被害者の女性
4
——翌日。
棚橋が警視庁に用意してくれた部屋は、なんと、取調室だった。
「凄い。本当、ドラマとかで見るまんまなんですね」
棚橋は苦笑して、「狭い部屋で申し訳ありません」と軽く頭を下げる。真矢は「いえいえ」と胸の前で手を振った。
「こんな経験なかなかできないですよ。人生初、取調室です」
「真矢ちゃん人生初って」
「だって人生初なんだもん」
真矢は取調室の中を見まわす。狭い室内には小さな窓があり、鉄格子が嵌っている。壁にある横長の嵌め殺し窓は、鏡のように室内を映していて、あれがマジックミラーというやつだ、と真矢は思った。
棚橋が「どうぞおかけください」と促し、真矢とカイリはパイプ椅子に並んで腰をかける。棚橋は「では、例のウィッグを持ってきますので少々お待ちください」と、取調室を出て行った。
ドアが閉まるなり、カイリは盛大に溜息を吐く。
「僕、この部屋嫌いです。狭いし、空気が重くておじさん臭がします」
「カイリ君、それは思っても言ったらダメなやつだ」
「だって、この何日もお風呂に入ってないようなおじさん臭は、僕達が来る前にここを使ってた人の残り香ですよ」
「だとしたら尚更言っちゃダメだろ。警察官は国家の安全のために日夜働いてくれてるんだから」
「真矢ちゃん、刑事さんとは限りませんよ。犯人の残り香かもしれないでしょ」
「あ、確かに……」
真矢は軽率だったと肩を竦める。ここは取調室。犯人を尋問する場所なのだ。それも、警視庁ともなれば、きっと凶悪な犯罪者を。
「やな感じです。部屋に悪意がタバコのヤニみたいにくっついてます。はやめに調和の印を結んでおきましょうか」
「だね」
真矢とカイリが手を繋ごうとした時だった。
コンコンッ、と、軽快なノック音が取調室に響き、次いで「こんにちはーっ!」の声と共に、ドアが勢いよく開いた。真矢とカイリは繋ぎかけた手を同時に引っ込める。
「失礼しますっ!」と、呪符に巻かれた箱を持って入ってきたのは、紺色の作業服を着た女性だった。襟元には黄色のライン、胸には同じく黄色で『警視庁』と刺繍がある。
小柄な女性はパタンとドアを閉めると、呪符に巻かれた箱を小脇に抱え、「ワタクシ、警視庁鑑識課の
細いフレームの丸渕眼鏡におかっぱ頭。丸顔の安田美穂は、にっこり口角を上げると、「棚橋警部補は上司に捕まり、刑事部屋に連行されました。ゆえ、代わりにワタクシが例のウィッグを持ってきました」と、机の上に箱を置いた。
鑑識課の安田美穂は、真矢を見つめ「大興奮ですっ!」と胸の前で両手を組む。
「お二人の話を父から聞いて、いつかお会いできたらなって思ってたんです。それがまさかまさか、こんなすぐにお会いできる日が来るとはっ!」
状況が飲み込めない真矢は曖昧に顎を引く。反対にカイリは「あっ、もしかして——」と手を打った。
「ヤスさんの娘さん?」
「はいっ。安田の娘ですっ!」
鑑識課の安田美穂は「感動ですっ!」と、真矢の手を握った。呆気にとられて言葉が出てこない真矢は瞬きを繰り返す。
「お会いできて嬉しいです!」
「こ、こちらこそ」
目の前で微笑む女性は確かにヤスさんに似ている。丸渕眼鏡の奥の瞳はつぶらで、なんというか、安田美穂は愛嬌のある顔をしていた。
真矢が固まっていることに気づいたのか、安田美穂は「しっ、失礼しました!」と真矢の手を離す。「ワタクシとしたことが、つい興奮して!」と、また敬礼のポーズをとった。
「まさか憧れの二階堂さんに会える日が来るなんて夢にも思ってなかったもので、ついっ」
「え、憧れ? 僕じゃなくて真矢ちゃんに?」カイリが不思議そうに訊く。安田美穂は「そうですよっ!」と興奮した様子で話しはじめた。
「父から聞いていますっ。ビルから転落死した女子高生、そして眠り続ける女子高生の魂を浄化し、無事成仏の道へと誘うなんて、修行を積んだ僧侶でも難しいんですっ。それなのに、それを二階堂さんはやってのけたっ!」
「あの、すいません。眠り続ける女子高生の雪乃ちゃんは生きてます」
「そうでしたそうでしたっ! 目覚めたそうですねっ!」
安田美穂は胸ポケットから名刺を取り出して二人に渡す。
「改めまして、警視庁鑑識課、安田美穂。二十四歳。階級は巡査で、まだまだ未熟者ですがよろしくお願いいたします」
「僕は木崎海。大学生」
「あ、私は二階堂真矢で、現在、えっと……」
——無職です。を喉の奥に仕舞い込み、「呪対班のお手伝いをしています」と真矢は言葉を結ぶ。
安田美穂は、「失礼しますっ」と真矢の向かいの席に腰をかけた。
「実は、ワタクシも父ほどではないのですが、多少の霊感はありまして」
