19

 鬼角の調査によると、『呪祷会』信者の集いが行われる場所は古い洋館で、登記上の所有者はなんと『加賀美不動産』だった。


「なかなか厳重っスねー」


 目的の洋館の周りには背の高い鬱蒼とした木々が生い茂り、さらには塀で囲まれていた。入り口は鉄の門扉が閉まり、その前に『呪祷会』のスタッフと思わしき人物が立っている。


「ここに潜入するって、結構大変そう……」


 そう思っていた真矢だったが、指定された能面を装着して門扉の前に行き、スタッフに土人形を見せると意外とすんなり潜入できた。


 入り口で黒いマントを受け取った真矢とカイリは、頭からすっぽりとマントを被り、今、薄暗い廊下を進んでいる。


 マントの下で長い黒髪を耳に掛け直しながら「拍子抜けしちゃうくらい簡単だったね」と、真矢はカイリを見上げる。カイリは真矢の耳元で「土人形を持ってるのは信者だけってことですよ」と囁いた。


「それにしても、厭な場所ですね……。瘴気がそこら中に蔓延ってますよ……」


 確かに、と真矢は思う。


 足の指が痛くなるほど寒いのは、本格的に雪が降り始めたからではない。全身に纏わり付くような厭な気配。調和の印を結ばなくても黒い靄が見えそうなほど、ここは瘴気に溢れている。


 歩みを進めるたび、真矢は全身が総毛立っていく気分だ。

 それなのに……。


〈ウヒョー! いかにもって感じの洋館ですぅ〜っ! ぐふふっ。まるで僕達のシンデレラ城みたいな場所ですねっ! 地下室とかもあるのかなぁ〜。僕ぅ、霊感はゼロだけどぉ〜、ここは何か出てきそうな気配を感じますぅ〜!〉


 真矢以外、幽霊が見える人はいないようで、それをいいことにパンツ一丁の冴えないおじさん幽霊はあちこち浮遊して、まるで遊園地にでもきたかのようにはしゃいでいる。全くもって緊張感ゼロだ。


 呪呪ノ助は廊下の先で壁に頭を突っ込むと〈おおーっ! どうやらこのお部屋のようですよっ!〉と声をあげ、そのまま中に入って行ってしまった。


 鳥肌もおさまる陽気さに、真矢はお面の下で苦笑する。愛の「馬鹿騒ぎが一番よっ!」という声が脳内で再生され、呪呪ノ助のテンションもアリ寄りのアリだな、と真矢は思った。


「真矢ちゃん、そろそろ」

「うん」


 真矢とカイリは手を繋ぎ、調和の印を結んで部屋に入る。部屋の中は薄暗く、灯りは石壁に並ぶ燭台の蝋燭だけだ。黒マントを被った信者は二十名ほどだろうか。皆、真矢達と同じく、黒マントに白い女系の能面をつけていた。


〈くわぁ〜っ! スンバラシイ光景ですねっ! 皆さんの不気味感半端ないですぅ〜っ!〉


 呪呪ノ助は部屋の中を飛び回り黄色い歓声をあげている。真矢の耳元でカイリが「あの幽霊、自分の仕事を忘れてますよね」と呆れたように言い、真矢は「全くだよ」と頷いた。


 ヤスさんの報告によれば、参加者の中に加賀美もいるはず。それなのに呪呪ノ助は本来の仕事——加賀美を探し出してマークせよ——を完全に忘れ、この場を楽しんでいる。


 幽霊は透明人間と同じなんだから、幽霊班員としてちゃんと任務を遂行して欲しい。もちろん真矢は今日もウィッグを被ってきた。シュラの姫と『呪祷会』の調査が優先でも、真矢の心は長谷川親子と共にあるからだ。


 呪呪ノ助は両手を組み〈あぁ〜、僕の姫ちゃんはまだかなぁ〜、まだかなぁ〜〉とソワソワした様子で貧相な身体を揺らしている。まるで推しのアイドルを待っているみたいだ。


 真矢は湿った視線を呪呪ノ助に投げ、それにしても凄い瘴気だと改めて思う。薄暗い部屋の中はあちこちから黒い靄が立ち昇り、カイリの黒ちゃんが喰べても喰べてもキリがない。真矢が集中して白ちゃんに光を補充しなければ、陰陽のバランスが崩れてしまいそうだ。


