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 額の内側から声を「感じる」。何者かから意識に干渉を受けている。その音色は先程まで同室していたロボットのものだった。女性とも男性とも着かない電子音声。一通りの疑問は声によって解消された。このツナギには、瞬間移動をする機能があるらしい。


「無効なリクエストを受信しました。閲覧レベルSおよびレベルSSの情報開示には管理者権限を有する者の許可が必要です」


 自分の置かれた状況はある程度理解できたが、何者かが僕を生き返らせた意図までは判らなかった。


 案内に従って数分歩き続けていると、モニタ越しで見ていた寂れた一階建ての建物に着いた。


 屋根が倒壊して空が露出している室内の、床の大部分は瓦礫に覆われて、彼女の立っている一帯だけ地面が見えるように瓦礫が抉られている。その中心に何か大きな四角い板が添えられている。


「あなたは……どうして、ここに」


 動揺のためかこちらを見つめる瞳はわずかに光を灯している。すぐさま、添えられていたものを近くにあった黒いシートで覆い隠される。それがなんだったか等は気にならなかった。


「ちょっと、話をしたくて、来た」


 目覚めてから初めて出した声は自分でもおかしいと解った。何かが足りず、何も含んでおらず、それでいて必要最低限だった。カグラという少女から向けられた視線は生暖かく感じられて、あいまいにごまかした。


「やっぱりなんでもない」


 背を向けて、そこでようやく自分が着ているものが異なる視覚情報を放っていることに気付いた。バイトへ行く最中によく着ていた服だった。それで以前の自分がカグラに抱いていた関心を思い出した。


 なぜ、あんなに遠い眼差しをしていたのだろう。




 本人を前にすると、思うように言葉が出てこなかった。


「脳波グラフを計測したところ、あなたがカグラヲチに寄せる関心は高い値を示しています。今すぐ所有権を得ることもできます」


 廃墟を退出してから、ロボットが監視するモニタ部屋に戻された。知的好奇心を満たすだけなら、所有権を得るのが飽くまで合理的だった。


「今日はもういい。……家に、帰ることはできるのか?」


「はい。コメカワサマのご自宅BS29807Aには誤差±0.0001mの精度で転送が可能です」


 当然のように、家の場所まで把握されていた。これが夢だったら、起きてまたすぐやり直そう。「それ」以外、特にできることもなさそうなのだから。


 しかし、あの少女がカグラという名前だと判ったのは少し興味深かった。特別に、彼女をどうにかできたら……とまでは考えないけれど、最期に話ができたのは運が良かった。そう、長らく遭っていなかった幸運そのものだった。

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 あと一歩踏み出せない。気弱な自分が嫌になる。


 所有権を見送って、瞬間移動で家まで戻った。瞬く間に、居室がいくつも並んでいる二階建てのボロアパートの一室に入るドアが視界に飛び込んでいた。触れ慣れているノブに手を掛けると、当然のように鍵は開いていた。


 しかし、様子がおかしい。向こう側から物音がする。そっと、ドアを手前に開いていく。きれいに片付けられたワンルームの室内に、ぽつんと人影が立ち尽くしている。


 清潔感のある白いワンピース姿の女性が振り向いて、こちらに気が付いた。正確な年齢までは判らないが、同年代くらいだと思えるその若々しく、敵意のない顔付きには覚えがあった。


「ミツ……コメカワくん。コメカワくん、なんだよね?」


 知っている人だ。バイト先によく訪れる、常連の客。おもむろに近付いてくると、突然倒れ込むように抱き付いてきた。髪からやさしげで芳潤な匂いがする。身に覚えのない来訪者が大胆にも自ら投降してきたことに、所有権の三文字が頭を過る。そうか、こういうことなのか。


 預けられて苦しくはない体重をまとう人肌をそれとなく、あるべき正確な立ち位置に整わせて、僕は雲行きの怪しくなる呼吸を悟られないように平静を装った。


「ここで、なにしてるの」


 玄関の施錠をしていなかった責めが自分にあるとしても、泥棒をするにはあまりにも貧相で盗むもの一つ用意していなかったとしても、勝手にだれかの家に足を踏み入れるのは何らかの罪に該当する。


 僕はことさら、法に守られるつもりなんてなくて、ただ目の前で涙を浮かべている女性の今後が脅かされてしまうことこそが恐ろしくて、不本意でならなかった。


「だ、だって。ミツ、コメカワくん、きのうの夜……。ひっ……うっ」


 質問の答えには関係なく、そう言って膝から崩れ落ちていく。まさか、そんなはずはない。見ていた、というのか。


「とにかく、落ち着いて。ゆっくり話そう」


 靴を脱ぎ、僕もまた入室した。自分の住んでいた部屋なのに、よそよそしい空気が流れていた。手を差し出すと、その小さな手がふわっと体を持ち上げて、覚束ない足取りで奥の部屋へ進んでいく。

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 死んだとは告げず、とにかく昨夜に見たようなことはなかったのだ。言い聞かせるように、何度もそう伝えた。どのくらいの理解を得られたかは分からない。それでも、わざわざ家まで訪ねてくる人の気持ちは無にしたくなかった。ただ一言、「ありがとう」とだけ本心を忍ばせながら。




 無断でバイトを休んで、ああいう終え方を選んだものだから、あの子のこともそうだが、弁明を急がなければならなかった。店長に住所を聞いてまで押し掛けてきた彼女は、ハナツカサイブと名乗った。死んでいたはずの男の部屋に来た理由までは解らず仕舞いだった。またお店の方には寄るとだけ言って、去っていった。


 一方、僕はロボットの居る緑色の部屋に転送されて戻ってきた。


「コメカワサマ。一つ警告がございます」


 僕が絶命した折り、目撃者が居たこと。その件について、真相の告白は避けるべきである、という主旨の警告だった。何も、自ら言い回るつもりは皆無だった。死のきっかけとなった紛れもない当事者が、これの生き死にを重く見ていないのだから。


 もっとも、イブの態度だけは正気の沙汰ではなかった。


「ハナツカサイブですが、彼女の所有権を得ることはお薦めいたしません」


 曰くありげな助言に、なんらかの裏付けを警戒した。死を目撃した事に始まり、家まで訪れる行動力に、一般人には到達し得ない黒い思惑が隠れているのか、と。だが、ロボットは続けてこう言った。


「彼女は、すでにコメカワサマの支配を受け入れられる精神状態にあるようです。ここで所有権を取得されても状況は変わらないでしょう」


 大体は察した。それが事実なら、気の毒だと思った。僕にこだわらなくても、男性ならもっとよい人物が潤沢に存命である。そういう人たちで生きていれば幸せになれる。


「それともう一つ。蘇生してからひと月が経過しても所有権を得る人物が決まらなかった場合、コメカワサマの所有権が第三者に譲渡されます。現在は十二月二〇日。したがって、翌月二〇日終了時点で、コメカワサマの行動はすべて制限されます」


 説明によると、譲渡される支配権とは相手の意識を保たせながら、主の意向に従属させる内容になっていた。そうなれば、死ぬことも許されない。何年、何十年と、生きながらの地獄を味わわされるだろう。支配しなければ、自分が支配される。

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