呪呪ノ助のデジタル呪物

20

 東京に戻った真矢達は、薄暗い鬼角ルームのソファでぐったりと横になっていた。


「楽しかったけど、なんかどっと疲れが出ちゃうわよねぇ」

「私は山場先生に振りまわされた二泊三日だった気がします……」

「真矢ちゃんに同意。ほんっとあのおばさんワガママなんだから」

「サトミちゃんは昔っから自由奔放なのよぉ。それでいてあの見た目だから、男がほかっておかないのよねぇ。まっ、つっても今はアランの奥様だから言い寄ってくる男は少ないだろうけど」


 愛の言うアランとは、山場先生のフランス人の旦那様だ。


 真矢達は、呪対班の事務所があるシンデレラ城に戻る前に、「デジタル呪物の真相が分かったのだからワシはもう帰る」と言う山場先生を自宅まで送り届けてきた。


 真矢は、そこで唖然としてしまった。


 山場先生の旦那様はカイリに負けず劣らずのスタイルで、その上、お顔は往年のフランス人俳優ばりに整っていた。それだけじゃなく、旦那様は山場先生が車から降りるなりお姫様抱っこをして、キスの雨を降り注ぎ、なんと、意外にも山場先生はそれに応じていた。


 熟年カップルの熱っぽいキスシーンを思い出し、真矢は頭の上に浮かんだ光景を手で振り払う。思い出すだけで、こっちが恥ずかしくなってしまう。


 ちなみに山場先生は、明日から旦那様とフランスへ行き、大学の冬休みが明けるまで滞在するそうだ。


「それにしても鬼ちゃんは元気だなー」

「えっ、俺っスかー?」


 ぐったりとしている真矢達とは違い、鬼角は疲れ知らずでパソコンに向かっている。その横では呪呪ノ助が〈鬼ちゃんファイトですっ! 僕は役に立つ幽霊なんですっ! 頑張っていい方法を探してくださいーっ!〉と言っていた。


 幽霊の声は真矢にしか聞こえない。真矢は「佐藤清の幽霊が頑張れって応援してるよー」と鬼角に通訳してあげた。


〈ふんっ! お姉さん見ててくださいよーっ! きっと、きっとっ! 鬼ちゃんがいい使い方を見つけてくれますからねーっ!〉

「いや、成仏はどこ行った?」

〈役に立たないって言われたままでは引き下がれませんっ!〉


 南紀白浜空港に向かう車の中で、呪呪ノ助は電脳空間を行ったり来たりできる能力を嬉しそうに真矢に見せつけた。しかし真矢はつい「でもそれって、何かに役立つ能力なの?」と言ってしまった。


 呪呪ノ助はどうやらそれが気にくわないらしく、本来の目的——デジタル呪物の原因を解明して成仏する——を完全に忘れて意固地になっている。


「絶対成仏する気ないよね?」

「え、無念は晴れたんでしょ」

「まじそれなっ。カイリ君ちょっと手貸して」


 真矢は隣に座るカイリの手を握る。目を閉じて二人で調和の印を結ぶと、隣から「うおっ!」というカイリらしからぬ声がした。


「あんな……、あんな……、薄汚いおじさんが、僕の身体に触れてたなんて……」


 カイリの発言に〈薄汚いなんてドイヒーですぅ〜〉呪呪ノ助が飛んでくる。カイリは「や、やめてくださいっ。こっ、こないでっ」と真矢の手を離してソファから飛び降りた。


 そういえば、カイリが呪呪ノ助を見るのは初めてかもしれない。カイリの言い草は相当酷いが、潔癖症気味のカイリにしてみれば当然の反応か。


「しょ、消臭スプレーっ!」


 カイリはポケットから取り出した消臭スプレーを全身にかけている。が、それはもはや呪呪ノ助には効かない。だがそれを真矢は言わないでおいた。世の中には知らない方が幸せなこともある。


 呪呪ノ助は〈うううっ。僕ぅ、なんにも悪いことしてないのにぃ〜〉ぐすんと鼻を啜っている。真矢は「そのうちなれるから安心して」と慰め、いや違うだろ、と思い直した。


「デジタル呪物がどうやってできたのか分かったんだし、この世の未練はなくなったでしょ」

〈中途半端ですぅ〜、まだまだ中途半端ですぅ〜。それにバラバラ殺人事件だって解決してませんよぉ〜〉

「バラバラ殺人……」


 そうだった。


 デジタル呪物の解明は佐藤清こと呪呪ノ助が成仏するためだ。でも呪対班の本来の目的は黒髪強奪殺人事件への捜査協力だ。


「そうよねぇ、バラバラ殺人」


 愛がむくりと起き上がり、ぐずり始めた咲人を「おーよしよし」と抱き上げる。


「あの胡散臭い成金男が売ってる『なんでも望みが叶う動画』は、死んだ甥っ子の遺品のビデオカメラに入ってた動画だった。で、アタシと鬼角君が聞いてきた話によると、その甥っ子、なんてったっけ」

