15

 ——翌日。


 鬼角達と分かれた真矢達は、山場先生の指示で、朝から和歌山観光を決行していた。


「和歌山県は源泉掛け流しの温泉が複数あってな、昨日入った白浜温泉は言うまでもなく歴史の古い温泉地だが、豊富な湧出量を誇る勝浦温泉、かの弘法大師が夢のお告げで開いたとされる日本三大美人湯の龍神温泉、そして、ここ熊野本宮温泉郷には三つの温泉地があるんだ。その中でもこの湯の峯温泉は——」


 山場先生が温泉卵の殻を不器用に剥きながらウンチクを語っている。真矢は、こんな呑気なことをしていいのだろうかと思いつつ、「先生、それじゃあ食べるところないですよ」と手を伸ばす。


 ここの温泉卵は、売店で生卵を購入し、湯の峯温泉の中央にある湯筒ゆづつで茹でたものだ。川沿いにある湯筒は、源泉温度九〇度が湧き、木でできた四角い格子で囲まれていて、そこに赤いネットに入れられた卵やサツマイモがいくつもぶら下がっている。湯気が立ち昇る川床の風景はなんとも風情がある。


 ちなみに、真矢達が温泉に入る前に購入した卵は、山場先生の長風呂のせいで、かなりな固茹で卵になっていた。


「なんだお前、ワシの卵を奪うつもりか。ワシの卵はやらんぞっ」


 湯煙り揺蕩う湯の峯温泉に大人気ない声が響く。真矢は「取りませんよぉ」と首を振り、山場先生の足元、アスファルトに落ちた卵の殻を指で摘んだ。


 くそっ、この隙間に入った卵の殻、なかなか取れないな……。


「つぼ湯の予約時間まではまだ三十分近くあるからな。ちょうどサツマイモも茹であがる頃合いだろう」

「先生、本気で言ってます?」


 真矢は卵の殻を集める手を止めて、山場先生を見上げる。


「先生が那智大社に行きたいとか、花のいわやに行きたいとか言うから、あちこち寄ってきてもう午後の二時ですよ。このあと高野山に行きたいなら、もうつぼ湯は諦めて向かわなきゃです」

「馬鹿もんっ! つぼ湯に入らずして湯の峯に来たとは言えんっ。大体このつぼ湯は——」

「——川沿いにあるから雨で水かさが増したりすると入れないんですよね。だから入れる今日は貴重だと。それ、さっきお風呂の中で何度も聞きましたー」

「僕も真矢ちゃんの意見に賛成でーす」


 カイリがラムネの瓶を傾けながら軽ーい調子で言う。湯筒を見下ろす橋の欄干に背を預け、カランとビー玉を鳴らすカイリはなんというか、悔しいけれど絵になる。


「僕は高野山で精進料理を食べたいです」

「お前もか……」


 これじゃまるで本当に観光に来たみたいだ。鬼角と愛が真面目に調査していると思うと、なんだか真矢は申し訳なくなってくる。

 

 ——と、公衆浴場の券売所から男性スタッフがこちらに向かって手を振った。どうやら予定より早くつぼ湯があき、すぐに入れるという。


 真矢は山場先生の「なんてラッキーなんだっ、ほら、お前も行くぞっ」という誘いを丁寧に断り、カイリと並んで橋の欄干に背を預けた。


 鬼角の話によれば、高野山に向かうこの先の道は、日本三大酷道のひとつだという。


「運転が心配だなぁ」白い吐息を吐きながら、真矢は空を見上げる。


 曇天の空の下、葉の落ちた木々の枝先を細かな雪がすり抜けていく。嫌な天気だ。このままだと、本格的に雪が降るかもしれない。


「大丈夫ですよ。僕も運転はできます」

「酷道を酷い運転で走ったらその先は目に見えている」

「真矢ちゃん酷い。でも酷いといえば、真矢ちゃんが昨日描いた似顔絵も相当酷かったですね」

「確かに。あれじゃあなんの役にも立たないよね。っていうかさー」


 真矢はカイリに向き直り「カイリ君の似顔絵も相当酷かったよね?」と、カイリの胸元に人差し指を突きつける。カイリは胸を張り、「確かに僕は人並外れた美貌の持ち主ですが、絵心だけはないんですよねー」と自信満々に答えた。


「人並外れた美貌とか自分で言うな」

「本当のことなんでー。でも、冗談はさておき、犯人の似顔絵を上手く描ければ、もっと呪対班として警察の役に立てるんだろうなって痛感しましたねー」

「ほんま、それなー」


「あぁあー」欄干に背中を預け直した真矢のため息が盛大に空へ舞っていく。


 昨日、宴会の後、カイリと再び動画を確認した真矢は、「この人」とカイリに犯人の顔を教えた。その後、犯人の顔を似顔絵で描いてみた真矢とカイリだったが、どちらの似顔絵も、そこそこ特徴は捉えているものの、それで犯人が割り出せそうなシロモノではなかった。


