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《じゃあ、真矢ちゃん達は今日はそこに泊まるんスね、了解っス!》


 スマホの中、鬼角は親指を立てる。真矢は「ほんとごめんねー」と返し、「三人分の宿泊費、もったいなかったよね」と眉根を寄せた。


 鬼角が予約してくれた和歌山市内のビジネスホテル。山場先生に真矢とカイリ、三人分のキャンセル料は如何程か。常日頃、経費削減にうるさい棚橋がこれを聞いたら、きっといい顔はしないだろうなぁ、と、真矢は少しヒヤヒヤしている。


《とりま、宿泊できるとこあって良かったっスよ》鬼角が言い、その横から愛が《二人っきりで温泉なんて素敵じゃない〜》と、ニヤニヤしながら言ってくる。真矢は首を勢いよく振って「最悪ですよー」と愛に返した。


「最悪なんて真矢ちゃん酷い」

「最悪だよ。カイリ君と二人こんな山奥で——」


 その先を言いかけて、真矢は口をつぐむ。忌中にも関わらず、善意で泊めてくれる鈴木すすきさんが居間に入ってきたからだ。


 真矢は送話口を手で覆い「とりあえず電波繋がったしまた後で連絡するね」早口で言い切ると、《あっ、真矢あのね》という愛の話を聞かずにビデオ通話を終えた。


「お友達と連絡が取れたみたいですなぁ」

「はい、ありがとうございました。ほんと、なにからなにまで」


 真矢とカイリは頭を下げる。廃村で鈴木さんと出会った真矢達は、「こんな天気で山道を走るなんて無茶や」という鈴木さんのご好意に甘えて、民宿『すすき』に泊まることになった。


 民宿『すすき』は古い民家で、黒光りする板張りの居間には小さな囲炉裏があり、夕飯には猪肉を使った牡丹鍋までご馳走になってしまった。それなのに、「山奥で最悪だ」とは、酷い言いようだと真矢は反省する。


 廃村で背後から声をかけられた時はドキリとした真矢達だったが、鈴木さんは意外にも気さくなおじさんだった。


 鈴木さんの見た目は山男といった感じで、熊を彷彿させるような体躯をしている。忌中だから髭を剃ってないのか、灰色の髭が顎全体に生えていた。歳の頃なら五十代後半といったところだろうか。一緒にいる女性がきっと母親なのだろう。


「それにしたかて、あそこで死んどった人のお友達やとは」


 鈴木さんは持ってきた一升瓶を床に起き、囲炉裏の火を挟んで真矢の向かいに座る。真矢の横に座るカイリは「ええ、そうなんですよ」としれっと答え、「それで、さっきの話ですが、第一発見者だったんですよね?」と、落ち着いた口調で鈴木さんに訊いた。


