現場は爆発が起こったと思われる建物の跡地。その近辺をロボットの彼と歩いていた。再現するのは難しくない。


 高校を通りすぎた先、特に爆発事故が顕著な場所へ向かう。頻度には高低差があるけれど、いまだに町内では爆発の音が不定期に聞こえている。前回の外出では長居せず、深入りせずに帰ってきたため何事もなかった。今度はもっと目立つような行動を進んで行ってみようと思う。


 それらの実行に当たって、ダイムが課した条件は主に二つ。「ジェノサイドモードのONを許すこと」と「作戦中はダイムの警告を何よりも優先すること」だった。だから、この時の彼は敵を見つけたら、以前よりも強い出力で撃退するだろうし、これから何が起ころうと僕が意見する余地はないのかもしれない。


 手始めに、ペットショップのあった場所に近寄ってみる。ここはカグラ先輩が頻繁に通り掛かっていたらしい。一人で入れなかったわけを想像すると同時に、店員をしていた中年女性の発した言葉が頭に浮かんでくる。

3/4

 思っていることを口に出すのはときに残酷だ。それに悪気がなかったにしても、僕にとってはとても不愉快に思えた。その人のことを何も知らない。聞いている人も言った人も、互いに相手のことをよくわかっていないけど、何かを口にしてしまう。


 ぼんやり考え込んでいると、ダイムが僕の腕を引いた。だれかが来たんだ。そう思って、身を低くして、敷地の方の後ろに下がる。退路をなくしてしまうのだけれど、壁を背にしている時は挟み撃ちを受けにくくなる利がある。


 様子をうかがっていると、彼が関知した通り、人が歩いてきた。それがまったく知らない他人だったらなら、声をもらして驚きなんかしなかった。どうして、彼がここに。思い当たる節はあるけれど、間がわるいとしか言い表せなかった。


「対象の敵がい心を計測中……」


「待って。あれは、僕の知っている人だよ」


 立ち上がって、ダイムの横を通り過ぎる。駆け寄った先には、屈強な体つきをしている、しばらく会わずに過ごした人が居た。しかし、長身の男性の目の前にたどり着く直前に、立ち止まっていたロボットが僕の腕を後ろから掴んで引っ張った。


 その時、鼻先をかすめたのは横一文字の軌跡を描いて横に払われた、靴の爪先だった。


「対象を『敵』と見なします。お下がりください」


「先輩…………、今、僕を……?」


 腕を引かれた勢いで、空き地の中へと戻される。普通に立っていたカグラ先輩は両手を左右違いに前へ突き出して構えを取り、戦闘態勢を作る。対するダイムは棒立ちのまま向かい合っている。


 にらみ合いが数秒続いている。仲間が居るかどうか周囲を見渡してみても、彼の他には人の気配がない。カグラ先輩はケンカがかなり強い。でも、ジェノサイドモードという機能が入ったダイムは大勢を相手にしても強いらしい。


 いきなり襲い掛かってきた真意は解らないまま、じっと先を見守る。


 両者、なかなか動き出さない。その様子を観察したまま後ろの方で僕が落ち着きを失いそうになる直前、先輩の左脚が動いた。左の掌底が真正面に繰り出され、ダイムの胸部を的確に捉える。それが直撃すると、鈍重な動きで後方に、数センチ押された足が地面を削る。


 ダイムは何もせず、次々に襲い掛かってくる打撃を体で受け止めている。一方、先輩がする攻撃には特徴があって、左の掌底打ちを初撃とした蹴りを主体に攻める組み合わせと、右の下段蹴りを初撃とした右の裏拳に移行する組み合わせ。まるで、同じ事を繰り返しているみたいだった。


「行動予測……完了。再計算……完了」


 攻撃を一頻り受けた後、機械の体をした彼は相手の攻撃を直前でかわせるようになった。もう、カグラ先輩の打撃は一発も届いていない。負けはない。あとはどう決着をつけるつもりなのかが疑問に残った。できることなら、この戦い、あの人が傷付かないように終わらせてほしい。


