第一章 「転職」 最終話

「私も一緒に行くわ。」

「え!?まずは故人様と我々で先に式場で準備をさせて頂きます。ご遺族のご来場は午後四時半からでございます。スケジュール表にそう記載が…」

「おだまり!あなたは担当ではない。喪主の私が飾りつけを確認しないと準備が終わらないでしょう!」


 山下が豊子に怒鳴られる。故人から目を離したくないからだろう。喪主が式場設営に同行するなど前代未聞だ。

「名ばかり担当者の澤さんからも何と言って下さいよ!」

「今日は式がないし、あの目は本気だ。仕方がない。でないとお前、喪主様に刺されるぞ。」

「ひええ。勘弁して下さいよ。」

 諦めた山下と自宅へ入り、故人が安置された和室で出発の時間を迎える。自宅出棺を見送る親族は誰一人として来ず、喪服を着た花恋が申し訳なさそうに故人の傍で正座する。

「ご迷惑ばかりで大変申し訳ございません。両親を宜しくお願い致します。」

「はい。それでは出発させていただきます。」


 ご遺体を寝台車に移動すると、豊子が勢い良く後部座席に乗り込む。トラックを山下が、自分が寝台車を運転する。

「昨日のこと、会社には話してないでしょうね?」

 手鏡で化粧を整える豊子が言う。バッグは持っていない。喪服などの必需品は後で花恋に持ってこさせるのだろう。女帝の命令は絶対だ。

「ええ。ご家族のプライバシーについては黙秘を徹底しています。」

「よろしい。私の味方はあなただけ。明日の火葬まで、主人は私だけのもの。あの女には一時も渡さない。あなたを見た時に感じたの。その実直さをね。」

「恐れ入ります。」嬉しくはない。明日までの辛抱だ。


「あの女はね、竹下ゆかりっていうの。同じ大学の音楽サークルのメンバーだった。私が主人のことを好きだと相談したら誰よりも応援してくれたのに、結婚後、何十年も私達に付き纏ってね。最後は主人を奪った盗人になったわ。」


 午後一時過ぎ、式場の三田フェアウェルハウスに到着。途中にあった評判の中華屋で昼食を食べる予定だったが、豊子がいるため立寄れなかった。

「あら想別社さん、お早い到着で。」式場の支配人が出迎える。

「本日、明日とお世話になります。実は喪主様が一緒に来られていて。」

「奥様?ご主人と一時も離れたくないのね。優しい奥様じゃない。」

 支配人の微笑みを「そうですね、本当に。」で受け流すしかない。

「今日、告別式は入ってないし、今から飾り付けても大丈夫ですよ。」

 助かった。足止めを食らい苛立つ豊子を想像するだけで恐ろしくなる。


「喪主様、生花が到着するのは午後二時過ぎです。しばらくは荷物の搬入作業を致しますので、ロビーや二階の控室でお休みになられて下さい。」

「そうさせてもらうわ。まあ、葬儀式場にしては綺麗じゃない。」

 豊子は式場内を物色したあと、式場周辺や駐車場の見回りに向かった。


「山下、先に昼飯に行ってこいよ。修羅場はこれからだ。」

「いいのですか?ガチで腹が減っていたので助かります。」

 仕事中に腹は減らない。警護員時代はせいぜい十分程度の休憩だった。仕事が終わってから一食を取るだけの生活に慣れてしまった。


 設営と呼ばれる式場準備から遺族が立ち会うことは基本ない。故人と離れたくないと寂しがる愛溢れる遺族は大勢いるが、葬儀社側の準備を邪魔しないよう、設営を終える時間帯に合わせて来場することがほとんどだ。特に公営斎場では各部屋の利用時間は厳正に決められており、通夜が午後六時からであれば、遺族控室は午後四時半や五時にならないと利用できない場所も多い。