「吉川守っスね!」

「そう、その吉川守のビデオカメラは、元々はあの胡散臭い男の持ち物だった。吉川守の死後、動画はビデオカメラごとあの男に渡り、そこに、まるで見計ったかのように自称霊媒師を名乗る女が現れた。

 そして、その動画にご利益があるとあの男に吹き込んで、あろうことか高野山を名乗るインチキ坊主を紹介し、御祈祷をさせて売ることを提案したってことね」

「その女が怪しいよねー」


 言いながらカイリは真矢の隣に座り直す。どうやらカイリは消臭スプレーをかけたことで一旦心が落ち着いたらしい。


 効いてないけど。


「僕と真矢ちゃんがお婆ちゃんの幽霊に聞いた話によると、吉川守が足を踏み入れた咒羅の村は、異能力者の村だったんだよね。それも、念じるだけで人を呪い殺すことができるくらいの強力な力を持っていて、時の権力者がその村を囲ってたって」

「それで、その能力を高めるために近親相姦を繰り返してるから、咒羅の村は血が濃かったとも言ってたよね」

「酷い話よねぇ。で、ある時、咒羅の力が手に負えないと思った権力者達は、その村を根絶やしにした。あー、想像するだけで胸糞悪い。本当にかわいそうな話だわ。きっとその村の人は純粋だったはずなのに」


「純粋?」眉根を寄せる真矢に、愛は「そうよ」と頷く。


「それが自分達の使命だと思ってたのよきっと。山奥の村に囲われて、その他の情報が一切入ってこないとしたら、そうだと思う。それって、アマゾンの奥地に住む先住民族みたいなもんだから。

 外界との交流がなければ、その部族の常識が常識。裸で暮らすこともおかしなことだと思わないし、日本ではありえないけれど、一万年前と変わらない生活をしているある部族では、母親が産んだ子供を人間として育てるか、はたまた精霊として森に返すかの選択をしたりしてる」

「選択?」

「そう、まぁ、生きる選択ね。で、この子は精霊として森に返すって母親が決めると、生まれたばかりの赤ちゃんをバナナの葉に包んでシロアリに食べさせちゃうの」

「酷いっ!」

「酷いってのは、真矢の常識でしょ。いや、大半の人間はそう思うけど、でも、それがその部族の当たり前だとしたら? 外界から遮断された世界で、一万年以上前からそれが続いてたら、もうそれはその部族の当たり前になるでしょ? 

 つまり、その咒羅の人々は、隔離された山奥で、時の権力者にいいように利用されて、異能を使って人を呪い殺すことが当たり前だったのよ。咒羅の人々にとって、呪殺は悪いことじゃないし、純粋に自分がやるべき使命だったってわけ」

「使命……」

「だから真矢が見たっていう黒髪の女性を殺した犯人は、あの動画を見てる可能性がある」


 愛の話を聞きながら真矢は厭な記憶を思い出していた。それは、蠱毒師こどくしリンメイシャオ一族のことだ。


 シンデレラ城があるこの場所は、元々はリンメイシャオ一族の邸宅だった。


 リンメイシャオ一族は、時の権力者に利用されるだけ利用された不幸な一族だった。誰かを愛することもできず、蠱毒のためだけに子供を産み、蠱毒のために我が子を殺す。唯一ひとりの女児だけを育て、蠱毒を継承し続けていた。


 おそらくそれは、江戸時代から、何代も、何代も。


 そして、最後のリンメイシャオは、代々受け継いできた蠱毒師としての運命を終わらせるため、自らの身体をねこに喰わせ、中国最強の蠱毒、貓鬼びょうき造蠱ぞうこすることで一族の呪いを祓い落とした。


 ——が、本来蠱毒とは主人の指示によって呪いを発動するもの。


 最後のリンメイシャオが死に、主人を失った貓鬼は、野良蠱のらことなり、インターネットの世界に入り込んで都市伝説『公衆電話の太郎君』となった。


『公衆電話の太郎君』は、ネットを介して伝播し、人々の心に巣食う悪意や、生贄の魂を喰らっていた。


 一年前。

 真矢とカイリ、棚橋はそれを封印した。

 はず——?


