11

 ——翌日の夕方。


 真矢は都内にある法律事務所に来ていた。真矢の話を聞き、鬼角が偽造した遺言ビデオを見た初老の弁護士、横山は「しかしこれは——」と、渋い表情をしている。


 真矢は胃が縮こまる思いだ。


 鬼角が偽造した遺言ビデオは、確かに上手くできていた。長谷川いずみのクラウドに保存されていた動画や写真。そこから生前の長谷川洋三を取り出して、生成AIで作成した声を合わせた動画は、ご本人である長谷川洋三が見ても〈まさに、これはワシそのものだ〉と、唸るくらいの出来栄えだった。


 しかし、そう簡単にことは進まない。


《横山君がこれを見ているということは、ワシはもうこの世にはいないのだろう。遺言書とは別に、家政婦の二階堂さんにこの動画を託すことで、横山君は混乱すると思う。しかし、どうかそこは許してほしい——》


 横山弁護士は動画を再度再生し、「フェイク動画なんてものも個人で簡単に作れる時代ですからねぇ」と、訝しげに顎髭を撫でている。


 真矢はやっぱりそうくるよな、と、膝の上で手を握る。ご本人の希望で作成したとはいえ、偽造は偽造だ。なにも悪いことはしていないはずなのに、真矢の喉は乾ききり、飲み込む唾も出てこない。


 真矢の隣では死者である長谷川洋三が、〈ワシが横山君と同じ立場でも、同じ反応をするだろう。が、しかし……、ここはなんとしても通さねばならぬ〉と、細い腕を組んでいた。


〈お父さん、きっとなんとかしてくれますよ。ね、二階堂さん〉


 長谷川いずみは真矢を見る。真矢はどうしたものかと頭を捻る。


 鬼角曰く、「わざと画質落としてるし、俺の技術なら絶対フェイクってバレないっスよっ!」らしいが、正式な遺言書とは別に、こんな動画が出てきたら怪しいことこの上ない。しかも騙す相手は弁護士、いわば嘘を見抜くプロだ。


「それに、この動画自体もですが、長谷川先生の家に若い家政婦さんがいたなんて話、わたしは聞いたことがないんですよねぇ」


 ヤギのように目を細め、横山弁護士は真矢に言う。真矢は「先生のご自宅は大きなお屋敷ですから、お嬢様一人では大変とのことで数年前からわたくしが」と冷静を装うが、額からは冷や汗がターラタラだ。


〈まずは二階堂さんが家政婦だと信じてもらわねば、話にならぬのかもしれん……〉


 ふと、真矢の脳裏に和歌山で出会った老婆の顔が浮かび上がる。あの時は確か——。


 真矢は長谷川親子に目配せすると、「ちょっと、すいません」と、動画を見ている横山弁護士に声をかけ、トイレに行きたい旨を伝えて部屋を出た。


 本来ならば、あまり使いたくない手だ。しかし、そうも言ってられない。部屋から離れた薄暗い廊下で、真矢は「実はですね——」と、長谷川親子に思いついた作戦を話す。


 真矢の話を聞いた洋三は〈なるほど。それはいいアイデアかもしれぬ〉と、か細い手で茶色の腹巻を叩いた。


〈ワシだけが知ってる横山君の秘密ならある〉と、洋三は不敵な笑みを浮かべる。


〈横山君の秘密は、ワシが墓場まで持っていく約束だったが、致し方ないな〉

〈ふふふっ。墓場だなんて、お父さん。わたしたち、もう死んでますよ〉

〈おお、そうだったそうだった。いかんな、つい、自分が死んだことを忘れてしまう。きっと、頭がクリアになったせいだな〉


 カピパラ顔の親子は、仲睦まじく笑い合う。二人は昨日、親子水入らずの時間を過ごし、思い出話に花が咲いたそうだ。


 二人を見て真矢は思う。なんとしても、横山弁護士に信じてもらわなくては、と。


「それでは、その秘密を私に教えてもらえますか?」

〈おお、そうであった。実は、横山君はだな——〉


 洋三が語った秘密は、それはもう超特大級の秘密で、真矢は渇いた喉を上下させた。


「それを、私が言っていいんでしょうか……?」

〈これを言えば、横山君は必ず信じるはずだ〉

〈でもお父さん。墓場まで持っていく秘密を、お父さんは家政婦さんに話してたんだって思われちゃいますよ?〉

〈ううむ。確かになぁ〉


 洋三はハゲた頭に手を乗せると〈しかしなぁ〉と、つるりと撫でた。


〈いや、そこは仕方あるまいて。ワシはもう、死んだ身なのだ〉


〈頼めるか?〉洋三に訊かれ、真矢は「分かりました」と答えるしかない。


 初対面の怪しい家政婦が自分の秘密を暴露する。横山弁護士はかなり驚くはずだ。想像するだけで緊張する。真矢は、喉を潤してからじゃないとこの話はできないな、と思った。

 

