呪いの黒髪ウィッグ

 鬼角が拡大したフリマサイトの購入画像は、呪力の見えない真矢が見ても、ちょっとどころか、だいぶ気味が悪かった。


 黒髪ストレートロングのウィッグは、髪の長さが分かるように、畳の上に扇状に広げられていた。前髪部分も同様で、まるで畳に倒れた長髪の人間が、髪だけを残して消失してしまったかのようだ。異様な商品写真を目にして、真矢の腕がぷつぷつと粟立っていく。


 鬼角が「なんつーか、この写真を撮った出品者、フリマなれしてねーっスね」と椅子に背中を預けた。真矢は腕に立った鳥肌を宥めながら、「確かに」と顎を引く。


 フリマサイトに出品するときは、「商品写真が命だ」と、いつか見たバラエティ番組でその道のプロが言っていた。であれば、ウィッグを撮影するときは、モデルやマネキンなどを使う方がベターな気がする。畳の上に髪を伸ばして写すなんて、これではあんまりにもホラーだ。

 

 写真横の商品説明には、『レミー人毛100% M

サイズ、ほぼ未使用品です。使用しているレミー人毛は、毛染めやパーマをしたことがない人毛です。髪本来のキューティクルが毛根から毛先に向かって揃っているので、自然な艶と手触りが実感できます』と書かれていた。


「人毛ってことは、誰かの髪の毛だったってことだよね?」

「そっスねー。しかもこの長さってことは、人毛を提供した人は相当髪が長い人だったってことっスよね。それが五百円で売ってるなら、マジ半端なく安いっスよ」


「へぇー」と言った真矢の脳裏に青山千夏の姿が蘇る。このウィッグをかぶれば、青山千夏の髪型に近い気がする。


「写真だけでもかなり瘴気が出てるから、実物は相当だと僕は思うな」


 カイリの発言を聞いた呪呪ノ助は〈えーっ。こんな普通のウィッグなのに呪力が強いアイテムだなんてーっ〉と顔を画面に目一杯近づけ、〈僕にはやっぱり普通のウィッグにしか見えません〜〉とぼやいている。


 鬼角は「フリマサイトで購入したコレが原因で昏睡状態なんスかねー」と吹けば飛ぶような軽ーい口調で言う。カイリが「多分ね。病室の動画を見たときと同じ波長な気がする」と答えると、鬼角は「ってことは、これは呪対の仕事じゃねーっスね」と椅子から立ち上がった。


 ソファーに向かう鬼角に「呪対の仕事じゃないってどういう意味?」と真矢は訊く。鬼角の代わりにカイリが「呪詛犯罪じゃないですからね」と答えた。


「呪詛犯罪じゃないって……。え、でも、芦屋雪乃さんはこのウィッグのせいで昏睡状態なのかもしれないんだよね?」


 鬼角は「そっスねー」と言いながらソファーにドカッと腰を下ろす。サイドテーブルから新品のレモネードを手に取ると、蓋をプシっと小気味よく開けた。瓶を傾け何口か飲んだあとで鬼角は、「だってそれ、犯罪の匂いがしないっスもん」とこれまた軽ーい口調で言い放った。


「フリマサイトでたまたま見つけて、おっ、このウィッグバッカ安い。ラッキーって買ったら、そのウィッグが呪われたシロモノだったってことっしょ? どう考えても犯罪ではないっス」


 カイリもソファに腰をかけ足を組むと、「そうだよねぇ」と顎に手を当てた。なんだろうか、そんな二人の様子に真矢はなんだか釈然としない。


 呪詛犯罪じゃなかったらそれ以上調査はしない? 

 芦屋雪乃さんはずっと眠り続けてるっていうのに?


「このままにしておくの?」怪訝な声で真矢は訊く。仄暗い部屋の中央でソファに座る二人は無言だ。真矢は語気を強めて「ねぇ、ほかっておくの?」とソファに近寄る。呪呪ノ助も真矢の隣にやってきて、両手を口に添え〈ドイヒーですよーっ。かわいそうですよーっ〉とプンスカプンスカ怒り始めた。


「佐藤清さんの幽霊も可哀想って言ってるよ」真矢の語気がさらに強くなる。カイリは「僕も助けてあげたいけどさぁ」と、どこか含みのある言い方で、隣に座る鬼角の方へチラッと視線を向けた。が、鬼角はカイリの視線には気づかずに、ポケットから取り出したスマホを眺め、レモネードの瓶をまたぐびっと傾けている。カイリは真矢に向かって肩を竦め、小さくお手上げのポーズをした。そのポーズが気に入らない真矢は、「ねえ、ほかっておくの?」と二人に再度訊く。


