先輩、逆ですよ

青樹空良

先輩、逆ですよ

 スキンケア用品の売り場の前で立ち尽くす。

 チューブ入りのもの、泡が出るタイプ、水が入っているだけに見えるもの。タイプ毎に商品はいくつも並んで、棚の右から左、上から下までを埋め尽くしている。

 馴染みのない商品は、どれも同じように見えて目眩がした。

 値段で判断しようにも、まさにピンからキリまであってどれを選べばいいのか余計にわからなくなる。

 とりあえず高いものを選んでおけば正解なのだろうか。

 ため息を吐きながら肩を落とす。

 売り場を見ただけで、諦めて帰りたくなった。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 先輩を失望させたくはない。

 小さく深呼吸して、適当に手に取ってみる。

 別に誰かに見られたら気まずいものを買うわけでもないのに、どうしてこんなに緊張するのだろう。

 こんな状況になっているのは、昼間の会話のせいだ。


「最近、肌荒れてない?」


 職場の先輩に、じっと顔をのぞき込まれながら言われた。


「ほら、ここ、ニキビ出来てる」


 先輩の細くて柔らかい指が頬に触れて、一瞬ドキリとした。


「あのね、あなたは男だから化粧とかしないだろうけど、肌の調子には気を付けないと駄目だよ。営業には清潔さも重要なんだから。ほら、第一印象って大事でしょ? 最近は男性用のスキンケア用品も結構出てるみたいだし、使ってみたら?」

「スキンケア、用品ですか……?」


 もちろん髭は毎日剃るから髭剃りクリームくらいはいつも使っているが、スキンケア用品を使おうという考えは今まで無かった。


「後は、食生活も大事だけどね。一人暮らしだからってレトルトばっかり食べてない?」

「それは……」


 図星だった。

 というわけで、帰り道にあったドラッグストアに立ち寄ったわけだ。

 隣にスーパーも併設されているので夕食の買い物できるのがありがたい。

 いつもコンビニで買うカップ麺よりは半額になっている弁当の方がきっとマシなはずだ。




 ◇ ◇ ◇




「最近、キレイになった?」


 先輩が再び俺の顔をのぞき込みながら言ったのは、スキンケアを始めて一週間くらい経った頃だった。


「え、俺、ですか?」

「そうだよ。あ、男の子にキレイとか言うの変かな? でも、なんだかツヤツヤしてる」


 すりすりと顔を撫でられて、身体が固まる。

 こんなにも気安く触られると男として見られていないのだろうかと不安になる。

 実際、先輩は俺の頬に触れながら顔色一つ変えていない。


「先輩に言われてスキンケア、頑張りましたから」


 それだけ言うのに、声が裏返りそうになる。


「そっか、えらいえらい」


 今度は少し背伸びして頭を撫でてくる。

 先輩の顔が直ぐ間近にある。

 俺の肌をツヤツヤしているなんて言ったけれど、先輩の肌の方がもっとキレイだ。なんだかいい匂いまでする。


「先輩はずるいですね」

「何が?」


 思わず出た言葉に聞き返されて、小さく咳払いする。

 スキンケアをはじめてから、ずっと溜まっていたのだ。


「だって、俺、一週間めちゃくちゃ頑張ったんですよ。慣れない売り場に行ったり、肌の手入れに時間掛けたり、食事もなるべくきちんと取ったり……。俺がこんなに努力してるのに先輩はもっとキレイじゃないですか」

「……」


 すぐに何か返してくるかと思った先輩が黙っている。

 やはり、最後に付け足した言葉が悪かったのかもしれない。

 バレるの前提でちょっとアピールしてみたのだが、気付いただろうか。

 あまりの相手にされなさにヤケになってしまったというのはある。

 先輩の顔をうかがう。 

 そして。

 俺を襲ったのはデコピンだった。

 力を加減してくれたのか、それほど痛くは無かったけれど、最初は何が起こったのかわからなかった。


「アホか!」


 先輩が腰に手を当てて仁王立ちになっている。

 これは……、怒っている。

 入社したばかりで俺がやらかしたときに同じように怒られた記憶がある。

 やっぱり、ついでみたいに言ってしまったのは失敗だった。


「す、すみません!」


 とりえず怒りを収めてもらおうと頭を下げる。

「あのね。女はもっと努力してんの! 一週間やそこら頑張った人と一緒にすんな! キレイは作るもんなんだから。ほっといても勝手になるもんだと思わないでよ」


 フン、と先輩が鼻息を荒げる。

 確かに、ドラッグストアで男性化粧品の売り場がわからずに女性用の場所に迷い込んだときは途方に暮れた。通路全体がそういう商品で埋め尽くされていて、何が何だかわからなかった。

 この中から目当てのものを選ぶなんて不可能じゃないかと思ったくらいだ。

 それに。

 先輩を見る。

 シミ一つない先輩の顔。

 一週間努力しただけの俺と違って、一体何年肌の手入れを欠かさずにやってきたのだろう。

 そんなこともわからずに、俺は。


「本当にごめんなさい」


 捨てられた子犬のようにうなだれるしかない。

「わかればいいけど。でも……。キレイって言ってくれたのは、ありがと」


 俺から顔を背けて、小さな声で先輩は言った。

 それは、俺と同じように努力が認められて嬉しいということなのか、それとも俺に言われたから嬉しいのか。

 どちらにしても、顔を赤らめている先輩の顔はずるいくらいキレイなのだった。

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先輩、逆ですよ 青樹空良 @aoki-akira

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