第一章 「転職」 第二話 

 翌朝、想別社の社内では一つの議論が交わされていた。

 担当者試験に合格していない澤を、単独で打ち合わせに行かせていいのかについてだ。


「議論の余地はありません。弊社はロープレ・OJT、担当者試験が教育の肝であり命です。厳しい教育課程をクリアした者こそが、ハイクオリティーのサービスを提供できる訳で、試験に合格していない澤さんに打ち合わせをさせるなど言語道断です。他者にも示しがつかないですし。」


(ミス定時)(絶望メガネ)と呼ばれ、怖いものはカラフルな芋虫だけと公言している教育責任者の山野辺梓が強い口調で言い放つ。


「しかし、喪主様は澤君が担当者になる条件で弊社に依頼をして下さるのでしょう?彼は不器用だけど人一倍誠実だ。その人柄を感じ取って安心、信頼して下さっているのかもしれません。」

(仏の日下部)と呼ばれる葬祭部部長の日下部が続ける。

「であれば、澤君が打ち合わせをする間は山下君が車で待機して、万が一の時は直ぐに駆けつける。その体制で臨んでみてはいかがだろうか?」


 部長の案に山野辺以外の面々が頷く。

 時間を無駄にしてきた訳ではない。元警護員で馬力はある判断され、搬送・安置業務は何百件と行ってきたし、夜間の宿直当番も積極的に入っている。空いた時間は資料を何度も読み込み、彼女に遺族役をしてもらい、自宅で打ち合わせのロープレもしている。舐められたくはない。


「澤君。チャンスが到来ですよ。」

 部長の言葉が背中を押し、拗ねた山野辺は無言で自席に戻って行った。

「ルールは確かに大事だよ。でもね、人が羽ばたく瞬間はルールに左右されない。幸運にも君にはそのチャンスが巡って来た。ぜひ掴んで欲しいな。」

「ミミガーです。」

「え、ミミガー?澤君って沖縄出身だったっけ?

「いえ。了解って意味です。」

「うん。解読にはしばらく時間がかかりそうだね。」

 仏は首を傾げて 社内の神棚へお参りに向かった。


 試験を受ける前に葬儀担当者として現場を経験できる。こんなチャンスは二度とやってこない。決意を固め、自身のデスクで打ち合わせ資料を準備する。山下の手助けを得て、式場と火葬場資料の準備と空き状況の確認。仏式や無宗教などの幾つもの見積書を印刷にかけ、急ピッチで資料を整える。やるしかない。やれることに全力で立ち向かうしか、進む術はない。

         

                 ※


「何かあったら直ぐに電話下さいよ。」

 助手席のシートを目一杯に倒し、山下はコンビニで買った少年誌を読み始めた。営業車のバックドアを開け、取替え用のドライアイスと資料の入ったキャリーバッグを持ち、コインパーキングを出発する。総重量二十キロ近い荷物はそれなりの重さがあり、春の優しい日差しといえ額に汗が滲む。夏場は更に過酷だ。スーツの内に熱気を閉じ込めて大汗を掻くから、布ハンカチでなくハンドタオルをお勧めする。


 高所得者の割合が多い港区だが、奥田家は至って一般的な二階建ての和風邸宅だ。昨晩は気付かなかったが、玄関前の花壇には一輪の花も咲いておらず、右側から覗く庭には雑草が生え茂っている。


「お入りになって。」

 インターフォンを鳴らす前に扉が開く。恐らく窓から玄関先を覗いていたのだろう。薄手の白い無地Tシャツと、ダボダボの灰色ズボンを履いた豊子が出迎える。眉毛がない。ノーメイクのようだ。


「まずはドライアイスのお取替えをさせて頂きます。」

「え、昨晩あてたばかりでしょう?あなたに言われた通り、冷房は二十度以下にして点け続けているわ。さては何度も取り換えて料金をぼったくりをする気でしょう!」

「いいえ。基本は二十四時間前後で取り換えるのですが、特に今日は夏場並みに気温が高いです。和室は日当たりが良い様子ですし、早めにお体の状態を確認させて下さい。」

「あらそう。だったら終わり次第、奥のリビングに来てちょうだい。」

 豊子は主人が眠る和室を素通りしてリビングへ入っていった。


 ご遺体を確認する。異臭はせず肌の変色も無い。内臓はしっかりと固まっているが、右手の甲が軽度に凍傷しているため布をあてがう。かなり痩せているから追加のアイスはあてなくても問題なさそうだ。


