15

 ——鳩山総合病院の屋上。


 夕暮れ時の空をおじさん幽霊の呪呪ノ助が〈あぁ〜、大丈夫でしょうかねぇ〜、大丈夫でしょうかねぇ〜〉と、まるで出産を待ちわびる父親のようなあたふた具合で飛んでいく。屋上広場には数名の入院患者とその家族らしき人の姿はあるが、黄金の空を灰色のスウェット姿が右往左往する様子は真矢と死者である青山千夏にしか見えない。


〈あ〜っ、やっぱり心配ですぅ〜〉呪呪ノ助が真矢の目の前に飛んでくる。真矢が「落ち着け」といなすより先に、呪呪ノ助は額に張り付いた薄い頭髪の下で眉毛を八の字に歪め、〈僕、もう一回見に行ってきますねっ〉と言い残してパッと姿を消した。


 本当にもう。お節介なんだからと真矢は思う。


 芦屋雪乃の魂がちゃんと自分の身体に戻れるかどうかは、ナイスバディの子持ちシャーマン、もとい、元シャーマンの賀茂愛かものあいが教えてくれた方法にかかっている。


 愛曰く、肉体から長く離れた霊魂は、余程の強い思念を持たないと肉体には戻れないとのことだった。生きたいと思う気持ちを芦屋雪乃が持てるか否かは、芦屋雪乃本人しか分からない。生きたいと強く思うためには、今までの自分を振り返り、自分自身で心の問題を乗り越えなくてはいけない。果たして、芦屋雪乃にそれができるかどうか……。


 芦屋雪乃が自分自身と向き合ってる最中に、おじさん幽霊がちゃちゃを入れてきたら邪魔にしかならない気がする。「うん?」でも待てよ、と真矢は腕を組む。


 そう考えるとあのおじさん幽霊は結構いい仕事するんじゃないか?


 呪呪ノ助こと佐藤清の生前は知らないが、死んでからの呪呪ノ助は死者の気持ちに適度な距離感で寄り添ってきた。ならば、もしかして——。


 真矢はスマートフォンをコートのポケットから取り出す。鬼角からの着信はまだない。鬼角ルームで芦屋雪乃の病室を覗き見てる鬼角は、芦屋雪乃が目覚めたら真矢に連絡をくれることになっていた。


「頼んだぞ。佐藤清」真矢はスマホを胸に抱く。今できることは、冴えないおじさん幽霊の呪呪ノ助の働きに期待しつつ、ただ待つのみだ。


 であれば——、と、真矢は隣に座る青山千夏に目を向ける。真矢と並んでベンチに座る青山千夏の幽霊は、始終しょんぼりとして下を向いていた。長い髪をさらりと垂らした千夏は、片方だけ髪を耳にかけている。真矢は千夏の伏し目がちな顔を見て、無理もないかと思った。


 女子高生の人間関係は多分そこそこ複雑なのだ。それでも、真矢の申し出を受け、眠り続ける女子高生、芦屋雪乃の魂を探し出してくれたのは、死者である青山千夏だった。


「なんか、ごめんね」真矢は千夏に謝る。千夏はふるふると髪を揺らしたあとで、〈でも正直ショックです……〉と呟いた。


〈芦屋さんに嫌われているのはなんとなく分かってたんですが、まさかあそこまでとは思いませんでした……〉


 千夏の話を事前に聞いていた真矢は「確かにそれはショックだね」と返す。千夏の話によると、芦屋雪乃の魂は探し始めてすぐに見つかったということだった。真矢が思ってた通り、学校の教室に芦屋雪乃の魂はいたらしい。


 学校の外で待機していた真矢達と合流した芦屋雪乃の魂は、酷く困惑していた。無理もない。まさか自分が魂だけの存在になってるとは、誰もすぐには信じられないだろうから。そんな雪乃は死者である千夏に支えられて、真矢達と電車を乗り継ぎ、無事肉体がある鳩山総合病院までやってきた。


 ——と、流れ的には大成功なのだが。


 千夏が雪乃の魂を見つけ、声をかけてから手で肩に触れた瞬間。千夏は雪乃の魂に干渉し、雪乃の記憶を見たらしい。


 千夏の話によると、雪乃は自室で青山千夏そっくりのウィッグをかぶり、鏡に映る自分に向かって「青山千夏死ねっ!」と何度も罵倒しながら黒髪ウィッグの毛をぶちぶちと引きちぎっていたという。唇をめくりあげ、歯を剥き出したその顔はまさに鬼の形相で、千夏はしばらくショックで言葉が出なかったとか。


 そりゃ呪いが発動して、昏睡状態にもなるわな。と、その話を聞いて真矢は思った。あのウィッグに使われた黒髪の持ち主は、商売道具にしていた自慢の黒髪を殺人鬼に刈り取られ、その後、無残に殺されたのだ。


 死の間際、持ち主の女が発していた呪詛の怨念は相当なもの。芦屋雪乃が知らなかったとはいえ、その黒髪をぶちぶち引きちぎったりしてたなら、障りがあってもおかしくない。


 いや、それだけじゃないか。


 真矢が話を聞く限り、雪乃は千夏を呪っていたとしか思えない。黒髪ウィッグが持つ怨念と自分のポジションを奪ったクラスメイトへの逆恨み。その二つが相乗効果を生み出し、青山千夏に襲いかかったとすれば……。

  

