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「ということは、二階堂さんは東京の方ではないんですね」


「はい」と真矢は顎を引く。


 勢いでタクシーに乗り込んだ時は、どうにも気まずい様子の真矢だったが、加藤と名乗った男性は会話上手で、真矢の緊張をすぐに解いてくれた。


「もうしばらくは東京にいると思うんですけど。でも、あのビルにはもう行かないかもしれないので、お金を返せてホッとしました」

「ははははは。連絡先を交換するというのも、なんかナンパな感じに思われそうで言い出せなかったんですよね。それに、御馳走するつもりで僕はお茶を買ったんですよ」

「そういうわけにはいかないですよ。私、そういうのはちゃんとしないとダメなんです」

「二階堂さんは真面目な方なんですね。あ、ちょっと失礼——」


 加藤と名乗った男は品の良いコートのポケットからスマホを取り出す。画面を見るなり「ん?」と短く声を出し、スマホを操作し始めた。


 真矢は車外に視線を移す。目的の駅まではタクシーで十分程度と聞いていたけれど、渋滞に巻き込まれてしまって、まだ時間がかかりそうだった。


 ——それにしても。


 今時のタクシーはスマホの充電器がついてるんだなぁ、と真矢はありがたく思う。もちろん真矢は早速充電させてもらっている。


「困ったなぁ」加藤の声がして、真矢は視線を向ける。隣に座る加藤は真矢の視線に気づき、「あぁ、今連絡が来たんですけどね」と苦笑した。


「実は、この後、取引先と会食会があったんですよ。それなのに、急にドタキャンされてしまって」


 加藤は手に持ったスマホを掲げて、残念とでもいうように小首を傾げる。


「もう予約も取ってあるし、今からキャンセルするとなると全額支払うことになるんですよね」

「えっ、食べないのに全額支払うんですか?」

「そうなんですよ。ネット予約で、支払いは登録されたクレジットからなので、キャンセルポリシーに当日キャンセルは百パーセントと書かれている場合は、もう仕方なくて」

「へぇ、今時、ですねぇ……」


 真矢はそんなサイトからは予約はしない。そもそも高級なお店には行く機会がない。お気の毒に、と真矢が思った時だった。


「そうだ。もしもこの後の予定がないのであれば、二階堂さん、僕にお付き合いいただけませんか?」

「え?」

「結構有名な鉄板料理の店で、なかなか予約が取れない店なんです。僕も凄く楽しみにしていたから、このまま食べずに全額引き落としされるのはどうにもやるせなくて。東京旅行の思い出のひとつにしてくださったら、僕はそれはそれでとても嬉しく思います」

「でも……」

「それとも何かご予定が?」

「いや、そういうわけではないんですが」


 確かにこの後、たいした予定はない。


 棚橋は都内で起きた殺人事件の捜査に入っているらしく、今日、正式な呪対班の会議はない。シンデレラ城に戻り、カイリと鬼角に今日の報告をするだけだ。それにお昼ご飯を食べ損ねた真矢のお腹は、さっきからずーっと重低音を響かせている。


 真矢はお腹に手を添えて考える。いやしかし。今日会ったばかりの男性に、ディナーをご馳走になるなんてこと、真矢にはできない。


 逡巡する真矢の胸中を読んだのか、すぐに加藤は「いきなりこんなお願いしたら、普通は引きますよね……」と、肩を竦めた。


「ナンパな男じゃないって思われたくて、連絡先を聞いたりしなかったのに、食事に誘うなんて、ナンパだと思われて警戒されても仕方ないか。ははは……。聞かなかったことにしてください。六万円をドブに捨てるだけですから」

「ろっ、ろくマンえんっ?!」


 あまりの金額に真矢の声が裏返る。加藤は「ええ」と顎を引き、「それもお酒抜きでその価格です」とため息を吐いた。


「大事な取引先だからと思って、奮発した僕が悪かったんです」

「いや、それでも、まさか六万円っていうのは……」

「銀座の有名な鉄板焼き屋はそれくらいが妥当です。あぁ、でもなんともやるせない。僕一人で食べてもなぁ」


 眼鏡に指を添え、ガックリ項垂れる加藤を見て真矢は少し気の毒に思う。


「ちなみに、それはどれくらいお時間がかかるんでしょうか?」思わず訊いた真矢に、加藤は、シェフに急いでもらえば最短で一時間程度ではないかと言う。


 一時間程度ということは、九時までにはシンデレラ城に帰れる。IT企業の社長だと言う加藤は気さくで、話上手だ。それにナンパな感じはなく、紳士的でもある。真矢はしばし逡巡した挙句、加藤の申し出を受け、鉄板焼き屋で夕飯を共にすることにした。


