「なっ、なっ、なっ、なっ、なっ、なんでっあいが子供を産んでおるのだぁーっ?!」


 山場先生の薄暗い研究室。驚きのあまり、コントのように椅子から転げ落ちた山場先生が、咲人を抱く賀茂愛を指差して言う。研究室の入り口で、真矢の隣に立つ愛は「あー、サトミちゃんそこからだもんねぇ」とちょっとめんどくさそうな顔をして、「込み入った話は後ほどってことで」と、カツカツブーツを鳴らして山場先生の近くまで足を進めた。


 愛は山場先生の手を握り、ヒョイっと軽々と山場先生を持ち上げる。小柄な山場先生は床から下駄を履いた足を浮かせ、愛の腕の動きに合わせ、カタンと床に着地した。


「てことで久しぶりサトミちゃん。てか、白髪増えたよね」

「うるさいっ。急に一年くらい前から増えたのだ。違うっ! 今はそんな話はどうでもいいっ! お前、な、なんで子供を抱いておるのだっ?!」

「だからさっきも言ったでしょ。産んだからに決まってるじゃない」

「そんなことがあるわけっ」

「うんうん。この世界は不思議に満ちているんだよサトミちゃん」

「ふっ、不思議すぎるだろぉー」


 山場先生はあたふたしている。反対に愛は子供をあやす母親のように冷静だ。愛は「おやおやぁ?」と山場先生の前髪を手で持ち上げ顔を覗き込む。


「相変わらずキュートだわ。顔は全然老けてないのねサトミちゃん」

「そういうお前は相変わらず派手な顔をしているな」


 山場先生は「違う違うっ!」と愛の手を振り払うと、「だから今はそんな話はどーでもよくてだなっ」と愛に食ってかかっている。


 楽しそう(?)に戯れる二人を見ながら真矢は思い出す。愛はここに来るまでの道中で「むちゃくちゃ久しぶりなのよねーサトミちゃん」と山場先生のことを言ってた。だから二人はきっと古い知り合いなのだ。それも結構仲がいい知り合いなんだろうなーと、真矢は思った。


 真矢とカイリ、幽霊の呪呪ノ助はヤスさんと別れた後、買い物帰りの愛を渋谷の路上でピックアップして、山場先生の研究室にやってきていた。


 喫茶店でヤスさんが「祓う以外の方法ねぇ」と腕を組み、出てきた答えが「死者の無念を晴らし、この世の未練を断ち切ればもしかして」だったからだ。


 ヤスさん曰く、地縛霊は仏教でいうところの輪廻の輪から離脱している霊魂らしく、このままでは輪廻転生することもなく、肉体を持たない地縛霊の霊魂は、そのうちボロボロになって消滅してしまうとのことだった。だからその前に、呪呪ノ助が輪廻の輪に無事に戻りたいと思えること。それが一番大事だとヤスさんは言った。


「やり残したこと、心残りに思ってることを叶えてあげりゃあ、もしかして」


 昭和レトロな喫茶店で、死者である呪呪術ノ助はヤスさんの話に〈おおっ〉と声を上げていた。その後で、パンっと両手を合わせ、〈それは死ぬまでにしたい百のことですねっ〉と、意味不明なことを言っていたけれど、真矢は「お前はもう死んでいる」とつい呟いてしまった。それをいうならば、成仏するためにしたい百のことだと思う。でも、百個も心残りがあるのは勘弁だと、真矢は思った。さすがに付き合いきれない。


 そのことを真矢がヤスさんに相談すると、ヤスさんは「とりあえず、一番の心残りからやってみてはどうだ?」と教えてくれた。


 であればと、真矢は呪呪ノ助に「一番の心残りってなに?」と訊いた。呪呪ノ助の回答は〈綺麗な顔のお兄さんが言っていた、僕の持ってる呪物の中で最強だという呪物ッ。それが何かを知りたいですーっ〉だった。カイリによるとそれはパソコンの中にあるデジタル呪物で、今は山場先生の呪物蔵に仕舞ってあるという。


 ——というわけで、「山場先生の研究室に行くなんてありえない」と渋るカイリを真矢はなんとか説得し、山場先生の研究室まで来たのだった。


 もしかしてそれが不機嫌の原因なのかなぁ?