「目標を制圧します」


 上半身を大きく右に捻ると、握られた右手が正面に突き出された。人間的ではない動きが規格外の速度で向かっていく。危ない。当たった先を考えて、思わず目を閉じてしまう。

4/4

 何かをえぐるような大きな衝撃の音がして、おそるおそる目を開ける。


 そこには、先輩だけが立っていた。倒れ伏したロボットはぴくりともしない。一体、何がどうなっているのだろう。勝負の行方は明らかだったというのに。目を疑った。


 傷一つ負っていないように見える彼はダイムを踏みつけて、またいでこちらに歩いてくる。逃げないといけないのは判ってる。それなのに、足が動かなかった。そんなこと、できなかった。そんなひどいこと。


 ブラウスのボタンが壊れるくらい胸ぐらを捕まれ、体が強引に持ち上げられた。息ができなくなっていく。


「やめなさい。『それ』はわたしたちの敵じゃない」


 女の人の声が聞こえて、首にかかっていた力が緩んで、浮いていた足が地面に戻される。それから両手両膝を着けて、四つんばいの状態になりながらそちらを見上げる。声の主は、先輩と面識のある、彼とは別の意味で怖い目をしている女性だった。


 不安定な呼吸にせき込んで、背を向けて立ち去ろうとしている先輩にやっとの思いで問い掛ける。


「どうして、こんなことをするんですか」


「…………」


 答えずにそのまま一人で歩いていってしまった。


 しかし、彼女はそこに居たままだ。色の暗い無個性な長そでにロングスカートを穿いていて、よく見たら白髪混じりの長めの黒髪が小さく揺れている。見開かれた目が冷たく瞬いた。


「……カグラ先輩といい、この街の異常といい、何が起ころうと、しているんですか」


「それを知ってどうするつもり」


 僕はゆっくりと立ち上がって、服の汚れを気にせず、勇気を出して一歩ずつ踏み出していく。これから起こることが解らない不安と、その人が注ぎ続けている視線の源に足が震えそうになる。それでも、無理やり声を絞り出した。


「戦います。平和を脅かすものと」


「あなたの力では不可能だね」


 感情の稀薄な声が告げる。確かにその通りだ。僕だけでは何もできはしないと思う。だけど、できるようにすることなら、僕にだってできるかもしれない。あの仲間を束ねていた美しい彼女みたいに。できなければ、超えることだってない。なら、やることは決まってる。


「判っています。だから、僕に協力してほしいんです。敵が居るなら、見つけ出して責任を取らせなくちゃいけない」


「それで、あなたはどうするの?」


「僕が敵の親玉を改心させます。平和的に」


 そんな都合のいいようにはいかない。何度も襲撃を浮けておきながら、そんなの楽天的かと言われるかもしれない。でも、僕は人の可能性を信じてみたいから。暴力で突き放すようなことはしたくない。


 せめて、目で訴えかける。これだけは譲れないと、恐怖心に負けないように強い念を込めて。


「できるものなら、見せてみてよ。あなたがどうやってその人を説得するのか。わたし“たち”が協力するのはそこまで。それからはあなたがやって」


 冷淡で起伏のない声の答えが帰ってきた。それなのに、厳かな含みがあり、僕は重々しくうなずいた。


「わたしは家蔵を智。『メカトロニクス・オーガニゼイション』、通称メカオルグに通ずる者。我々は旧人類の敵にして、きたるべき新人類を救うためにある」


 人類の意味するところは解らない。一つだけ解っていることがあるとするなら、僕はもう引き返せない所に足を踏み入れてしまっていたのだということ。ならば、どこまでだって進んでいこう。


 この先に待ち受ける敵に立ち向かう事はいつも通りに過ごしていたいみんなのためでもあって、先に進んで変わっていきたい自分のためでもあるから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る