13

 意識不明の昏睡状態から目覚めた真矢は、まだ体調の戻らないカイリと、全くもって反省の色がない鬼角、真矢にしか見えないおじさん幽霊の呪呪ノ助と共に、呪詛犯罪対策班の事務所に集まっていた。警視庁捜査一課の棚橋の到着を待ってから始まった会議は、すでに午前零時をまわっている。


 蛍光灯が必要分だけ灯る呪対班の事務所には、棚橋がホワイトボードにペンを走らせるキュッキュという小さな音が響いていた。


 真矢は横に座るカイリに視線を向ける。真矢の中に入り込んだ呪詛を自分の体内に取り込んだカイリは、その整った顔が青ざめている。ソファーで倒れたカイリに、一応天然塩を振りかけておいたものの、あまり効果はなかったようだ。


 真矢はカイリに「大丈夫?」と小声で聞く。カイリは「あー、最悪です」と椅子の背もたれを抱いている腕に顎を乗せた。


「なんで鬼ちゃん、封印解いちゃうのかなぁ……」


 カイリが小声でぼやくと、呪呪ノ助がすかさず〈封印されてたらそりゃ解いてみたくなりますって〜〉とふわふわ空中を飛んできた。真矢は「アホか」と呪呪ノ助を手でしっしっと追い払う。と、カイリの隣で椅子にふんぞりかえって座っている鬼角が、「マジそれなーっスよ」と、鼻詰まりの声で呑気に言った。


「へへへっ」鬼角は鼻先を指で擦り、「俺、結構アホなんスよねーっ」と嬉しそうに笑う。真矢とカイリは「知ってる」と声を揃えた。呪呪ノ助は鬼角の背後で〈僕はぁ、鬼ちゃん好きですっ〉と両手で萌え萌えキュンキュンのポーズをとり、〈グフフッ〉と握った手を唇に当てて下卑た笑いを漏らしている。


〈鬼ちゃんも呪物が好きだなんてっ。生きてたらお友達になれた気がしますぅーっ〉


 くねくねと細い身体を揺らすおっさん幽霊を見て、いっそのこと、鬼角に憑いてくれないかなーと、真矢は思う。鬼角に呪呪ノ助のことが見えたらいいのに……。


「いやぁ、でも現物確認して気ぃ失うとか、真矢ちゃんマジ半端ないっスねーっ」

「たまたまチャンネルが合ったんだって」

「いやぁ、でもマジ焦ったっスよ。だって、真矢ちゃん寝てるかと思いきや、気ぃー失ってて、全然起きねぇっスもん。あっ。それとあれも驚いたっス。カイ君、マジ眠り姫を起こす王子様みたいで——」

「——鬼ちゃんそれは言わない約束」


 三人の会話を背中で聞いていた棚橋が、「ごほんっ」と大きく咳払いをした。鬼角はぺろっと舌を出し、椅子に座り直して肩を竦める。棚橋はカチッとペンの蓋を閉じ、真矢たちの方に向き直った。真矢は背筋を伸ばす。


 カイリのおかげもあって、真矢はすこぶる体調が良かった。呪詛に取り込まれ昏睡状態に陥ったとはいえ、実際は三時間程度爆睡した気分だ。


「真矢さんの見た夢が、本当にあった出来事だとすると、犯人の男は複数の女性を殺害している可能性がありますね」


 ホワイトボードには、真矢が意識を失っている間に見た夢の話が、縦書きで要点をまとめて書いてある。達筆な美しい文字で書かれたホワイトボードのタイトルは『(仮)黒髪強奪殺人事件』となっていた。


「特に気になるキーワードはここですね」棚橋がホワイトボードの一点をマーカーペンの先でコンコンと指す。そこには『これでまた、僕のコレクションが増える』と記載されていた。棚橋は別のマーカーペンに持ち替えると、その横に赤線を引く。


 真矢は「ですよね」と頷いた。真矢の手は自然と首元に寄っていく。


「夢、と言っていいのか分からないですが、夢の中の犯人は手慣れた感じがしてました」


 言った後で、真矢は思い出す。所々はげた白い塗装の壁、薄汚れた灰色の天井と、大きな姿見。爬虫類を彷彿させる顔の男は、なんの躊躇もなく、被害女性の首を切り裂いた。首元からどろりと溢れた生々しい血液の感触が蘇り、真矢は首に当てていた手をぎゅっと握る。


 棚橋はホワイトボードをペンの先で指しながら、「場所は不明、加害者も被害者も名前は不明。真矢さんの話が実際にあった事件だと仮定すると、ウィッグに使われた毛髪だけが手がかりですね」と淡々と話す。


〈おぉ〜! 刑事ドラマみたいですぅ〜!〉


 場違いなノリではしゃぐ呪呪ノ助を白い目で一瞥した真矢は「それだけの情報じゃ、ダメですよね?」と棚橋に訊いた。


「あっ、でもっスよ?」たんぽぽの綿毛くらい重力のない声で鬼角が口を挟む。「フリマサイトで芦屋雪乃にウィッグ売った奴はわかってるっスよ」鬼角が続けると、棚橋は「ふうむ」と顎に手を添えた。


