10

 鬼角ルームのソファーに身体を預け、天井を見上げた真矢は「やっぱり彷徨ってる魂を見つけるなんて、無理なのかなぁ」とつい弱音を吐いた。鳩山総合病院に通って四日目。今日も成果ゼロだった。


「自宅も行ってみたんスよね?」


 ローテーブルを挟み、真矢と向かい合って座る鬼角が、ツンツン尖った頭を左右に動かし、首の骨を鳴らしながら訊く。鬼角と会うのは三日ぶりだ。真矢は「あー」と気の抜けた声を出し、「うん」と、胸に抱いているクッションにぽすっと顔を埋めた。


 真矢は、芦屋雪乃の自宅周辺にも毎日のように行っている。今日は「あら、あなた。昨日も来てたわね」と、知らないおばさんに声をかけられてしまった。住宅街に見かけない顔が連日訪れていたら、近隣住民が怪しむのも当然だろう。


 真矢はクッションに向かって溜息を吐く。


 肉体がある病院にも、自宅にも、芦屋雪乃の魂はいなかった。真矢がその他で思いついた場所は、芦屋雪乃の通っている私立芝岡学園高等学校だったが、部外者の真矢が中に入れるはずもなく、校門前しか探せなかった。


 昨日シンデレラ城に帰って来てから、愛に「霊的な存在とチャンネルを合わせる方法」を特訓してもらったのに、真矢が能力の範囲を広げたのは、誰かに取り憑いている死者が見えるようになった、だった。


 正直、それはあんまり見えるようになりたくなかったな、と真矢は思う。誰かに取り憑いている死者は、その大半が取り憑いている相手を恨んでいるように見えるからだ。


 カイリが公共交通機関恐怖症になるのも分かるな、と真矢は思った。都会は真矢の住んでいる地方都市とは人の数が違いすぎる。真矢は今日一日で、死者に取り憑かれた人を何人も見てしまった。


 だからなのか、なんだか、肩にズシっと漬物石が乗ってるように、今日は身体が重い。塩も消臭スプレーも肩の重さには、あんまり効果がなかった。あと何日かかるのかと思うと、気まで重たくなってくる。


 真矢の背後から〈どこに行っちゃったんでしょうねぇー。こぉーんな可愛い子。すぐにでも見つけてあげたいですぅ〜〉と呪呪ノ助の呑気な声が聞こえる。多分、パソコン画面に映し出されている芦屋雪乃の写真でも眺めているのだろう。


「本当それなー」真矢はクッションからゆっくり顔をあげ、「どこにいるんだろうねぇー」と溜息まじりに吐き出すと、鬼角に「そっちはどうだった?」と尋ねた。


 鬼角とカイリは問題のウィッグについて調べてくれている。向かいのソファーでスマホを見ていた鬼角は、「ん?」と真矢に視線を向けた。


「ウィッグについて、なんか分かった?」


 真矢の問いに鬼角は、「あー、ね」と、顎を数度動かし、「フリマの出品元は分かったスよ。でも、どういうウィッグか話を聞きに行くのはまだっスね」と答えた。


「へー、すごーい」真矢は感心する。鬼角は「へへへっ」と鼻先を指で擦り、「そんなんは、超余裕っスよ」と言った。


「今日あたりカイ君と出品元に行こうかなって話してたんスけど、カイ君、ママさんに連れていかれちゃったっスからねー」

「皐月ママに?」

「そっすそっす。愛ちゃん親子も一緒にっス。なんか部屋探すとかなんとか言ってたっスねー。その足に引っ張ってかれたっス」


「うわぁ」真矢は思わず声を漏らす。皐月ママは知らないのだろうか。カイリの運転では目的地に到着するまでに、かなりの時間を有るすことを……。


「そりゃ、当分、いや、明日くらいまで戻って来れなさそうだね」

「にゃははっ。まじそれっスね」


「あ、でもっスよ」と鬼角はソファーから立ち上がる。部屋の隅まで行き、段ボールを持ってすぐに戻って来た。ローテーブルに段ボールを置き蓋を開けると、中から布に包まれたティッシュケースほどの箱を取り出す。


「なにこれ?」と真矢は箱をまじまじと見た。箱に巻かれた布は細くて長い麻布で、墨で人の目らしき模様や、お経のような漢字の羅列が描かれている。


 いつの間にかそばに来ていた呪呪ノ助が、〈おおーっ、これは封印の呪符っ〉と手を叩く。「封印の呪符」真矢が呪呪ノ助の言葉を復唱すると、鬼角が「そっスよ」と答えた。


「問題のウィッグっス」鬼角は親指を立てる。それを聞いた呪呪ノ助は〈ほえーっ! モノホンの呪物きたぁーっ〉と身悶えして喜んでいる。真矢はしっしと手で呪呪ノ助を追い払うと、「どうやってこれを?」と鬼角に尋ねた。


「実はっスね——」鬼角はウィッグを手に入れた経緯を真矢に話した。


 鬼角の話はこうだった。


 棚橋刑事には秘密裏に、カイリは安田警部補に連絡を取り、芦屋雪乃の話をした。安田警部補は、前回の青山千夏の件で「呪対班には借りがある」と言い、すんなり芦屋雪乃の自宅訪問を請け負った。


