第二章 「天職」 第一話


「いい加減座りなよ。こんなに席空いているのに…」


 今日は快晴の日曜日。墨田区に大型のショッピングモールが完成。

 買い物好きな栞に付いていくことなり、電車を乗り継いでいる。

 人混みは嫌いだ。強い集中力を保たないと不意を突かれてしまう。正妻と愛人の闘いの次は、彼女と雑踏の闘いが待っていた。


「座ると集中力が落ちる。不審者が現れた時、何かあった時、栞を守れないだろ?」

「まったく。折角のお休みなのに。その上デートなのに、何で一番前か後ろの車輌に乗らないといけないの?」

「最前後車輌なら、乗り降りの際に不審者がいても背後に回られずに済むだろ。それに降りた時に階段が近いから逃げやすいんだ。」

「そんなに目をキョロキョロさせて。周りから見たら、光史の方がよっぽど不審者だよ。まったくもう。」

 身辺警護の職業癖が二人の日常会話の一部になっている。


 大通りの歩道は左右ともに人で溢れている。

「ねえ、デートなんだから横を歩いてよ。いっつも斜め後ろ…」

「この位置でないと前後左右を警戒出来ないだろ。」

「私は中華料理屋勤務の一般人だよ。それに、たまには腕組みしたいし、手だって繋ぎたいよ。護ってなんて頼んでないんだから!」


 応えないとまずい気がした。

 脳からの警戒信号を必死で遮断し、栞との距離を縮め、そっと左手を握った。


 趣味は人間観察。加えて常に硬い表情が売りで喜怒哀楽がない。だからといって、ゴルゴ13のように武器は持っていないから侘びしい人間だ。

 時事ニュースにしか興味はなく、他のテレビ番組は一切見ない。だから話す話題にも乏しく、流行りに敏感な彼女の問いかけにも「ああ」「そうだな」と相槌するしかない。


 栞は自分にはもったいない。透き通るような色白で顔は美人だし、身長は165センチでスタイルもいい。明るくていつも笑顔だし、手を離したら「待ってました」と列を成して待ち構える男が何人もいそうだ。


 なぜ、こんな男と付き合ってくれているのだろう?栞の手の温もりを感じながら、初デートで何故か刀剣美術館に行った時の会話を思い出す。


「私、上辺だけの人が嫌い。平気で嘘つくし、約束破るし。その人なりの正義を振り翳すけど都合が悪くなると直ぐに逃げる。」

「ろくな男と付き合ってこなかったの?」

「どうだろ…でも、そういう人って心に基盤がない感じ。恋をしている時はそれが楽しいし、ドキドキを増長させるけど、知っていく内に、あ、この人ただのブレブレ人間だって気付くの。」

「あるの?自分にはその基盤が?」

「どうだろ。でも光史は自分の命を懸けてまで、家族や恋人でない人を護ってきた人。だから上辺だけじゃない。信じてみたいって思えたの。」


 密室となるエレベーターを避け、エスカレーターで七階に上がった。また栞に文句を言われたが、彼女が好きなブランドの店舗に辿り着いた。


 新規オープンして間もない日曜日、午前十一時。モール内は歩いた経路を戻れない程の人混みで、大人は顔と胸辺りしか見えず、子供に至っては全身が隠れている。きっとインフォメーションセンターでは数多くの迷子を預かっているのだろう。

 こういった不特定多数の人間が密集する場では、不審者を特定するのは難しい。


「ねえ、似合ってるかな?」

 試着室のカーテンを開け、襟付きグレーのワンピースを着た栞が、その場をヒラリと一周してみせた。

「うん。凄く似合ってる。」

 笑顔の栞は色違いも試したいと再びカーテンを閉めた。


 店舗前の人混みに視線を移すと、横長のベンチに腰掛ける若い男と目が合う。

 濃紺のジーンズの両ポケットに手を突っ込み、激しい貧乏ゆすりをしている。ニヤリと不気味に笑い、チュッパチャップスを舐めていないのに、舌を出してレロレロとまわす。そして栞が入る試着室と自分を素早く交互に見ている。


