17

〈ドイヒーですぅ〜っ! 僕のこと忘れてただなんてぇ〜っ〉


 呪対班事務所の下の階、皐月ママの運営している託児所、通称:シンデレラ城の台所。洗い物をしている真矢の背後で、おじさん幽霊の呪呪ノ助は、地団駄を踏んで真矢に抗議している。地団駄を踏むと言っても、呪呪ノ助は幽霊なので、正確に言えば地面は踏んではいないのだが。


 真矢は洗い物の手を止めて蛇口を閉める。手を拭いてから呪呪ノ助に向き直り、両手で「まぁまぁ」となだめた。


「戻ってこれたんだから良かったじゃん。幽霊はパッと瞬間移動できるんでしょ? だったらそんな大きな問題じゃないじゃん」

〈そぉいうことを〜っ、言ってるんじゃないんですぅ〜〉


 呪呪ノ助はぷぅ〜と薄い頬の肉を膨らませ〈忘れられてたってことが嫌なんですぅ〉と腕を組んだ。〈死んじゃってる僕のことをみんなが忘れちゃったら、僕は本当に消えてなくなっちゃうんですよぉっ〉と、顔を歪ませ、ぐすんと洟を啜っている。呪呪ノ助は鳩山総合病院に置き去りにされたことが、よっぽどショックだったと見える。


「あー、分かった分かった。ごめんごめん」と、また手をひらひらさせながら、そういえば——、と、真矢は思い出す。


 呪呪ノ助は一人暮らしのアパートで、呪物とゴミに囲まれて、心筋梗塞でぽっくり死んだと言っていた。その事実を山場先生や他の人に〈絶対に言わないでほしい〉と真矢に懇願した呪呪ノ助は、一応表向きは蒐集した呪物に呪われて死んだことになっている。


〈ふぅ〜良かったぁ〜これで僕の死はオカルト界隈で永遠に語り継がれます〜〉と目尻を拭っていた呪呪ノ助の姿が脳裏に浮かび、真矢は、これからは気をつけよ、と思った。と、そこでふと別のことを考えた。


 そういえば、呪呪ノ助こと佐藤清はいつ死んだのだろう?


 ヤスさんが言うように、死んでから四十五日はこの世に魂が留まるのだとすれば、呪呪ノ助の最後の日はいつなのか。「あのさ、そういえば」と、真矢が呪呪ノ助に死んだ日を訊こうとした時だった。


「あんらぁ」と皐月ママのちょっとだみった声がして、真矢は口を閉じる。「洗い物は後でいいって言ったのにぃ」とオーバーに手をパタパタさせて皐月ママが台所に入ってきた。


「ほらほらぁ。みんな揃わないとお食事始めれないじゃなぁい〜」と真矢の腕をガシッと掴む。ちなみに、皐月ママの今日のファッションは、青いパフスリーブの半袖に黄色いスカートで、多分、白雪姫だ。黒いボブカットのウィッグには赤いリボンが結んである。


 今日、シンデレラ城で預かる子供は珍しく誰もいない。というわけで、皐月ママは、真矢達が出かけている間に、呪対班のメンバーのためにと、ちょっと早めのクリスマスパーティーの準備をしてくれていた。


「お料理が冷めちゃうわよぉ〜」


 皐月ママはゲイバーシンデレラのママだ。つまり、身体は男性、心は女性。真矢の腕を掴む力は相当なものだ。


「いてっ、いててっ」


 真矢は皐月ママに引っ張られてシンデレラ城の食堂へ移動する。暖炉に火が灯る食堂は暖かく、大きなテーブルには、黒服のカイリ、真っ赤なパーカーをダボっと着た鬼角、愛と愛に抱かれた息子の咲人が既に座っていた。美味しそうな香りが辺り一面に漂っている。