 歩き疲れたのか。二階の遺族控室で休んでいた豊子が式場へ姿を見せたのは、生花業者が花材の搬入を終えた午後二時半頃だった。そして現場監督のように式場入口付近に仁王立ちし、真っ赤な顔で怒鳴り始める。


「何よ、この弱々しい花は!カタログと全然違うじゃない。あなた、その細い目でしっかり見てみなさい。この花なんか萎れているじゃない!」

 怒鳴られた女性スタッフは、余りの迫力に後ずさりし泣き始めた。別のスタッフが慌てて携帯を鳴らし、追加の飾りを持って来るよう応援を頼んだ。


 その後も豊子は生花業者から目を離さなかった。祭壇に花を挿す間も一本一本の花に目をやり、「まだ花と花の間が隙間だらけよ!」と怒鳴り続けた。十二枚のデザインパネルの配置もミリ単位で指示し、二時間程度で終える予定だった設営に三時間以上を要したが、何とか監督から合格のサインが出た。


 午後五時半。大きなボストンバッグを二つ抱えた花恋が式場に到着。

「素敵。こんな大きく家族の写真が飾られるのは恥ずかしいけど。でもお母さん、どうしたの?こんなに髪が乱れて、化粧も落ちて。」

 棺で眠る父親と面会し、祭壇とパネルを一通り見た花恋は、宥められた豊子を連れて二階の控室へ上がって行った。


「バケモンですよ、あの喪主。今日は飾りつけだけで楽勝だと思っていたのに。金を出せばどんな我儘も許されるなんて、とんだお門違いですよ。」

 山下は豊子への悪口ばかりだ。指導員である立場をとうに忘れている。

「でもさ、人任せにせず、納得するまで拘りを持つ。それって人間の本来あるべき姿なのかもな。後でグチグチ言われるよりいいじゃないか。」

 豊子が設営に参加したことで、深い達成感を得たのも事実だ。

「澤さん、どれだけ忍耐強いのですか?」

「年齢を重ねている分、少しお前より我慢強いだけだよ。」

               

               ※


 午後七時。山下は既に帰り家に着いた頃だろう。本来なら現場を離れてもいいのだが、そう簡単ではない。


「さあ、家族三人で食事の時間よ。見て、主人の大好物な肉じゃが。こっちはホウレンソウの煮浸し。」豊子はタッパ―の蓋を開き、自慢げに手料理を見せてきた。花恋が持ってきた紙皿に料理を盛付け、棺の中で眠る故人の顔の近くに供える。二人は棺の近くにテーブルと椅子を移動し、三人で最期の晩餐を始めた。母子は特に会話する様子もなく、黙々と食べ続ける。長い間家におらず、冷たくなった故人。かける言葉がなければ、冷え切った家庭に咲く話題もない。


「今からシャワーを浴びてくるわ。主人から目が離れるから、あなたがしっかり監視しておくのよ。」

 確かに竹下ゆかりが来るかもしれない。次は貸式場の窓を割られたなどあってはならない。始末書など書きたくないと気分転換に外へ出て式場周りを調べてみる。


 辺りはすっかりと暗くなり、式場正面に広がる駐車場は嵐のような一日が嘘だったかのように静まりかえっている。好物だ。何も音が聞こえない、黒い東京の景色が感情を落ち着かせてくれる。


―ブアイ。お前の視力と聴力は獣並みだな―


Sの声が聞こえたような気がした。

暗闇の中で目を閉じ、二感を研ぎ澄ます。聞こえる。駐車場に唯一停車するトラックの向こう側から微かな音を拾う。


―コツン、コツン―


 誰かいる。常備品のLEDスティックライトの強光を浴びせると、車輛の脇から白布の揺れを確認し、少しずつ距離を詰めていく。


「葬儀社さん。夜遅くまでお疲れサマー♪」

 竹下ゆかりだ。両手を大きく広げてこちらへ走ってくる。手には何も持っていない。バッグも持たず、抱きつこうとする竹下を半身になって交わす。そして直ぐに彼女の手首を掴み、軽く捻り上げる。