 知らない男だ。栞の知り合いか?まさか、ストーカーでは…

 敢えてその場を立ち移動すると、男の視線が追ってくる。不審者と断定は出来ないが要注意人物だ。久々に腕が鳴る。


「どう?やっぱり白の方が可愛いかな?」

 その瞬間、男が立ち上がりこちらへ向かってくるような挙動をした。襲う気か?と咄嗟に栞と男の間に入り警戒する。


「お待たせ―。」

「遅ぇーよ。」

「だって女子トイレ激混みなんだもん。」

 ただの彼女待ちか…良かった。

「光史、何しているの?私はこっちだよ。」

「分かっているよ。知り合いに似た人を見かけてさ。」


 白ではなく、栞はグレーのワンピースを選んだ。正直そっちの方が似合うと思ったし、白のワンピースは…。

 プレゼントされた栞は上機嫌。その後、落ち着かないフードコートでランチを食べて、アパレルショップ、雑貨屋、家具店に立ち寄って栞の「これ、可愛いー」に付き合った。

 

「そうだな」に決して気持ちがこもっていない訳ではないが、店舗内の死角、周囲の人間を警戒する癖が抜けず気疲れする。


 ガラス窓向こうから、高層ビルの隙間を縫ってオレンジ色の夕陽が差し込む。まだ黄色を引き連れて、優しい色をしている。


「栞、そろそろスーパーに寄って帰ろ…」

「嫌だ。今日はもう疲れちゃったからご飯は作らないんだ。」

「いいよ、今日は自分が作るから。」

「駄目。実はね、今日は美味しいタコスとアヒージョが食べたくてお店を予約してあるのだ。この前テレビで特集されていたメキシコ料理屋さん。」

 振り向いてバッチグーをする栞がやけに可愛い。やっぱり自分にはもったいない。

「何だよ、急に。」

「光史の担当者デビューのお祝いよ。」

「まだ正式に担当者になった訳じゃないよ。」

「いいじゃん、そんなこと。大変なことがいっぱいあったけど、光史が一歩を踏み出して、実際に一件のお葬式を担当したのだから。」

「結構高そうなお店だったぞ。大丈夫なのか?」

「そんなこと気にしていたら、今の幸せが逃げちゃうよ。ほら、急がないと遅れちゃうよ。」栞は強引ではなく、優しく自分の左手を引っ張った。


―なあ、ブアイ。お前、誰かを愛したことがあるか?-

 

 Sの問いが聞こえてくる。

「まだ、しっかり愛せているかは分かりません。でも、イーグル以外で命を懸けて本気で護りたいと思った人は初めてです。」

「え?光史、何か言った?」

「いや。知り合いに似ている人がいただけだよ。」


 趣味は乏しいが高級レストランには慣れている。警護対象者の急な予定変更で高級店に行くことがあってもいいように、ドレスコードに対応できる私服しか持っていない。対象者のエスコート、店舗スタッフとの連携、時に食事の同席を頼まれてもテーブルマナーの訓練は幾度も受けてきた。


「すごーい。ドアマンがいる。さっすが高級レストラン♪」

 いや、この男はドアマンではない。随分前から目視しているがドアの開閉はしていない。透明チューブの無線機、スーツで隠れているが、右腹部の膨らみの形状から見て、三段式警棒を身に付けている。エスピーバッヂを付けていないし、拳銃の膨らみはない。高い可能性でこの男は民間の身辺警護員だ。対象者はそれなりの企業の重役か、著名人といったところだろうか。