 しばらくして到着したのは、レッドカーペットが店内まで伸びたお城のような店だった。


「すごい……、まさに、これは某有名医療系ドラマで見たあの鉄板焼き屋さん……」


 店に入るなり、真矢は口に手を当てもごもごと呟く。


「お待ちしておりました。加藤様」と案内されたのは、カウンター席だった。


 半円のカウンターに磨き抜かれた銀色の鉄板。白いコック服を着た男性シェフの背後には、細かなタイルで描かれた魚介類の壁画があり、その下にはダイヤモンド級の輝きを放つ氷の上に伊勢海老や毛蟹、カラフルなパプリカなどの食材が贅沢に並んでいる。


 真矢はごくりと唾を呑み込んだ。


 良かった。今日はジーパンじゃなくて……。こんなお店、ジーパンで来ちゃ絶対ダメなとこだよね? ——と、内心で呟く。


 真矢の隣に座る加藤は、「お飲み物はいかがいたしましょうか?」と訊くソムリエに、「ペアリングで」とワインリストを返していた。真矢は「ペアリング?」と尋ねる。加藤は「せっかくですからね」と真矢に微笑んだ。


 訊けばペアリングとは、お料理に合わせたワインをソムリエがその都度選んでくれるサービスだそうで、真矢は「そんな、お酒までいただけませんよ」と小声で加藤に言う。


「いいんです。僕のわがままに付き合ってくれた、ささやかなお礼の気持ちですから」

「え、でも——」

「——大丈夫。取って食ったりはしませんよ」

「そういう事ではなくてですね。お値段もきっと高いでしょうし……」

「ははは。そこはもう、お気になさらず」


 なんだか真矢は、加藤のペースにいつの間にか巻き込まれている。でも、これも後一時間のお付き合いだと、真矢は腹を括る。


 今いる『銀座むかい』の最寄駅は徒歩二分。加藤は始終紳士的だし、食事を終えてすぐ駅に向かえばいいだろう。


 ならば、食を楽しまねば損だ。


 真矢は前菜のキャビアに驚き、美しく盛り付けられた白身魚のカルパッチョと白ワインのマリアージュに舌鼓を打ち、目の前でシェフが焼くサーロインステーキを頬張っては悶絶し、赤ワインを飲む頃にはすっかり頬を赤らめていた。


「めちゃくちゃ美味しくて、幸せな気分です。本当、こんな豪華なご馳走、食べた事ないですよ。お酒も美味しい〜」

「ははは。喜んでもらえて僕も大満足です。まさに、お金を使う価値がある時間ですね」

「なんか、すいません。お金を借りただけの加藤さんにここまでしてもらって」


「お金を借りた」という言葉が気にかかったのか、ソムリエの男性が赤ワインを注ぐ手を一瞬止め、真矢は「あっ」と手で口を押さえる。すぐに加藤が「自販機でお茶を買ったことをお金を借りただなんて、二階堂さんは面白い方だ」と助け舟を出した。真矢は心底感謝して、「ありがとうございます」と肩を竦める。


 店内のお客様は誰も彼も富裕層に見える。そんな店で「お金を借りた」とは、店の品位にも関わるだろう。真矢は以後発言に気を付けようと肝に命じた。

 

 食事は順調に進み、残すはデザートのみとなった。真矢はお腹がいっぱいだ。カウンターに頬杖をつき、今日食べたお料理を脳内で反芻していると、不意に背筋に寒気を覚えた。


 店内は暖かいはずなのに、凍えるような寒さが首筋に触れている。氷の手で心臓を鷲掴みにされているような感覚。この感じは、死者だ、と真矢は思う。


 でも、こんな店に死者だなんて。


 できるだけ自然に。周囲に変に思われないように、恐る恐る真矢は背後を振り返る。そこには、死者である長谷川親子が立っていた。


 薄暗く調光されたムードある店内。談笑する人々の声がだんだん真矢の耳から離れていく。


〈これは一体どういうことだ〉


 唸るような低い声。憤怒の形相で洋三は、いずみの肩を抱いていた。いや、いずみが倒れないように支えている。娘のいずみは口の前で両手を組み、今にも崩れ落ちそうな様子で震えている。いずみは小刻みに揺れる腕を伸ばし、真矢の隣にいる男を指差した。


〈そ……、その人が、わたしを殺した……犯人です……〉







 


 


 

 


 

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