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《え、ってことは、真矢ちゃんが葬儀の手配をするってこと?》


 カイリに訊かれ、真矢は「そういうことになるよね?」と、長谷川親子をチラと見た。一階ロビーのソファに腰掛けた二人は〈お前が六年生の時だったなぁ〉〈もぉ、やだお父さん、そのハワイは四年生の時〜〉などと、思い出話に耽っている。


 小一時間ほど前。


 横山弁護士は、真矢が「もしも私が信じてもらえない時は、横山先生にこの話をして欲しいと言われているのですが——」と、洋三しか知らない秘密を暴露すると、「きっ、きき、ききき、君はいまなんとっ!?」と声を裏返し、椅子から転げ落ちた。


 ちなみに横山弁護士の秘密とは、フィリピン人の愛人とその子供達のことで、一番下の子は、なんと五歳なのだそうだ。


 横山弁護士は、認知できない四人の子供達に、自分の死後、少しでもお金が残せるように遺言書を作成していて、それを洋三が、秘密裏に預かったのだとか。


「現在は、長谷川先生が所長を務めてらっしゃった法律事務所で、保管されていると聞いています」

「そ、その通りだ。そして、遺言書の内容は、長谷川先生とわたしだけの秘密。どうやら君は、本当に長谷川先生の家政婦なのだろう」


 横山弁護士は「このことは絶対に誰にも言わないでくれ」と、何度も真矢に念を押してきた。もちろん真矢は誰にも言うつもりはない。


「弁護士さん、娘さんと連絡が取れなくて困ってるって言ってたし、その辺も含めていろいろ頼まれちゃった」

《連絡は取れないですよねー。だって娘さんも亡くなってるんですから》

「そうだけど、それって言えないじゃん?」

《ですよねー。で、真矢ちゃんは今どこに?》

「あー、まだ弁護士さんとこのビル」

《え、話は終わったんでしょ?》

「そうなんだけどね……」


 真矢は一階フロアを見渡す。約束の一時間はもう過ぎているが、お金を借りた男性の姿はまだない。


「お金を返したい相手がいるんだけど、約束の時間を過ぎてもやってこないんだよねぇ」

《え、お金なんて誰に借りたんですか》

「知らない男の人」

《うわぁ、真矢ちゃんそれはないわ》

「だって仕方なかったんだもん」

《ちなみにいくら借りたんですか?》

「340円」

《安っ!》

「安っ、とか言うなー。それに、一円でもお金はお金。返さなきゃ帰れないよ」


「でもそうだなぁ——」真矢はエレベーターに視線を向ける。このビルのエレベーターは二台あるが、どちらも今は一階で止まっていた。


 お金を借りた男性は三階から乗ってきた。まだ仕事が終わってないのかもしれないし、一度、三階を見に行ってもいいかもしれない。


「とりあえず、充電もあんまないし、また連絡するね」


 真矢は電話を切り、長谷川親子の元へと向かう。三階に行きたい旨を伝えると、洋三は〈ワシといずみは、思い出の場所を巡ってくる〉と真矢に言った。


 やけに思い出話が弾んでいるな、と思っていたが、まさか、そうくるとは……。


〈わたしの魂もそのウィッグから離れたみたいだし、いずれ成仏するならばと思って。ダメ、ですか?〉


 確かに、長谷川いずみの魂は黒髪ウィッグから離れていると真矢は思う。なぜならば、今日長谷川邸に行った時、長谷川いずみの髪も顔も、生前の姿に戻っていたからだ。でもそれは、自宅だからかもしれない。そう思った真矢は、念のために今日もウィッグを被ってきている。


 真矢は「でもそうすると、捜査ができないんじゃないですか?」と、洋三に尋ねる。洋三は、〈そのことなんだが〉と、真矢を見据えた。


〈それはもう、君達にお任せしたいと思っている。なぜならば——〉


 洋三は、隣に座る娘の肩を抱きながら、〈娘の気持ちを、思えばこそだ〉と真矢に言った。


 洋三の言葉が真矢の胸を射抜く。自分はそこまで考えが及んでいなかったと、真矢は思った。


 長谷川いずみの死の瞬間は、真矢も追体験したから知っている。いずみは、髪を刈り取られ、喉元を切られて死んだのだ。犯人のことなんて、思い出したくなくて当然だ。


 洋三は〈話せることは全て話したはずだ〉と静かに言う。


〈これ以上の情報は、いずみからは出てこんだろう〉


 確かにそうだと真矢は思う。犯人の顔は、カイリと調和の印を結び、『なんでも望みが叶う動画』に潜入した際に見たから知っている。


 被害者である長谷川いずみが知り得る情報は全て聞き出したし、スマホもマッチングアプリもログイン可能だ。


 それに、横山弁護士に会う前、いずみの記憶を頼りに横浜のバーを探し当てたけど、その店は既に空き店舗になっていた。


〈ワシも娘と同じだ。犯人の男のことを思うと、ワシは怒りで頭がおかしくなりそうになる。

 できるものならば、呪い殺したいほどに犯人が憎い。許せないと心の底から思うよ。

 しかしだな、残された時間、怒りの感情に飲み込まれて過ごすのは堪えられないんだ。

 ワシの頭はもう認知症ではない。ならば、娘と愛しい記憶を語り合い、共に最後の時を迎えたい。愛する娘と二人、穏やかに死後の時間を楽しみたいと思うのは、おかしなことだろうか〉


 洋三の問いかけに、真矢は胸が詰まる。「いいえ、おかしくありません」と真矢は首を振った。


 死者が成仏するとどうなるかなんて、真矢には分からない。でも、死者が死者としてこの世に留まっている間のことなら、多少は分かるつもりだ。


 ご葬儀の時、弔問客が話す故人の昔話に耳を傾け、〈そんなこともありましたねぇ〉と、懐かしむ死者を真矢はたくさん見てきた。しかし、その声は生者には届かない。死者の声は一方通行だからだ。


 長谷川親子は同じ死者として再会し、二人で思い出を語り合うことができる。それはとても尊い時間だと、真矢は思った。


〈安心してくれ。毎日家には帰るから〉

「分かりました。何かあれば、ご自宅に伺います」


 長谷川親子は、真矢に向かって〈行ってきます〉と微笑むと、風に吹かれた煙のように、ふわりとその姿を消した。死者がいなくなったソファに向かって、真矢は「楽しんできてください」と、小さく手を振る。


 今日の話だと、長谷川親子の合同葬儀は年明け、それも十日頃になる予定だ。時間はまだある。ならば、真矢はできるだけ二人の要望を聞き、最高のご葬儀にしてあげたいと思った。


「できればそれまでに、犯人逮捕、だよね」


 真矢が決意を込めてそう口にした時だった。真矢の背後から「まさか本当に返しにきたんですか?」と、男性の驚く声がした。








 

 



 

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