 こういう時のカイリは意外とちゃんとしている。警察の外部組織として今までも調査してきたのだから当然か。


 真矢は居住まいを正し、鈴木さんの話に耳を傾ける。


「あそこには先祖代々の墓があって、ワシはそれ守ってるさかい」


 鈴木さんの話によると、昨年十月。母親と先祖の墓参りに出かけた鈴木さんは、墓地の下の駐車場で車の中で絶命している吉川守を発見。


 当時は事件性があると考えられていた吉川守の死だったが、喉の切り口の形状や現場の状況から見て、警察は最終的に自殺と断定したという。


「あんなん自殺なわけがあれへん」


 鈴木さんは一升瓶を持ち上げると、湯呑みに日本酒を注ぎ、乾杯するように掲げてから気持ちいいほど一気に呑み干した。


「あんた達も呑みまっか?」


 訊かれて真矢は丁寧にお断りする。夕飯をご馳走になり、さらには忌中にも関わらず泊めてもらうのだ。お酒まで頂いては申し訳ない。


「せやったらわしだけ失礼するな」


 どぼどぼっと日本酒を湯呑みに注ぎながら鈴木さんは言う。その横では老婆が〈ほどほどにしとかなあかん〉と心配そうな顔をしていた。


 真っ白な薄い頭髪と痩せこけた頬。桜色の寝巻きを着た老婆の身体は細い。きっと病死だろうな、と真矢は思った。


「あれはきっと呪われたんよ。YouTubeかなんか知れへんけど、罰当たりもんが山に入って穢れを受けたんや」

「穢れですか?」

「そうや兄ちゃん。友達やのにこんな言い方して悪いな」


 鈴木さんは湯呑みをあおる。結構ハイペースで呑む人だ。


「あそこから奥の山は禁足地なんや。だからあの山に入ることはこの辺の禁忌やとワシは聞いてるわ。そんなん、ほんまは信じてへんかったけど、あの死に方を見たら、そう信じるしかあれへんなぁって、思ったわ」


「何か、そう思う理由があったんですか?」カイリの問いに、「せや」と鈴木さんは首肯する。


「フロントガラスの内側に血文字があったんや。それも、咒羅しゅらって書いたった。咒羅つったら、この辺じゃ名前をいうこともタブーとされてきた村の名前や。確か、ここの婆ちゃんなんかは、咒隠じゅおんってその村のこと呼んどったなぁ。普通やない力を持つ化け物が住む隠れ里。それが、咒隠やとワシは聞いて育ったわ。まぁ、そんな村、とうの昔にのうなって、ただの言い伝えなんやけど」


 鈴木さんの横で老婆は首を横に振っている。その様子は死してなお、禁忌を破ることを恐れているようだと真矢は思った。


 鈴木さんは湯呑みに注いだ日本酒をぐいっとあおり、「ま、つっても」と腕で口元を拭う。


「ワシは信じてなんかおらんだけどな。ワシが本家この家に養子に入ったのは中学生になってからやさかい、そんな話はサンタクロースと同じや。嘘に決まってるって思う年齢やったさかいな。そやかて、血文字で咒羅と捧げるって字が書いたったら、否応なしでも信じてしまうしかあれへんなぁと、あん時は思ったなぁ」


 真矢はスマホを取り出して、「ちなみに、シュラってどんな字を書くんですか?」と訊いてみた。鈴木さんは赤くなり始めた顔を歪め、「なんでそんなんを知りたいねん」と訊き返す。すかさずカイリが「守君は僕の親友で——」と嘘八百を並べ始めた。


 カイリは鬼角から聞いた吉川守の情報を織り交ぜながら、いかに自分と吉川守が親友だったかを熱っぽく説明していく。


「だから、知りたいんです。親友の死の原因を。彼は絶対に自殺するような人じゃない!」


 真矢は内心で舌を巻き、コイツやる時はやるな、と少し感心する。カイリの見た目でこの演技力ならハリウッドでも通用しそうだ。——と、それは言い過ぎか。


 なんにせよ、カイリの迫真の演技によって、鈴木さんは「せやったらワシから聞いたって内緒にしてや」と前置きしてから、シュラの漢字が『咒羅』であると教えてくれた。


 真矢は今得た情報を呪対班のグループLINEに送信する。すぐに鬼角から《咒羅っスね! こっちでも調べておくっス!》と返信がきた。あっちには元シャーマンの愛もいる。もしかしたら何か分かるかもしれない。真矢は《よろしく》と短く返信して、スマホを閉じた。


 なんだろうか。おでこの辺りにじとっとした視線を感じる。真矢が顔をあげると、鈴木さんの横に座る老婆と目が合った。老婆は皺に囲まれた小さな黒目を細めると、嗄れた声で〈あんたさんは、ワシのこと見えるんですか?〉と訊いてきた。


 真矢は返答に困る。今ここで、死者と会話するのはまずい。一発でヤバイ人認定だ。


 老婆は真矢の隣にスゥーっと音も立てずにやってくる。心臓を氷の手で掴まれたように、真矢の身体は一瞬にして固まった。


〈見えるんでんなぁ……声も聞こえるんでんなぁ……〉


 老婆は真矢の耳元で囁く。ざらりとしたカサついた声が頭の中に直接流れ込んできて、厭な感じだ。真矢は仕方なく小さく顎を引いた。


〈せやったら、あんたさんに折り入って頼みたいことございます。ワシの頼みを、聞いてくれまへんか?〉







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