「そうなんですか」
「だから父から二階堂さんの話を聞いた時、いつかワタクシもそんな能力者になりたいと思ったのですっ」
「いや、死者なんて見えない方がいいですよ」
「いいえ。ワタクシは見えるようになりたいんです。そして、死者の声を聞き、犯人逮捕に役立てたいんですっ! だから二階堂さんはワタクシの憧れの人なんです〜」
眼鏡の奥から熱い視線が真矢に向かって伸びてくる。真矢はなんだか気恥ずかしくて「憧れだなんて、そんなぁ」と頬に手を当てた。それを見たカイリが「ぷっ」と吹き出す。
「なに?」
「いや別に。良かったですね。人生初の取調室で、人生初のファンとの対面」
「ねぇ、トゲがあるよねその言い方」
「そうですよ。ワタクシの二階堂さんにその言い方はないと思いますっ!」
「ふっ、ワタクシのって。真矢ちゃんは僕のモノですよ。なんせ一緒に露天ぶ——」
「——おいやめろ。それに私はモノじゃない」
「そうですよ! ワタクシの憧れの二階堂さんに、モノなんて失礼な言い方やめてくださいっ。あっ、それで本題なのですが」
安田美穂は急に話を切り替える。背後のドアをチラと見た安田美穂は、早口で「ワタクシはすぐに鑑識部屋に戻らなくてはいけないので手短に説明いたします」一気に言うと、先ほどまでとは打って変わって、警察官の顔になった。
「本来、重要な証拠品をこうして保管することはありません」
真矢とカイリは、机に置かれた箱に視線を向ける。呪符でぐるぐる巻きにされた箱は、鬼角が封印を解く前と同じ状態に戻っていた。
「これは父の実家の寺で巻いてもらった呪符なのですが、これを解くとなると、相当危険だと、わたくしは思います。なぜならば——」
鑑識課の安田美穂曰く、本来毛髪のDNA鑑定とは、毛根がない状態ではできないのだという。
「それにこれは加工品です。調べたところ、人毛を使ったウィッグを製作する場合、まず毛髪を薬液に浸して消毒し、その後熱処理、流水作業と工程を進め、髪を完全に殺菌してから加工するようです。
つまり、この箱の中にあるウィッグは、DNA鑑定に必要な毛根がない上に、薬品処理されたものだということです。それなのに、DNAが検出された。お二人はこの意味が分かりますか?」
真矢とカイリは視線を絡ませる。科学的にはあり得ないということだ。
「それだけ被害女性の呪詛が込められてるってことだよね。髪の毛の本当の持ち主は、自分の毛髪に、自分のDNA型を呪詛を込めて念写したと考えるのが妥当かな」
「私もそう思う」頷く真矢の脳裏に、被害女性の呪詛の言葉が蘇る。
——私が一体なにをした……。許さない。お前のことを、許さない……。末代まで……、お前のことを呪ってやる……
真矢の手は自然と喉元によっていく。鋭くて冷たい刃物の記憶。喉を切り裂かれた女性は、絶命してもなお、呪詛を吐き続けていた。
安田美穂は指で眼鏡の位置を直し、「ワタクシもそう思います」と、深刻な顔をした。
「ワタクシは警察の人間。それも鑑識課の人間なので、非現実的なことを信じるよりも科学的な観点から物事を判断します。このウィッグのDNA鑑定の依頼がきた時、ワタクシも科捜研の
ちなみに、我々警察が行っているDNA鑑定は、主に、STR型検査法と呼ばれるもので、現在、日本人で最も出現頻度が高いDNA型の組合せでも、四兆七千億分に一人という確率で、個人の特定ができます」
「えっ、四兆七千億に一人って、すごい確率ですよね?」
思わず訊き返す真矢に安田美穂は「そうです」と、顔を上下させる。
「当初、検出されたDNAは、このウィッグを被っていた誰かのものだと考えました。毛根のついた毛髪がウィッグに紛れ込んでいて、それをたまたま抜き取ってDNA検査したのだと考えたのです。
ですが、そうじゃなかった。
念のためにと、冴子先生が別の場所を抜き取って、検査しても同じ結果でした。だから、このウィッグから検出されたDNA型が、データベースの被疑者DNA型と合致したということは、ほぼ、間違いなく、被害者本人のものと断定できます」
安田美穂は腕時計に視線を落とし「もう行かなくては」と椅子から立ち上がる。
「神奈川県沖で発見された女性のバラバラ遺体。被害女性の身元を明かす手がかりは今のところこれしかありません」
両手を太腿につけ、背筋を伸ばした安田美穂は、真矢とカイリに深々と頭を下げた。
「どうか、お二人の力で、被害者の身元を割り出してください。よろしくお願いいたします」
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