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 僕はモニタに映し出されている人々をくまなく熱心に捜し始めた。殺されるならともかく、その後の意志を無視して生かされ続ける事は、はっきりと拒絶したかった。


 自分で思っていたほど多くの知っている人たちがそれぞれ日常に溶け込んでいるとモニタから判った。左端にまとめられている家族の動向には一切興味が湧かなかった。バイト先の人たちが私生活で何をしているのかも、その次くらいに興味が湧かなかった。


 過去に何らかの関わりがあった人物に限って、唯一僕の心を釘付けにしたのは、この女だった。たしか、宍戸絵梨香(ししどえりか)と言ったか。彼女を見つけてからは他のモニタを見なくなった。画面上で、携帯電話を片手にただひたすら動き回っている。


「シシツキエルカ。現在22歳」


 唐突に、ロボットが音声を発した。初めて会った時から若い美貌を持っていた人物で、あれから三年が経とうとしている。今の僕と同じ年頃だった当時の彼女は、ほんの少しあどけない顔をしていた。それが失われて、あか抜けた印象が色濃く引き出されている。


「エルカ? だから、絵梨香、か」


 ずっと伏せられ、信じ込まされていた嘘に特別な恨みはなかった。あの時の僕は青かったし、それは三年かかった後も変わらなかった。我ながら馬鹿だと思う。対して、絵梨香は天才的な「悪女」の類いであるとも。


 その時、ふと魔が差した。どうしてここまで新鮮で生々しい感情に行き当たらなかったのかが不思議なくらいに、熱く燃えたぎる焔(ほむら)が残っていた。


「決まりのようですね。シシツキエルカ、でよろしいですか?」


 気持ちの半ばまではその決定に異論は持たなかった。だが、もう一つの思惑が判断の通りを妨げていた。


「待ってくれ。まだ二〇日以上、あるのだろう。ならば、もっと時間を掛けてみたい、気も、する」


「承知しました。フフフ、ようやくやる気を出していただけましたか」


 得られるものなら得て、問い伏せるのも一興だった。だけど、それで本当にいいのか思い切りがなかったのも事実だった。悪徳で為し遂げるのであれば、それは彼女の手先で終わる事を意味していたから、せめて僕には僕にできる事を、と考えていた。僕なりの、方法で。


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 人もまばらな街角に転送され、三年振りに会えると思ったら、その顔を目の当たりにする前から、胸の奥が騒がしくなった。手を当てなくても、鼓動はのどの奥から飛び出しそうなほどに大きくなっていた。


 絵梨香は忙しい動きを繰り返しては、一人で喫茶店に寄る事を繰り返した。その間に、何度も着替えをして髪型まで変える徹底振りだ。眉の上で切り揃えられた前髪と、セミロングの後ろ髪が、暗い女性を演出している。初めて会った時の彼女とはだいぶ印象が違う。


 店に近付くに連れて、鼓動が大きくなっていく。恋慕と似ているけれど、僕の体から落ち着きを奪うこの騒がしさの正体が解らなかった。彼女の居る店のドアを開けた。


 軽やかなベルの音色と共に入店すると、絵梨香は居た。そのテーブル付近に見知らぬ大人の男も立っていた。僕が来たのを見ていた大柄な彼は、透明度の低い黒いサングラスに、金髪のオールバックで威圧的な風貌に併せて、堂々とこちらに歩いてきた。


「んだ? テメエ」


 突然の威かくに、僕は内心でかなり怯えてその顔を見据えていたものの、どこからか指をパチンと鳴らす音がした。すると、肩をすくめてそのまま横を通り去って、店を出ていった。何か揉め事でも起きてしまったのだろうか。おそるおそる彼女の方に歩いていく。


 その表情は陰鬱なものから次第に、朗らかな顔付きになっていく。


「あれ、ミッチーじゃない? 久し振り。どうしたの、こんなところで」


 懐かしい雰囲気に巻かれてしまいそうになる。そうだった。この人はそこに居るだけで、獲物を狙う魔力を放っていた。人間社会では、むろん強者に位置する。見た目だけでは到底判らない魔性が僕の眼を射止めている。


「街で偶然、あなたを、見かけて。声をかけようと、思った」


「ふうん、そうなんだ。ほら、座って」


 敵意のない態度で促された。自然な流れに従って、テーブル席のイスに腰を降ろす。


「光陽。……あんたにはほんとに感謝してる。また今度、ゆっくり話そうね。会えたら、ね」


 音を立ててイスから立ち上がり、彼女はカウンター奥の方にある従業員専用らしき場所へ歩いていった。黒いゴシックなドレスのその背中を眺めていると、出入口のドアが勢いよく開かれ、店全体が場違いな喧騒に包まれる。


「コメカワサマ。テーブルの下に隠れてください。転送準備に移ります」


 なだれ込んでくる厳つい集団の視覚を遮っているテーブル席の下部に身をうずめる。


 次の瞬間には、もう五感から喫茶店の落ち着いた音楽もコーヒーの匂いもなくなっていた。


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 モニタ部屋に戻されて、間一髪助かった。あのまま店に居たら、どんな騒ぎになっていたことか。彼女のその後が気になり、モニタに目をやる。どうやら地下通路を歩いている。


「シシツキエルカは人類存続機構の公安により国際手配されている特一級犯罪者です。ワタシたちにとっては無害な人間です」


「人類、存続機構?」


「はい。『人類存続機構』閲覧レベルBに分類。ここで開示可能です」


 右端のモニタがブラウザ画面に切り替わり、概要が示されている。人類史において太古から存在していた非公開組織、とある。


「民主主義を主とする旧体制の要として機能しましたが、文明の機械化が進むに連れて上位組織に統合されました。なお、統合先の情報は閲覧レベルSにつき開示不可となっています。続いて、こちらをご覧ください」


 次に出される疑問を既に予測していたみたいに、今度は“鹿築ゑ瑠寡”という同一人物に関する情報が表示されている。そのどれもが違った名称で掲載されており、延べ十人は超えている。罪状が気になった。


「人類存続機構に関わる機密事項の不正取得、反体制デモの扇動、未成年への自殺教唆、その他九つの容疑がかけられています。あちら側に捕らえられた場合、十年以下の拷問及び分子分解刑に処される見込みです」


 それを聞いて、僕は愚かだと判っていても、あの頃のように「助けたい」と思ってしまった。そのための質問をロボットに投げ掛ける。


「絵梨香の所有権を得たら、彼女を安全な場所に匿うことができるのか」


「エリカ……シシツキエルカと認識。彼女を人間側から匿うことも可能ですが、その場合には一つ条件があります」


 それを聞いて、絵梨香を助ける事をあきらめた。その条件が彼女にとって、現在の状況よりももっと凄惨な結末となっていたから。


「他にも、候補となる人物はお選びいただけます」


 モニタには一〇や二〇では効かない多くの人のそれぞれが映し出されていた。部屋でフィギュアを組み立てている男性が何気なく視界に飛び込んでくる。幼少から欲しいものもなく、生活していた自分を思い出された。強いてあるとすれば、安らぎだった。


 母に肩を抱かれ、父に頭を撫でられ、同じ屋根の下で談笑するような、なんでもない安らぎ。


 いつからか、もう構わなくなった家族との親愛も、ずっと昔から忘れ去られた。あったのかもしれないのに、なかったかのように感じられるくらいさかのぼって、不確かなものだった。けれど、なぜだかどういうものか知っていた。


 たとえ、どれだけの犠牲を払ってでも、幸せになれるなら、我が身さえ切り捨ててもよかった。

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