「痛い、痛いじゃない!私はね、一生さんに選ばれし、最愛のパートナーなの!ぬぁあんて無礼な対応。あんた、葬儀社として失格よ!」

 手を解くと、竹下は一定の距離に離れた。


「竹下ゆかりさんですね。」

「あら、豊子から聞いたのね。光栄だわ。」

 竹下は合わせた手を左右に揺らして、甘える仕草でまた近付いてくる。

「お願い。一生さんに会わせて。少しだけいいから話をさせて。」

「昨日、奥田様の家に石を投げたのはあなたですか?」

「愛は届いたのね。だったら早く会わせなさい!」


 竹下は方向を変え、式場の入口に向かって全速力で走り出した。中年女性とはいえ、執念がかった走りは予想以上に速い。こちらも全力で応戦し、入り口前で何とか回り込み、竹下の体を両手で静止した。

「キエー!」額に血管を浮かばせ発狂する竹下。

「あなたのお気持ちはお察し致します。しかし、人様を傷つける。物を壊すことは許されません。言うことを聞けないのなら、あなたを拘束して警察を呼びます。」

「あの石はね、愛のパワーストーンなの。それを受取って一生さんは甦るはずだったの。なのに、どうして邪魔をするの…」


 警察へ連行され故人と会えないままになることを恐れたのか、竹下はその場に座り込んだ。入口のカーテン越しに見える、彩色美しい生花と、ライトアップされたデザインパネルが煌びやかに輝いている。


「これが豊子の狙いなのね。既に冷め切った家族写真をばら撒いて、私に見せびらかせたかっただけ。でも効かない。そんなの効かないわ。一生さんは私を一番に愛していると言ってくれた。その私が一生さんに会えないなんておかしいじゃない!そんなの奇妙奇天烈よ!!」

「そうかもしれません。しかし、私は戸籍上の正妻で喪主の豊子様から依頼を受けて葬儀を担当させて頂いております。どうかご理解下さい。」


 竹下は力なく立ち上がると、以前と同じく両掌を故人に向けて伸ばした。

「明日は必ず会いにいくからね。どんな手段を使っても、必ず。」

 竹下はそのポーズのまま後ろ歩きをして暗闇に消えた。


 間違いなく愛されていただろう。豊子の隙をついて僅かでも故人と会わせてあげたい気持ちはある。でも豊子も故人に愛されていた女性だ。正妻の立場だからこそ、最期の瞬間だけでも妻として夫と過ごす権利がある。歯痒いが、あくまで自分は葬儀担当者だ。


 午後九時。寝巻に着替えた豊子が降りてきた。そして竹下が式場の前まで近づいてきたことを報告した。

「来たところであいつが悪者になるだけよ。私が最愛の夫を見送る妻。誰もが私に同情する。歓迎されずに追放されるあいつの姿を見てみたい気もするわ。万が一の時はあなたも山下って男もいるし、大丈夫でしょう?」

「いえ。私は葬儀担当者であって、喪主様の用心棒ではございません。式前は準備や会葬の皆様への対応があります。式中は司会を務めますし、音楽を流すために機材の操作もします。喪主様を守れる保証はございません。」


「あら、つれないわね。」豊子は自身の肌艶ばかりを気にしている。

「それであれば一つ、私の提案を聞いて頂けないでしょうか?」

 竹下は間違いなく明日も姿を見せるはずだ。より強硬な手段で故人に会いに来る。


 そして豊子は葬儀を無事に終えるための提案を簡単に受け入れた。

 夫の体がこの世から消えるまで主役でいられるのであれば、追加費用を支払ってでも痛くもない。三回目の笑顔を見せて、迷いもなく受け入れた。


                ※


 奥田家お別れ会の当日。女の戦いは最終局面を迎える。


 開式三十分前の午前九時半。参会者にとっては心地良い春風を浴びながら、親族や友人達が続々と受付を済ませ、式場内へと足を進める。純白を基調とした生花祭壇には主役の胡蝶蘭が咲き誇り、カスミソウが生きる儚さを醸し、他の花々の存在を引き立てる。参会者が豪勢な花畑の中で眠る故人の面会に訪れる。周囲に点在する十二枚のデザインパネルが圧倒的な存在感を放ち、悲劇のヒロインであるもう一人の主役、喪主の豊子が涙ながらに故人との思い出話を披露する。何か賞を上げたくなる程の迫真の演技に同情する者も多い。