 真矢はぶるっと身を震わす。真矢は隣に座る千夏にそのことを言うつもりはない。が、怖いのは幽霊よりも人間だなと改めて思った。


〈わたしはもう死んでるのに、クラスメイトに嫌われてるって知って落ち込むなんておかしいですよね……〉


 千夏は履いている焦げ茶色のローファーの爪先を擦り合わせながら力なく言う。真矢は「おかしくなんてないよ」と、優しく千夏に返した。千夏は項垂れて落ち込んでいる。こんな時、生者である自分が死者に触れることができたらいいのにな、と真矢はいつも思う。真矢は心の手で千夏の背中を優しく撫で、「だってね」と話を続けた。


「千夏ちゃんの心はここに存在してるんだもん。なのに、私ときたら、全然配慮が足りなくて。本当にごめんね」


 千夏はまた長い黒髪をふるふる振る。心なしか、真矢の目に映る千夏の姿が薄くなっている気がして、真矢は一瞬ドキリとした。が、千夏は顔を上げ、真矢に向かって力なく微笑むと、〈大丈夫です。落ち込んだってしょうがないですよね〉と夕暮れ時のオレンジ色の空を見上げた。


〈あー、生きてる時にもっと話が出来たら良かったなぁー〉千夏は言う。


 ここに来る道中、千夏は雪乃と普通に会話してきた。千夏が雪乃の魂の記憶を覗き見たことを知らない雪乃は、千夏がすでに亡くなっていると知り、〈嘘でしょ〉と何度も首を振り、〈なんで死んじゃったのぉ、千夏ぅ〉と大粒の涙を流していた。そんな二人は、側から見れば仲のいい友達に見えなくもなかった。


〈入学してすぐに、友達になってたら、わたしも芦屋さんもこんなことにはならなかったんじゃないかって、思っちゃいました〉

「そうなんだね」

〈はい。わたしと芦屋さんって、どことなく似てるんですよね……。無理して高校受験したのもそうだし、元々の性格が真面目で、親の期待をそのまま実現しなきゃって、自分の能力以上に背負っちゃって……〉


 千夏はまた爪先に視線を向ける。


〈芦屋さんと仲が良かった三人って、結構裕福な家の子でそれなりに遊んでて。渋谷のクラブとかバリバリ行っちゃってる系だったんですよねー。でも芦屋さんの家は門限が十時だし、だから、きっと、凄く無理して付き合ってた気がするんですよ。わたし、正直言って、なんか見てて、痛々しかったですもん〉


 そこまで話して言葉を止めた千夏に、真矢はまた「そうなんだね」と言い添える。千夏はふっと自嘲気味に吐息を漏らし、〈わたしは道を間違えちゃったから、分かるんです。そっちの道に行くか行かないかは、ほんのちょっとしたことだって〉と、空を見上げて言った。


 どこか吹っ切れた様子の千夏の姿はもう薄くはない。真矢はほっと胸を撫で下ろした。


〈あー、生きてる時に友達になれてたらきっと話が合っただろうなぁー。親の期待とかめっちゃウザくない? とか、親の愚痴吐いたり、いろんな悩みごとを相談しあったりして。わたしも芦屋さんも、無理して陽キャのフリなんてしなくても、ありのままの自分で友達になれてたら、きっと——〉


 千夏はその話の続きを飲み込んだみたいだった。しばし間を置き、千夏は〈こんなこと、違法ドラッグで転落死したわたしが言うなんておかしいですよね〉と自虐的に言う。真矢は「ううん」と首を振った。


「きっと、友達になれてたと思うよ」そう言ってから、きっとそうなんだろうな、と真矢は思う。千夏が言うように、芦屋雪乃と千夏はどこか似ている気がしていた。


 千夏も雪乃も、高校受験や入学後に、きっと頑張り過ぎていたのだ。無理もない。高校は新しい人間関係がスタートする場所だ。知らない顔が多い中、クラスの中で自分の立ち位置を一から作らねばならないのだから。


 そこまで考えた真矢は、いや、と、思う。果たしてそうだろうかと、真矢は空を仰いだ。渡鳥達がV字を作り、夕焼けの空を横切っていく。一羽だけ遅れて飛んでいく渡鳥を見ながら真矢は思う。クラスの中で自分の立ち位置なんて本当は作らなくてもいいのだ、と。


 きっとみんな孤独が怖いから、自分の立ち位置に拘って、自分の存在を他者に認めてもらうために頑張っている。自分自身を良く見せようと頑張ることは決して悪いことではないと真矢は思う。でも、そこに無理があれば、きっとどこかで心に皺寄せがやって来る。人間誰しも、大なり小なり心に皺を寄せている。心にできた皺は、自分自身で取り除くしか術はない。自分自身の中にある問題と向き合ってしわくちゃな心を伸ばすことは、きっと痛みを伴う難しい作業なのだ。


 千夏も雪乃も、気づかないうちに心に沢山皺を寄せてしまったんだな、と真矢は思った。でも、もしも誰かに「そういう自分はどうなんだ?」と尋ねられたら、真矢はなんと答えていいか分からないな、とも思った。


 この一件が終わったら、地元に戻って職探し。新しい職場が見つかった時、自分は無理せずありのままの自分でいられるだろうか……。


 暮れゆく空を見上げたまま、真矢が「自信はないなぁ」と呟いた時だった。真矢の手の中で、スマホがブルブルと震えた。


 







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