13

「いいか。日没は四時五十分だ」


 助手席で山場先生が言う。運転手の真矢は前を向いたまま、「間に合うか微妙ですね」と答えた。


 和歌山市で吉川武仁から話を聞いた真矢達は、南紀白浜まで向かっていた。出発前にナビが示した所要時間は、約二時間。現在時刻は午後二時半。本当に間に合うか微妙な時間だ。


「チンタラ走るでないっ!」

「先生、これが法定速度です」

「あっ! また隣の車に抜かれたぞっ! それも軽トラックにだっ。お前、どんどん追い抜かれて悔しいとは思わないのかっ!?」


 真矢は「ちっとも思いません」と素っ気無く答える。ただでさえ慣れない大型のワンボックスカーなのだ。それに赤ちゃんも乗っている。そうそう無茶な運転はできない。


 山場先生は、スマホ片手に「いいかこれを見ろっ」と捲し立ててくる。


「先生、運転中は見れません」


 本当この人、ちょいちょい常識が抜け落ちてるんだよな……。


「白浜温泉の営業時間は五時までなんだぞっ。温泉に入り、千畳敷で夕陽を拝もうと思ったら、なんとしても四時までには温泉に入らねばならんっ」

「はいはい、善処します」

「はいは一回だっ!」


 そしてブレない……。


「んもうっ、サトミちゃん無理言わないの」二列目シートに座る愛が山場先生を嗜める。


「大丈夫よ。ナビによれば到着時間は四時十分ってなってるから」

「ふんっ。ナビなどあてにならん」


 山場先生は座席に身を沈める。


「明日は湯の峯温泉まで足を伸ばすからな。今日中になんとしても白浜の湯に浸からねばならん。今日行く白浜の湯は、日本書紀にも記されている飛鳥奈良朝から続く歴史ある湯壺でな——」と、ウンチクを語り始めた山場先生はおいておいて、真矢はルームミラー越しに後部座席をチラと見た。


 二列目シートにはチャイルドシートが取り付けられ、咲人が足をばたつかせている。その隣には母親である愛。三列目シートにはパソコンを触る鬼角と、「悪寒がする……」と自分の肩を抱くカイリが座っている。


 鬼角とカイリの間には冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助がちょこんと腰をかけ、鬼角のパソコンを覗き込んで〈ほわわぁ〜、これどうなってるんですかぁ〜っ?!〉と素っ頓狂な声を出していた。


〈鬼ちゃん凄いですぅーっ! 吉川君のスマホの中身ぜぇーんぶ見れちゃいますよっ〉


 へぇ、それは凄い。そういえばトイレに立った吉川の後を鬼角が追いかけて行ったな、と真矢は思い出す。どういう仕組みか真矢には皆目見当もつかないが、知らない方がいいだろうと思った。きっとまともな方法ではないはずだ。


 真矢は呪呪ノ助の話は聞かなかったことにして、「で? 鬼角君、なにか分かった?」と訊いてみる。鬼角はパソコンから顔を上げ、「超怪しいっスね。あのおっさん」といつもの鼻声で答えた。


「まず、県庁は一年以上前に辞めてるっス」


〈もぉっ、吉川君っ、僕には県庁職員って言ってたのにーっ〉呪呪ノ助は不満げな声を出す。


「それと、吉川武仁って本名はここ最近名乗ってないっスね。伊集院武仁いじゅういんたけひとって名乗ってるっス。Facebookもその名前で新しく立ち上げてて、シャンパン片手に東京湾でクルージングパーティしてたり、某有名ドラマのロケ地、銀座の鉄板焼き屋で高級そうな肉食べてたりと、まぁ、なんつーか、俺金持ってるぜってアピールばっかっスねー」


「ふんっ」山場先生は鼻を鳴らす。


「くだらんな。そんなアピールしてなにが楽しいんだか。ワシはSNSは好かん。虚栄心丸出しの見栄の張り合いばかりだからな」


「確かに」真矢は頷く。真矢もSNSは基本的にやってない。小説サイトにお葬式エッセイを投稿していたくらいだ。


 愛が後部座席を振り返り、「じゃあさ、高野山のお坊さんってとこはなんか分かった?」と鬼角に訊く。鬼角は「あー、それっスか」と答え、「ちょい待ちっ」とパソコンを操作し始めたようだった。


「高野山ってのはさ、弘法大師が開いた聖地なのよね。弘法大師、つまり空海は、とても心の広い素晴らしいお坊さんだし、その教えを学んだ僧侶がそんな如何わしい御祈祷をするはずないってアタシは思うんだけど」

「確かにな。中国から真の密教を持ち帰り、当時の政治権力に利用されることなく高野山を開いた空海は、素晴らしい高僧だ。だから高野山には宗教にとどまらず、あらゆる垣根を超えた人々の墓がある。歴代武将の墓もまた、高野山にありだ」


「へぇ、知らなかった」真矢がつい言葉を漏らすと、山場先生は「安心しろっ」と嬉しそうに親指を立てた。


「明日は高野山に連れて行ってやるからな。隅々までガイドしてやるぞっ」


 いや、運転して連れて行くのは私なんだけど……。


「やっぱないっスねー」鬼角が声をあげる。


「坊さんって感じの人は知り合いにいないっぽいっス。その代わり、怪しげな霊能力者を名乗る知り合いは二人いるっスね」


 鬼角のパソコンを覗き込んでいる呪呪ノ助は〈確かにすんごーくっ怪しげですよーっ〉と真矢に話しかけてくる。真矢がルームミラー越しに呪呪ノ助を見やると、呪呪ノ助はさらにパソコンに顔を近づけて、〈あれれ?〉と首を捻っていた。


〈なんかこの人見覚えあるんだよなぁ〜?〉と言っている。運転中の真矢はパソコン画面を見ることができない。ならばと、「ちょっといいですか」と声をあげた。


「佐藤清さんの幽霊が鬼角君のパソコンを覗いて、見覚えのある顔が写ってるって言ってます」

「うおっ、マジっスか?」

「だからこんなに悪寒がするのかっ」


 鬼角の声にカイリの声がかぶる。カイリは窓際に身を寄せて、消臭スプレーを取り出し自分の身体にかけている。が、ゴキブリのように耐性ができたのか、呪呪ノ助はそしらぬ顔をして鼻歌を歌っていた。


 やっぱ塩だよな。と、真矢は思う。でも、運転中だしなにも手出しはできない。すまんな、と心の中で呟いて、阪和自動車道に入った。ここからしばらくは有料道路だ。運転に集中しなくては、とハンドルを握る真矢の手に力が入る。


「真矢ちゃん、あとでその人がどの人か教えて欲しいっス。とりま、この辺の怪しい奴ら全部調べておくっスよ。あと、あのおっさんが言ってた動画を撮影したっつー甥っ子なんスけど、多分こいつっスね」

〈鬼ちゃん凄いっ! どんどん調べがついていきますねーっ〉

「えーっと、吉川守よしかわまもる、二十四歳。昨年の十月に亡くなってるっス」



 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る