 サブ担当の山下が受付周りの統括と参会者への座席案内に奮闘する中、担当者の自分は司会台から場内を眺めていた。初めての式担当イコール、司会をするのも初めてである。まさか初担当の葬儀がここまで狂気に満ちたものになるとは。予想にもしなかった緊張感が刻々と迫って来る。


「数々の修羅場を潜って来た澤さんでも、やっぱり緊張します?」

 座席案内を終えた山下がちょっかいを入れてくる。

「いや、大丈夫だ。」

「というか、昨日から気になっていたのですが、何で司会台を入口付近ではなく祭壇側に設置したのですか?」

「前職のゆかりだ。人に背を向けては安心して式は進行できない。それに出入口が見渡せる位置でないと不審に気付けない。総合的に考えての判断だ。」

「ま、いいですけど。でも山野辺さんから聞きましたよ。新入社員が合同で行った司会のテストで、澤さんがビリッケツだったって。ま、検討を祈ります。」


 司会原稿や弔電を読む時だけは異様に緊張し、発汗してしまう。ミャンマーの強盗団に出くわした時も冷静にイーグルを護れたし、刃渡り20センチのナイフでアイドルを襲おうとしたストーカーも平然と押え込んだ。どれだけ危険度の高い現場でも平常心を保てていたのに。但し発端には心当たりがあった。


「哀悼の意を表します。」

「澤さん、それは(あいたく)ではなく、(あいとう)と読みます。」

「惜別の念を禁じえません。」

「違う。(しゃくべつ)ではなく(せきべつ)です。」

 会場内に堪え切れなかった同期の笑い声が漏れる。読み間違いだけでなく、ありきたりのない文面にも何度も詰まってしまう。

「澤さんの顔、阿修羅みたい。」

「違うよ。怯えた河童だよ。」

「静粛に!」山野辺が静粛を促し、テストの終盤を迎えた時だった。


「導師、ご入道でございます。皆さま、合掌(がっちょう)を持ちまして…」

 極めつけの伝説誕生に場内は爆笑が渦巻いた。流石の山野辺もこちらに背を向けて肩を震わせた。それがトラウマのきっかけになってしまったのだ。


(大丈夫だ。原稿は何万回も読んできた。乗り越えられる。今日はデビュー戦だ。)


 司会台を祭壇脇に設置したせいで、約五十名の参会者の視線がこちらに集中する。作戦を裏目に感じてしまう。緊張感がばれて、この司会者で大丈夫か?と思われていないかとネガティブになる。今日は仏式葬ではない。合掌(がっちょう)を披露する場面はない。落ち着け。間もなく開会だ。深呼吸を繰り返す。


 時計が定時を指す。一番深い深呼吸をする。

「只今より、故 奥田一生様のお別れ会を開会いたします。本葬儀は喪主様のご意向により、無宗教葬にて執り行います。」よし、出だしは順調だ。

「開式に際し、一分間の黙祷(ぼくとう)を捧げます。」


(ま、間違えた。もくとうだ。葬儀で木刀を振り上げてどうする!)