 確か、このビルの一階には自販機があったはず。


 真矢は「ちょっとその前に、急いでお茶を買ってきます」と、長谷川親子に告げ、法律事務所の入っているビルの一階へと向かった。


 仕事納めをした会社が多いのか、法律事務所の入っているビルは人気がない。被っているウィッグの黒髪を耳にかけながら、真矢はエレベーターの中のフロア案内図に目をやった。


 不動産会社や、なに屋さんか分からないカタカナの会社、心療内科や美容機器の会社に、エステサロン。このビルに入っている会社は多種多様だ。でもきっと、どのフロアも今日は閑散としてるんだろうな、と真矢が思った時だった。


 チンッ、と音がしてエレベーターが三階で止まる。ドアが開き、入ってきたのはスーツ姿の男性だった。


 狭い空間に知らない男性と二人きりは、なんだか気まずい。真矢は奥に移動し、足元に視線を落とす。


 男性も一階で降りるのか、ボタンに触れる気配はなかった。


 エレベーターの四角い箱の中に、どことなく官能的な甘い香りが広がっていく。品の良い、高級感のある香りだ。さすが東京の一等地に建つビル。働いている人もそれ相応といった感じがする。


 真矢は男性の足元に視線を向ける。男性の履いている靴は、先が尖った高級そうな革靴だった。三階フロアには確か——と、真矢がフロア案内図を思い出していると、エレベーターが一階に着き、真矢は顔をあげた。


 見ると、眼鏡をかけた男性が開くボタンを押し、「どうぞ」と、微笑んでいる。真矢は「ありがとうございます」と軽く会釈して、エレベータから出ようとした。


「こんな年末までお仕事とは、お互い大変ですね」


 話しかけられ、真矢は反射的に「はい」と営業スマイルを返す。


「僕は今日までなんだけど、みんな帰っちゃってひとり居残りですよ。それで、コーヒーでも飲もうかと思って。貴方もですか?」


 真矢は「ええ」と、適当に相槌を打つ。


 男性と並んで歩き、呑気に喋っている場合ではないが、男性の向かう先も自販機ならば仕方ない。男性はウェーブがかった長めの前髪をかきあげて、「大変ですね、お互い」と苦笑した。


「僕はまだまだ終わりそうになくて。もしかして、貴方もですか?」

「はい、多分……」


 横山弁護士次第だが、あの様子だと一筋縄ではいかなさそうだと真矢は思う。


「それにしても、可哀想なほど掠れた声ですね。お辛いでしょう。すぐにでも喉を潤したほうがいいと思いますよ」

「ですよね。私もそう思います」


 男性と共に自販機まで来た真矢は、「お先にどうぞ」と言われてハッとする。トイレに行くと言って部屋を出た真矢の鞄は、そのまま部屋に置きっぱなしだ。そして、スマホも財布もその鞄の中にある……。


「あちゃー」心の声がだだ洩れた真矢は、「すいません、お財布置いてきちゃって。お先にどうぞ」と踵を返した。が、男性は「僕が支払いますよ」と、真矢を呼び止めた。真矢は振り返り、「いやいやいや」と、胸の前で手を振る。


「そんな、見ず知らずの人に奢ってもらうなんてできないですよ」

「はははっ。奢るだなんて、たかが自販機の飲み物ですよ? でもそうだな、気にされるのであれば、例えば、こうしてみてはどうでしょう。どうやら、僕と貴方は同じビルで働いているようだし、今は僕がお金を出しておくので、のちほど、お返しいただければいいかと。それに、貴方のその声、一刻もはやく何か飲んだ方がいいと、僕は思います。可哀想なほど、掠れていますし」


「でも……」

 

 言いながら、真矢は喉に手を当てる。これから一芝居打つというのに、喉も口も乾いていては、ボロが出そうだ。それに、はやく戻らないと、横山弁護士にも長谷川親子にもおかしいと思われてしまう。


 真矢は男性のお言葉に甘えて、ペットボトルのお茶を二本購入し、一時間後にまた、この自販機の前で会う約束をしてから、法律事務所のある六階へと戻った。




 

 


 


 


 


 


 





 




 


 


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