第一章~⑥

 真理亜は我に返り正気を取り戻した。どれほど気を失っていたのか分からない。気付くとソファで横になっていたのだ。

 体を起こし辺りを見回すと、周辺には大量の段ボールが置かれていた。その状況からここは弥之助の部屋のリビングだと思い出す。ぼんやりしていた頭を横に振り、用意していたペットボトルの水を自分のバッグから取り出し、一口含んで大きく息を吸った。

 こんなところで寝ている場合ではない。そう考え、改めて今回の問題を解決しようと再び頭を捻り始めた。

 他人名義の通帳一式や高級バッグと指輪はともかく、犬の遺体は間違いなく顧客の弥之助を除いた第三者の仕業に違いない。しかし犯人がいると仮定すれば意図は一体何か。どうやってこの部屋に持ち込み隠すことが出来たのか。

 ここは高級分譲マンションで、鍵は入居者だけが所持している。管理人すら合鍵を持っていない。つまり現時点で持っているのは、仕事を依頼された真理亜のみなのだ。

 鍵は合計四本。登録制シリンダーのディンプルキーで、持ち主登録した人以外は、勝手に複製できないとの説明を受けている。一本でも紛失すれば、持ち主が定めたパスワードを記入した用紙をメーカー提出しなければならないという。

 もし再作製するとなればかなり時間がかかるし、その後もリスク管理上問題がある。よって一旦複製したとしても、その上でドアを含め全て取り換えなければならないと聞いていた。真理亜はその内の一本を、約二か月前から持たされていた。現在は本人分を含め、全てがここにある。

 もしかすると知らないところで予備鍵の複製が作られており、他に存在する可能性は無いかと考えた。しかし首を振った。あれだけ遺言や財産目録の作成と分配に細心の注意を払い、細かい指示まで行っていた弥之助が第三者に渡していたとはとても考えられない。

 そこで真理亜は、まず部屋に出入りできた人物のピックアップに取り組んだ。彼の病が重くなり、止む無く部屋を出て入院しなければならなくなった際、初めて合鍵を託された。よって出入りできた人物は限定される。

 病院で亡くなった彼がその後部屋に戻ることはなかった。入院後息を引き取ったのを見届け、真理亜が事前に指定されていた業者に依頼し、遺言書通り簡単な葬儀を取り行った。その後彼は火葬場へと運ばれたのだ。

 よって部屋に入る機会があったとすれば、真理亜が部屋に招いた人物だけだろう。それは法定相続人となり得た弥之助の甥と姪や、部屋の物をざっと見積り段ボールに入れ運び出す手筈を行った、遺品整理業者のみだ。

 その会社を利用するよう指示したのはやはり弥之助で、真理亜はただ従ったに過ぎない。よってPA社の取引先なら必ず行う信用調査はしたと思うが、従業員達の身元等まで及んでいなかったはずだ。

 そこでまずは葬儀後に甥と姪の依頼を受け、部屋に招き入れた際の様子を思い出す。彼らと話し合う機会を持ったのは、遺言書執行人としての責務を果たす為だった。

 弥之助の遺産はほぼ全て指定された団体等に寄付される為、法定相続人ではあるが彼らに渡す遺産はない、と改めて説明を行った。遺言の核となる内容はそれだけの為、出来れば葬儀の場でそう告げ終わらせるつもりだったが、彼らは二人揃って抗議してきたのだ。

「あなたは何者よ。もしかして叔父さんの愛人なの」

 姪の服部はっとり直子なおこに甲高い声で尋ねられ、甥の高岳久弥ひさやはドスの効いた低い声で唸るように言った。

「一体どんな権利があって、他人のあんたにそんな事を言われなくちゃならないんだ」

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