17
《じゃあ、真矢ちゃん達は今日はそこに泊まるんスね、了解っス!》
スマホの中、鬼角は親指を立てる。真矢は「ほんとごめんねー」と返し、「三人分の宿泊費、もったいなかったよね」と眉根を寄せた。
鬼角が予約してくれた和歌山市内のビジネスホテル。山場先生に真矢とカイリ、三人分のキャンセル料は如何程か。常日頃、経費削減にうるさい棚橋がこれを聞いたら、きっといい顔はしないだろうなぁ、と、真矢は少しヒヤヒヤしている。
《とりま、宿泊できるとこあって良かったっスよ》鬼角が言い、その横から愛が《二人っきりで温泉なんて素敵じゃない〜》と、ニヤニヤしながら言ってくる。真矢は首を勢いよく振って「最悪ですよー」と愛に返した。
「最悪なんて真矢ちゃん酷い」
「最悪だよ。カイリ君と二人こんな山奥で——」
その先を言いかけて、真矢は口をつぐむ。忌中にも関わらず、善意で泊めてくれる
真矢は送話口を手で覆い「とりあえず電波繋がったしまた後で連絡するね」早口で言い切ると、《あっ、真矢あのね》という愛の話を聞かずにビデオ通話を終えた。
「お友達と連絡が取れたみたいですなぁ」
「はい、ありがとうございました。ほんと、なにからなにまで」
真矢とカイリは頭を下げる。廃村で鈴木さんと出会った真矢達は、「こんな天気で山道を走るなんて無茶や」という鈴木さんのご好意に甘えて、民宿『すすき』に泊まることになった。
民宿『すすき』は古い民家で、黒光りする板張りの居間には小さな囲炉裏があり、夕飯には猪肉を使った牡丹鍋までご馳走になってしまった。それなのに、「山奥で最悪だ」とは、酷い言いようだと真矢は反省する。
廃村で背後から声をかけられた時はドキリとした真矢達だったが、鈴木さんは意外にも気さくなおじさんだった。
鈴木さんの見た目は山男といった感じで、熊を彷彿させるような体躯をしている。忌中だから髭を剃ってないのか、灰色の髭が顎全体に生えていた。歳の頃なら五十代後半といったところだろうか。一緒にいる女性がきっと母親なのだろう。
「それにしたかて、あそこで死んどった人のお友達やとは」
鈴木さんは持ってきた一升瓶を床に起き、囲炉裏の火を挟んで真矢の向かいに座る。真矢の横に座るカイリは「ええ、そうなんですよ」としれっと答え、「それで、さっきの話ですが、第一発見者だったんですよね?」と、落ち着いた口調で鈴木さんに訊いた。
こういう時のカイリは意外とちゃんとしている。警察の外部組織として今までも調査してきたのだから当然か。
真矢は居住まいを正し、鈴木さんの話に耳を傾ける。
「あそこには先祖代々の墓があって、ワシはそれ守ってるさかい」
鈴木さんの話によると、昨年十月。母親と先祖の墓参りに出かけた鈴木さんは、墓地の下の駐車場で車の中で絶命している吉川守を発見。
当時は事件性があると考えられていた吉川守の死だったが、喉の切り口の形状や現場の状況から見て、警察は最終的に自殺と断定したという。
「あんなん自殺なわけがあれへん」
鈴木さんは一升瓶を持ち上げると、湯呑みに日本酒を注ぎ、乾杯するように掲げてから気持ちいいほど一気に呑み干した。
「あんた達も呑みまっか?」
訊かれて真矢は丁寧にお断りする。夕飯をご馳走になり、さらには忌中にも関わらず泊めてもらうのだ。お酒まで頂いては申し訳ない。
「せやったらわしだけ失礼するな」
どぼどぼっと日本酒を湯呑みに注ぎながら鈴木さんは言う。その横では老婆が〈ほどほどにしとかなあかん〉と心配そうな顔をしていた。
真っ白な薄い頭髪と痩せこけた頬。桜色の寝巻きを着た老婆の身体は細い。きっと病死だろうな、と真矢は思った。
「あれはきっと呪われたんよ。YouTubeかなんか知れへんけど、罰当たりもんが山に入って穢れを受けたんや」
「穢れですか?」
「そうや兄ちゃん。友達やのにこんな言い方して悪いな」
鈴木さんは湯呑みをあおる。結構ハイペースで呑む人だ。
「あそこから奥の山は禁足地なんや。だからあの山に入ることはこの辺の禁忌やとワシは聞いてるわ。そんなん、ほんまは信じてへんかったけど、あの死に方を見たら、そう信じるしかあれへんなぁって、思ったわ」
「何か、そう思う理由があったんですか?」カイリの問いに、「せや」と鈴木さんは首肯する。
「フロントガラスの内側に血文字があったんや。それも、
鈴木さんの横で老婆は首を横に振っている。その様子は死してなお、禁忌を破ることを恐れているようだと真矢は思った。
鈴木さんは湯呑みに注いだ日本酒をぐいっとあおり、「ま、つっても」と腕で口元を拭う。
「ワシは信じてなんかおらんだけどな。ワシが
真矢はスマホを取り出して、「ちなみに、シュラってどんな字を書くんですか?」と訊いてみた。鈴木さんは赤くなり始めた顔を歪め、「なんでそんなんを知りたいねん」と訊き返す。すかさずカイリが「守君は僕の親友で——」と嘘八百を並べ始めた。
カイリは鬼角から聞いた吉川守の情報を織り交ぜながら、いかに自分と吉川守が親友だったかを熱っぽく説明していく。
「だから、知りたいんです。親友の死の原因を。彼は絶対に自殺するような人じゃない!」
真矢は内心で舌を巻き、コイツやる時はやるな、と少し感心する。カイリの見た目でこの演技力ならハリウッドでも通用しそうだ。——と、それは言い過ぎか。
なんにせよ、カイリの迫真の演技によって、鈴木さんは「せやったらワシから聞いたって内緒にしてや」と前置きしてから、シュラの漢字が『咒羅』であると教えてくれた。
真矢は今得た情報を呪対班のグループLINEに送信する。すぐに鬼角から《咒羅っスね! こっちでも調べておくっス!》と返信がきた。あっちには元シャーマンの愛もいる。もしかしたら何か分かるかもしれない。真矢は《よろしく》と短く返信して、スマホを閉じた。
なんだろうか。おでこの辺りにじとっとした視線を感じる。真矢が顔をあげると、鈴木さんの横に座る老婆と目が合った。老婆は皺に囲まれた小さな黒目を細めると、嗄れた声で〈あんたさんは、ワシのこと見えるんですか?〉と訊いてきた。
真矢は返答に困る。今ここで、死者と会話するのはまずい。一発でヤバイ人認定だ。
老婆は真矢の隣にスゥーっと音も立てずにやってくる。心臓を氷の手で掴まれたように、真矢の身体は一瞬にして固まった。
〈見えるんでんなぁ……声も聞こえるんでんなぁ……〉
老婆は真矢の耳元で囁く。ざらりとしたカサついた声が頭の中に直接流れ込んできて、厭な感じだ。真矢は仕方なく小さく顎を引いた。
〈せやったら、あんたさんに折り入って頼みたいことございます。ワシの頼みを、聞いてくれまへんか?〉
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