なんでも望みが叶う動画

「真矢ちゃんも一緒に注連縄から出るなんて危険ですよ」


 カイリの言葉に真矢は「ううん」と首を振る。


「私もチャンネルが合ったら見えるかもしれないでしょ。ほら、あの黒髪ウィッグの時みたいにさ」

「だからって」

「大丈夫だよ」


 真矢は力強く言い切る。愛の方を振り返り、「邪気のシャットアウトがちゃんとできれば危険じゃないよね?」と訊いた。咲人を抱いている愛は身体を揺らしながら「まぁ、そうだとは思うんだけどぉ」と心配そうに眉根を寄せて、「でも危険は危険かもしれないよ」と肩を竦めた。


「だって、その動画観て、その辺にいるキヨシは死んだわけだし」


「いや、愛、違うぞ」山場先生は言う。


「さっきも言ったが、佐藤清は、自分が呪われたいと願いながらその動画を観た。だが、デカブツもコイツもそんな馬鹿な願いは微塵も持ってはいない」


 注連縄の外で、呪呪ノ助が〈自分が馬鹿だったって、今ならわかりますぅ〉と情けない声を出す。


〈後悔先に立たずですぅ。生きてた方が幽霊よりも百倍幸せですぅ。今や僕は地縛霊のようにパソコンから離れることもできませぇん……。僕ぅ、僕ぅ……なんてことをしちゃったんでしょうぉ、自殺みたいなもんじゃないですかぁ〜、うううっ〉


 グスグスと鼻を鳴らす呪呪ノ助は、闇に溶けて消えてしまいそうなほど、冴えないおじさん姿を薄くしている。


 愛は「てことは——」と、顎に手を当てて目を瞑り、なにやら逡巡し始めた。元シャーマンの愛はその能力を全て失ったとはいえ、知識だけは頭の引き出しに残っている。まさに今、その引き出しをあちこち開けて、最善の方法を探している。


 しばし間があり、「そう思うと、そうか」愛は大きな瞳を開け、「そうよ」と納得するように頷くと、「確かに二人の方が危険は少ないわね」と、人差し指を立てた。


「呪いの瘴気が見えるカイ君は、いわば闇。だから反対に、真矢が光になれば、陰陽のバランスが保てる」


「そうね。だとしたら」愛は真矢とカイリの顔を交互に見比べ、「こうしたらどうかな」と思いついた方法を語り始めた。


「まずは二人が手を繋ぎ瞑想して陰陽のバランスをとる。その後で、パソコンの動画を再生する。そうすればきっと、カイ君の障りを真矢が解放しながら動画の確認ができると思う」


「その通りだな」山場先生が言う。


「デカブツは呪力探知機としては有能だが、それまでだ。だがそれに比べコイツは今までの話を聞く限り、確実に死者を浄化の道へと導いている。光と影、すなわちそれは隠と陽。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、陽と陰が調和して初めて自然の秩序を保っている。お前達が、それぞれ隠と陽を担うことができるのであれば、調和が取れ、危険は格段に減るだろうな」


「隠と陽?」首を傾げるカイリの問いに、山場先生は「お前が闇を担えってことだっデカブツッ」とカイリの背中を思いっきり叩いた。ぐほっ、とカイリの口から呼気が漏れる。


「いったいなぁーっ! 先生ひどいっ。叩かなくてもいいのにっ!」


 カイリの発した大きな声が、研究室の空気を一変させる。真矢は、あぁそうか、と気づいた。さっきまでのどこか重たい空気は、カイリ自身の身体から発生していたのだ。山場先生は「うるさいデカブツ」と厳しい口調で話を続けている。


「お前が辛気臭い顔をしているからだ。そんな顔をして注連縄の外に出たら一発アウトだぞ」

「そうよカイ君。闇の勢力は、そういうちょっとした心の隙間に入るんだから」


 闇の勢力。その言葉をその昔、誰かから聞いた気がする。真矢は胸の奥に小さな痛みを覚え、その正体を知りたいと思った。が、愛が「つまり馬鹿騒ぎするくらいの気持ちで向き合えってことよ」と続けたことで、胸の小さな違和感は消えていく。


〈なんかもぉ、皆さん、ほんとぉにぃ、すいましぇえん……〉


 眉を八の字に下げ、申し訳なさそうに言う呪呪ノ助に、真矢はふっと頬を緩ませると、「乗り掛かった船だって言ったでしょ」と告げた。なんだかんだいって、このおじさん幽霊には助けられている。だから、今度は私がその望みを叶える番だ。それに『なんでも望みの叶う動画』のことがもっと分かれば、呪呪ノ助に繋がれている、見えない鎖を解けるかもしれない。


「とりあえず、塩を振っておくか」


 真矢は椅子から立ち上がり、ポケットの中から天然塩入りの小瓶を取り出すと、自分の身体に塩を振りかけ、その後で隣に座るカイリの頭に手を伸ばした。それに気づいたカイリは「やだっ」と真矢の手首を握る。


「やめて真矢ちゃん。塩は洋服に悪いからっ」

「大丈夫だよ。念のためだって」

「本当やめて」


 カイリは真矢の手首を大きな手で強く握り抵抗する。が、カイリの背後に立つ山場先生が「念のための天然塩だ。ありがたく受け取れ」と、真矢が握っている小瓶を取り上げた。山場先生は内キャップを片手で器用に外し、サラサラと砂時計の砂が落ちていくように、天然塩を全てカイリの頭に流し落としていく。


 先生、その塩、結構お高いんですが……。


 真矢のポケットに入っていた天然塩は今日新しくおろしたものだ。それも一瓶が千円以上もする塩で、真矢にとってはかなりの高級品だ。


「僕の、僕のっ、髪の毛の中にっ、塩が侵入してくるっ」

「うるさいぞデカブツ」


 空の瓶をポイッと投げ捨てた山場先生は「こうしてくれるわ」と、カイリのもじゃもじゃの髪の毛に片手で塩を揉み込んだ。結んでいたカイリの髪の毛がみるみる間に解け、鳥の巣のようになっていく。


「髪がっ。僕の髪がっ。それに清潔感のある僕の肩にあろうことかフケみたいに塩が落ちていくーっ」

「その勢だデカブツ。さっきよりも元気な顔をしておるぞ。よし。もっとやってやる」

「もういやっ、先生、分かったから、もうやめてぇっ」

「なんならワシの塩も追加してやろうか?」

「もうっ、もうっ、充分ですっ!」


 山場先生とカイリのお戯れを見ながら、真矢は愛が言った通りだなと思う。愛は「馬鹿騒ぎするくらいの気持ちで向き合えってことよ」とさっき言っていた。シンデレラ城の子供達が地下室の魔を祓う力があるように、大人だって心の持ちようで、同じ状況下でもこんなに空気を変える力を持っているのだ。


 そう、すでに死んでいる死者の心さえも変えるほどの力を——。


〈あいたっ。ぐふふっ。あいたたたっ。塩がこっちまで飛んできますぅーっ。なんか皆さん楽しそうでっ、僕ぅ、ちょっと元気になってきましたっ〉


 注連縄の外では、冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助が、時々飛んでくる塩を避けながら戯けていた。その姿は、もう闇に溶けてしまいそうなほど薄くはない。


「さぁ、馬鹿な茶番はこれくらいにしてだな」


 山場先生がカイリから一歩離れる。パンパンと洋服についた塩を叩くカイリに、山場先生は不適な笑みを浮かべ「デカブツに動画をチェックしてもらおうか」と言った。

 



 












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