カオス……。この状況はもはやカオスだ……と、真矢は内心で呟く。


『グランベール調布』の個室では、亡くなった長谷川洋三(享年八十八歳)のエンゼルケアが行われているはずだ。しかし、真矢達がいる談話室では、死者である長谷川洋三が、これまた死者である娘のいずみを叱り飛ばしていた。


〈なんたる失態っ! マッチングアプリとは何事だっ! その挙句殺されて髪の毛まで奪われるとはっ! こんな状況、死んでも死に切れんだろ!〉

〈お、お父さん、ごめんなさい……〉

〈それにそこにいる貧弱な男はなんだっ! ワシの娘の前でそんな下品な裸体を見せるでないっ!〉

〈ううう。下品なんてひどいですぅ〜。それに、僕ぅ、好きでこんな格好をしているわけではありましぇーん……〉


 十五分ほど前、長谷川洋三の死の瞬間に立ち会った真矢達は、エンゼルケアが行われるとのことで、部屋を辞去した。


 本来ならばそこで『グランベール調布』を後にして、長谷川いずみの自宅へ向かう予定だったが、死者である長谷川いずみが父親のそばにまだいたいと言うので、それもそうかと、面会者用に作られた個室の談話室に移動した。


 しかし……。


 亡くなるということは、魂が肉体から離れるということ。死者となった長谷川洋三と娘のいずみはめでたく(?)親子の再会を果たし、そして現在に至る。


 亡くなる前、洋三は認知症を患っていた。が、死んで魂だけになった洋三は、認知症になる前のしっかり者のお父さんに戻っていた。


 真矢はそういえばそうなんだよな、と思い出す。葬儀会社で働いていた時、このケースは何件か見てきた。その大半は「最後まで迷惑をかけたねぇ」と、ご遺族に感謝する死者が多かった気もするが、まさか、死者が死者を叱り飛ばす状況に遭遇するとは。


「で? どんな感じ?」カイリの問いかけに真矢は「あー、もうちょっとかかるかも」と答える。呪呪ノ助も長谷川いずみも絨毯の上に正座して、洋三の叱責を延々と浴びている。


 どうやら洋三は、自分の娘がマッチングアプリなるものに手を出したのが許せないらしい。


〈そんなものはアバズレがかけてくるテレクラと同じだろっ!〉と叱っている洋三は、多分マッチングアプリを誤解している。ちなみにテレクラとは、テレフォンクラブの略で、1980年代に一世風靡した出会い系サービスだ。真矢も名称だけは知っている。


〈それになんだお前のその乳首の色は! 健全さのかけらもないぞっ!〉

〈ぼ、僕はいたって健全ですぅ。この色は元々僕ぅ、色素がくろ——〉

〈——言い訳をするでないっ!〉

〈そ、そんなぁ〜。ううう。理不尽ですぅ……〉


 呪呪ノ助に関していえば、長谷川いずみに洋服を貸したからパンツ一丁なわけで、何も悪いことはしていないのだが、洋三は乳首の色が気に食わないらしい。全くもってとばっちりだ。


〈いいか。よく聞け。ワシが若い頃はだな——〉と、話が長くなりそうなので、真矢は「一旦外出よか」とカイリと安田美穂に告げ、三人は談話室を出た。


「気が済むまで親子の時間を持たせてあげようよ」

「真矢ちゃん、おじいちゃんの気が済まなかったらどうするんですか?」


「それは、そうだな……」真矢は顎に手を当てる。と、安田美穂が丸渕眼鏡を指でクイッと押し上げて、「塩ですよ塩! そういう時は塩入りの消臭スプレーを激射して言うことをきかせるんですっ!」と、ヤスさんみたいなことを言い出した。


 さすが親子だ。真矢は「最終的にはその手もあるね」とやんわり返す。


「元は弁護士だったんでしょう」


 不意に女性の声が耳に入り、真矢は視線を向ける。見ると介護士の女性が二人、談話室の前を通過するところだった。


「ものすごく頑固だったのよぉ。寝たきりになる前は、手を焼いてたんだからぁ」

「ボケちゃってるしねぇ。それでいて口が達者」

「ほんとほんと。でも結局娘さんに会えずじまいだったのはかわいそうよねぇ」


 介護士の女性達はひそひそ声で話しながら、真矢達の前を通り過ぎていく。真矢はきっと長谷川洋三のことだな、と思った。


 真矢は彼女達の背中に向けて、「最後にちゃんと会えましたよ」と小声で言い添え、「気が済むまで話させてあげたらいいんだよね」誰に言うでもなく言う。


 カイリが「なんの話?」と訊き返すので、真矢は「親子の話」と答えて『グランベール調布』の中庭に目を向けた。


 冬の中庭には誰もいない。木枯らしが吹き、枯れ葉がころころ舞っていくだけだ。真矢はそれを見ながら思う。


 この施設は確かに高級で、快適だと思う。カラオケもあれば、ジムもある。遠方から来た家族が宿泊できる部屋もあるそうだし、医療機関とも連携している。ご飯はプロの料理人が三食作って出してくれるし、亡くなった後は、故人やご遺族の望む形で手配を全てしてくれる。


 でも、ここは誰かの自宅ではない。あくまで、介護施設なのだ。


 洋三さんも、もしかしたら最後は自分の家に帰りたかったんじゃないのかな、と、真矢が思った時だった。


〈よしっ!〉と気合の入った声がして、真矢は振り返る。そこには死者が三人立っていた。


 呪呪ノ助は洋三のパジャマの上着を着ていて、反対に洋三は、白い下着姿に茶色い腹巻を巻いていた。まるで昭和の親父スタイルだ。そういえば髪の毛も某アニメのお父さんみたく、綺麗に頭頂部がハゲている。


〈ワシは言いたいことは全て言い切った。ワシの大事な一人娘を殺した犯人を捕まえて、ワシが極刑に処してやる。お前達、全力で手を貸せよ〉


 長谷川洋三の力強い言葉に、真矢は「もちろんです」と大きく頷いた。

 


 




 


 

 

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