第一章~④

 こっそり何処かに捨てる選択も確かにあった。けれど今の日本では動物の遺体を勝手に遺棄した場合、動物愛護及び管理に関する法律に反する。

 この法律は古くからあるが、真理亜が幼い頃などはそれほど一般的ではなく、飼っていたペットを火葬し、墓に入れる人なんてそう多くなかった。それこそ近所の河原や公園の隅などに穴を掘り埋めたものだ。しかし相次ぐ法改正により、現代ではそうした行為はしっかりと禁止され、罰則も厳しいことは世間の常識となっている。

 現時点だと愛護動物を遺棄した者は百万円以下の罰金だ。またみだりに殺したり傷つけたりした者と判断されれば、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金刑を受けてしまう。

 超富裕層を顧客に持つ立場の真理亜としては、万が一でも罪を犯す訳にはいかない。そんなリスクを負うには、失うものが余りに大き過ぎるからだ。

 ちなみに愛護動物とは、実験動物や産業動物を含む飼い主の有無にかかわらない全ての牛、馬、豚、家畜用の羊、山羊、犬、猫、 いえうさぎ、鶏、いえばと、あひる、またはそれ以外で人に飼われている哺乳類、鳥類、爬虫はちゅう類に属する動物を指す。

 また動物の処分方法は各自治体で異なる。スマホを使い検索したところ、この部屋の所在地であるS市では、ペットとして飼育されていた犬、猫などの小動物が死亡して死体の処理を希望する場合、区役所くらし応援室まで申し込めば良いと分かった。処理手数料は一頭当たり千円払うだけで済み、路上等の野良犬、野良猫等の死体なら無料で回収してくれるという。

 まず真理亜が弥之助を担当していた時期にはいなかったはずだが、それ以前に飼っていたかは不明だ。また部屋の中にあったこの遺体が、野良犬と判断されるかといえば難しい。

 見た所、首輪はなかった。腐敗防止を試みた形跡はあったが、一見しただけだと犬かどうかの判別さえ、なかなか困難な程の状態だ。第一、弥之助の手で処理が施され、ここに放置されていたとは到底思えない。比較的短かったけれど、一年半接して持った彼の印象から、こんな真似をする人物だとは考え難かった。

 また真理亜に遺産整理の処理を委任した時点で、死後に部屋の中の全てを検分すると分かっていたはずだ。それなら事前に処分するか、事細かに指示書を残していた彼の性格を考えれば、処理の依頼を耳打ちしておくだけで済んだだろう。

 そう考えると何者かが何らかの意図を持ち、この遺体を持ち込みここに置いた確率が高くなる。しかもそれはごく最近のはずだ。 

 というのも弥之助が病院へ二カ月ほど前に入院してから、真理亜は合鍵を持たされ何度かここに来ていた。今は暖房を点けるほどではないが、窓を開ければ寒く感じる季節になった。つまり弥之助が入院した頃は真夏だ。

 そうなるとビニールにくるんでいたって、こんな遺体を放置していれば腐敗臭などが多少なりとも漂っていなければおかしい。それならもっと早く気付いていただろう。

 そこから推測すると真理亜を除けば、この部屋に侵入できたのは彼が亡くなり本格的に部屋の整理をし始めた、ここ最近しかあり得ず、ごく限られた人物しかいなかった。

 となれば真理亜を嵌める為の罠か、あるいは嫌がらせの可能性が浮上する。だったら警察に連絡し、事情を説明した上で処理した方が確実だ。

 幸い真理亜はかつて経験した事件を機に、S県警の刑事達と知り合った。彼らに相談すれば間違いなく力になってくれるだろう。

 そう考えたところでふと思い直す。その場合、他人名義の通帳はどうすればいいのか。もし顧客が作成または盗んだものであれば、事件となってしまう可能性がある。

また口座にいくら入っているか、どのような預け入れや引き出しが行われていたかを確認しなければ、迂闊な真似は出来ない。

 下手をすれば、これまで入念に打ち合わせを行い作成してきた遺言書や指示書が無駄になり、目録等に沿った顧客の意図する財産整理が出来なくなる恐れが発生してしまう。

 加えて指輪やバッグの存在も見逃せない。詳細なリストを作成していたはずなのに、その中にない高価な物品が存在すれば、遺言書や財産目録自体の正当性が揺らぐ。そうなるとこれも指示通りの整理執行の妨げになる。

 もしかするとこれらは全て、犬の遺体と一緒に誰かが持ち込んだものなのか。だとすれば、明らかに遺産整理を邪魔したい者の仕業としか考えられない。

 こうなると、気心が知れた相手であっても警察への通報はリスクが大きすぎる。例え彼らが味方になってくれたとしても、新たな問題が発生してしまう。何故なら真理亜自身が再び犯人と疑われるかもしれないからだ。

 莫大な遺産の総計を誤魔化し、生じた差額を懐に入れる為の自作自演という筋書きならば、十分動機として考えられる。

 弥之助の遺産目録は細かく記されていた。金額が定められている寄付先はもちろん、そうで無い団体に対しても、前もってどの程度寄付されるかを伝えていた。

 また値段が定まっていない物品を売却し換金する業者の選定も、念入りに打ち合わせを行い指定されている。よって横領を行うのは至難の業だ。

 それでも全財産の管理を任されていた真理亜なら、上手くやれば決して不可能ではない。それに親族といった相続人が不在の為、間違いなく実行されているかを監視できる人物もほぼ皆無だ。

 整理と分配作業に対する対価は、弥之助が死亡する前に受け取っている。よってこれからどんなに面倒な仕事が起ころうとも、手にする金は変わらない。

 今後行う仕事の精度はほぼ担当者の肩にかかっていた。つまりいい加減にしようが適当だろうが、真理亜の匙加減さじかげん一つなのだ。

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