眠り続ける女子高生

14

 やっぱり今日も、誰も私のことを見てくれない。クラス中のみんなは、私に対して完全無視を決め込んでいる。


 雪乃は窓際の自席に座ったまま教室の中を見渡した。昼休みの教室はあちこちで机の島ができ、仲のいいクラスメイト同士が昼食をとっている。ちょうど教室の真ん中辺りには、つい最近まで仲の良かった三人の机の島があった。


 陽奈、明日香、美琴の三人は、雑誌を眺めながらお昼ご飯を食べている。時折「クリプレこれ?」「高くない?」などと雑誌を指差し話しているのが聞こえてくる。クリプレ、クリスマスプレゼントのことだ。きっとそんな特集があの雑誌に載っているのだろうと、雪乃は思った。


 陽奈も明日香も美琴も、夏休みに年上の彼氏ができた。きっと彼氏に贈るプレゼントの話でもしているのだろう。楽しそうに話す三人を眺めながら、雪乃はきゅっと唇を噛み締める。


 もしかして——、と、雪乃は思う。自分だけ彼氏がいないから、あの輪の中から弾き出されてしまったのだろうか、と。こうなる少し前から、自分が三人の会話についていけてなかったことを雪乃は知っている。


 雪乃の家の門限は夜十時。しかも外泊は厳禁だ。夏休みを満喫した三人とは違い、雪乃は夏休みの間中ずっと予備校の夏季講習に通っていた。別に雪乃は夏季講習なんて行きたくなかった。仲良し四人グループで一緒に遊んでいたかった。でも、雪乃の学力低下を恐れた母親が勝手に申し込んだ夏季講習に行くしかなかった。予備校の夏期講習代は安くはない。


 夏休み明け。仲良し四人グループの中で、雪乃は明らかに浮き始めていた。三人の会話に知ってる風な顔をして相槌を打つのがやっとだった。そんな時、席替えがあった。席替えはくじ引きだ。とはいえ、担任教師の目の届かないところで生徒達はそのくじを交換する。陽奈達もきっとそうやって三人で席を集めたはず。


 雪乃は三人に、そんな話はしてもらえなかった。だから、雪乃は自分が引いたくじの席、窓際の真ん中に決まった。窓際の真ん中は、窓ではなく壁だ。力なく左肩を壁にもたれかけ、雪乃はもう一度教室を見渡した。


 自分が抜けた代わりに、仲良しグループに加わった青山千夏の姿は今日も教室にはなかった。


 入学当時、青山千夏は小太りで汗っかきな地味な女子高生だった。雪乃は、青山千夏を見た瞬間、垢抜けないモブの自分でも「こいつだけには勝てる」と内心で思っていた。


 それなのに——。


 雪乃は奥歯をぎりりと噛み締める。きゅっと口腔内に圧力をかけると、頬の内側を噛み上げて、思い出したくもない光景を思い出す。


 夏休み明け、雪乃が「こいつだけには負けてない」と見下していた青山千夏は、痩せて綺麗になっていた。うねりのある長い癖っ毛は美しい黒髪ストレートヘアーに変わり、地味だった顔はメイクで印象が違っていた。そればかりか、青山千夏は美琴達の隣の席に座り、三人と会話が弾んでいた。側から見れば、最初からその四人がグループであったかのように、青山千夏は三人に馴染んでいた。


 青山千夏とは反対に、雪乃はグループから孤立していった。


 雪乃はそれが許せなかった。自分より下だと思っていた青山千夏が、自分よりもグループに、教室に馴染んでいることが許せなかった。


 だから雪乃はフリマサイトでウィッグを買った。雪乃はそのウィッグを見た瞬間、ほとんど衝動的に購入ボタンを押していた。青山千夏の髪にそっくりなその黒髪ウィッグは人毛で、それなのに、五百円だった。お小遣いの少ない雪乃でも簡単に手が出る金額だ。


 雪乃は届いたウィッグを被り、薄暗い自室で鏡の前に立った。


 青山千夏にそっくりな髪型をした自分を憎き青山千夏だと思い込み、「死ねっ! このブスがっ!」と言いながらウィッグの髪をぶちぶち引き抜いた。獣のように歯を剥き出して、「お前がそこにいるのはおかしいんだよーっ」と鏡の中の青山千夏を罵りながら、髪の毛を手で乱暴にかき回した。多少のことではウィッグは頭からずり落ちないことを知った雪乃は、家族が誰も家にいない時間を見計って、自室でそれを繰り返した。


「死ねっ! 死ねっ! お前なんか電車に轢かれて死んでしまえっ! 死ねっ! 死ねっ! お前なんかお前なんかお前なんかっ!」


 雪乃がウィッグの髪を掴むたび、ぶちぶちと、黒髪ウィッグの毛髪はちぎれ、雪乃の指に絡み付いた。雪乃はそれを振り払うと、何度も髪を引きちぎった。それでも、雪乃の気分は晴れなかった。それどころか、続ければ続けるほどに、雪乃の胸に憎悪の炎は燃え広がるばかりだった。


 教室の隅で、こみあげてくる感情を押し殺すように、雪乃は自分の胸に手を当てる。ふぅ、と一息吐くと、もう一度教室に視線を這わせた。青山千夏は今日も教室にいない。ここ最近青山千夏は学校にやってこないのだ。


 もしかして、今ならば——。


 雪乃はふらりと椅子から立ち上がる。三人のそばまで行こう。足を進めた雪乃の横を「俺は焼きそばパンなー」「んだよ、今日はお前が奢れよな」と男子生徒が二人、じゃれあいながら通り過ぎていく。通りざま、男子生徒は雪乃の身体に触れたのに、雪乃のことを一瞥もしなかった。


 雪乃は氷のように冷えた重いため息を吐く。


 まるで透明人間になった気分だ。みんな私を避けていく。やっぱり誰も、私と目を合わせない。このクラスの中で、私は完全にいないモノになってしまっている。


 それでも——と、雪乃は手を握り締め、足をゆっくり進める。一歩ずつ、一歩ずつ、陽奈や明日香、美琴のそばへと近寄っていく。


 青山千夏という憎き邪魔者はいないのだ。今日こそ、自分から三人に声をかけよう。青山千夏の席に腰をかけると、雪乃は三人の方を向いた。すぐ隣で机の島を作ってお弁当を食べている三人は、雪乃の視線に気付かない。雑誌を見ながらイルミネーションスポットの話を楽しげに繰り広げている。


 ねぇ、と声を出しかけて、雪乃は自分の身体がおこりにかかったように小刻みに震えていることに気づく。


 もしも話しかけてまた無視をされたら……。


 怖い。雪乃は目蓋をふせる。震える手をぎゅっと握りしめ、浅い呼吸を整えると、ゆっくりと目を開く。


 雪乃が勇気を出し「ねぇ」と、震える声を絞り出した時だった。「芦屋さん」と、背後から小さな声がして、誰かが雪乃の肩に手を置いた。

 

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