 豊子の目が大きく見開き、こちらを睨めつける。山下は堪え切れず式場の外へ走り出た。まだ始まったばかりなのに…

「失礼致しました。一分間の黙祷を捧げます。ご一同様、ご起立下さい。」


(立て直せ。瞬時に頭の中で再計画を練り上げ、冷静になるんだ。)


 黙祷の後、喪主から順番に献花を行う。故人へ直接想いを届けて頂くため、豊子の演出で、生花は献花台ではなく故人の顔周りへ直接手向ける形式を選んだ。

 トップバッターの豊子と花恋は大粒の涙を流し故人への感謝の言葉を伝えた。

 カーネーション、ガーベラ、薔薇。

 一輪ずつが丁寧に手向けられ、故人の顔周りは原色の花畑に姿を変えていく。


 一般参会者の献花の途中、受付周りや式場外部の確認をするため司会台を離れる。全体を把握するのも担当者の重要な役割だ。

「澤さん、また新たな伝説を作りましたね。」

 山下は木刀宣言からずっと笑っている。

 献花を終えた参会者の中には、座席に戻らず入口付近の灰皿に集まり煙草を吸う者が多くいる。一時間でさえニコチンを我慢出来ない中毒者達の声が聞こえる。


「豊ちゃんの立場も分かるけど、晩年のいっ君はゆかりちゃんと一緒だったみたいだし。ゆかりちゃん来てないだろ?お別れさせてあげないと可哀そうだよな。」

「ああ。あんな昔の写真だけをあからさまに飾って。何か痛々しいわ。」


 夫婦を知る共通の知人だろう。竹下を庇う者も大勢いる様子だ。

「そろそろ戻るよ。山下、献曲の案内を始めたら、式場の消灯を頼む。」

 献曲では式場内を暗くして、故人が花恋に送ったバースデーソングの音声データーを流す。これは豊子のアイデアでなく、先輩社員から教えてもらった演出だ。

「分かりました。でも澤さん。大型葬でもないのに、何で無線機を付けているのですか?」

「前職の癖さ。」


 それから会は順調に進行した。献曲は父から娘への愛が式場内を温かく包み、友人のお別れの言葉は、長年に渡る思い出の節々が頭に浮かぶ程に鮮明で、輝いていた。次は出棺前のお花入れの時間だ。


(こちらM.イブ マンゴー)

(こちらB、ミミガー)

 懐かしい無線交信が始まった。

(合図をしたら、式場の裏手から入ってきて下さい。)

(M,ミミガー)


「温かいお言葉をありがとうございました。これより式場内にてお花入れの儀の準備をさせて頂きます。十分程お時間がかかりますので、ご参会の皆様はロビーにてお待ちいただきますようお願い申し上げます。」

 山下が参会者をロビーへ誘導する。棺を式場の中央へ移動。蓋を外し、あてていたドライアイスを除去する。生花業者は祭壇の花を摘み、盆花を用意する。


(マッチさん、お願いします。)

 すると、祭壇後部にある業者搬入口の扉から男女二人が入室する。

「やっと、やっと会えたわ、一生さん!」

 竹下が故人の顔に縋りつく。

 遺族と参会者が不在の時間を利用し、故人と最期に愛された女性の別れの時間を用意したのだ。


「久しぶりだな、ブアイ。」

「ご無沙汰しております、マッチさん。」

 マッチさんの本名は久保卓司、三十五歳。警備会社Ksプロテクション警護課の同じチームで働いていた元同僚だ。


 元探偵で、警護員となった今でも調査会社や情報通と太いパイプを持つ。人探しや素行調査に没頭していた中で、調査依頼を受けたある警護員に強く憧れるようになり転職。将来は調査と警護が一体となった会社を立ち上げたいと志は高い。それは警察と同じではと突っついたら、ストーカー、DV、嫌がらせなどの脅威に困っている人々を救えるのは民間の警護会社だけだと怒られた。


 調査畑出身のため武闘派ではなく、他の警護員と比べると「マッチ棒」のように細身で極端な色白であることから、警護員コードは「M」。

 マッチさんは二つの能力に秀でている。

 一つは持ち前の存在力の無さを生かし、その場から気配を消す、現場に溶け込む異常な体色変化能力。恐らくスーパーなどの万引きGメンをしたら、直ぐにでも犯人を捕まえるだろう。携帯やビデオカメラを使って行う素行調査もプロ級だ。


