呪詛調査 ——呪呪ノ助のデジタル呪物——

呪呪ノ助の死因

「なるほどなぁ。それで俺にねー」


 ズズズッと音を出し、安田警部補ことヤスさんがコーヒーを啜る。「おっ、こりゃうめぇや」と眉毛を山形にしたヤスさんの丸渕眼鏡は、コーヒーの湯気で白く曇っていた。


 ヤスさんはコーヒーカップをソーサーに戻すと眼鏡を外し、「いけねいけね」と、くたびれたスーツの裾で眼鏡をキュキュっと拭いている。その横ではおじさん幽霊の呪呪ノ助が首を伸ばして辺りを窺い、〈昭和レトロな純喫茶ですねーっ〉とウキウキした様子で座っていた。


 クリスマスパーティーの翌日。真矢とカイリ、幽霊の呪呪ノ助は、ヤスさんに会いに渋谷区まできていた。


 真矢の横ではカイリがコーヒーを啜り、「ふうん。まぁまぁだね。でも僕が淹れた方が——」などと、お店の人に聞こえやしないかと、真矢がヒヤヒヤするようなことを言っている。真矢は肘で「おい」とカイリをたしなめ、「お忙しいのに変なこと頼んじゃってすいません」と、ヤスさんに向かって頭を下げた。


 ヤスさんは丸い顔に丸い眼鏡をかけ直すと、下の前歯が一本ない歯を見せてニカッと笑った。「もちろん調べてきてやったぜ」と親指を立てる。


「二階堂さんみたいな若い女の子に、おじさんの幽霊が憑きまとってるなんて聞いちゃあほってはおけねぇーよっ。なんとかしてやらなきゃ、寺の息子が廃るってもんよ」


 ヤスさんは「へへっ」と笑う。その隣で呪呪ノ助は〈むぅ〉と頬を膨らませ、〈憑きまとってるって言い方ーっ!〉と人差し指をブンブン振って抗議している。呪呪ノ助の姿が見えていないはずのヤスさんは、胸ポケットから消臭スプレーを取り出すと、無表情のままシュシュッと呪呪ノ助に吹きかけた。呪呪ノ助は〈ひゃあ〜っ〉と情けない声を出し、空中に舞い上がっていく。


「カハハッ。なんか気配を感じたもんでよ」

「的確だと思いました」

「そうかい? カハハッ。見える二階堂さんがいうならちげぇねぇや」


 天井を抜けていくおじさん幽霊を見ながら真矢は思った。もうそのまま帰って来なかったらいいのにな、と。そしたらすぐにでも地元に戻って職探しできるのに。でも残念ながら〈やっぱりこのおじさん、怖いですぅ〜〉と呪呪ノ助は真矢の背後に姿を表して、真矢はやれやれと首を横に振った。


「で?」カイリがカチャンと音を立ててコーヒーカップをソーサーに戻す。長い脚を組み替えたカイリは、「四十五日が来れば佐藤清の魂は消えるんだよね?」と一息に言い切った。と、「おっと、電話だ」とヤスさんはスマホをポケットから取り出して席を立つ。「悪りぃ悪りぃ、ちょっと待ってて」と真矢達に言うと、カランコロンとドアチャイムを鳴らして、店の外に出て行ってしまった。


〈ふぅ。怖いおじさんがいなくなりましたぁ〉呪呪ノ助はヤスさんが座っていた場所にちゃっかり腰をかける。


 真矢は隣に視線を向けて、さっきの言い方といい、なんだかカイリは今日一日不機嫌そうだな、と思った。車に乗ってても、なんだかそっぽを向いていた。話しかけても短い返事が返ってくるだけだった。


 真矢はカイリが不機嫌な理由を考える。


 昨日のクリスマス会で、「もういっそ、東京に引っ越して僕と一緒に住めば?」というカイリの提案を真矢が即座に「ないわ」と断ったからだろうか。


 それとも「キサキマツシタの本社で採用してあげるから、僕の専属運転手として働けばいいじゃん」というなんだか上から目線な提案を「やだね」と切り捨てたからだろうか。


 愛が「あっ、じゃあいっそアタシ達もカイ君のマンションに真矢と住むわっ」って言った時は、少し心が揺らいだけれど、それでもなんだか居候のような立場は根無し草みたいで嫌だなと真矢は思った。


 実家を出てからなんだかんだとちゃんと自分の足で生きてきた。それを今更カイリの家に居候とは、すぐに頭が切り替えれない。とりあえず昨日のところは、「地元に帰る方向で」とその会話は終わらせたけど……。


「ねぇ」真矢は肘でカイリの腕を突く。「なんか怒ってるの?」と訊くと、「別に」とそっけない返事が返ってきた。カイリは横を向き、真矢と視線を合わせようともしない。


 うむう。なんなんだ、その拗ねた子供みたいな態度は。「思春期かっ!」と真矢は心の中で毒吐いてカイリから視線を外した。なんなんだ。もう。こっちまで気分が悪くなってくる。


 カランコロンとまたドアチャイムの音がして、ヤスさんが戻ってきた。冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助は、〈あわわっ。戻ってきちゃいましたっ〉とパッと姿を消すと、また真矢の背後で姿を現した。全くもう。こいつが自分で喋ればヤスさんの手を煩わせることもなかったのに。真矢は軽く呪呪ノ助を睨む。


 真矢の心が読めたのか、呪呪ノ助は〈ヒュヒュヒュー〉と下手くそな口笛を吹きながら少しだけ真矢から離れた。そうなのだ呪呪ノ助こと佐藤清がいつ死んだかなんて、本人に聞けば一発でわかることなのだ。なのに、このひょろっとしたおじさん幽霊は、頑なに自分の命日を言わなかった。