 予約席へ案内を受け着席する。

「また文句を言われると思って、出入口が見渡せる壁際の席を予約してみました。」

 得意げに話す栞は、すっかり元警護員のガールフレンドだ。


 雰囲気の良い店だ。木調のテーブルと椅子は重厚感がって暗がりの照明によくマッチしている。テーブル上のグラスキャンドルからアロマの匂いが香る。臙脂と深緑色のテーブルクロスが色鮮やかで、ハットを被った男性達がギターやビウエラの音を奏でている。カウンターとテーブルを合わせると七、八十席はある比較大きなレストランだ。


「ねえ、お祝いだから今日はお酒、飲むでしょ?」

「ま、まあ。今日くらいはいいか。」

 食前のワインを頼み終えると、栞は突然両手で口を塞いだ。


「ねえ、あそこのテーブルに座っているのって、黒直里茶々(かしす ちゃちゃ)ちゃんじゃない?」

「え、誰?何だ、その言いにくい名前は?」

 芸能には疎いから知る由もない。

 その奇妙なお茶はアルコール度数何パーセントのお茶なのかは気になる。


「知らないの?ソロで武道館ライブまでやったことがあるアイドルだよ。緑色のゴスロリコスチュームが激カワなの。でもこの前どこかの金持ち社長と電撃婚約。引退まで彼氏は作らないって公言していたからファンが大荒れの模様。」

「それは反感買うよな…」って待てよ。やはり横に座っているのは…


 早速ラインでメッセージが届く。

(久しぶりね 彼女?)

(ああ アイドルの警護中か?)

(かわいいコじゃない 一般人にいう必要はなし)

(マネージャー役か 花柄のスカーフは派手過ぎないか?)


「ちょっと光史。下ばかり向いて、私の話を聞いているの?」


 彼女の名前は堂貴美子。元同僚で、同じ警護二課のメンバーだった。容姿端麗、頭脳明晰。大学の空手で全国優勝。英語、スペイン語、中国語を話すクァドリンガルでもある。大手広告代理店を退職し、 K's プロテクションに転職。能力の高さから要人警護に留まらず、秘書業務をマルチで熟せるスーパーウーマン。多くの経済人から頼られている。目立ちがはっきりしたショートカット美人で、物腰のはっきりした姉御肌。社内の男達から「高嶺の花」として羨望の眼差しを受けているため、高姐(たかねえ)と呼ばれている。年齢は不詳だが社歴は三年先輩。警護員コードはTだ。


「悪い。職場の先輩から仕事のメールが来ていて。」

「そう。早く済ませてよ、お祝いなんだから。でも、サングラスしているけどやっぱり茶々ちゃんだよ。横にいるのは綺麗な人だけど、お母さんかな。」

「母親にしては若すぎるだろ。マネージャーでしょ。」


(フォローしたつもり?)

(まあな どれだけ地獄耳なんだよ。)

(表情 口の動きでバレバレ♡)

 白ワインで乾杯し、クレオールサラダ、トルティーヤスープ、チリパウダーの効いた豚肉の白身魚のタコス、どれも上手い。が、気になって仕方がない者がチラつく。


(イブ1、2 R20 D5 イブ3 迷彩OUT)


 店内に二人の不審者。高姐から見て右二十度、約五メートル先に座る一人目の大柄男。高級スーツを着るがサイズが合っておらず、革靴がボロボロだ。首下にファンデーションを縫っているが、薄っすら刺青が見える。仕切りに携帯を弄りながら、後方を気にしている。向かいに座る男と会話は無く、食事が目的ではないようだ。


 もう一人の小柄男。恐らくこちらが依頼者だ。女の方を直視して手が震えている。偶然だろうが赤と緑のチェック柄のシャツを着て店にマッチしているが、視線と挙動からお茶アイドルのおたくで、その婚約騒動に恨みを持っている可能性がある。彼女に幾ら注ぎ込んだのかは不明だが。


 迷彩色のズボンを着た三人目の不審者。何度もレストランの外を周回している。携帯を確認するタイミングが大柄男と同時だ。間違いなくグルだ。表に停まっているエルグランドが奴らの車輌。隙を見計らって連れ去る気か?


