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「12月5日午後4時半頃、東京都渋谷区の雑居ビル前の路上で女性が倒れていると通報あり。当該雑居ビルは老朽化のため、取り壊し予定で、当時は無人だったと管理会社は話している。
女性はその後、搬送先の病院で死亡を確認。管轄署は現場検証と検視の結果、自殺と断定。
所持品から女性の身元はすぐに判明。死亡したのは、東京都町田市在住の都内私立高校に通う女子生徒(十六歳)で、発見された場所について家族は、なぜそんな場所に行ったのか分からない、と話している。また、うちの子に限って、自殺はありえないと母親が強く主張し、管轄署に殺人事件として再捜査を要望している——」
書類を読み上げながら、ホワイトボードに内容を書き進めた棚橋は、カチッとペンの蓋をはめ、「——今回は、そういう案件なのですが」と、真矢とカイリに向き直った。
棚橋の書く美しい文字と、刑事ドラマっぽい光景についつい見惚れていた真矢は、ハッとして居住まいを正す。
——いけない。これはドラマじゃなくって、実際に亡くなられた方がいる話だ。
「管轄署が自殺と断定している以上、それを覆すほどの証拠がない限り、再捜査はまず行われません。しかし、亡くなった女子高生の母親が、毎日のように署を訪れ、再捜査を要望するためこちらに話がまわってきました」
「あの」と真矢は小さく手を上げる。「どうぞ」と棚橋が答えたので、真矢は軽く咳払いをしてから、「遺書はなかったんですか?」と疑問に思ったことを尋ねた。
「現段階で遺書はみつかっていません」
「そうなんですか」
「ええ。でも、自宅には自殺を仄めかすような日記が残されていました。担当した署員は当日の検視結果、目撃情報、また日記に書かれていた内容などを
棚橋はスーツの中に着込んだ黒いタートルネックの襟を少し摘むような仕草をし、「実は」と、少し眉を歪めた。
「数日前、ある動画が見つかったんです」
「動画?」真矢とカイリの声がかぶる。棚橋は「ええ」と、ホワイトボードの横にある自分のデスクに行き、「ちょっとこれを見てください」と、ノートパソコンを起動した。
白々しい蛍光灯が灯る薄暗い部屋。パソコンから起動音が聞こえる。その音を合図に、カイリが椅子の背もたれを胸に抱き、長い足で床を蹴ってキィキィ音を鳴らしながら移動を始める。真矢もそれに倣って椅子に座ったまま床を蹴り、棚橋のデスクの前まで移動した。
棚橋は起動したノートパソコンの画面を真矢たちの方に向け、「近くのビルから盗撮しているバカがいたんですよ」と、嫌悪感丸出しの顔をした。
棚橋の話によると、近くのビルから近隣住民の情交に及ぶ姿を度々盗撮していた男性がいたという。しかもその映像をあろうことか裏サイトに投稿していたという。
「うわぁ、サイテー」真矢は顔をしかめ、「え、でも、ということは、これから見る映像はまさか……」と、思わず手で口を覆った。「もちろんその部分はカットしてますが」棚橋の言葉で真矢はほっと胸を撫で下ろす。
「それでも別の意味で、ちょっと見るに耐え難い部分はあります。特に、お二人にはあまり見せたくはなかったのですが」
真矢はカイリと顔を見合わせた。確かに人が死ぬ瞬間を見たいとは思わない。真矢は逡巡する。
——でも、私がなにかの役に立てるかもしれないと思って、自分で決めて今日ここにきたんだし……。死者が見えること、死者と話しができること。それが、誰かの役に立つならば。
「うん」心の中で呟いて真矢は覚悟を決める。棚橋を見上げると、棚橋も真矢のことを見ていた。二人の視線が絡む。「私は、大丈夫です」真矢は顎を引いた。カイリを見ると、「僕は半年前から呪対班のメンバーだから今更だよ」と真矢に返した。その後で、結んでいた髪の毛をほどき、手でボサボサっとかき混ぜてから、もう一度後ろでキリッと結び直している。
棚橋はそんなカイリに無言で首肯すると、「では、まずは、これを見てください」と、再生ボタンを押した。
