「せっかく渋谷に来たんだし面白いもん見せてやるか」と、ヤスさんが言い、真矢とカイリ、おじさん幽霊の呪呪ノ助は、青山千夏が転落死した雑居ビルの近くまで来ていた。


 狭い路地にはパトカーや黒塗りのセダンが複数台停まり、制服警官やスーツ姿のどう見ても堅気に見えない人々がいる。その周りを取り囲むように野次馬な人達の姿もあった。


 スマホ片手に雑居ビルを撮影する野次馬が作った壁の向こう側から、カツラをかぶったような髪型の、背の高い中年男性がこちらに向かって手をあげているのが見える。真矢の隣に立つヤスさんが、その中年男性に答えるように「おうっ」と片手をあげた。


 呪呪ノ助が〈なんかだ大捕物って感じですねーっ。グフフッ〉と嬉しそうに笑う。呪呪ノ助は〈僕っ、もっと近くで見てきますねっ〉と、人垣をすり抜けて雑居ビルの方へ飛んでいった。


 やれやれ全くだ。と、真矢は思う。喫茶店でヤスさんから、呪呪ノ助こと佐藤清の死の顛末を聞いた時は、なんとも居た堪れない気持ちになった真矢だったが、居た堪れなかった私の気持ちを返して欲しいと思うくらい、おじさん幽霊の呪呪ノ助は明るい。


 不意に真矢の背後から「おっ。ここだここだ」と男性の声がして、真矢の背中にドンっと衝撃が走った。身体が傾き「おわわっ」と、よろけた真矢の腰にカイリがすかさず手をまわす。ギリセーフ。真矢は転倒するのをなんとか逃れた。が、真矢の顔はパフっとカイリの胸に埋まっている。真矢は慌てて「サンキュー」とカイリの胸から顔を引き剥がした。


「真矢ちゃん。気をつけてくださいよ」冷めた声でカイリは言う。その声で、カイリはまだ機嫌が悪そうだと真矢は思う。


「だって急に押されたんだもん。気をつけようがないじゃん」と真矢が語気を強めると、「それでも気をつけてくださいよ」とカイリは吐き捨てて、「あぁあ、僕の大事な洋服に真矢ちゃんのファンデーションが」と、迷惑そうな顔でパンパンと洋服の胸元を手で叩き始めた。


 カイリの着ている黒服の胸元に、ファンデーションなんてついていない。そもそも真矢はファンデーションは使わずにフェイスパウダーだ。嫌味なカイリの行動に「助けてくれって頼んでないし」と真矢は唇を尖らせる。


「そうですね。真矢ちゃんは真矢ちゃんにだけ見える幽霊が憑いてますもんね。僕じゃなくてその幽霊に守ってもらえば良いんですよね」

「なんなの? その言い草は?」

「別に」


「もうっ、感じ悪いよカイリ君っ」真矢はカイリの背中をバシンと叩く。カイリは「ふんっ」と整った鼻梁の鼻を鳴らし、「感じ悪くて結構です。どうせ真矢ちゃんはもうすぐ地元に帰るんでしょ。僕の好意を全部無駄にしてもうすぐ地元に帰るんですからね」と早口に言った。


 なんなんだもう。


「だからぁー」真矢がカイリに向き直り、「帰って欲しくないってこと?」と言いかけた時だった。


「安田さーん」とヤスさんを呼ぶ男性の声がして、真矢は言葉を飲み込む。真矢とカイリの痴話喧嘩を横でククッと笑って見ていたヤスさんが、声のした方に視線を向け、「おうっ」とまた片手をあげた。


 真矢もヤスさんの視線を追いかける。人混みを掻き分けて、スーツを着た背の高い男性がこちらに向かって小走りに駆けてくるのが見えた。


「いやぁ、安田さんのおかげですよ」おでこの形に切り揃った前髪の、太い眉毛の中年男性はヤスさんに話しかける。ヤスさんは「俺のおかげっていうよりは棚橋のおかげだわな」と言った後で、「米村よねむら、棚橋の名前は絶対に出すんじゃねぇぞ」と唇に人差し指を当てた。


「わかってますって。それにしても、棚橋は相変わらず律儀というかなんというか」

「カハハッ。違ぇねぇ。本庁のソタイが聞いたら大目玉食らっちまうわな」

「えぇ。本庁の奴らも所轄にヤマを持ってかれたら面目丸潰れですからね。まぁうちとしては大手柄ってことでありがたいんですけど」

「カハハッ。違ぇねぇ違ぇねぇ。まぁ棚橋も古巣に恩義を感じてるってことよ」


 米村と呼ばれた中年男性は、ヤスさんこと安田警部補と同じ所轄の刑事らしく、呪詛犯罪対策班の班長、棚橋刑事の名前を出して話している。米村刑事の短く切り揃った前髪の下では、毛虫サイズの太い眉毛が、話しをするたび上下に動いていた。黒くて太い眉毛がぴょこぴょこ動く米村の顔はコミカルで、警察にもいろんな人がいるんだなぁと、真矢は思う。米村の顔も、ヤスさんの顔も、一回見たら忘れそうにない顔だ。