(分かってる 裏口からすぐ出るわ)

(表にいるのは新人か?)

(ええ あなたと入れ替わりの自衛隊あがり)

(迷彩をマークするよう伝えろ 見逃すぞ)


「光史、いい加減にしてよ。携帯取り上げるよ!」


(一人で大丈夫か?)

(一般人には頼れないでしょ)


「茶々ちゃん、出ましょう。次の撮影に間に合わなくなるわ。」

「えー、黒直里、まだパワー補充出来てなーい。もう少しお休みしたいなぁー。」

 高姐が女の手を引く前に、大柄な男が近寄る。

「黒直里茶々ちゃちゃんだね。話がある。また席に座ってもらえるかな?」

「ごめんなさいね。彼女には急ぎの用事があるので。」

「おばさんに用はないの。いいから座れよ。」

「何、このキモイおじさん。貴美子さん、行こう。」


 男が茶々を掴もうと近付くと、高姐は咄嗟にテーブルクロスを引き抜いて、大柄男にそれをかけて視界を塞ぐ。食べ残したサラダやタコスが宙を舞い、股間を蹴り上げられた男はその場に倒れて悶絶した。


 突然始まった女性警護員の乱舞に、優雅に奏でられていたBGMは止み、お淑やかだった客達は突如として悲鳴を上げる。


 その隙にと、「チャーチャ、どうして!!」と震えた嫌らしい手つきで茶々に触ろうとしたオタク男は、見事な正拳突きを顔面にくらい失神。高姐は瞬時に二人のイブを制圧した。


「ちゃちゃちゃん、逃げるわよ。」

 流石の高嶺の花だ。切迫した状況でも一度も噛まない。茶々の細い腕を掴んで裏出口へと向かう。


 しかし店回りをうろついていた迷彩男が異変に気付き入店する。表に立っていたはずの新人警護員がいない。彼はこんな時に何をしているんだ?迷彩をマークしようとして見失ったのか?


 まずい。迷彩は右手にナイフを握っている。オタクはいいとして、股間を押さえた大男は今にも立ち上がり茶々を追う体制だ。いくら高嶺の花といっても、イーグルを逃がしながら大男と迷彩を相手にするのは…


 そう思った時には、既に一枚のディナープレートを右手に持ち、迷彩の進路を塞ぎ、男の目の前に立っていた。


「光史!何をしているの!早く逃げないと危ないよ!!」

 食事をしていたテーブル下から栞の声が聞こえる。


「何だてめえ、死にてえのか?」

 威勢はいいが目は泳ぎ、ナイフを握る手はぎこちない。刃を振り上げて威嚇するが、そんな構えではブリトーさえ切れない。迷彩は戦闘要員ではない。茶々を連れ去るための運転役に過ぎない。


 但し、相手がどんな者であろうと油断はしない。相手がもし「覚悟」を決めた人間であれば想定以上の意地と力を発揮する。死ぬ気で向かって来られれば、一瞬の油断が命取りになる。


「お前、気に入らねえな。俺が怖くねえのか?」

 迷彩の問いに応じず、ナイフと手の長さを見て射程距離をはかる。素人といっても軽いナイフの動きは速い。ボクシングのジャブのように刃先を放ってくる。念のためディナープレートを盾にして、フェンシングの駆け引きのように間合いをとる。ナイフを握る相手の手は見ない。


 生きるか死ぬかの土俵に上がった、相手の目だけをじっと見つめる。


(いいか?ブアイ。俺達の精神に奢り、昂り、動揺は存在しない。何千時間分の一、中には生涯有事に遭遇することのない警護員もいるだろう。でも俺達は、そのあるかないかの一のために訓練を重ね、他人に命を懸ける。悪を最悪しないために。)