パソコン画面には、雑居ビルが立ち並ぶ、繁華街というよりは少し路地を入った場所にあるような、古いビルの窓が映った。音声はあえて消しているのか、無音だ。と、すぐに画面がブレ始め、カメラは別のビルの屋上を映し出す。錆色の筋が縦に何本も入った古いビルの屋上には、長い髪の人影が動いている。
映像はその屋上をズームし始める。人影は、短いスカートを履いた女性だと認識できるほどアップになった。屋上では強い風が吹いているのか、女性の長い黒髪が空中に舞い上がっている。
女性は腕を振り回し、ナニかを避けようとしている。しかし、映像には女性以外のモノは映り込んではいない。あるとすれば、貯水タンクらしき四角い箱のようなものと、階段への入り口ドアくらいなもの。いま女性はそのドア付近で見えないナニかと戦っている。
——と、画面の中、女性は走り出す。ビルの縁に向かって、時々後ろを振り向きながら、手でなにかを避けながら。そして——、ビルの縁までたどり着いた女性はそこでしゃがみ込み、次の瞬間、自分に覆いかぶさっているなにかを振り解くように大きく腕を広げ、ビルの縁から落下していった。
真矢はその一部始終を瞬きもせず、見ていた。真矢の頭の中に、既視感のある光景が浮かんでいた。「これって……」真矢は息を飲む。
都市伝説『公衆電話の太郎君』で生贄にされた女子高生の死に方にそっくりだと、真矢は思った。あの時の女子高生は真矢に「助けて」と電話をしてきた。そして、真矢とカイリの目の前で、見えないなにかをふり払うように腕を振り回し、そのまま道路に飛び出して、——トラックに撥ねられて亡くなった。
「似てると思いませんか?」棚橋が静かに訊く。真矢もカイリも無言で頷いた。
「呪詛犯罪対策班の存在は警視庁の中、いや警察庁を含めても、一部の人間しか知りません。通常、呪詛犯罪の調査依頼が舞い込むのは上からの指示ですが、今回の調査依頼は、昨年までバディを組んでいた先輩刑事からの依頼です。ヤスさんは今年定年を迎えますが、いまはまだ現役の刑事です。そして、この女子高生の一件を担当しました」
真矢は顎に手を当て目を閉じた。そして、思い出す。一年前、棚橋がバディを組んでいた刑事がどんな人だったかを。
真矢がヤスさんと直接会ったのは、『公衆電話の太郎君呪詛事件』が全て終わった後、カイリが入院していた病院の廊下だった。頭髪が薄く、メガネをかけた初老の男性刑事——通称:ヤスさん——は、リンメイシャオ邸のお祓いを力のある修験者にお願いしたと、あの時棚橋に話していた。
「この動画が見つかるまで、ヤスさんは自殺を疑ってはいませんでした。が、うちの
棚橋の話が終わる。しばし部屋に沈黙が降りた。誰もなにも話さない。重たい空気が部屋に充満している気がして、真矢はそっと目を開けた。
二人の視線が真っ直ぐ真矢に向かっている。真矢は一瞬、なんで二人は私を見てるんだろうと思った。棚橋の顔を見て、カイリの顔を見て、また棚橋の顔を見て、「はい?」と真矢は小首を傾ける。
「どうでしょうか? 亡くなった女子高生と話せそうですか?」
「真矢ちゃん、亡くなった女の子の霊を召喚して、サクッと真実を聞き出してよ」
「召喚って……、そんなこ——」
その後の言葉をグッと飲み込んで、真矢は一旦考える。
——死者と話せる私が誰かの役に立てるならと、今日、ここにきた。私は死んだ人が見えて話せるのだから、自殺の真相を直接本人に聞けばいいんだよね、いつものように。
と、そこまで考えた真矢は重大なことに気づく。それは、真矢がいままで一度も考えたことがないことで、そして、多分いま、ものすごく重要なこと。二人の熱い視線を全身に受けながら、真矢の血の気がさーっと音を立ててひいていく。いやいや、まてよ。「えっと……」こめかみに人差し指を当て、真矢はぎゅっと目を閉じる。そしてまた考える。
——私って、いつもどうやって死者にあってたっけ?
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