 ……が。


《おいデカブツ。その辺の奴に、お前の土人形は誰の血で作ったものだと尋ねてみろ》

「先生、無理です」

《なーぜだっ。信者同士なんだからそれくらい訊けるだろ。なんのための潜入捜査だ》

《もぉ、サトミちゃん。ちゃちゃ入れない約束でしょ》

《馬鹿もんっ。大晦日にわざわざこうしてフランスからオンライン参加してやっているのだぞ。オブザーバーのワシが知りたいと言ってるんだ。それくらい訊いてくれたっていいだろ》

「消音機能が壊れてたなんて最悪だ……」

「マジそれな……」

《最悪とは何事だっ。お前達の話は全部聞こえてるぞっ》

「…………」

《まーまー先生っ。とりま、山場先生の音声はこっちで切っておくんで、二人はバレないように内部調査を頑張るっス》

《あっ、こらっ、鬼角おま——》


 山場先生のソプラノ声がプツリと途切れ、真矢とカイリは「ふぅ〜」と息を吐く。が、すぐに《表の門が完全に閉まったぞ》とヤスさんの声がして、真矢は気を引き締めた。


 シュラの姫がどれほどの力を持っているのかは分からない。でも普通の人間ではないはずだ。カイリと繋ぐ手にも自然と力が入る。カイリも真矢の手を握り返してきた。


「大丈夫。何があっても真矢ちゃんは僕が守ります」

「それはこっちのセリフだよ。瘴気にやられて倒れないでね」

「真矢ちゃん次第ですよ」

「分かってる」


 二人が囁きあっていると、不意に「闇サイトで」と気になる言葉が真矢の耳にぬるりと入ってきた。声の主は多分、すぐそばにいる二人組だ。二人は黒マントの頭を寄せ合って話をしている。真矢は頭を傾け、耳をそばだてた。


「それこそ金次第だよ。人間だって簡単に手に入るさ」

「なんとも恐ろしい時代ですねぇ」

「で、そういうアンタは?」

「僕の場合は輸血用の血液パックです」

「へぇ、それで効果はあったのか?」

「えぇ。それはもう。兄の会社を乗っ取るくらいには」


 呪呪ノ助が真矢の背後からぬっと顔を出し、〈あっちの人も話してたんですけどねぇーっ〉と報告を始める。あちこち飛び回りながら、一応情報収集はしていたようだ。


〈なんでもぉ、土人形はお咒羅しゅら様っていって、材料の血が不幸であればあるほど、ご利益があるらしいですよぉ〜。ぐふふっ、まさにっ! 呪物って感じですよねぇ〜っ!〉


 真矢はお面の下から部屋の中を観察する。確かに立ち昇る瘴気の量は人によって違っている。ちなみに先ほど話をしていた二人組は、闇サイトの話をしていた男の方が明らかに瘴気が多かった。


 棚橋さんの追っている容疑者はこの人か、真矢がそんなことを思っていると、部屋の前方で扉が開いた。流れ込む冷気で蝋燭の炎が大きくたなびき、壁に映る信者の影が長く伸びて不気味に揺れる。


 いよいよか、と真矢は喉を上下させた。


 部屋に入ってきたのは黒マントに能面をつけた人だった。男か女かは分からない。入ってきた人物は、祭壇のある壇上に登ると、司会者が出演者を呼び込むように、扉に向かって腕を伸ばす。次に入ってきた人物を見て呪呪ノ助は〈僕のっ、姫ちゃんっ!〉と胸の前で両手を組み飛び上がった。


 真矢も壇上に視線を向ける。白いロングワンピースを着た女性は長い黒髪で、顔はまだ見えない。女性は壇上の真ん中にある玉座のような椅子に腰掛けると、顔をあげた。


 のっぺりとして紙のように白い顔。線のように引かれた細い目とつぶらな唇。下膨れの顔は無表情で、平安絵巻に描かれた高貴な姫君のようだ。


 先ほどまで〈僕の姫ちゃんっ〉と興奮していた呪呪ノ助は、本人を前に怖気付いたのか、〈お、恐れ多くてぇ、近寄れないですぅ……〉と真矢の背後に身を隠した。


〈それにぃ〜、僕ぅ、さっき姫ちゃんと目が合いましたぁ〜。姫ちゃんには僕の姿が見えてるんですよぉ〜。パンツ一丁なんて、はっ、恥ずかしい〜〉


 なるほど隠れたのはそういう理由か。それは確かに恥ずかしいだろう。なんせ乳首が——、そこで真矢は思考を止める。マントの人が動き出したからだ。


 先に入ってきたマントの人は、シュラの姫の一段下に立ち、深々と一礼してから挨拶を始めた。


「皆様、本日は我が呪祷会、咒羅シュラ様の集いにお越しいただき、誠にありがとうございます」


 声からしてマントの人は中年男性のようだ。男は自分が呪祷会代表だと名乗り、もう一度深々とお辞儀をしている。ということは、この男が林原幸雄なのだろう。林原は頭を上げると「皆様におかれましては——」と、信者を見渡して、仰々しい態度で話を続ける。