「散らかっているけど、気にせずどうぞ。」

 生活感の無い和室とは逆で、リビングには物が散乱している。

「病院で主人に付きっ切りだったから。掃除する時間なんて無かったのよ。」

 豊子の目線は右上を向く。嘘をついている。


 昨晩の「私の味方になって」が気にはなる。前職の癖で、人物プロファイリングをしたくもなるが、その間に式場や火葬場が先約で埋まってしまう危険性があるため、早速資料を机の上に並べる。まずは会社説明からだ。


「わが社は二○○八年に創業し、グレーな葬儀料金を一変し、明朗会計…」

「堅苦しい説明は要らないの。あなたが担当するならお宅にお願いする。そう言ったでしょう。さっさと打ち合わせを始めて。でないと他社にするわよ。」

 婦人総合誌を読みながら豊子は言う。


「かしこまりました。それでは式場と日程でございますが…」

 希望地である三田駅周辺の式場と火葬場の空き状況は事前に確認した。幾つかの候補式場の資料を取り出す。式場や内外装のカラー写真が載った、駅からアクセスが良く、綺麗な式場に絞ってある。


 豊子は直感で第一に提案した式場に決めた。そして二日間のお葬式は疲れると言い、菩提寺が無いため、無宗教の一日葬を希望。仮押さえしてあった火葬場の空き状況により、明後日土曜日が家族だけで過ごす前夜式。日曜日がお別れ会の日程に決まった。


 式場となる三田フェアウェルハウスは、二年前に新築された一日一組の貸切り式場だ。ヨーロッパの洋館をモチーフにした造りには、色彩豊かな洋花が映える。周囲を気にすることなく好きな音楽を流すことができ、無宗教や音楽葬に最適だ。他の提案斎場より使用料が高いが、何より遺族が宿泊できるベッドルームが完備されているのが人気の理由だ。因みに希望があれば契約先のシェフがやって来て、ビュッフェ形式の食事を振る舞うことも出来る。


「花恋ちゃん!場所と日程が決まったから、リストの皆さんに連絡して!」

 廊下と階段を突き抜ける大声に、長女の花恋が二階から降りてきた。


「あ、澤さん。昨晩はありがとうございました。本日も宜しくお願い致します。」

 花恋は冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出して、「こんな物ですみません。」と差し出してくれた。そして豊子からリストを受取ると、家政婦のような面持ちで二階の自室へ戻って行った。


「それでは葬儀内容とお見積りについて、打ち合わせを始めさせて頂きます。」

 いざ尋常に。と婦人誌を手放した豊子の表情が一変する。昨晩、寝台車に乗っていた時と同じ目だ。テーブルに片肘をついて前のめりになる。


「あなた、既婚者?」

「いえ、独身です。」

「私と主人はね、学生結婚だったの。」

「そうでしたか。長年、お二人で付き添われて来たのですね。さぞ…」

「この写真を遺影にしてちょうだい。」

 聞く気はなく、被せてくる。

 古いセピア色の写真。ギターを片手に故人の笑顔が輝いている。

「何十年も前の主人だけど、可笑しくないわよね?」

「ええ。ご主人が輝いていた頃のお写真。とても素敵です。」

 豊子は二度目の笑顔を見せた。

 劣化部を多少修正する必要はあるが、背景を加工する必要はない。それだけ自然体で躍動感のある写真は一つの作品として成り立っている。


「あのう、一生様とはどんな出会い…」

「次は祭壇ね。早くサンプル見せて。」

 故人の人となりを聞きたいが、写真に合う生花祭壇を提案しようと祭壇カタログを開く前に、豊子は何十枚もの写真をテーブルに広げた。凄まじく身勝手だ。


「これは家族が幸せに過ごしていた頃の写真よ。お洒落にデザインして、とにかく大きく拡大して、祭壇の周りに散りばめてちょうだい。」


 抱き合う夫婦、娘の誕生日を祝う写真からは幸福を感じる。想別社では社内に専属デザイナーがいて、写真や動画を加工してオリジナルパネルやお別れ動画を制作している。会社にとっては大の得意分野である。