「あんな似顔絵じゃ棚橋さんも困るよね」真矢は肩を竦める。カイリも「今日の朝返信来たけど、微妙な返事でしたからね」と肩を竦めた。


「見えてる映像をプリントできるプリンターがあったらいいのにねー」

「念写とか?」

「あーね、そそ。念写とか」


 言って真矢は「ん?」と首を傾げる。そういえば、カイリはあの映像自体には悪意を感じないと言っていた。それはつまり、あの映像の視点人物が自分で念写した映像ではないという事ではないか。


 真矢が「ねぇカイリ君」と訊こうとした時だった。真矢とカイリのスマホが同時に震えた。鬼角からのグループ通話だ。真矢とカイリは急いでスマホをタップする。


《おっつー! そっちはどうっスか? 無事高野山まで行けたっスか?》


 狐のお面を彷彿させるような鬼角の顔がスマホに映る。真矢とカイリはそれぞれのスマホに向かい、「まだ湯の峯だよー」と苦笑いで答えた。鬼角は《マジっスかっ》と驚くと、《あでも、それなら好都合かもっス》と親指を頬にくっつける。


 鬼角は《吉川守について聞き込み行ってきたんスけど——》と話を続ける。その向こうでは呪呪ノ助が〈おーいっ!〉と嬉しそうに手を振っていた。真矢は呪呪ノ助に軽く手を振って、鬼角の話に耳を傾ける。


《さっき位置情報送っておいたんスけど、吉川守の変死体が発見された場所が、そっから先の山奥の廃村なんスよ。で、その廃村、まだ先祖の墓とか残ってるみたいで、第一発見者が墓参りに行った時に、車の中で死んでいる吉川守の遺体を見つけたってことでした。でででっ、こっからが本番なんスけど——》


 鬼角は収集した情報を興奮気味に話す。


 その話を要約すると、吉川守は大阪の大学を中退後、フリーターをしながら動画配信をしていたという。フォロワー数はわずか数百人足らず。吉川守は友人に「俺はオカルト系で成功を目指す」とかねてから話しており、謂く付きの廃墟に忍び込んだり、猟奇的殺人事件があった場所に忍び込んだりと、結構際どいことをしていた。


《まーなんつーか、そういう謂く付きの場所に忍び込んでは動画撮影をして、でっちあげのオカルトネタを披露してたっぽいっスねーっ。でもそういうのって、見る人が見れば、やっぱわかるじゃないっスかー。で、これじゃダメだと思った吉川守は、昔ひい婆ちゃんから聞いたっつー、呪われた廃村に向かったっぽいんスよねーっ》


「呪われた廃村?」真矢とカイリは顔を見合わせる。それは多分、映像に映っていたあの廃村のことだ。二人は視線を絡ませたまま無言で頷く。


《その吉川守がツレに話してた、呪われた廃村っつー場所はまだ不明なんスけど、親戚周りに聞き込みすれば、その場所もいずれわかるかもしれないっス。で、問題はその吉川守の死に方なんスよねーっ》


 鬼角は、お手柄とでもいいたげにその先を続ける。


《吉川は運転席に座った状態で発見されてるんスけど、どうやら持参していたサバイバルナイフで自分の喉を切り裂いて、フロントガラスの内側に、捧げるって漢字と、なんかちょっとややこしい漢字の二文字を血で書いていたらしいっス》


「捧げる……?」真矢は眉を潜める。


 自然と喉元に手がいく真矢の脳裏を黒髪ウィッグがよぎっていく。あの殺された女性も、喉を切り裂かれていた。あの時、あの犯人の男は「奉納に必要な分は取っておくけどね」と言い、喉を切り裂いたのではなかったか。


《で、ですねっ》


 スマホの中、鬼角の顔が静止する。ここは山奥の温泉地、もしかしたら電波状況が悪いのかもしれない。すぐに再開したビデオ通話は、目が半開きの鬼角の顔を映し出したまま、音声のみで、鬼角に代わり愛の声が聞こえてくる。その声は雑音が混じって所々聞き取りにくくなっていた。


《いい? 鬼角君は……言って……、よく……ジジジッ……だか……め、ぜ……だか……ジジ……ジジジッ……》


 愛の声をかき消すような雑音が続く中、ビデオ通話はプツリと途切れ、それ以降、何度試してみても鬼角達に通話が繋がることはなかった。

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