 カイリは指で頬をかき、「僕もなんとかできるものならしてあげたいんだけどさぁ」と言ってから「ねぇ、鬼ちゃん」と鬼角の肩を手でぽんぽん叩いた。カイリに呼ばれた鬼角は、きょとんとした顔で「へ?」とスマホから顔をあげる。


「なんとかできないかなって話」カイリの問いかけに、鬼角はさも当然といった感じで「でも、芦屋雪乃の件は、呪詛犯罪じゃないんスよ?」と答える。その鬼角の声のトーンで、真矢は理解した。多分、鬼角は、呪対班が動く案件かどうかの線引きがクリアなだけだ。


 ならば、と真矢は思う。ここは説得あるのみか。


 カイリも真矢と同じように考えたのか、「でもさ鬼ちゃん」と、宥めるような声を出す。真矢も鬼角の横に腰をかけ「そうだよ、鬼角君」と説得にかかる。


「だってね」真矢は子供を諭すような口調で鬼角に語りかける。


「芦屋雪乃さんが昏睡状態で、その時期が青山千夏さんの転落した時期と被ってるって見つけたのは鬼角君だよね。だったらさ、それが呪詛犯罪じゃなくても、最後まで見届けたくない? それに、呪いが原因って分かったなら、助けてあげるのが人の道理って気がするな。鬼角君はどう思う?」


「え、でもっスよ?」鬼角はソファに身を埋め、考えこむように腕を組む。


「俺ら呪対班は、呪詛犯罪の対策のためにできた班なんスよね? 犯罪以外の呪詛なんて、世間一般に溢れすぎてて、全部は助けられないっスよ。それに、どうやって、穢れた昏睡状態から救うっていうんスか? そんな能力者、うちの班にはいないっスよ」


 カイリが「まあそうだよねぇ」と、ちょっと頼りない声を出す。そのあとで、「僕は呪力は見えるけど、昏睡状態の直し方は分からないからなぁ」と、腕を組んでソファーに身体を沈めた。


「でも知った以上、見過ごすことなんてできなくない?」真矢は二人に尋ねる。「そうは言うても、ですって」鬼角はソファーから身体を起こし、真矢に「どうしやいいんスか?」と訊き返した。「えっと、そうだな」真矢は顎先を手で握り考える。


 カイリは人の悪意や怨念的な呪力は見えても、それ以上の特殊能力は多分ない。鬼角は鬼角でハッカーとしては有能だけど、そこまでだ。真矢も真矢で、死者は見えるけど呪いの解き方は分からない。呪呪ノ助は——、と真矢が呪呪ノ助の方を見ると、呪呪ノ助も腕を組んで〈むむむぅ〉と考え込んでいた。


 真矢は「分からない」と肩を落とす。


「でしょ? 俺らにできることなんて、なんもないっしょ? 呪詛犯罪ならその道の方々をお呼びして手を打つこともできるっスけど、個人的なヤツは警察も金出さねーっスよ」

「そういうもん?」

「そういうもんっスよ」

「一応ここは警視庁の外部組織だから、お金の関係は棚橋さんの、というかその上の采配次第です」

「それに誰それ構わず呪詛で困ってる人を助けてたら、やるべきことができねーっスよ」

「それは、うん、確かに……」


 呪詛犯罪対策班は警視庁の外部組織だから、呪物の穢れを受けて困っている人がいたとしても、犯罪がらみじゃない限りは、救うことなんてできないんだ。


「せめて、私が死者と話すみたいに、芦屋雪乃さんの魂と話ができればいんだけど……」


 無意識に口にしたあとで、真矢は「ん?」と首を捻り、待てよ、と思った。死者ではなく、昏睡状態の芦屋雪乃さんの魂と直接話すことができれば、青山千夏さんの時のように、なにかしらできることが見つかるかもしれない?


 真矢の脳裏に鳩山総合病院で会ったカリンの顔が浮かぶ。死者だと思っていたカリンは、死者ではなく昏睡状態だった。もしもカリンと同じように、芦屋雪乃の魂もどこかで彷徨っていたとしたら……。


 真矢は唇に握り拳を押し当て、「やってみる価値はある」と呟いた。昏睡状態のカリンとは話ができたのだ。一縷の望みがあるならば、試してみる価値はある。それに、青春真っ只中の女子高生が、呪物の穢れを受けて眠り続けるなんて絶対ダメだ。できることならば、助けてあげたい。いや、助け出すのが大人の役目だと思う。


「うん」真矢は頷くと、ソファーに座り直し、カイリと鬼角に向かって「あのね、実は今日——」と、鳩山総合病院での出来事を話してみることにした。



 


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