 祭壇の提案は多岐に渡る。現在の主流は昔ながらの白木祭壇ではなく、柔らかさを感じる生花祭壇。式場の間口に合わせ、高額なものからシンプルなものまで三種のデザイン祭壇を提案する。シンプルでは少し寂しく、高額なものまでは必要ない。多くの場合、真ん中の祭壇に落ち着く。


「棺周りもお花でいっぱい!これにしてちょうだい!」

 豊子が指さしたのは提案した三種の祭壇ではなく、隣のページに載っている更に高額な祭壇だった。

「え!でも、こちらは祭壇費用のみで税別、百五十万円ですけど…」

「いいの。デザインと色合い、全部そのままでいいから。」


 豊子の財布はその後も閉まらなかった。棺は高級な布張りで、故人の全身がアクリル面越しに見える上等なもの。火葬場が用意する骨壺は一番高価な大理石のものを。但し、返礼品や料理などの「ふるまい」は安価でシンプルなものを選んだ。必要と不必要がはっきりとした選択がリズム良く進んだ。


 打ち合わせは快速で進んだが、見積り計算をしようとして、車に計算機を忘れたことに気付く。選んだ祭壇の生花に在庫があるか確認すると言い訳をし、コインパーキングへ向かった。 


「あー、澤さん。連絡ないので、寛いじゃってました。」

 山下は束の間の休息を全力で楽しんでいる。少年誌を読み終えて、携帯で動画を見てケラケラと笑っている。ビーチサイドのデッキチェアに横たわるかの如く、背も足も綺麗に伸びている。いつの間にか冷えたコカ•コーラまで買っていた。


「打ち合わせ終了にしては早過ぎですね。あ、喪主さんに蹴散らされたとか?」

「いや。祭壇が百五十万。デザインパネルが十二枚。その他もすこぶる順調だ。計算機を忘れたから、今から戻って見積りを提示してくる。」

「ま、まじでじまですか!」 

 飛び起き、唖然とする山下だが、気にせず速やかに自宅へ戻る。  


—イブだ—


 自宅前の異変を察知する。

 五、六十代、喪主と同じ年齢層。白いワンピースを着た一人の女性が、奥田家の前に立っている。女性は両手を伸ばし、掌を自宅へ向けている。何処かの宗教家が怪しいパワーを送っているような姿勢だ。


「ご親族の方ですか?」

 威圧せず、優しく声をかける。

「其方は葬儀社のお方?」

 驚くことなく女性は返事をする。

「はい。ただいま、喪主の奥様と打ち合わせをしております。」

「そうですか。故人は御無事ですか?」

「え、ええ。お部屋で安らかに眠っておられます。ご弔問でしたら、喪主様に声をかけますよ。」

「今日はもう会えたようなものだからいいの。これから別の用事があるから。」

 女性は手を後ろで組んで、駅の方向へ歩いて行った。


 生気が感じられない。眼球の移動が異常に遅く、重力と正直に向き合っていない。親族ではなく、弔問ならダーク色の喪服を着て来るだろう。あの奇妙なポーズは別として、化粧を施し高そうなワンピースを着ていた。厚化粧をして故人を偲ぶ者はいない。あの目は女の目だ。

「私の味方になってくれる?」が繋がった。恐らくあの女性が豊子の敵だ。


「随分遅かったわね。」

 豊子は食品宅配のカタログを開いている。

「申し訳ございません。在庫確認に時間がかかりましたが、問題ありませんでした。直ぐに見積りを計算致します。」


 見積りに一発サインを貰い、明日は午後の三時に訪問し、ドライアイスの処置とデザインパネルの確認をすると伝え、打ち合わせは無事に終了した。


 玄関前の女性については敢えて伝えないことにした。ご主人を亡くし、心労は深いはずだ。それに自分は葬儀社員だ。問題なく葬儀が終われば、何の問題もない。

        

         ※


 帰社すると、社内ではちょっとしたお祭り騒ぎが起きていた。既に山下から話を聞いていた同僚が、高額見積りに騒いでいるのだ。


「澤さん、おめでとうございます!初めての単独打ち合わせで百五十万円の祭壇を受注するなんて凄すぎです!」


 ほぼ同期の一ノ瀬百花が、造花で出来たレイを首にかけてきた。それを見る山下が不機嫌そうに自席に座る。時計は午後五時五十分。定時帰りがお約束の山野辺は面白くなさそうに時計を気にしている。