 と、真矢がそんなことを思っていると、〈やっぱりですぅーっ〉と興奮した様子の呪呪ノ助が真矢のところへ戻ってきた。


〈千夏ちゃんの落ちたビルっ! やっぱり悪い人達のアジトでしたっ!〉

「アジト?」


「アジトって?」真矢の隣に立つカイリが真矢を見下ろし訝しげに言う。真矢は「あー、佐藤清の幽霊がそう言ってるから」と答えるとカイリは一気に不機嫌な顔になり「あっそ」とそっぽを向いた。


 その態度はなんなんだ。お前が聞いたんだろう? と思ったけど、真矢はグッと堪える。カイリには死者の声が聞こえないのだから仕方ない。場の読めない呪呪ノ助が〈あれぇ? なんだか、喧嘩中ですかぁ?〉と真矢とカイリを交互に見た。


「喧嘩とかしてないし」真矢は吐き捨てる。「ええしてませんよ」とカイリは素っ気なく言う。「で?」と真矢が呪呪ノ助を睨むと〈なんで睨むんですかぁ〉と呪呪ノ助は頬をプクッと膨らませ、真矢に軽く抗議した後で、〈あっそれよりもですってーっ〉と、雑居ビルの中の様子や野次馬がしていた話などを興奮気味に語ってくれた。


 呪呪ノ助の話によると、千夏が転落死した雑居ビルの三階奥には外国人だと思われる犯罪組織のアジトがあり、小一時間ほど前に警察がガサ入れを行ったという。


〈それがそれがぁーっ、SNS情報によるとっ、なんとっなんとっ、発砲騒ぎになったらしいですよっ〉

「発砲?」

〈そうですそうですっ。悪い奴が警察官に向かって銃をバーンって撃っちゃったみたいですっ。その音を聞きつけた誰かがSNSで拡散してこぉーんな騒ぎになっちゃってるようでっ〉


 真矢は雑居ビル周辺を見渡す。確かに、大騒ぎではある。野次馬がスマホを持った手を頭上に伸ばし、雑居ビルを撮影している様子はなんというか、あさましい。


〈でですねっでですねっ〉冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助は、〈犯人は警察に向かって〉銃を構えるフリをして〈バーンッ〉と空中を撃つ。その後で、呪呪ノ助は自分で撃ったくせに自分の胸に手を当てて〈うっ〉と呻いていた。


 その寸劇に意味はあるのか? と真矢は湿った目を細める。が、それに気づかない呪呪ノ助は〈そこで日本の警察がとった行動はですねっ〉と貧相な顔を輝かせた。


〈エイヤーッとりゃ〜ッと、悪者を次々と制圧し——〉


 長くなりそうなので、真矢は呪呪ノ助から視線を外す。犯罪者が銃を発砲したなんて、大事だ。誰も怪我などしてなければ良いのだけれど。と、ヤスさんを見たけれど、ヤスさんは米村刑事と「ほんじゃいつ呑みいくよ」と和やかな会話をしていた。


 きっと発砲騒ぎなんてなかったのだろうと真矢は思う。きっと誰かがSNSにふざけて投稿したデマ情報だ。そういう根も葉もない情報をさも本当にあったことのように垂れ流し、インプレッションを稼ぐ輩はネット社会にごまんといる。


〈もぉっ、聞いてますかぁーっ〉と呪呪ノ助が真矢の眼前で手をひらひらさせた時だった。真矢のコートのポケットの中でスマホが震えた。


「ちょい待ち」真矢は呪呪ノ助に片手をあげる。〈むぅ〉と頬を膨らますおじさん幽霊を無視してスマホを取り出すと、愛からのLINEが届いていた。


《まだ渋谷ならちょっと迎えにきてくれない?》と、位置情報付きの愛からのLINE。


 真矢は思う。今日はこの後、山場先生の研究室に行くことになっている。不機嫌なカイリとのドライブは息が詰まりそうなことこの上ない。愛がいれば、きっと随分マシなはず。


 真矢は《了解。すぐ行きます》と愛に返信をして、ふと思い出した。


 そういえば、雑居ビルから転落を繰り返していた青山千夏の残留思念は消えたのだろうか?



 

 



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