「どっか似てるんですよね。リンメイシャオの話と」

「私もそう思って聞いていた。でもカイリ君、それは一年前に封印したはずだよね?」


「大元はもう心配はない」言って愛は、咲人を愛おしそうに抱きしめる。咲人が愛の巻き髪を引っ張ると、愛は「ごめんごめん」と咲人を膝に乗せ話を続けた。


「時期的に考えると、吉川守が死んだのは昨年の十月。ってことは、その当時、野良蠱はインターネットの中に入り込んでたわけだし、もしも、その咒羅の子孫と出会ってたらって思うと怖いわよね。だって、そのお婆さんの幽霊は言ってたんでしょ? 生き残った女児がいるって」


 いつの間にかそばにきて耳をそば立てていた呪呪ノ助が〈生きてる時に知りたかったなぁ〜〉と間抜けな声を出した。


〈その話っ、モノホンじゃないですかぁーっ! くぅ、それ生きてる時に聞いてたらその話を動画配信したかったですぅ〜〉

「いやダメだろ。呪いを伝播させちゃうし」

「そうか、伝播だ。伝播が目的なんだよきっと」

「かもね。それに『なんでも望みが叶う動画』とは言い得て妙よね。高額だってこともあって、買った人はご利益を信じるだろうし、効果がなくても自分が詐欺にあったなんて恥ずかしくって誰にも言えない。

 それに、咒羅の力はきっと、悪しき欲望を見つけたらその人の心に巣喰うのよ。咒羅一族のDNAに刻まれた使命を遂行するためには依頼主が必要なわけだし」

「ってことは、あの動画はその伝播ツールのひとつってことだよね、愛ちゃん」

「そういうことかな、多分だけど」


 呪呪ノ助は〈うわぁ〜! まさに僕が蒐集した呪物の中で最強の呪物じゃないですかぁ〜っ!〉と興奮して身悶えしている。


 真矢が呪呪ノ助に「そんな場合じゃないんだってば」と、苦々しく言った時だった。


 呪呪ノ助が突然〈おわっ、おわわっわわっ〜〉と素っ頓狂な声を出した。と思った刹那、まるでティッシュペーパーが掃除機に吸い込まれるように、呪呪ノ助はあっという間に鬼角のパソコンに引っ張られ、〈ぶぎゃぁっ!〉っと、尻尾を踏まれた猫のような声を出してパソコンの中に消えた。


 真矢は思わず立ち上がり「鬼角君いまのなに?!」と訊く。


 鬼角はくるっとゲーミングチェアーを真矢達の方に回すと、鼻先を指で擦って「俺って天才かもっス」と自慢げに笑った。


「動画についてたブロックチェーンもどきをちょいちょいっといじって、それを俺が自作した仮想空間に紐付けして放り込んでみたんスよ。幽霊が電脳空間を行き来できるなら、もしかしてそのデータに適当なアバター当てがったら、真矢ちゃんがいない時でも仮想空間で幽霊と交流できるかなって思って」

「へー……」


 仮想空間にアバターに、真矢にはちんぷんかんぷんだ。


「佐藤清の幽霊って、今までも結構役に立ってると思うんスよねーっ。だから、成仏する気がないなら、呪対班の幽霊部員ならぬ、幽霊班員になったらって思ったんスよ。幽霊は経費かからないっしょっ!」


「なるほど」真矢は頷く。


 いや、でもそれっていいことなのか?!


「でですね」真矢の心配をよそに、鬼角はまたパソコン画面に向き直る。


「今からそれを実行っス!」


 鬼角は右手を大きく振りかざし「いけーっ!」とキーボードを叩いた。


 壁掛けのパソコン画面が一斉にパッと光る。そこには、《鬼ちゃんっ……鬼ちゃんっ……》と、顔をくしゃくしゃにして、鼻水と涙を垂れ流しているおじさん幽霊のCGが映っていた。


「おおおーっ!」鬼角ルームに歓声があがる。まさか本当にできるとは!


 画面の中の呪呪ノ助は、オーソドックスな日本の幽霊といった出で立ちで、胸には『故・佐藤清』の名札、頭には白い三角の天冠てんかんまでつけている。


《鬼ちゃんのっ……鬼ちゃんのっ……優しさが嬉しいですぅ〜っ! うううっ、でもっ、このアバターは死んだ人みたいでちょっとイヤですぅ〜》

「いや、お前はもう死んでいる」

「デジタルボイスだけど、声も聞こえるしバッチリっスねっ! さっ、これで一気に黒髪強奪殺人事件の捜査を進めるっスよっ!」


 




 



 

 


 





 

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