「いい? それぞれの意識が光と闇に同化した時、そこに調和の形が現れるから、それからじゃないと動画はスタートしてはダメだからね」


「調和の形?」真矢とカイリは顔を見合わせ、それはどんな形なのかと同時に首を捻る。


 愛は「そうねぇ、本来形はなんでもいいんだけどぉ」と唇の先で言葉を発してから、「例えば分かりやすいところで、陰陽太極図いんようたいきょくずとか」と、人差し指を立てた。


陰陽思想いんようしそうを表す陰陽太極図は、白と黒の勾玉まがたまが組み合ってできてるでしょ。白い勾玉には目のように黒い小さな丸がついていて、反対に黒い勾玉には白い目がついている。中国ではこの勾玉を魚に見立てて、陰陽魚いんようぎょとも呼んでいるわね」

「まさに陰陽太極図は世界の調和そのものだ。——なんだ、お前達その顔は。まさかお前達、陰陽太極図を知らんのか?」


「僕はもちろん知ってますよ」カイリは真矢に視線を投げる。真矢は片眉をぴくりと持ち上げ「もちろん私も」と首肯した。


 今、愛が説明してくれた陰陽太極図は、多分、風水の本とか東洋医学の鍼灸院とかで見かける有名なマークだ。


 呪呪ノ助は胸を張り〈陰陽道はこの陰陽思想から発展した陰陽五行思想いんようごぎょうしそうを起源としていますからねっ。まさに陰陽師の原点っ。僕ももちろん知ってますよっ〉と言っている。


 真矢は呪呪ノ助にチラと視線を向け、へぇ、そうなんだ、と内心で呟いた。陰陽思想に陰陽五行思想、真矢にはちんぷんかんぷんだ。


 愛は「あのね、真矢」と説明を続ける。


「これはとっても大事なことなんだけど、陰陽の隠は闇って意味じゃないし、悪って意味でもない。隠ってのは、内側に蓄えた静かなエネルギーって意味なのよ。

 反対に陽は外側に放出される動的なエネルギーで、基本的に隠は女性で、陽は男性だと言われてる。つまり、性別的な観点で陰陽をみれば、今回の二人の役割は逆ってこと」

「え、それって大丈夫なの?」

「問題はないぞデカブツ。ある意味好都合に思える」

「好都合?」

「そうよ真矢。陰陽魚の白は真矢が光で生み出して、反対に黒はカイ君の闇で生み出す。その後で、それぞれの陰陽魚の目の部分に、それぞれの意識が干渉すれば、完璧な陰陽魚の図が生まれる。

 真矢は見えないものが見えるようになるはずだし、カイ君は光に守られ、いつもみたいに情けないことにはきっとならないってわけ。

 まー、でも、このやり方は、瞑想してトランス状態になった真矢の意識が『創造の源』に辿り着かなきゃ始まんないんだけどねー」


「創造の源……」無意識に真矢は呟く。


 愛に教えてもらった霊的な存在とチャンネルを合わせる方法とは、瞑想することでトランス状態に自分の意識を持っていき『創造の源』とコネクトすることだ。真矢は愛に教えてもらってから、何度かやってみたけれど、いまだかつて『創造の源』だと思う領域に意識が辿り着けたことはない。


 これは思っていた以上に大事おおごとかもしれない。


 そもそも私は『創造の源』がどんな領域か知らない。愛からは「行けばここが創造の源だとすぐに分かるはずよ」としか聞いていないのだから……。


 真矢の心配をよそに、愛は続ける。


「トランス状態の真矢が創造の源に辿り着いたら、きっとカイ君は意識化で真矢を見つけることができる。多分、闇の中でそこだけ光ってると思うから。

 そしたら、まずはそこで互いの存在を認め合うこと。次に、相手の存在に干渉し、自分たちが一体化していることを認識する。二人でひとつの調和がとれた存在になれたと感じたら、意識をその領域に留めたまま、目を開けて、動画を確認するのよ」


「ちょっといい?」カイリが片手をあげる。


「その領域に意識を留めるって?」

「特訓で教えてあげたじゃない」


 愛は自分の頭頂部を「ここ」と指差した。


「頭頂部に水道管みたいなパイプがあって、そのパイプは創造の源に繋がってるってイメージしておくの。イメージが大事よ。イマジネーション、イズ、クリエーションっていうでしょ。自分のイメージでパイプを創造しちゃうのよ」


 カイリと真矢は顔を見合わせ、二人揃って「難しそう」と肩を竦める。真矢も愛からその説明は聞いていた。でも、創造の源に辿り着けてないのだから、その方法を試したことはない。