 Sの言葉が甦る。

 鷹の目ブアイが戻ってくる。


 恐れなどあるはずがない。イーグルを護るために生きてきた。明日はないかもしれないと本気で生きてきた。


 鋭い眼光を相手に放つ。興奮した相手の目の動き、不規則な荒い息遣いに中に「怯え」を見つける。相手は襲撃者ではなく、救助を求める困難者でしかない。


(いいぞ、ブアイ。その感じだ。)

「死ね、この…」


 一瞬の隙を見逃さない。プレートを相手の顔面に当てて、鳩尾目掛けてタックルする。そして吹き飛ばした相手に覆い被さり、奪い取ったナイフを遠くに投げつける。


「警察へ通報して下さい!」

 遅れて店に来た新人警護員とメキシコ人の男性店員達にそう指示し、店舗裏に消えた高姐の様子を見に向かう。


「貴美子さん、危ないよ!ナイフを持った巨漢に勝てるはずないよ!」

 警護車輌に逃げ込んだ茶々が涙ながらに叫ぶ。ドラマは見ないが迫真の演技だ。


「ほら、窓を閉めて。茶々ちゃんはいつも通りにお仕事を頑張るの。おい運転手、早く車を出しなさい!」

「だめえー。貴美子さんが私のために殺されちゃううー。」

 永遠の別れを決意した裏切りアイドルを乗せて車は急発進した。


「ババアのせいで作戦が台無しだ。まあ報酬は先払いでもらったし、文句言ったところであのオタクはどっかの山に埋めちまえばいい。けどな、チンコを蹴ったお前は許さねえ。」

「腐ったスモークハムみたいなクズ男ね。体中から蛆虫が沸いているのかしら。酷い匂いがプンプンしているわよ。」

 大男はナイフを握って突進したが、勝負は一瞬だった。

 警備員に所持が許されている三段式の特殊警戒棒を伸ばし、トンファー使いの如く、相手の右手首を下から打ち上げる。ナイフが地面に落ち、「えーい!」の雄たけびと共に、演舞のような動きで相手の脛と後頭部を強打し男を気絶させた。警棒捌きが更に上達している。


 民間の警備員は警察とは違う。あくまで警棒は防御、護身用として認められているが、あんなに派手に相手をぶちのめして大丈夫なのだろうか?


 いや、心配は要らない。もう自分は一般人なのだ。警護から足を洗った逃亡者なのだ。


 民間の身辺警護は警備業上の四号警備にあたる。

 ビルや商業施設に常駐する施設警備や巡回業務。空港の荷物検査やモニター監視等をする保安業務。センサーなどの発報で現場に駆け付ける機械警備を総じて一号警備。

 街中でよく見かける交通誘導業務やライブやイベントで保安にあたる雑踏警備業務は二号警備。現金や貴重品を依頼地から目的地へ運送する三号警備がある。


 幾ら強靭な精神力と専門技術を身に付けた所で民間の身辺警護員は制服を着た警備員と立場は変わらない。警備会社に入社して、主は警護員として働くが、仕事がない日には他の警備業務で地道に働いている。


 剣道または柔道が三段以上の有段者で拳銃上級者。警察組織から選抜されるSP(セキュリティー・ポリス)は指定された対象をチームで警護する。


 内閣総理大臣、各国務大臣、元総理や都知事等…拳銃を所持し、状況に応じで特殊警戒棒の武力行使も許可されている。


 反して民間の警護員が所持するのは警棒の他に、無線機、スティックライト、催涙スプレー、その他市販されている防犯グッズ程度。場合によっては防刃、防弾ベストを着て、一定の安心感を得るしかない。


 対象者は多岐に渡る。ストーカーやDV被害者。著名人や企業重役などのボディーガード。大金を持ち運ぶ際の用心棒。富豪のご子息を学校に送迎するキッズボディーガードなんてものもあるし、精神患者を強制的に病院に連れていく移送業務を行うこともある。


 そして様々な人種が集まってくる。元警察官に自衛官。腕っ節に自身がある元格闘家や更生したていの元不良。海外の戦地を転々としてきた元傭兵もいれば、警護のTVドラマに魅了されたミーハーもいる。


 何のためにリスクを負ってまで他人の命を護りたいと思うのか?