「澤ちん、凄いじゃない!いきなりパネルを十二枚も受注するなんて。今晩は猛烈に忙しくなるわね。」


 彼女、いや彼の名前は衛藤良男。元映像制作会社のクリエイターで、想別社の提供する葬儀に惹かれて転職。葬儀のメモリアルムービーとデザインパネルの制作を一手に引き受けている。


「受注といっても、喪主様からの強い要望があったので…」

「そんなに謙遜しなさんな。結果は結果。受注は受注なりい。ほら、そこどいて!敏腕プランナー様のおなーりー♪」 


 衛藤のデスクへ向かい制作前の打ち合わせをする。衛藤は社内一の熱血漢だ。担当者の思い、考えを聞かずして作品は作らない。


「では殿様。故人様の人柄と家族エピソード。あと、一枚ずつ写真の説明をお願い申し上げます。あ、宜しければそこの高級チョコレイトをどうぞ。疲れを癒して下さいな♪」

「それが…学生結婚したくらいしかお話を聞けなくて。こちらからの投げかけも聞いて頂けなくて、祭壇の雰囲気に合わせて無難に加工をしてくれれば…」

「何ですって、無難にですって!そんなんじゃ、遺族の心に響くパネルが作れる訳ないじゃない!言い訳する殿様は大嫌い。家臣の私はどうしたらいいの?」 


 顔面とリンクしない、衛藤の紫色の怒号がフロアー中に響き渡る。

「何?貴方様は売上が上げればいい派閥なの?そうなんですね、そうなのですね。でも意味ないの!遺族の想い、写真の背景をヒアリングしてこないと…」

「すみません…」と謝ると、山野辺と山下の山山コンビが笑っている。衛藤は何とか制作を始めてくれたが、明日の打ち合わせまでに十二枚ものデザインを仕上げる必要がある。作業は深夜近くまでかかるだろう。こちらもそれまでに各取引先への商品の発注、山下と打ち合わせの振り返り、式次第の作成や司会原稿の準備がある。明日は三時の打ち合わせまでに所轄役所へ死亡診断書の提出が必要で、タスクは沢山ある。午後十一時を過ぎると、彼女の栞からラインが届く。


(お疲れさま 今日も遅いの? 好きなパスタ作ってあるよ)

 栞とは付き合って一年二カ月になる。廃人だった自分を救い、ずっと支えてくれている。転職して、人として生活出来ているのは紛れもなく彼女のおかげだ。


(初めて単独打ち合わせした もう少し時間かかるから 先に寝てて)

 深夜の喫煙所で煙草を吹かす。春の夜空は透き通っていて、綺羅星たちが今日を祝福してくれているようだ。

 

(そっか おめでとう! 光史 頑張ってるね 偉いぞお!)

「自分の味方は栞。栞だけだもんな。」

 すると、喫煙者の衛藤がやってきた。


「さっきは怒鳴ってごめんね。つい、感情的になっちゃって。」

「いえ。自分の課題です。遺族に寄り添って話を伺い、想いを汲み取る。衛藤さんの言う通りですから。」

「パネル、十二枚仕上げたわよ。データー送っておいたから確認しておいて。でもさ、どの写真も微笑ましいのだけど、若い頃ばかりで晩年の写真が一枚もないのよね。闘病生活が長かったのかしら?」

「いえ。死因は肺癌ですが、闘病生活は半年と書かれていたので、そうではないと思います。」

「そう。でも思いがあって、祭壇周りに写真を散りばめるのでしょう。素敵なアイディアじゃない。ご遺族、喜んで下さるといいわね。」

「ええ。」一つ聞きたいことが出来て、もう一本煙草を吸う。


「衛藤さんに味方はいますか?」

「味方ねえ。ご存じの通り、私ってこんなんじゃない。キモイって思う人は大勢いるだろうけど。うん。私に味方はいらないかな。私は生きたいように生きて、役に立ちたいと思う人のために全力を尽くす。今の生き方に満足しているわ。まあ、もちろん、生涯のパートナーみたいな彼氏がいたら最高だけど。」