 というわけで、山場先生から佐藤清の住所を聞いた真矢は、カイリ経由でヤスさんに調査を依頼したのだった。


「佐藤清さんね。調べてきたよ」ヤスさんが指先をぺろっと舐めて黒革の手帖をめくる。「えっとな」とページをめくり、「あったあった」と佐藤清の情報を読み始めた。


「佐藤清、四十九歳。東京都墨田区在住で本籍地は和歌山県和歌山市になってるな」


「四十九歳だったんですね」真矢はチラと呪呪ノ助を見遣る。確かに、そんな年齢だ。


「そうそう。あー、でもこれはあれだわ二階堂さん。はっきりした命日は分かんないやつだわ」


「分からないと言いますと?」真矢がヤスさんに尋ねると、横からカイリが「孤独死だからでしょ」と吐き捨てるように言葉を足した。


「孤独死?」真矢は首を捻る。すぐさま「あ、でも確かにしんき、……や、呪いで死んだって聞いてるからそういうことですね」と頷いた。


「え、じゃあ四十五日はもしかして?」

「死因までは分かんねぇなぁ。この情報じゃ。でも、まぁ、とっくに過ぎちまってるわなぁ」


 ヤスさんは胡麻塩頭をポリポリ掻いて「だって、検死官の記録には遺体発見時で、すでに死後三ヶ月は経ってるってことだからなぁ」と言った。


「三ヶ月ぅ?!」真矢とカイリの言葉がかぶる。真矢の背後で呪呪ノ助の〈だから言いたくなかったんですぅ〜〉という情けない声がした。


「三ヶ月って……」

「想像したくないですね……」

「うん……」


 真矢は冷や水を浴びせられたかの如く、急に背中が寒くなり始めた。チリチリと全身の毛穴が粟立っていく真矢の背後では、呪呪ノ助が申し訳なさそうな声で〈昨日は楽しいクリスマスパーティーだったでしょぉ? だから言いたくなかったんですぅ……〉と言っている。


〈実はね、僕ぅ、自分の身体がうじ虫に食べられて、腐って溶けて骨だけになってくの、ずぅーっと一人で見てたんですぅ。それこそ、本当ずぅーっとずーっと。一階に住んでる一人暮らしのお婆ちゃんが、なんか黒い液体が天井から落ちてくるって通報してくれなかったら、きっとずっと発見されなかったと思うんですよねぇ……〉


 真矢は呪呪ノ助にかける言葉が見つからない。心筋梗塞でぽっくり死んだと聞いて、真矢の見ているままの状態で荼毘に付されたと思い込んでいた。それが、まさか——。


 真矢は山場先生に「もしやだが、ゾンビのように腐敗した姿だったりするのか?」と訊かれたことを思い出す。山場先生は呪物を回収するのに業者を手配したと言っていた。だから、どんな状況で佐藤清が発見されたのかを知っていたはずだ。だから、あの質問は山場先生にとっては、当然の質問だったのだ。


 廃校を利用した、山場先生の研究室に足を踏み入れた時の、あのなんともいえない異臭を思い出し、真矢は胃が迫り上がってきそうになった。慌てて水の入ったグラスを手に取り、一気に飲み干す。隣に座るカイリも同じことを考えていたのか、水を一気に飲み干すと、そのままコーヒーカップにも手を伸ばしていた。


「まー、都会の片隅で中年男性の一人暮らし。珍しいことじゃぁないわなぁ」


〈そうですよねぇー。おっしゃる通りでございますですよぉ〉どこか人ごとな呪呪ノ助の声が、真矢の背後から流れてくる。ヤスさんは何か感じたのか、「ん?」と明後日の方向を向き、首を捻ってから、「えっとそれでな」と話を続ける。


「遺体の発見が十二月十日ってことだから、三ヶ月前ってーと、九月頃に死亡ってことになる。まー、とっくに四十五日はすんでるわなぁ。佐藤清に身寄りなし。現在は荼毘に伏されて、遺骨は無縁墓地に入ってる、と、まあこんなとこだ」


 ヤスさんが眼鏡をキラリと反射させて真矢の顔を見る。ヤスさんはテーブルに身を乗り出して、一段と低いバリトンボイスで「あのな」と話し出す。


「二階堂さんに憑いてるそれ。俺の実家の寺で祓ってやろうか? そいつは死者の霊魂というよりは、地縛霊だ。あんま良くはない類だわなぁ」


 真矢はゴクリと唾を飲み込んだ。自分で自分の腕を抱き、「地縛、霊……」と呟く。カイリが「やばいね。真矢ちゃん……」と、少し真矢から距離を取った。呪呪ノ助は真矢の視界に入り込み、〈僕ぅ、悪いことはしませんよぉ。だからお祓いはやめてくださいって、このおじさんに言ってくださいよぉ〉と言っている。


「いつでも紹介するよ。他でもない二階堂さんだからな」ヤスさんは言いながら身体を元の位置に戻していった。コーヒーカップを手に取ると、一口飲んだあとで、「ん、冷めても美味いな」とコーヒーの感想を述べている。


「祓ってもらったら真矢ちゃんは地元にすぐにでも帰れますよ」カイリがこれまた不機嫌な声で言う。「そうかもだけど……」真矢はどうしようかな、と悩んでしまう。


 呪呪ノ助が憑いていては地元に帰れない。かといって、本人が望んでいないのにお祓いをするのは可哀想な気もする。なんだかんだいって、呪呪ノ助は今まで死者に寄り添い、いい働きをしてくれた。


「ちょっと、考えてみます」と真矢はヤスさんに答える。そのあとで、「祓うより他に、私から離れていく方法ってないんでしょうか?」と尋ねた。




 








 





 

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