「はいっ、到着〜」真矢の腕を握っていた皐月ママの手が離れる。テンションを失った真矢の身体はよろっと傾いた。


「真矢ちゃん遅いー」カイリが言う。真矢は「ごめんごめん」とカイリの横に座った。向かいの席に座る愛は「お酒が飲めないなんて辛すぎるわよぉ」とシャンパングラスを手に持って、中身のリンゴジュースを揺らしている。愛の膝には、大きくて、生後二ヶ月には到底見えない咲人が「バーぉばぁ」と握り拳を口に咥えて座っていた。愛の隣に座る鬼角が「お腹ペコペコっスよ」とダボついたパーカーのお腹を撫でている。


〈お話はまだ終わってないんですよぅ〜〉


「で」カイリが肘で真矢の二の腕をコツンと突く。「真矢ちゃんはなにやってたの?」と不満げに訊かれ、真矢はテーブルの真上に浮かんでいる呪呪ノ助を指差した。「だってさ」とカイリに説明をする。


「死者が見えるのは私だけなんだもん。もう、すんごい文句言ってくるからさー。食事中に私だけ見えない相手と話ししてたらおかしいし。だったら洗い物でもしながら聞いてやろうかと思って」


〈その言い草っ! ひどいですぅ〜〉呪呪ノ助が真矢の隣の椅子にちょこんと座る。身体が半分テーブルに溶けている……。えもすれば、皐月ママお手製の人参の星が散りばめられたポテトサラダに触りかねない。


 真矢は「あー、なんか参加したいみたいなんで、この椅子に座っててもらいます」と肩を竦め、自分の隣の椅子を引いてやった。


「まぁっ」皐月ママが手を叩き、「幽霊のお客様はお料理が食べられないじゃないっ。お線香でも焚いてあげた方がいいかしら?」と短い首を捻る。呪呪ノ助がすかさず〈僕ぅ、お線香好きくないですぅ。だって、死んじゃった人みたいじゃないですかぁーっ〉と身を捩った。


 死んじゃった人みたいって……。お前はもう死んでいる。真矢は「大丈夫みたいですよ」と皐月ママに冷めた口調で言っておいた。


「そぉ?」と、皐月ママは真っ赤な唇を尖らす。「それじゃっ」と愛の隣に腰をかけ「ささっ。皆さん、グラスをとってぇ〜」とシャンパングラスを手にとった。皐月ママのグラスの中身はちょっとお高いシャンパンだ。もちろん、真矢やカイリ、鬼角もグラスの中身はシャンパンだ。


「ちょっとはやいけどっ、メリーックリスマぁすーッ」皐月ママの合図で食事会はスタートした。


 皐月ママのお手製パーティー料理はどれもこれも美味しかった。フライドチキンは某有名フライドチキンのようにスパイシーでジューシーだったし、じゃがいものポタージュも優しい味わいだった。ラザニアにグリーンサラダ。豚足は——、真矢は食べる気にはなれなかったが、その他、どれもこれもが家庭的で、愛情がたっぷり詰まった美味しいご飯だった。


〈あ〜。食べれるっていいですねぇ〜〉呪呪ノ助はテーブルに頬杖をつき、始終羨ましそうだ。真矢はそんな呪呪ノ助のことを見えない聞こえないふりをして、生者との会話を楽しんでいる。


「でもあれっスねー」フライドチキンを手にぶら下げて鬼角が言う。


「眠り続ける女子高生、芦屋雪乃が目覚めた時、俺マジかって正直思いましたわー」


 真矢の隣で「マジかって?」とカイリが言う。「だってあれっスよ?」と鬼角はフライドチキンにかぶりつき、もごもご口を動かしながら「真矢ちゃんが死者を説得して意識が戻ったってことっしょ?」と手の甲で唇を拭った。


「それって、かなりすごいことなんじゃないっスか?」


 鬼角の隣で豚足に酢味噌をつけている愛が、「そう?」と手を止めた。「アタシ、真矢ならできるって信じてた」と真矢を見る。真矢は口に入れかけたラザニアを一旦取り皿に戻し、「あー、それ、私というよりは——」と、隣に座るおじさん幽霊を見た。久しぶりに自分に視線が向いたのが嬉しいのか、呪呪ノ助は〈僕のおかげですよっ。ぼぉーインッなお姉さんっ〉と薄っぺらい胸を張る。


