鳩山総合病院のバス停は、すでに数名の人がバスを待っていた。屋根付きの待合所、二つ並んでいるベンチには空きはなく、真矢は少し離れた場所で立ち止まる。昨日購入したばかりの白いマフラーを首元が完全に隠れるように巻き直し、真矢は「今日もダメだった……」と、盛大な溜息を吐いた。


 カイリと鬼角に「昏睡状態の芦屋雪乃さんの魂を探してみる」とは言ったものの、病院内のどこにも芦屋雪乃はいなかった。この三日間、真矢は電車とバスを乗り継いで鳩山総合病院に来ている。


〈カリンちゃんのようにはいかないですねぇ。不思議ですぅ〉


 真矢は「だよねぇ?」と声のする方を見上げた。曇天の空と同化しそうな灰色のスウェット姿。おじさん幽霊の呪呪ノ助も病院内を探してくれたけど、この三日間で出会えた死者は、御年百歳のお婆さんと、自動車事故で運ばれて来た老夫婦だけだったそうだ。


〈病院って、怖ーい怪談話とか多いのに、幽霊って意外といないんですねぇ。僕ぅ、もっと幽霊仲間に会えると思ってましたぁ〉

「病院は死にに来る場所じゃないからね。病気を直す場所だから」

〈残念ですぅ。もっと死んでくれないとぉ〉

「おい、それは一発アウトな不謹慎発言だぞ」


 葬儀場と違って、病院には死者が少ない。さすがに霊安室まで行けば、誰かしらの死者にバッタリ出会えるかも知れないけれど、真矢は霊安室のあるフロアには行かなかった。目的の芦屋雪乃は死んではいない。それに、死者が見えることが死者にバレると憑いてきてしまう可能性がある。死者は呪呪ノ助で手一杯だ。


 それにしても。


「あー、電車代とバス代がかさんでいく……」


 今度は違う意味で溜息が出る。東京までの交通費ところも以外の衣食住、東京に滞在するための最低限は保証されているけれど、鳩山総合病院までの交通費は犯罪捜査ではないので、真矢の実費だ。


 ついでに言えば、今日もレモネードを五本買ってしまった。売店の前を通ると、黄色看板が目について、素通りができないのだ。北風も寒いが、真矢のお財布も寒い。


 空中に浮かんでいた呪呪ノ助が〈そういえばお姉さんっ〉と、真矢の目線まで降りてきた。真矢は「なに?」と気の抜けた反応を返す。


〈病院の中では、ちゃんとあの、ぼぉいんっ、なっ、オネェさんに教えてもらった通りにしましたかぁ?〉呪呪ノ助がオーバーアクションで話しかけてくる。真矢は冷めた口調で「ボインのところジェスチャーいらない」と返した。


〈あれは、ボインなんてもんじゃないですぅ。ぼぉいんっ、ですよぉーっ〉

「あー、はいはい。チャンネルの合わせ方でしょ? やったよもちろん。でも、全然ダメだったんだよねぇ」

〈それはやっぱりお姉さんが、ぼぉいんっ、じゃないからできないんですかねぇー?〉

「うっさいわ。ちなみにそれはセクハラ発言」


 真矢は「しっしっ」と呪呪ノ助を手で追い払う。そんな真矢の横をサラリーマン風のお兄さんが通り過ぎて行った。チラチラ何度か振り返るところを見ると、真矢のことを変な人だと思ったのだろう。幽霊である呪呪ノ助の姿は真矢にしか見えない。真矢は外出するときは言動に気をつけねばと、改めて思った。


 ちなみに、呪呪ノ助が言ってるボインなお姉さんとは、昨日、真矢の外出中にシンデレラ城に来ていた、賀茂愛かものあいのことだ。


 皐月ママの古い友人だという愛は、子供を産んだとは思えないくらいスタイル抜群の快活な美人だった。ハリウッドセレブが着ていそうな、身体にフィットするショッキングピンクのジャージは、そのナイスバディを「これでもかっ!」と、見せつけていた。


 真矢は昨日のことを思い出す。


 昨日真矢は、シンデレラ城の食堂で愛に会った瞬間、とても懐かしい感じがした。懐の奥にホッカイロを入れてるような、あったかい、なんともいえない感情が胸に込み上げた。それはまるで、無くしてしまった宝物を見つけたときの感覚に似ていた。


 真矢は不思議に思った。愛とは初対面のはずなのに、そんな気持ちが心の奥底から湧いてくるなんて、と。だから真矢は愛に訊いてみた。


「もしかして、以前どこかでお会いしましたか?」と。そして、「こんな気持ちになるなんて初めてです」と、思ったままを愛に話した。


 真矢の話を聞いた愛は、なんともいえない微妙な顔をして、それから「ふっ」と微笑み、「もしかしてアタシたち」と真矢の手を取ると「魂の友達ってやつかも」と真矢のことを抱きしめた。


「アタシも初めて会った気がしないよ」


 真矢の背中にまわした腕に、ぎゅっと力を込めた愛の胸の谷間で、真矢は危うく窒息するところだった。それくらい愛の胸は豊満で柔らかく、お砂糖をたっぷり入れたホットミルクの匂いがした。


 真矢と愛は食堂のテーブルにつき、それからしばらく他愛もない話をした。愛は外国から今日帰国し、空港から直接皐月ママに会いに来たと言っていた。皐月ママと愛はそれほど親密な関係なのだと、真矢は思った。


 愛が膝に乗せていた赤ちゃんの名前は咲人さくとといい、男の子だった。咲人は生後二ヶ月という割には首が座り、顔つきがしっかりしていた。茶色と灰色が混じったような瞳はパッチりと大きく、どことなく子猫を彷彿させる顔つきだった。時折、大人のお喋りに飽きた咲人は、母親のウェーブかかった亜麻色の髪を小さな手で引っ張り、その都度愛は「いててててっ」と顔を歪めていた。


 愛の話は面白かった。子供を出産する前の愛は、本人曰く、「自分で言うのもなんだけどぉ、実はアタシ、世界中を飛びまわる凄腕のシャーマンだったのよっ」だそうで、いまでも世界中に、シャーマンや呪禁師、呪術師の知り合いがいるらしい。


「それってなんかかっこいいですね」と言った真矢に愛は、「でもね」と、ウェーブがかった亜麻色の長い髪をかきあげ、「子供産んだらぜーんぶ能力消えちゃったぁ」と声に合わせて腕をぱあーっと広げた。そのオーバーアクションに真矢は思わず笑ってしまった。


 愛と咲人は、当分シンデレラ城に滞在する。皐月ママが「アンタがここに泊まらなかったらっ、アンタと親子の縁を切ってやるぅ〜」と意味不明なことを喚いて、愛達が帰るのを引き留めたからだ。


 ちなみに、愛の好物は豚足だそうで、昨日は蹄つきの豚足を皐月ママお手製の酢味噌につけてかぶりついていた。


 帰りにスーパーに寄って、愛へのお土産に豚足を買っていこうかな。真矢がそんなことを考えていると、ちょうどバスがやって来た。


 真矢はバスに乗り、座席に腰を下ろす。動き出したバスの車窓を眺めながら、帰ったらもう一度、「霊的な存在にチャンネルを合わせる方法」を愛に教えてもらおうと、真矢は思った。

 



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