08_辞めて、始める
俺にしては早い時間に目が覚めた。時計はちょうど8時半を指そうとしている。襖の向こうから、何やら調理をする音が聞こえた。タクは食事を取らないから、俺のために作ってくれているのだろう。
「——おはよう、タク」
「え? もう起きてきたの? いまご飯作ってみてる。ちょっと待ってて」
「いや、全然待つけど。……なんで朝ご飯作ってくれてるの? 初めてじゃん」
「うーん……元気出るかな? って。味見できないから期待はしないでね」
タクはこちらも見ずにフライパンを振っていた。スクランブルエッグを作っているようだ。
「昨日はごめん……たっぷり反省した。もうちょっと、積極的になれるように頑張るよ。とりあえず、吉田さんの話はタクのバイトが無い日なら、いつでもオッケーだから」
タクは素早くこちらを振り返り、フライパン片手に笑顔でガッツポーズを作った。ネットでレシピを見てるんだろう、タブレットを見ては具材をのせ、タブレットを見ては調味料を振りと、なかなかの奮闘ぶりだ。不味かったとしても全部食べようと思う。
「ところで、ご近所さん同士で歓迎会とか、普通あるものなの?」
出来たばかりのスクランブルエッグとハムのサンドイッチを、タクがテーブルまで運んできた。
「じゃ、早速頂きます……おお、美味いじゃん!」
スクランブルエッグのサンドイッチは、卵が良い具合に半熟気味で俺好みだった。塩胡椒の加減も絶妙だ。ハムも火を通してくれたようで、端が少し焦げているのも俺的にはポイントが高かった。
「美味しい? 良かった良かった。ネットレシピ様々だね。ハハハ」
そう言って、タクは水筒に入った水道水をゴクゴクと飲んだ。
「歓迎会ね……普通は無いんじゃない? いつだったか、ハイツの下で吉田さん親子と山内さんが線香花火してたんだよ。飲み会帰りの俺は酔っていたせいもあって、「楽しそうですね」とか声かけちゃって。じゃ、「花火一緒にやりましょうよ」って誘われてね。その時に誰が言ったか、今度飲み会でもしませんか? って話になったんだ」
「で、それが今回ってこと?」
「うーん、どうだろう? タクがいなかったら、有耶無耶になってたような気もするけどね」
「そういやさ、拓也と俺が一緒に、他の誰かと話すって初めてだよね。ちょっと楽しみにしてるんだ、俺」
タクはそう言うと、空になった皿を片付けてくれた。
食事を終えて一息ついた頃、タクに宣言した上でFXの口座を全て閉じた。これで俺のFX生活は終わりだ。
「思い切ったね。それで良かったと思うよ。少ないけど、俺の収入もあるから。何をするかは、ゆっくり決めればいいんじゃない?」
この男はどこまで優しいのだろう……本当に俺のコピーなんだろうか。タクが来てくれたおかげで、なんとか一歩前に踏み出せた気がする。
「昨日、散髪行ったじゃん。美容師が高校の時の同級生でね。今は2店も美容室を経営するまでになっちゃっててさ。奥さんもキレイな人だし、年賀状でしか見たこと無いけど子供も可愛い子でさ。……生きてきた年数は俺と一緒なのに、色々差がついちゃったんだなって考えると、色々思うところあってね」
「なるほどね……30代って色々と違いが出始める歳なんだろうね。まあ、拓也は拓也でゆっくり進めばいいじゃん。拓也だって立派なオンリーワンだよ。世の中に自分のコピー持ってる人なんて、どこ探してもいないだろうし」
タクは笑ってそう言った。
「ハハハ……確かに贅沢な話だな。そうやって考えると、ドラえもんがいるのにいつまでもダメなのび太って、ある意味凄いよね。……そういや、タクはドラえもんは分かるの?」
「もちろん、分かるよ。どのタイミングでインストールされたのか分からないけど、日本の文化に関してはおおよそ把握出来てるはず。——クイズ番組にでも出て、力試しでもしてみようか?」
「マ、マジで言ってる?」
「冗談だよ、冗談」
タクがクスクスと笑う。最近はいつもタクの方が一枚上手だ。なんだか悔しい。
「一度に色々始めちゃうと大変だとは思うけどさ、他にもやってみたい事があるんだよ」
「うんうん、なになに?」
タクが身を乗り出して聞いてきた。興味津々のようだ。
「俺ってさ、ダイエットとか筋トレとかやれば、タクの見た目に近づくんだよね?」
タクはニヤリと笑って言った。
「もちろん!!」
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