14
「んじゃ、俺、明日その吉川守について聞き込み行ってくるっスよ」
缶ビールのプルトップを開けながら鬼角がさらりと言ってのける。真矢は「えっ」と思わず大きな声をあげた。
「えって、なんスか?」
「いや、なにも……」
真矢は舌の上にその先の言葉を転がす。鬼角のノリはチャラい。それに今日は全身黒のパンクロッカーみたいな格好をしている。
真矢の心の内が読めない鬼角は「俺、聞き込み得意なんスよねーっ」と得意げに鼻先を人差し指で撫でている。山場先生は「そうだなそうしてくれっ」と言うと、「ワシ達は予定通り湯の峯温泉に向かおうっ」とクエ鍋に箸を伸ばした。
今日の宿泊先は鬼角が手配してくれたバケーションレンタルの古民家で、食事は宿が提携している料理屋さんの仕出しだ。それもなんと、山場先生がクエ鍋を注文してくれた。
「うんまいっ! やはりクエを食わずして和歌山旅行に来たとは言えんなーっ!」
赤い半纏に着替え、ボサボサの前髪をぴょこんとひとつに結んだ山場先生が熱狂的に吠える。真矢は反射的に「先生、旅行じゃなくて調査です」とつい口を挟んだ。
山場先生は口をもごもご動かしながら「うーるさいっ」と可愛い声で言う。
「お前も白浜の湯と千畳敷に感動しておったではないか。これを旅行と言わずしてなんというというのだっ」
「先生が無理やりコースを決めてるんじゃないですか」
「馬鹿もんっ。調査と旅行がセットなのは常識だ。じゃなきゃ考古学なんてやってられんだろっ」
え、そうなのか?
そういえば山場先生は温泉に入りながら「この湯壺はな斉明三年、時の孝徳天皇の皇子である有間皇子が——」と長々ウンチクたれてたな。
真矢は、缶ビールで喉を潤すと「ちなみに先生は何を研究しているんですか?」と何気なく聞いてみた。
「縄文だ」
「じょっ、縄文?! って、あの、縄文ですか?」
「そうだ。それ以外にどの縄文があるというのだ」
「確かに」
「それよりお前は食わんのか? このクエ鍋はワシの奢りだぞ。遠慮はするな。どんどん食え」
「そうよぉ真矢。はやくしないといいところ全部なくなっちゃうわよ。あっ、鬼角君っ、それアタシが狙ってたコラーゲン〜」
「ウィーッス! はやいもん勝ちっスよっ」
「僕、魚の鍋は苦手だな……」
「デカブツは夜食用に買ったカップヌードルでも食ってろっ」
「先生ヒドイー」
「この味がわからん奴に食わせるクエはない。いいか? クエは魚の王様だぞ。幻の高級魚なんだからな。このエラのサイズだと四十年は生きてたクエだろうなぁー。皆の者っ、心して食えよっ!」
「はーいっ!」「ウィーッス!」愛と鬼角の声がダイニングに響く。呪呪ノ助は〈生きてたら僕も一緒に食べれたのにぃ〜〉と指を咥え恨めしそうにしていた。
真矢はクエ鍋に箸を伸ばす。クエを食べるのは初めてだ。ふっくらとした白身を掴み、自分の取り鉢に取り分けると、ポン酢にひたしてその身を口に運んだ。
「ふっ、ふんふぅ〜」思わず真矢の鼻から感嘆の声が漏れる。
「ふぁんておひぃしぃんでふかぁーっ」
「そうであろう、そうであろう」
「バッカ美味いっスよねっ!」
「明日はお肌がプルップルよっ」
「へぇー」
弾力のある白身を噛み締めるたび、品のいい優しい甘味が口腔内に広がっていく。魚の生臭さなど微塵もなく、まるでフグの身に大トロの油がのっているような味わいだ。
〈美味しいですよねぇーっ、美味しいですよねぇーっ! 羨ましいですぅ。羨ましすぎますぅ〜〉
真矢は呪呪ノ助に向かってうんうん頷きながら、これを食べないなんてカイリはアホだと思った。こんな美味しい魚、もはや魚類という枠組みを捨ててでも食べるべきだ。
「絶対食べたほうがいいよカイリ君。こんな美味しい魚食べたことないもん。だからこれは魚じゃなくてクエだよっ」
「真矢ちゃんクエはまぎれもなく魚です」
「いいのよ真矢。ほかっておきましょ。お子ちゃまはカップヌードルでも食べてればいいんだから。それよりも、明日の予定よね」
「ああ、そうだな」
山場先生は日本酒の入ったお猪口をあおる。お猪口を「ん」と真矢に突き出しておかわりを所望すると、「明日は湯の峯温泉に行き、つぼ湯に入った後で温泉卵を食べて高野山まで行こうっ」と上機嫌に言った。
「ってことはあれっスね」鬼角がスマホを操作する。
「湯の峯温泉まで小一時間、そっから高野山まで二時間ってとこっスね」
「そうだな。大体それくらいはかかるはずだ」山場先生がお猪口の日本酒を美味しそうに啜る。鬼角は「真矢ちゃん運転ガンバっス」と親指を立てた。
真矢の口から「嘘だろおい……」と声が漏れる。
「せ、先生、予定を変更することはできないのでしょうか?」
「馬鹿もんっ! 和歌山に来て、湯の峯温泉と高野山に行かずして帰れるかっ!」
「おーっ、すげ〜」鬼角がスマホを見ながら声をあげる。鬼角は嬉しそうに画面を真矢のほうに向けると、興奮気味に「高野山に行く道、日本三大
「さ、三大国道?」真矢は恐る恐る鬼角のスマホを受け取る。鬼角は「ほらここっ」とスマホを指差した。車一台がやっと通れるくらいの山道は、片側が崖になっている。