 真矢は首を捻る。が、その疑問よりも別の疑問の方が真矢の頭を支配していく。


 愛に引き上げられ、床を踏み締めた山場先生は「それは本当にお前の産んだ子供なのか? なぁ、そうなのか?」と困惑気味な声を繰り返し、といっても山場先生の美しいソプラノ声では困惑しても小鳥の囀りにしか聞こえないのだが……、それはさておき、とにかく山場先生は銀髪の山姥ヘアーをわさわさ揺らしながら、愛の抱く咲人を物珍しそうに見ている。


「まぁ、そういうことになるよね。アタシがお腹を痛めて産んだんだから」


 愛は腕に抱いている咲人を「んしょっ」と抱き直し、「サトミちゃんのその反応が普通だよね」と苦笑しながら言った。


 真矢は首を傾げる。その反応が普通? それは一体どういう理由で?


 遅れて研究室に入ってきたカイリが「ん?」と山場先生と賀茂愛を見比べている。その後で、「あー、ね」と妙に納得し、「まぁそうなるよね」と、長い足をスタスタ動かし真矢の横を通り過ぎていく。カイリはテーブルに備え付けてあるパイプ椅子を引き出して腰掛けた。


 まぁそうなるよね? 真矢はまた首を捻った。真矢には意味が分からない。


 呪呪ノ助は〈うわぁーいっ! お久しぶりですぅ〜、ヤマンバせんせーいっ〉と、まだあたふたしている山場先生の横に立ち、両手をひらひら振っている。


「おっ、おいっ、デカブツ」山場先生がカイリのことを呼ぶ。カイリがめんどくさそうに「はいはい」と答えると山場先生は、「はいは一回だ! デカブツ!」と言った後で、「いや、お前、それよりもだなっ」とカイリのすぐそばまで小走りに駆けていく。


「こっ、これは一体、どういうことなんだっ?! 愛は、愛は、愛は、ニュ、ニュにゅにゅニュニュッ?!」山場先生は椅子に座っているカイリの肩を掴み、グラグラ揺らす。カイリはされるがままに揺れながら「あ゛ー」と声を震わせて、「それ先生の勘違いってことにしてもらってー」と気の抜けた声を出している。


「もー、サトミちゃんてば、昔から本当にめんどくさいんだから」


 愛は真矢に近寄ると、「ちょっとお願い」と咲人を預け、「サトミちゃんちょっと落ち着いて」と、二人に割って入る。が、山場先生は「これが落ち着いていられる話だと思うのかっ」と愛に向き直った。その身長差、約二十センチ。


 赤い半纏を着た山場先生は思いっきり顎を上げ、「だって、お前っ」と、愛を見上げる。今日の愛は、授乳に便利という理由でキサキマツシタを着ている。愛の顔はゴージャスな美人の部類に入る。デザインカットが施された黒いワンピース姿の愛は、まるで、映画『マレフィセント』を演じたアンジェリーナジョリーのようだと、真矢は思った。愛の顔はアンジーよりも大分優しいけれど。


 黒尽くめのナイスバディの魔女に、赤い半纏を着た山姥が睨み合う(?)姿はなかなか異様な風景だ。そんなことを思いながら真矢がその様子を窺っていると、数秒の沈黙の後、山場先生は慎重に言葉を選びながら、「なぁ、おまえ、どうやって、妊娠、したんだ?」と愛に訊いた。


 山場先生の質問を句読点の数だけ「うん、うん」頷きながら聞いていた愛は、「実はあのね——」と山場先生の耳元に口を近づけ、なにやら話している。その声は小さくて真矢には聞こえなかった。


 呪呪ノ助はそんな二人のそばに行き、耳に掌をくっつけて〈なになにぃ?〉と盗み聞きをしている。真矢は幽霊という存在を初めて羨ましく思った。その内緒話、気になりすぎる。


「ふん、ふん」と、山場先生は愛の話に相槌を打ち続け、最後には「なんとっ!」と大きな声を出した。山場先生は「ふうむ」と頷き、顎を手で撫でる。「この世界は不思議に満ちている。確かになぁ」と、山場先生は呟くと、顔をパッと輝かせ、「大変興味深いっ!」と、おもむろにポケットから何かを取り出した。


 山場先生はパタタタタッと音を出しながら黄金の扇子を広げ、パタパタ仰ぎ始める。その様子を見た愛は、「あー、サトミちゃーん」と残念そうな声で言い、「というわけで、その扇子、もう効果ないかも」と申し訳なさそうに付け足した。


「なななななっ、なんだぁってぇっ?!」

「ごめんねぇ。アタシ、全部能力消えちゃったから。あ、もしかして白髪の理由はそれだったりする?」


「う、そ、だろ……」と山場先生が落胆した声を出した時だった。山場先生の手から黄金の扇子が滑り落ち、カンコンッ、パサッ、と小さな音が研究室内に虚しく響いた。


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