「最初は難しいけど大丈夫よぉ。ポイントは、創造の源で調和の形ができた時の感覚を胸に持ってイメージすること。やってみれば、案外できると思うから」

「でも、なんか私、聞いてるうちにちゃんとできるか不安になってきた……」

「僕も……」

「大丈夫だって。きっとできるってアタシ信じてるから。それに、創造の源へ行くために一番重要なのは、自分がその領域に行けるってことを疑う余地なく信じること。さらに言うなら、自分が創造の源へ行けるってことをこと。だから、あんた達が自分で行けると思えば、必ず行けるんだから」


〈ボインなお姉さん色々詳しくってかっこいいっ! これはまさに意図的にチャネリングする方法ですよねっ。僕ぅ、どっかで聞いたことがありますっ〉


「チャネリング?」呪呪ノ助に向けた真矢の問いに、愛は「そうね、チャネリング」と答える。


「チャネリングは、誰でも特訓を繰り返せばできる。でも、あんた達は、すでに霊的な存在に接触することのできる体質だから、コツさえ掴めばすぐ習得できるはずよ」

「愛の言う通りだ。くくくっ。お前達が今回の件を乗り越えて、意図的にチャネリングできるようになったら、ワシの呪物蔵にしばし派遣してやるわ」


 山場先生の言葉で真矢の血の気が少しひく。カイリも同様だったのか、「やだ。先生、それだけはやめて。僕、今すぐこの話から降りるから」と首をぶんぶん振り始めた。


「馬鹿者。そんなこと許してなるものか。自分でやると言ったのだ。最後までやり通すのが男ってもんだろ」

「先生、今時その発言はアウトです」

「コンプラ違反だとでも言いたいのか? お前も乗り掛かった船だと言っておっただろう」


「くくくっ」山場先生は忍び笑いを漏らしながら、真矢達から距離をとり始める。愛は「ファイトッ!」と軽い口調で親指を立てた。


「さぁ、注連縄から出ろ。健闘を祈る」


 山場先生に言われ、真矢とカイリはしぶしぶと注連縄の外に出る。


 注連縄の外はどことなく空気がささくれだっていた。真矢は山場先生が即席で用意した注連縄は、そこそこの力があったのだと思った。それか、赤子である咲人の邪気のない浄化力のおかげなのか。


 身体の芯まで凍えるような冷気が、薄暗い足元から真矢の身体を撫でていき、全身の毛穴という毛穴が縮みあがっていく。真矢は腕を摩った。厭な気配だ。


 パソコンの横では、冴えないおじさん幽霊が〈ガンバですよっ! きっとできますよっ! ぐふふっ!〉と嬉しそうに言っている。


 幽霊なのに、霊感ゼロだから、この厭な気配も感じないんだな、と恨めしそうに真矢は呪呪ノ助を一瞥し、でもそうだよな、と思う。


 心が瘴気に飲み込まれてはいけない。

 馬鹿騒ぎするくらいの気持ちで取り組まねば。


「よし」真矢は自分に気合を入れて、「それじゃあ」とカイリに手を伸ばす。カイリは真矢の手を握ると、眉間に皺を寄せ、「真矢ちゃん」と心配そうな声を出した。


「僕、訓練したけど、創造の源にはまだ到達できてません。だから、ダメだと思ったら、すぐに僕の手を離して先生達のところへ行ってくださいよ」

「わかった。やばいと思ったら脱兎のごとく逃げ出すから安心して」

「酷い! そこは目を潤ませて、絶対この手を離さないって言う場面でしょっ?!」

「冗談だよ」

「冗談でも酷いっ。僕の心は傷つきました!」

「馬鹿騒ぎするくらいの気持ちで取り組めって言われたでしょ」

「それでも僕のガラス細工のような繊細な心は傷つきましたっ!」

「よし、その勢だ! お口にチャックで始めるよ」


 大丈夫。今の私とカイリ君は心が陰鬱じゃない。真矢はカイリの手をぎゅっと握った。


「絶対に離さないから安心して」

「なんか子供扱いされてる気がするけど、僕もです」


 真矢はカイリと視線を絡ませると、静かに目蓋を閉じた。


 愛に教えてもらった瞑想の呼吸法を思い出し、鼻からゆっくりと酸素を取り込み、腹式呼吸を繰り返していく。


 目蓋を閉じた真っ暗な世界の中で、石油ストーブの上のヤカンが湯気を吐く音が聞こえる。それを上塗りしていく自分の呼吸音は、だんだんと凪いだ日の穏やかな波のように、寄せては引いてを繰り返していく。