「どんな時に、味方がいて欲しいと思いますか?」

「そうねえ。凄く寂しいとき。ぶつける先がなくて、どうしようもなく満たされていないとき。かな。」

「彼氏さん、出来るといいですね。」

「ありがちょ。澤ちんが立候補してくれてもいいのよ。澤ちんは強いから、変な奴に絡まれても、必ず守ってくれるしね。」

「衛藤さんなら自分で自分を守れますよ。じゃ、先に帰りますね。」

「あら、やだ。」


 結局、帰宅したのは深夜一時で栞はベッドで眠っていた。テーブルの上にラップがかけられたクリームパスタとチーズを塗したサラダが用意されていた。もう遺書は書き換えなくていい。以前のように気を張り詰める必要のない平穏な生活。料理上手で優しい彼女。先が見え始めた仕事。満たされている。新たに始めた人生はきっと満ちを始めている。

                ※


「いいじゃない。花色に合いそうだし。問題ないわ。」

 豊子は十二枚全てのパネルにOKを出した。契約書に押印をもらい、あとは帰社してパネルを印刷して額に収めれば準備の終わりが見えてくる。


「最後にドライアイスのお取替えをして失礼致します。明日は正午に伺い、十二時半に故人様が自宅を出発されます。お見送りをご希望のご親族様がいらっしゃいましたら、先にお伝えください。」

 荷物を抱え、玄関の扉を開こうとしたその時だった。


―ガッシャーン―


 和室から大きな破壊音と花恋の悲鳴が響く。靴を脱ぎ捨て和室へ駆け込むと、大きな石が投げ込まれて窓が酷く割れている。幸いカーテンが閉められていたため、ガラス片は花恋を傷つけなかった。


「だから自宅安置はしない方がいいって言ったのに!」花恋は泣き喚いている。

「大丈夫ですか?お怪我はないですか?」と尋ねていると遅れて豊子がやってきた。

「あの女の仕業ね!」狂乱した豊子は裸足のまま玄関を飛び出した。急いで豊子の後を追い外に出るが、自宅周辺に女の姿はない。


 部屋に戻り「まずは警察に連絡しましょう」と提案する。

「駄目よ!そんなことをしたらあいつの思う壺。私が正妻。私が葬儀の喪主なの。夫は自宅に帰って、ここから出発するものなの。家族は近くにいるものなのよ!」

 豊子の異常な興奮状態はしばらく続く。取り敢えず、箒と塵取りを借りてガラスの破片を掃除する。外気で部屋が温まると故人の遺体保全に問題が生じる。花恋が用意した段ボールを割れた窓にあてがい応急処置を施した。


「こんなことまでして頂いて…」花恋は体を震わせて酷く怯えている。豊子に至っては二階の自室へ閉じこもってしまった。

「昨日の打ち合わせの際も、女性が玄関前に立っていて。直ぐ帰ったのですが、様子がおかしかったので今日の仕業も恐らくその女性かと。」

「昨日も来ていたのですね。」

「言わずにいて申し訳ございませんでした。」

「そんな。家庭事情に巻き込んでしまい、こちらが申し訳ないです。」

「警察には届けた方がいいです。二次被害を出さないためにも。」

「ええ。でも母の意向に反したら、次は母が何をするか分かりません。葬儀を終えるまで、事を大きくしたくありません。」


 よく見ると、石には無数の「愛」という字が書かれている。そして遺族の意向もこの石のように固い。

「澤さんはまだお仕事がありますよね?後は私と母で何とかしますから、早くお帰りになって下さい。」

「分かりました。ただ、何かあれば名刺の携帯電話に連絡を下さい。無事にお葬儀を終えるお手伝いをするのも、私の仕事ですから。」


 心配の詰まった奥田家を出る。念のためLEDスティックライトで玄関や庭周りに不審物がないか確認する。コインパーキングで駐車料金を清算し、奥田家の周辺を何周かするが、女性の姿はない。歯痒さを感じながらも急いで帰社する。

                