「残酷の酷に道って書いて酷道っス! いいなぁ。相当山奥走れるみたいなんで楽しんできてくださいねっ!」
「あー、じゃあアタシはパスだなー。赤ちゃんをそんな山道に連れてけないもん」
「なぬ?」
山場先生が愛に「一緒に行けないのか!?」と詰め寄る。愛は「当たり前でしょぅー」と山場先生の小柄な身体を押しのけると、「アタシ、鬼角君と聞き込みに行くわ」と答えた。
愛は「どうせアタシは温泉は入れないしぃー」と唇を尖らせている。そういえば白浜温泉にも「タトゥーが入ってるから」と言って入ってなかった。
「それに気になるのよねぇ。鬼角君が見つけたインチキ臭い霊能力者。そいつらのこと昔の知り合いに聞いてみようかと思って」
「なるほど」真矢は頷く。元シャーマンの愛なら、そういう人脈は持っていそうだ。
「僕は真矢ちゃん達と行きますねー」背後から声がして、真矢は振り返る。いつの間に部屋から出ていったのか、カイリが手にカップヌードルを持って立っていた。
「僕、山道なら走ってもいい気がします」
「ダメだデカブツ。即死亡案件だ」
「先生酷い。僕、意外とイケる気がします」
「大丈夫。私、運転慣れてるからカイリ君の出番はないよ」
「真矢ちゃんまでっ」
「まぁまぁ」愛が間に割って入り、とりあえずクエ鍋を〆まで食べようということで話は落ち着いた。
「にしてもあれっすよねー」鬼角がクエの顎らしき物体を手に持ちながら言う。
「真矢ちゃんがあの胡散臭いおっさんのFacebook見て犯人を見つけると思いきや、そうは簡単にはいかなかったっスねー」
「ごめん」
「いやそこ謝ることじゃないっスよ」
「でも、あの中にいそうな気はするな」カイリがカップヌードルの麺を箸で持ち上げて言う。
「なんか、いやぁーな感じが画面から浮き出て見えたし」
「デカブツはもっと訓練を積み感度を上げねば役には立たんな」
「先生、酷い。僕、これでも結構頑張ってるのに」
「今日の夜にでも、もう一度カイリ君と確認してみます」
「そうね。一度できたなら、調和の陰陽魚を二人で作り出すのは簡単なはずよ」
「そうなの?」真矢の問いに、愛は「そうよ」と答え、「ここ」と指で胸を指す。
「ここに記憶された暖かさは忘れない。それに、今日行った千畳敷で真矢は地球のエネルギーを感じたって言ってたじゃない」
「確かにな。瞑想せずとも心身共に癒されるのは、自然の持つ神聖なエネルギーのおかげだ。今日はそのエネルギーを充電しにいったのだ。ヒッ」
「なるほど」真矢とカイリは視線を絡ませる。「今夜もう一度」どちらからともなく言って二人同時に頷く。
冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助は〈なんか本格的な調査が始まるみたいでワクワクしますねっ!〉と全くもって呑気なものだ。
真矢は「でも、結局被害女性の身元はまだ分かってないんだよね」と鬼角に訊く。鬼角は真っ白な骨についたクエの肉を丁寧に舐め取りながら、「そっスねー」と首肯した。
「班長の話だと、DNAが合致したバラバラ遺体は未だに身元不明。ヘアーパーツモデルって線で、警察がモデル事務所に行方不明者がいないか聞き込みを始めたぽいっスね。ま、俺じゃ、ちょっと力不足だったっスから」
「それはしょうがないぞっ」山場先生は手しゃくでお猪口に日本酒を注ぎながら言う。
「ネット上の捜査だけで事件が解決するなんてことはありえない。だがしかし」
山場先生はお猪口を口に運び、クイッと一気に呑み干すと、「棚橋警部補も大変だろうなぁ」と口元を指で拭った。山場先生はくつくつと忍び笑いを漏らす。愛が白菜を口に運びながら「大変って?」と訊いた。
「それはそうだろう。ヒッ。まさか、呪いの見える能力者が、バラバラ遺体はヘアパーツモデルの女性と言ったから捜査する、とはいえんだろう。ヒッ」
「確かに」真矢は頷く。そんな理由、日本の警察で通るはずもない。
「ということは、ヒッ、あ奴の上が動いたってことだ。これはなかなか面白くなってきたぞっ」
なんだか山場先生は目が座ってきている。
「とにかく明日の調査は二手に分かれよう」
「先生、こっちはただの観光ですよね?」
「何を言っておるっ。お前達、ヒックッ、お前達のエネルギ、地球のっ、ヒッ、エネルッヒックをだな」
「先生、ちょっとお水飲みましょうか」
「ええい。ヒッ、大丈夫、ヒッ、だっ!」
「ダメよサトミちゃん。あー、こんなに呑んじゃってもぉ」
〈なんかすごいことになってきましたね〜っ。僕はもちろんっ、綺麗なお姉さんと一緒の車に乗りますよぉ。あぁー、でもでも、ボインッなお姉さんの方も捨てがたい〜〉
呪呪ノ助に冷めた視線を投げながら真矢は思う。
そうだ。本来の目的を忘れてはいけない。これは楽しい和歌山旅行じゃなく、残忍な殺人事件の捜査なのだ。少しでも手がかりを見つけて、被害女性の無念をはらさねば。
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