「ここに座ってる佐藤清の幽霊がなんかうまいこと言ってくれたみたいで」

〈ふふんっ。そうなんですよそうなんですよっ〉


 愛が「へぇ、やるじゃん。そのなんとかキヨシ」と、豚足を齧る。〈そうでしょっ、そうでしょっ〉と、呪呪ノ助はパッと愛の背後に移動した。


〈はうっ。それにしてもおっきなおっぱいですねぇ〉と、ピンクのジャージを着た、はちきれんばかりの愛の胸元をじろじろ見ている。


「愛さん、背後に佐藤清の幽霊がいて、愛さんの胸元をじろじろイヤラシイ目付きで見てますよ」


「あー、アタシもう見えなくなっちゃったからなぁー」愛が背後を振り返る。「まー、減るもんじゃないし、冥土の土産にどんどん見ていいって言ってやって」と愛は豚足をひらひらさせた。呪呪ノ助が〈ウヒョォーッ! お姉さん太っ腹っ!〉と手を叩いて喜んでいる。


〈生きてる時にお会いしたかったですぅ〜。ホントに綺麗なお顔っ。お胸もボインで太っ腹っ!〉


 愛の胸元に恐る恐る手を伸ばしている呪呪ノ助を一瞥した真矢は、アホらしと、視線を外した。シャンパングラスを手に取ると、「これで私は心置きなく地元に帰れるよ」と微かに泡の残るシャンパンを飲み干す。


「帰る? 地元に?」隣に座るカイリが真矢の顔を見た。真矢は「え、だって」とカイリの顔を見る。真矢は不覚にも、ほんのり頬が色づいたカイリの顔をまじまじと観察してしまう。


 くそう。こいつ、本当にいい顔してやがる……。


 そんなこと思うなんて、真矢は少し酔ったのかもしれない。


 真矢はカイリの顔から視線をずらした。取り皿に乗ったラザニアを見ながら、「だって、もう東京にいる意味がないじゃん」と、口にする。刹那、真矢は少しだけ胸がきゅっと縮まった気がした。


 そうなんだ、と真矢は思う。自分は一時的に呪対班を手伝っただけだ。そして、その案件は全て片付いた。


 安田警部補ことヤスさんが呪対班に持ち込んだ青山千夏の一件は、呪詛ではなく、違法ドラッグの幻覚による転落事故死だと判明したし、千夏の魂は残留思念から離れ、無事母親の元に戻っている。


 関連性があるかもと追加調査した、眠り続ける女子高生、芦屋雪乃も今日無事目を覚ました。


 呪いの黒髪ウィッグに使われた黒髪の持ち主がシリアルキラーによる犠牲者かもしれない調査は、警視庁捜査一課の棚橋が責任を持って捜査してくれるはず。


「ふっ」と真矢は吐息を漏らす。もう、東京に私がいる必要はない。地元に戻って職探しだ。


「仕事探さなきゃだし。いつまでも東京にはいられないよ」

「でも佐藤清の幽霊はまだここにいるんでしょ?」

「うん、そうだけど」

「だったら、地元に憑いてっちゃうんじゃないの?」


 カイリの言葉に真矢の口から「へっ?」と素っ頓狂な声が出る。向かいの席から鬼角が「そっスよ」と口を挟んだ。咲人を抱きながらゆらゆら身体を揺らす皐月ママも「きっとそうなるわよねぇ」と頷く。愛はウィーブがかった亜麻色の髪をかきあげると、「アタシが思うに」と真矢を見た。


「その、なんて言った? なんとかキヨシ。そのキヨシはもうだいぶ真矢の魂と繋がってる気がするわよねー。だって、川崎市の病院からここまで追いかけて来れるんだもん」


 真矢の血の気が少しひく。そうか。佐藤清の幽霊は私自身に憑いているんだと改めて理解する。話を聞いていた呪呪ノ助が〈テヘッ♡〉と頬を両手で挟むのを見て、真矢は事態が深刻なことを悟った。


 地元にこのまま帰れば、一人暮らしのアパートで、冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助と同棲生活……。


「えーっ! 絶対に嫌っ!」真矢は肩を抱く。 


「私一体どうしたらいいのっ?!」

 


 

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