 船が海底にいかりを下ろし、その場に留まり続けることができるように、真矢は深い呼吸を繰り返しながら、まずは自分の意識を、今、ここ、に留めるイメージを繰り返す。


 肉体の有無を完全なる認識として自分の中に保ちながら、真矢は愛が教えてくれたように、深い呼吸をさらに繰り返して、身体の力を徐々に抜いていく。


 かくん、と、真矢は肩の力を抜き、腕の力を抜き、カイリの手を握っている力を抜いていく。すり抜けていきそうな真矢の指をカイリの手が繋ぎ止めてくれているのが分かる。


 大丈夫。私はひとりじゃない。


 カイリの存在をすぐそばで感じ、絶対的な安心感を手に入れた真矢は、意識を下へ下へと降ろしていく。意識が向かう先は、地球の中心だ。


 真矢は美しい地球の風景を思い出す。


 風になびく季節の草花。頬を撫でていく暖かな春の風。美しい清流のせせらぎや、みずみずしく苔むした岩。そこに住う小さな生き物達。


 大地を駆けるバッファローの群れも、ジャングルで求愛ダンスを舞う極楽鳥も、きっと今、この瞬間を生きている。


 草も木も花も、動物や微生物も。生きとし生けるもの全てを育むこの地球は、生命力に溢れている。その生命力は純粋な地球のエネルギーそのものだ。


 真矢はイメージする。その地球の真ん中にある純粋なエネルギーと自分の意識が同化することを。偉大なる地球は、真矢のイメージの中で、太陽のように光り輝くエネルギー体となり、真矢の全てを包み込んでいく。


 暖かい。と、真矢は思う。これが、地球の生命エネルギーなのだと、真矢は理解する。真矢を包み込んだ光は、地球の中心から上昇し、真矢の足裏を通じて、体内へと戻ってきた。


 真矢の意識を包み込んだ神聖な光は、体内を順に光で満たしていく。そして、光は、真矢の頭頂部からぽんっと抜け出して、さらに上昇を始めた。

 

 山場先生の研究室を抜けて、真矢の意識を包んだ光は、さらに上へと向かっていく。東京の上空へ、宇宙へ。星々が瞬く宇宙空間はどこまでも続き、やがて、あまたの光が渦を巻く、白いブラックホールのような穴の中へと吸い込まれていった。


 瞑想をして、こんな状態になったのは初めてだと、真矢は思う。今までは、地球のエネルギーと同化するところまでしかできなかった。


 まずは私が光になること。そして、闇を担うカイリ君と同化して調和をとること。


 行こう。創造の源へ。

 真矢が意識をさらに上昇させながらそう思った時だった。


 真矢の意識を包み込み、上昇を続けていた光の球は、白一色の世界で突然雲散霧散うんさんむしょうした。そこは、上も下も、右も左もない純白の世界だった。


 どこまでも続く果てなき白の世界。


 唐突に、真矢の周辺にどこからともなく暖かさが湧水のように滲み出てきた。まるで、暖かい春の陽だまりの中にいるような心地よくて優しい暖かさだ。


 あぁ、ここだと真矢は思う。ここが愛の言う創造の源の領域なのだ。


 真矢はしばしその暖かさに意識を委ねた。委ねれば委ねるほどに、真矢は真の癒しを感じていた。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。


 ——見つけたよ、真矢ちゃん。


 カイリの声がした。刹那、白一色だった世界に、墨を流したように黒の世界が侵入し始めた。きっとこれがカイリの意識が作り出した闇の世界だと真矢は瞬時に理解する。カイリもまた、創造の源へ辿りつくことができたのだ。


 ——私も、カイリ君を見つけたよ。


 純白の和紙に水墨画を描くように、闇の世界は光の世界を蛇行して美しい曲線を描いていく。たっぷりと筆に墨を含ませたような線は、白く発光する真矢の周りをくるりと完璧な円で囲み、みるみる間にその範囲を広げ、黒い陰陽魚の形を成していく。それと同時に、白い陰陽魚の姿もまた、明瞭になっていった。 


 決して混じり合うことのない白と黒の境界線。二匹の陰陽魚は戯れ合うようにお互いの尻尾を追いかけて、何度も何度も二匹でひとつの円を描いて泳ぐ。二匹の魚が円を描くたび、真矢の胸に説明し難い愛おしさが湧いてきた。


 きっと、二匹の陰陽魚は、お互いに愛おしく、手放しがたいと思っている。今、私達は、二人でひとつの調和がとれた存在なのだ。と、真矢は確信する。


 真矢は心の中でカイリに声をかけた。


 ——カイリ君、準備は整ったよ。目を開けて動画を再生しよう。


 


 

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