                ※


「澤さん、遅いっすよ!電話にでも出ないし…」

「悪い、式の内容について話し込んでいたらついつい。参っちゃったよ。」

 機密主義、保守徹底。山下には悪いが、遺族のプライベートは話さない。

「もう七時ですよ。五時から式前MTGの予定だったのに連絡なし。山野辺さん、怒って帰っちゃいましたよ。」

「申し訳ない。パネルを印刷にかけたらMTGを頼む。」


 花恋から連絡が入っていないか気になるが、想別社名物「式前MTG」が始まった。準備不足の確認、技術的なアドバイスは勿論だが、MTGは最低二名以上の先輩社員が参加し、葬儀テーマを共有。その後、葬儀内容について語り合い、質の向上を目的としている。時には結婚式のようなサプライズを考え実行することもある。


 葬儀のテーマは「輝く思い出」。特大のホワイトボードに葬儀情報や祭壇のイメージ図を目一杯に書き込んだ。これまで先輩の式前MTGには幾度も参加してきたが、いざ発表する側となると緊張する。


「高額な見積りだけど、十二枚もの写真を祭壇に組み込むのだから、喪主の故人に対する思いは相当強いようだね。」

 葬祭部課長の吉竹さんが切り込む。

「ええ。どれも何十年も前の古い写真ですが、遺影も含め、一番輝いていた家族の時間を大切にしたい意思を感じました。」

「まさかあの喪主がねえ。自宅安置に同行したのですが、故人をそんなに思っているなんて微塵も感じなかったけどな。」山下が真実を語る。


 その通りだ。豊子はあの女性と周囲に自身が正妻であると主張したいだけ。

 恐らく夫婦関係はずいぶん前に破綻し、あの女性が故人の晩年のパートナーであったに違いない。自宅ではなく専用施設に安置すれば、安易に故人との面会を許してしまう。豊子は故人を所有物として傍に置いておきたかったのだろう。


 和室に生活が無かったのは闘病生活が長かったからではない。故人はあの家には長年住んでおらず、あの女性と籍を入れずに同居していたはずだ。死ぬ間際まで愛し合っていたのはその二人。しかし推測だけであの女性のことを話すことは出来ない。まずはこの場を打開することに専念しなければ。


「夫婦が学生時代に惹かれ合い、愛し合っていたのは事実です。そして娘様と幸せに暮らしたことも事実。その光景を目に刻んで頂くためにも、祭壇とパネルの配置や作り込みを徹底します。勿論、司会のナレーションにもその案内を入れます。実は衛藤さんにお願いして、預かった全てのお写真を一枚にデザインしたものを作成頂きました。A4サイズで印刷して、火葬場への出棺前に家族三人だけの時間を作って手向けて頂こうと思っています。」


「うん。聞けている情報が少ないのは今後の課題だな。ただ、飾るだけはなく澤なりの思いを伝えて棺に手向けるのは悪くない。明日は澤のデビュー戦だ。山下、しっかりサポートしてくれよ。」

 目を擦りながら吉竹さんは席を立ち、自席へと戻っていった。


「オリジナルパネルを仕込むなんて、澤さんやるじゃないですか。でも、その場凌ぎのアイディアにも見えます。テーマの「輝く思い出」も抽象的だし、見積りは高くても、遺族とのコミュニケーションが少ないのがホワイトボードにも表れている。僕たちは「やりたがり葬儀社」ではなく、ご遺族から話を聞いて、感じて、未来を生きる糧になると思うことを全力で行う葬儀社です。」


 山下の指摘は正しい。二十五歳の山下は十九歳で入社し、社歴では五年先輩。流石の経験値、洞察力と言うしかない。

 パネルの印刷をかける。一枚に二十分程の時間がかかる。MTGは三十分で終わったが、残りの三時間半を使って準備を行う。司会原稿を何度も読み、地下の倉庫へ行ってトラックへ積み込んだ備品に忘れ物がないかを確認する。結局全てのパネルをカットし、額に収め終えたのは深夜二時過ぎだった。今日は誰一人も社内に残っていない。

 暗がりのデスクで預かった十二枚の写真を見返す。故人と豊子が満面の笑みで花恋の誕生日を祝っている。家族三人が浴衣を着て、旅館でピースサインをしている。手と手、肌と肌が触れあっている。


「自分が奥田家の担当者なんだ。家族三人がしっかりお別れ出来るよう、精一杯お手伝いする。それだけだ。」

 初めての葬儀担当。並々ならぬ使命感に満ちていた。

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