 比べたことはないが、警察官や消防士に近い何かがあるのかもしれない。

 しかし資格も免許も要らない。十分な防具の所持を許可されていない身分で自分はなぜ警護員になった?


 急に気になって、警察の聴取を終え、目の前にいた女性警護員に質問する。

「高姐はなぜ警護員になった?」

「失礼な男ね。こんな美女と再会して、「お久しぶりです」が先でしょう?」


 騒動が静まった店内にはクラシックのBGMが流れている。


「短的に。男尊女卑は絶対に無くならない。それに私は器用だから何だって出来ちゃうの。だからその世界が固くて、生温かったのよ。生きる上での全てが。だから私以上に尊敬できる人間が、民間警護の世界にはいるかもしれないと思った。それだけよ。」

「いたのか?そんな人間が。」

「どうでしょうね。それ以上の話は、最高級ホテル、最上階、最上のコースメニューを用意した上で聞いて。」


「早くイーグルを追わなくていいのか?」

「急遽マッチに現場に行ってもらっているわ。私も急がないとだけど。あなたも急いで彼女を追わなくていいの?」

「急いで何かが変わるのか?」


「どうでしょうね。マッチから聞いたわよ。あなたが葬儀屋で働いているって。」

「葬儀屋じゃない、葬儀社だ。」

「何が違うの?まあ、どうでもいいけれど。」


「そろそろ行けよ。勤務中だろ。」

「はいはい。ねえブアイ。またK'sに戻って来なさいよ。まだまだ出来るようだし、私はまた同じチームであなたと働きたいわ。」

「冗談言うなよ。もうガチムチだっていないだろ。」

「いつまで引きずっているつもり?女々しい男ね。」

「その話は止めろ。」

「分かったわ。Hasta luego.」


自分は逃げた。高姐は逃げずにずっと闘い続けている。


 帰宅すると、ワンピースが入った紙袋が玄関に置き去りにされている。

 キャンドルの炎の傍で、栞は正座し、警護員時代に書き溜めていた自分の遺書を読んでいる。


「今日は悪かった。せっかくのお祝いを台無しにして…」

「光史はもう警護を辞めたんだよね?」

「ああ、辞めたよ。」

「また戻るなんて言わないよね?」

「ああ、戻らないよ。」

「光史がしていたことって凄いことだと思うよ。私のような人間には出来ないことだし、今日も茶々さんの命を救った。遺書を見て思うの。こんなに生きていることに感謝して、こんなに強い正義感を持った人と出会えて、好きになれて。一緒になれたら、きっと幸せになれるって…」


 初めて聞く栞の涙声。それに呼応するように炎が細く、粗ぶって、振り返った栞の吐息が暗闇を作った。


「でもね、私が知り合ったのは、人を護ることを辞めて、危険な世界から身を離した光史なの!いついなくなるか分からない貴方でなくて、いつまでも一緒にいられるって思える貴方だから。だから、お葬式のお仕事に抵抗はあったけど、それでもいいと思った。少しずつ元気になっていく貴方となら、私も支えていける。私は今の光史と一緒に生きていきたいの!」


 自分が加勢をしていなかったら、罪のない人が傷つけられたかもしれない。そう生きてきたから、言い訳や理屈の前に体が反射していた。

 二度とないことを願うが、また同じようなことがあったら、その場を放っておく自信はない。


 でも、栞を抱き締める。今までの、どんな時よりも強く抱きしめる。警護員を辞めたから出会えた栞。窮地から救ってくれた大切な人。離したら駄目だ。離したら、もう立ち上がれない。


「分かってる。もう大丈夫だから。」

 もう二度と、大切な人は失いたくない。

 夜が明けるまで、栞の手をずっと握り続けた。

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