 もう一つは「実査」と呼ばれる行先地の事前調査。誰よりも詳細適格な警護計画表を作成し、当日には微細な変化をいち早く感知する能力。イベント事なら急遽なスタッフ変更。とあるビルのゴミ箱の数や位置の変化。自動販売機の飲料が一種類だけ変わったことにも直ぐに気が付いてしまう。


 それなりの塩顔イケメンで、多くの女性をちょろまかしてきたそうだが、若い時にとびきりの美人から結婚詐欺にあったのがきっかけで探偵職に就いたそうだ。


「マッチさん、ありがとうございました。」

「昨日の夜遅くにいきなり電話かけてきて、女性を調べろ、家に行って尾行しろ、タイミングを見計らって声をかけろ。って俺はそこまで暇じゃない。」

「でも彼女は提案に納得した。それに凶器を持っていましたよね?」

「まあ、刃渡り十五センチの出刃包丁を忍ばせていたけどな。」

「流石です。ここまでの調査力を兼ね備えた警護員は他にはいませんから。」

「社会復帰して少しは流暢に話せるようになったか。あの時に比べたら血色も見違えた。尖ってた目先も少しは垂れたようだしな。それに…」


「先輩、すみません。間もなくお花入れが始まりますので。」

「ああ、そうか。ここ葬儀場だったな。今度はもっと早く連絡しろよ。金が良かったらまた来るよ。」

「僕は葬儀社社員ですよ。もう声をかけることはないと思います。」

「そうか。元気でな、ブアイ。」

「ええ。マッチさんも。」


 山下が式場に戻る。見知らぬ二人の人間を目にして混乱している。

「山下、そろそろ準備が終わる。花入れの案内を頼む。」

「は、はい。」

「竹下さん、お時間です。そろそろ最後のお別れを。」

 竹下は故人の頬を両手で丁寧に包み、優しくキスをした。

「担当者さん。本当にありがとう。感謝するわ。私、一生忘れないからね。」

「いえ。人を愛するだけなのに、人を傷つける必要はないですよ。あなたには愛し合った相手とお別れをする権利がある。そう思っただけです。」

 一礼した竹下はマッチさんに背中を押され、ゆっくりと搬入口から外へ出ていった。

         

         ※


「結局ゆかりは私の前に姿を見せなかったわね。あの意気地なし。」

 骨壺を抱えた豊子は、大一番の勝負に勝ったように誇らしげだ。

「なら昨晩あなたが提案した警備料金の十万円は返してくれるってこと?」

 プロの警備員を手配して竹下の侵入を防ぐための費用を現金で頂いていた。それに現金は既にマッチさんの懐に渡ってしまっている。時すでに遅し。でもそんな心配は要らなそうだ。曇り続きだった豊子の顔が晴れ渡っている。


「まあ、いいわ。葬儀は無事に終わったのだから。」

「至らないことが多く申し訳ございませんでした。」

「そうね。木刀は許し難いミスだったし、最後のサプライズパネルも無理矢理感があったしねえ。」

 豊子は遺影写真を抱えた花恋と共に、手配したタクシーに乗車した。


 山下と深々と一礼し二人を見送る。

 ゆっくりと走り出すと、後部座席の窓が開く。女帝はまだ文句を捻り出せるのか。


「次はしっかり隠しなさいよ。足元の白いワンピース。詰めが甘いわよ!あのクソ女、絶対に許さないんだから。」

 豊子は窓から右手を伸ばして手を振った。

 やっぱり顔は晴れていて、「お母さん、危ないよ」と花恋が背中を掴む。

 肉体が骨となって、初めて母子の姿を垣間見た気がする。


 故人は最後に愛した女性のワンピースと、正妻が意地で施した葬儀で旅立った。初担当の葬儀が、二人の女性の愛で幕を閉じたのだった。


—第一章「転職」完  

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