「その販売元が、何か手がかりに——」棚橋の慎重な言葉に、「カイ君とその販売元に行ってくるつもりだったんスけどねー」鬼角のチャラい声が被る。カイリはピクッと肩を震わせ、「僕、嫌だなぁ……」と本当に嫌そうな声で言った。


「もう、髪の毛、見たくない……。ヤスさんくらいの禿頭しか、見たくない……」


 それを聞いたらヤスさんは悲しむと思うぞ? 真矢は内心で呟き、カイリの背中を「お疲れ」と、ぽんぽん優しく叩いてあげた。


 現在、問題のウィッグは元通り護符が貼られた桐の箱に仕舞い込み、呪符でぐるぐる巻きにして鬼角ルームの隅っこに置いてある。このあとウィッグは、ヤスさんこと安田警部補の実家の寺でお祓いを済ませ、ゆくゆくは山場先生の呪物蔵に収蔵される予定になっていた。


「問題のウィッグは今日僕が回収していきます」


 棚橋の発言に真矢は「そうなんですか?」と訊く。鬼角の「まぁ、ウィッグなくても販売した奴に話は聞けるっスもんねー」が真矢の問いかけにまたもや被った。なんだか鬼角は嬉しそうだと真矢は眉を潜める。


「へへへっ。棚橋さんこれ出張費出ますよね? 福岡なんスよねーっ、販売者。豚骨ラーメンに明太子。久々の福岡っ。いやー楽しみ楽しみっ。ネッ、カイ君っ」


「それはこちらでやりましょう」棚橋が冷めた声で「福岡っ福岡っ」言ってる鬼角の話をぶった切る。真矢の隣に座っているカイリは長い足を伸ばし、「あー。それ助かりますー」と気の抜けた声を出した。


「僕、聞き込みは向いてないと思うー。僕、人間離れした見た目で目立ちすぎちゃうからー」


「あーはいはい」言ったあとで、真矢は少しほっとする。カイリは声に張りが戻ってきた。それに、そんなナルシスト発言が出てくるくらいには、回復してきたのだ。


 やはり、塩が効いている?


 椅子の背もたれを抱くカイリの頭に、真矢はそっと天然塩を追加で振りかけておいた。真矢の使ってる天然塩はチベット高原産の高級天然塩だ。カイリのモジャモジャした髪の毛によく絡まって、さらなる回復効果を発揮してくれるだろう。


「鬼角君は——」棚橋が話し始め、真矢は天然塩の入った小さなボトルを上着のポケットに仕舞った。


「後で僕に販売元をメールしておいてください。それと、ヘアパーツモデルの事務所を検索して、その中に該当する行方不明者がいないか調べてください。警視庁として調べるのは、多分、難しい案件ですから」

「うぃーっス。了解っス」

「本来、毛根がない髪の毛ではDNAが検出できないのですが、念のため科捜研にまわします。真矢さんの話を聞く限り、シリアルキラーの可能性もありますし」


「そっスよねー」

〈シリアルキラーきたぁ〜!〉


「真矢さん」と急に話を振られ、真矢は「はい先生」と居住まいを正した。「先生、ではありませんが」棚橋は苦笑して、「犯人の顔を覚えてますか?」と真矢に訊いた。真矢は静かに頷く。


 丁寧に撫でつけた短い頭髪、紺色の高級そうなスーツ。吊り上がった切れ長の目と逆三角形のシャープな顎。蜥蜴のような顔だった。そして、あの気味の悪い声……。


 真矢は「見れば、この人だって分かる気がします」と棚橋に答えた。


 擬似体験した死の恐怖が真矢の胸に唐突に押し寄せる。首元に手を添えて、湧き上がってきた恐怖を呑み下す。代わりに怒りがふつふつ湧き始め、許せないと、真矢は思った。残忍極まりない犯行。殺された被害女性の怨念は如何程か。


「警察が犯人を必ず捕まえて極刑に処して欲しいです」真矢はきっぱりと言う。棚橋はこめかみを指で掻きながら目を細め、「極刑に処すのは警察の仕事ではないのですが、犯人逮捕は善処します」と答えた。


「しかし、犯人逮捕となると、結構時間がかかりそうです。表立って発覚している事件ではないので、DNA検査も内々で科捜研にお願いするしかありません。我々警察が優先すべきは実際に今起こっている事件です」


 真矢は「分かりました」と、棚橋に答えた。真矢が夢で擬似体験した事件を実際に起こった事件だと仮定して、捜査するのだ。警察官として動くのはおそらく棚橋と安田警部補の二人。時間がかかって当然だと真矢は思った。


「よろしくお願いします」真矢は棚橋に深々と頭を下げる。


 警察が犯人を逮捕したら、被害女性の怨念が少しでも晴れて、無事に成仏できるかもしれない。自分が吐いた呪詛に魂が縛られているなんて、あまりにも可哀想だ。


「てことはあれっスねーっ」鬼角の声で真矢は頭をあげる。


「ウィッグの件は殺人事件かもってことで調査継続っスけど、眠り続ける女子高生、芦屋雪乃はどうするっスか?」

 


 


 


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