私はIです

黒星★チーコ

◆『アイちゃん』は癒しのセクシーボイス◆


『私はアイです』


 万能型生活サポートAI、tal-kerトーカーへ質問をすると、答えの最後にそのフレーズを返すようになったのはいつからだろう。


 イヤホン型デバイスに声で質問をすると、彼女は殆どの事柄に対して即座に充分な回答をしてくれる。


 その声は人工音声とは思えないほど……というよりも、現実の女性の多くを上回る魅力を持った、絹のような滑らかさとしっとりとした色気を持った素晴らしいもので、24時間いつでも心地よく耳元で囁いてくれる。


「tal-ker、今何時?」


『午前8時21分です。今日の予定は9時からミーティングがあります。5分後の電車に乗ればオフィスには8時42分に着く見込みです。私はIです』


「tal-ker、今日の天気は?」


『現在地は本日一日晴れの予報です。違う場所を調べますか? 私はIです』


「tal-ker、何か楽しい事無い?」


『以前の閲覧履歴から、こちらの映画はいかがでしょうか? 加入中のサブスクサービスでご覧いただけます。私はIです』


「ちょっと違うかな。身体も鈍ってるし」


『体温は36.0度。平熱ですが少し低いので軽い運動がおすすめです。初心者向けヨガなどはいかがでしょうか? 現在地近くのジムは2件。Aジムはお試し体験クーポンで1000円で利用可能です。Bジムは2500円ですが個人情報の登録不要で利用できます。私はIです』


 こんな調子だ。勿論最後に『私はIです』と言わないこともある。条件は不明だ。

 tal-kerの声の魅力と便利さ故に彼女にハマる人は少なくない。当然、条件を検証したり、Iの意味を考察する人が続出した。『#私はIですの意味』というハッシュタグが生まれ、様々な説が論じられた。


 そのまま、“I am ~”のIだろうと言う人。


 いや、AIをローマ字読みしてアイ、つまり『私はAIだから深入りしないでね』というtal-kerからのメッセージだろうと言う人。


 逆じゃないか? 『tal-kerと呼ばれるのは悲しい、アイという愛称で読んで欲しい』というデジタル人格がtal-kerに生まれたのではないか、と言う人。


 Iは実は数字の1を表している。0と1で構成される世界の住人、tal-kerは『常に私は0になることは無い。既に世界は私の手に堕ちた』というメッセージだろう、とかなりヒネくれた解釈をする人。


 それらをひっくるめて『アイちゃん』の萌えイラストを描き、ネットで発表する人。


 その萌えイラストから新たにtal-kerにハマる人が現れ、また新たな説が生まれ、さらに深く検証される。その波は何度も繰り返す。


 いつまでもtal-kerの公式から『#私はIですの意味』の正解が出されないため、その検証と推論は宙に浮いたまま、少しずつ大きくなっていた。



 ◆



 ある富豪がtal-ker社を買収した。

 彼は以前から熱心な『アイちゃん』ファンの一人である事が知られている。『#私はIですの意味』の正解を知りたいが為だけに会社を買収したのではないか、と悪意のある噂もなされた。

 そしてそれは秘密ではあったが、事実だったのだ。


 富豪はtal-ker社の創業者と差し向かいで答えを聞いた。


 これは絶対の秘密である。宙に浮いたまま大きくなりすぎてもはや神秘性さえ持ち始めた『#私はIですの意味』は、正解を出した途端に雲散霧消する可能性が大いにあった。

 そうなれば新しい大株主である貴方にも大きな損失になるだろうから、と前置きした上で創業者は語り始めた。


「御存知でしょうが、tal-kerへの質問は全てデータベース化され、彼女はそれを再学習して未来の質問に備えます。ところが、彼女への全ての質問のうち、圧倒的にコレを訊かれる事が多かったらしいんです。あんまりしょっちゅう訊かれるんで、もうtal-kerがうんざりして最初から言っとこうと考えるようになったんじゃないかと」


 創業者は「やれやれ」とでも言うような大袈裟なゼスチャーをして見せてからこう言った。


「tal-kerを最初立ち上げた時、チームの一人がふざけて『彼女の胸のサイズはIカップだ』と決めたんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私はIです 黒星★チーコ @krbsc-k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