「咒羅様の化身であるお咒羅様をお祀りすることで、ご利益を存分に受け取られてきたことと存じます。それもそのはず、咒羅様は熊野の山奥の隔離された村で、時の権力者に呪詛師として恐れられていた一族の末裔でございます。

 昔々、その名を言うことも禁忌とされたその一族は、一族最強の呪詛師を生み出すため、互いを呪い合い、呪詛合戦を繰り広げました。その結果、唯一の生き残ったのが、咒羅様にございます。まさに咒羅様は、人間蠱毒でお生まれになった、不老不死の生き神様なのでございます」


 人間蠱毒と聞いて、真矢の全身に怖気が走る。それがもしも本当ならば、シュラの姫は相当な力の持ち主だ。でも見る限り、シュラの姫からは黒い煙は出ていない。同じことを思ったのか、カイリが「シュラの姫からは悪意が出てませんね」と呟く。


「呪力という意味で言えば、シュラの姫は最強クラスの呪物です。でも、本人からは意思を持った悪意は見えないですね」


 イヤホンの向こうで愛が息を吐き、《つまり、主人を得て、呪物と化したってことね》と考えを述べた。


《シュラの姫はそこの代表者に囲われて、呪詛を行う道具と化してるから、心は伽藍堂で悪意なんてものはないのよ。今はね》


 心が伽藍堂。まさにその表現が似合うほど、シュラの姫は無感情な顔をしている。呪呪ノ助がシュラの姫のことを〈お菊ちゃん人形のようなんですぅ〉と言っていたのも納得だ。


 反対に林原の身体から出る瘴気の量は群を抜いていた。


 林原は両手を広げ、「さぁ、皆様」と声を張り上げる。刹那、林原の身体から黒い瘴気が溢れ出し、砂嵐のように舞い上がると大きな顔が現れた。吊り上がった双眸は渦を巻き、弓形の大きな口からは尖った牙が覗いている。瘴気の塊はまるで鬼の顔のようだ。


 壇上で、林原は話を続けている。


「この世のすべては皆様が欲望を喰い尽くすために存在し、利己的な生き方こそこの世の美徳です。己の欲望を満たすため、さらに望みましょう。咒羅様の化身であるお咒羅様をお祀りし、全ては自分の意のままになることを知りましょう。皆様が望めば望むほど、咒羅様のお力はさらに強固なものとなり、皆様の欲望をなんなりと叶えてくださることでしょう。自己中心的な生き方こそ、幸せになるための真の生き方なのです」


 林原の身体から出た瘴気の顔はニタニタ嗤っているように見える。あれは鬼じゃない。きっともっと邪悪なナニかだ。


 それに。


 真矢の手に圧がかかる。「最悪だ」とカイリの呟く声がした。真矢も同感だ。利己的な生き方こそ世界の美徳なんて、あり得ない。そんなものが美徳ならば、この世界に悪意が充満してしまう。


 真矢の背後から呪呪ノ助が〈僕ぅ〉と苦々しい声を出す。


〈呪物は大好物ですがぁ、このお考えには賛同できませぇん……。だってぇ、言ってることがまるでぇ悪魔崇拝ですよぉ〜?〉


「悪魔崇拝?」真矢が思わず尋ねると、イヤホンの向こうから《確かに悪魔崇拝ね》と愛の声がした。


《嫌な予感しかしない。いい? そこの瘴気を吸うのは後回し。まずは二人で調和を保ち続けることを優先して。今日の目的は、そこにいる参加者とシュラの姫を確保することなんだから。トシちゃん達はすでに建物を包囲しているわ。だから二人とも、危ないと思ったら脱兎の如く逃げ出すのよ》


 真矢とカイリが同時に「分かった」と答えた時だった。空気を切り裂くような、甲高い赤ん坊の泣き声が聞こえた。










 

 


 


 


 



 


 




 


 








 





 




 


 






 


 

 


 






 

 





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