19

「へーっ、それで、二人で三万も支払ったんスかっ」


 助手席に座るカイリの話を聞いて、運転手の鬼角が驚いている。最後部座席に座る真矢は身を乗り出して「それも現金のみだったんだよーっ」と付け足してから「ないわ」と、ガックリとうなだれた。


 私の貯金がどんどん減っていく……。幽霊よりも何よりも、貯金通帳の残高が恐ろしい。本来なら無職の私は和歌山旅行などしている場合ではないのだ。いや、これは旅行ではなく調査なんだけど……。


 真矢の前に座る山場先生は「露天風呂付きの民宿で、猪鍋まで食ったのなら当然の値段だろ。のぉ、サク坊〜」と、隣のチャイルドシートに手を伸ばしている。


 真矢はガバッと顔をあげると、「元はといえば先生のせいですよっ!」と二列目シートのヘッドレストを掴んだ。


「そもそも先生がどうしても高野山に行きたいって言うからおかしなことになったんじゃないですかっ! それにお金払うって知ってたら、無理してでも酷道をひた走って鬼角君達と合流してましたっ!」

「いいではないか。そのおかげで死者から有力な情報を得られたんであろう?」

「そ、それはそうですけども……」

「なら棚橋に経費として請求すれば良いではないか」

「そうかっ! それって経費で落ちますよね?!」

「くくくっ。無理だろうなぁ」

「そんなぁ〜」


 情けない声とともに真矢の身体は後部座席に吸い込まれていく。真矢と同じく後部座席に座る愛が「霊媒代でチャラにしてもらえば良かったのに」と呆れたように言った。


「霊媒代?」

「そうよ真矢。だって、霊媒師って名乗って、死んだお婆さんの話をその息子さんに伝えてあげたんでしょ。それはもう、霊媒代って言って、チャラにしてもらうべきだったのよ。アタシならそうしてる」

〈そうですよそうですよっ!〉


 真矢と愛の間に座っている冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助は、〈お姉さんは優秀な霊媒師ですっ。もっと自覚を持った方がいいですよっ〉と何度も頭を上下させている。が、真矢は「そうなのか?」と首を捻った。


「そりゃそうでしょ。死者の声を聞き、その望みを叶えて魂を浄化してあげてるんだから、それはもう、立派な霊媒師なんじゃないの?」

「確かにな。世の中には霊媒師を名乗る胡散臭い輩がごまんといるからな。そしてそういう輩の霊媒代は高い」

「そっスよーっ。真矢ちゃんの能力は使いようによっちゃ稼げますってー」

「まあ、霊媒師って名乗ると手っ取り早いよって教えてあげたのは僕なんですけどねー」

「じゃあカイリ君がお会計の時にそうやって交渉してくれたらよかったじゃん」

「僕のお財布は三万円くらいで困りませんからね。そのアイデアはなかっただけです」

「キャッシュレス男め……」


 そうなのだ。カイリは港区の高級マンションに一人暮らしをするほど裕福なのだ。それなのに、現金を持ち合わせてなかった。それどころか銀行のキャッシュカードさえ持ってなかった。


 真矢の脳裏に昨日出会った老婆の死者、鈴木初江すすきはつえさんの顔が浮かび上がる。


 お会計の時、初江さんは言っていた。


〈クレジット会社の手数料なんぞ、ワシの目ぇ黒いうちは一円足っとも払うつもりはあれへん〉


「いや、もう黒くないですよ」真矢は喉元まで出かかったその言葉をどうにか飲み込み、泣く泣くATMまで走ったのであった。


「あー、痛い。三万円が痛すぎる」


 とはいえ、少しでも鈴木さん親子のお役に立てて良かったなとも真矢は思う。


 昨日、露天風呂で真矢とカイリは初江さんの話を聞いた。初江さん曰く、息子の辰雄たつおさんは信心深い性格だそうで、それを聞いたカイリが「じゃあ真矢ちゃんが霊媒師ってことで話しをすればいいんじゃない?」と、真矢の悩んでたことなど吹き飛ばすようにそう言った。


 今日の朝、辰雄さんは真矢の話を涙を浮かべて聞いていた。そして真矢とカイリに「実は——」と話してくれた。


 辰雄さんの思い人は沖縄に住んでいること。辰雄さんとそのお相手は何度も結婚を考えたけれど、養子に入ってからずっと「お前は本家を守っていくために養子にきた。子供の産める女としか結婚は許さんさかいな」と言われてきた辰雄さんは、その女性との結婚にどうしても踏み切れなかった。


「わしの好きな人は若い頃に病気をして、子供が産まれへん人なんや。わしは本家を継ぐ立場やし。母にその人のことは言えなんだ。せやけど——」


 辰雄さんの思い人は、今、沖縄で闘病生活をしているという。癌なのだそうだ。


「今すぐにでも飛んでいきたい。そばにおったりたい。何度もそう思った。せやけど、ここを離れることなんてできへん。本家を捨てるなんて、わしにはできへんと思っとった。そうか……、ここにおる母が、そんなんを言うてますか……」