「俺らが行ったら、マジ警戒されるじゃないっスかー」

「間違いない」

「だからカイ君と考えたんスよ。一般人じゃなくって警察官が行けばどーかなって」

「なるほど」


 鬼角曰く、安田警部補は、警察手帳を芦屋雪乃の母親に見せたあと、「とある詐欺事件で販売されたウィッグをお宅の娘さんも購入していたようで」とかなんとか上手い理由をつけ、芦屋雪乃の母親からウィッグを受け取ってきたと言う。


「念のため、ヤスさんの実家の寺に持ち込んで、お祓いするとか言ってたんスけど、せっかくなんで俺、今日の昼にもらってきたんスよ。なんかヒントねーかなって思ってっ」


 鬼角は狐のお面を彷彿させる顔に「どーだー」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべている。真矢は「それはそれは……」と少し身を引いて、カイリは大丈夫だったのかと少し心配になった。真矢の考えていることが読めたのか、それとも真矢の反応が鬼角の思う反応と違ったのか、鬼角は「超強力な呪符で包んであるんで、カイ君はギリセーフっす」とビシッと親指を立てる。


 鬼角の背後に移動した呪呪ノ助は、大興奮と言った様子で、〈くわぁーっ。はやくはやくぅ、中身を拝ませてくださいよぉ〜〉と、身体を左右に揺らしている。真矢は湿った目で呪呪ノ助を一瞥すると、「で、これをどうするの?」と鬼角に訊いた。


 鬼角はにぃーっと口角を上げると、「もちっ、現物確認っスよっ」と、とんでもないことを言い出した。呪呪ノ助は胸の前で手を組んで〈そうこなくっちゃですぅっ〉と、「鬼角様っ」みたいなポーズを決めている。


 おじさん幽霊にはついていけない。真矢は鬼角に視線を戻し、「大丈夫なの?」と訝しげに訊いた。


「大丈夫っすよ。俺も真矢ちゃんも呪力は見えないんスから」鬼角は段ボールを床に置くと、箱を手に取り呪符を丁寧に解き始めた。


 真矢は恐る恐る「被っただけで意識不明になっちゃうウィッグなんだよね?」と鬼角に言う。鬼角はあっけらかんとした口調で「それを俺で試すんスよ」と言って、呪符をさらに解いた。鬼角の手から、するすると、包帯みたいに細長い呪符が机の上落ちていく。真矢は「大丈夫なのかなぁ……」と不安になった。


「大丈夫っスよ。いままでも俺、現物確認結構してるんで」

「でも——」


 真矢はその先の言葉を飲み込む。なんだか部屋の空気が変わった。思い込みか。いやでも、鬼角が呪符を解く度、部屋の温度が少しずつ下がっていく気がする。


 真矢はぶるっと身体を震わせて、手を握った。心なしか、少し息苦しい。まるで喉元を圧迫されているようだ。真矢はごくり、と無理やり唾を飲み込むと、ゆっくりと鼻で息を吸った。


 厭な気配を感じる。真矢は「やっぱりやめよ」と声を絞り出したが、鬼角は呪符を全て解き終えてしまった。

  

 その時だった。


 パシッ、小さな家鳴りした。パシッ、違う場所でまた家鳴りがした。真矢は身を縮める。そしてそのまま、真矢の身体は硬直した。目はローテーブルの上、箱に縫いとめられている。


 呪符に包まれていたのは、真新しい白木の箱で、蓋には神様のような絵が書かれたお札が一枚貼られていた。


〈これはまさに不動明王ですねーっ。それとドーマンセーマンっ。陰陽師の護符ですーっ〉

「おー、まさにって感じっスねー」


 呪呪ノ助の声と鬼角の声がかぶる。鬼角は、「さてと」ぺろっと上唇を舐め、手を揉みしだいている。


「実は俺、結構好きなんすよねーっ、呪物系っ」


 鬼角の手が箱の蓋に触れる。真矢は「やめよ」と言いかけたが、声ではなく「ヒュー」と笛のような音が口から漏れた。


 なんだこれは、と真矢は思う。


 金縛りにあったように、身体が全く動かない。お腹に力を入れると、「うぐぅ」とくぐもった声が微かに出せた。でもダメだった。それ以上声が出ない。それだけじゃない。声を出すことはおろか、いまや呼吸もままならない。誰かに手で首を締められているみたいに、真矢の気管が塞がっている。頭がだんだんぼうっとしていく。

 

 鬼角君、その蓋を開けては、ダメ……、絶対ダメ……


 鬼角と呪呪ノ助は真矢の変化に気づかない。二人は「ご開帳〜」と声を揃え、お札の貼られた白木の箱の蓋を開けた。


 鬼角が蓋を机に置き、中から長い黒髪をずるずると取り出す。「思った以上に長いっスね」と鬼角が言った時だった。


 わぁ……しぃぉ……かみぃ……けぇ……えせぇ……


 地獄の底から響くような、低くて掠れた恐ろしい声が鬼角ルームに響き渡り、真矢はそこで、プツッと意識を失った。


 






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る