 話しながら涙を拭う辰雄さんの横で、初江さんは〈もうえぇ、もうえぇんや。はよぉ、行きぃ。もぉ、戻ってこんでもえぇから〉と何度も何度も言っていた。


 そんな二人を見て真矢は思った。


 自分の人生はたった一度しかない。それなのに、自分の望む人生を生きている人はどれくらいいるのだろうか。初江さんの願うように、これからの辰雄さんの人生が自由で幸せなものになって欲しい——、と。


 鈴木初江さん、享年九十三歳。ご冥福を心よりお祈りいたします——と、今日の朝、真矢とカイリは初江さんの仏壇に手を合わせてから、民宿『すすき』を出てきた。


 ……いや、まて。その回想違うわ。


 そのあとで「お会計はこちらです」って、手書きの請求書をもらったんだ。しかも日本酒一升五千円も内訳に入ってた。血の繋がりが薄くても、あの二人は紛れもなく親子だわ……。


「三万円は痛すぎる〜!」

「まだ言うか」

「先生、三万円は大金ですっ!」

「お前の食ったクエ代だと思えばいい。あのクエ鍋は三万円だからな」

「えっ……」

「とりま合流できて飛行機も間に合うし、結果オーライっスよね!」


 全然結果オーライじゃない真矢だが、これ以上この話を続けても虚しいだけだと口を閉じる。代わりに愛が「そういえば」と口を開いた。


「鬼角君、真矢に確認して欲しいことがあったんじゃないの?」


「あっ、それねっ!」鬼角はルームミラー越しに真矢と目を合わせると、「俺のノーパソ取れますか?」と真矢に言った。


「あ、うん。後ろだよね?」

「そっすそっす!」


 真矢は鬼角の指示に従ってノートパソコンを取り出すと、電源ボタンを押した。鬼角の話によると、昨日の夜、宿泊した自分の部屋をサーモグラフィーで撮影していて気づいたことがあるらしい。


「幽霊が入ってるSDカードをノーパソに入れた状態で、ビデオ通話するとサーモが変な動きしたんっスよねー」

「変な動き?」


 言われるがままパソコンを操作する真矢の隣で、呪呪ノ助は〈えーっ、それ、教えちゃうのぉ〜?〉と、照れ臭そうにもじもじしている。


 真矢は冷めた目で呪呪ノ助を一瞥すると、皐月ママお手製のお守袋からSDカードを取り出してパソコンに差し込んだ。


 刹那、隣に座っていた呪呪ノ助がパッと姿を消す。と同時に、パソコン画面の中からまるで飛び出る3D映画のように呪呪ノ助が〈ヤッホーッ!〉と顔を出してきた。


「きもっ」反射的に真矢はノートパソコンを座席に放り投げる。幽霊の見えない愛がすかさず手を伸ばし「あっ」と落ちかけたノートパソコンをキャッチした。


〈グフフッ! ボインなお姉さんのおっぱいがすぐ目の前にっ! はうぅっ!〉

「愛さんそれすぐに座席に投げた方がいいですよ。佐藤清の幽霊が愛さんの胸に顔を埋めようとしています」

「え、そうなの?」

〈えーっ、しませんよぉ〜。ぐふっ〉

「いや、お前は絶対するはずだ」


 真矢は愛からパソコンを受けとって座席に置くと、鬼角の指示通り、呪対班のグループLINEを開き通話ボタンを押した。


 山場先生がスマホを取り出し「なんだ、みんなここにいるのにビデオ通話がかかってきたぞ」とタップする。——と、さっきまでパソコン画面から顔を出していた呪呪ノ助がパッと姿を消し、今度は山場先生の座る二列目シートから顔を出した。


〈ヤマンバせんせーいっ! 今日も見目麗しいですぅ〜っ〉

「えっ、どういうことっ?!」


 真矢が二列目シートを覗くと、なんと、山場先生のスマホから呪呪ノ助が飛び出していた。


 次いでカイリが「通話に出ればいいの?」スマホをタップすると、今度はカイリのいる助手席から呪呪ノ助が顔を出して〈ねっ! すごいでしょーっ!〉と真矢に向かって手を振ってきた。


「真矢ちゃんどっスか? なんか変化あったっスか?」

「あー、うん。あったけど、頭の処理が追いつかない……」


 今度は真矢の隣、愛のスマホから顔を出した呪呪ノ助が〈僕ぅ、ネットが繋がってるパソコンに僕の入ってるSDカードを接続すると、電脳空間を行ったり来たりできるみたいなんですーっ!〉と嬉しそうに言ってくる。


 真矢は混乱する頭で呪呪ノ助に言った。


「でもそれって、何かに役立つ能力なの?」


 




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