警視庁呪詛犯罪対策班事務所
2
真矢は瞬きするのを堪え、真っ直ぐ前だけを見ていた。握り締めた手は汗ばみ、まさにいまこの瞬間、死の恐怖と対峙している。真一文字に引き結んだ口。奥歯を噛みしめ、真矢はシートベルトを握り直す。
——これ以上このまま走っていたら、きっといつか、事故る……。
「あ、ほらほら、見てください。スカイツリーですよ」カイリが呑気に窓の外を指差す。「そういうのいいからっ!」真矢は前を向いたままゲキを飛ばした。
「真矢ちゃん、スカイツリーは東京にしかありませんよ?」
「んなこた知ってるっ! こっちを向くな前を見ろ前をっ!」
ホテルをチェックアウトした真矢とカイリは、カイリの車に乗り込み、『警視庁呪詛犯罪対策班』の事務所まで向かっていた。宿泊していた大手町のホテルから事務所までは、順調に走って二十分程度だと聞いていたのに、すでに三十分以上車で走っている。カイリが車線変更を何度も間違え、なかなか目的地につかないからだ。
「あ、いまのとこが出口だった」カイリがあっけらかんとした声で言う。真矢は
「もう……、やめて……。お願いだから、もう……」と顎を振り、もう二度とカイリの運転する車には乗らないと心に誓った。
こんなことならホテルの駐車場で「真矢ちゃん運転します?」と聞かれた時、「する」と、言えばよかった。後悔が真矢の胸に押し寄せる。でも、あの時、真矢はホテルの駐車場で思ったのだ。「こんな高級外車、私は運転怖すぎる」と。カイリの乗っている車は、元々はカイリの姉——木崎花(享年三十歳)——の車で、真っ赤なベンツのクーペだった。りんご飴のように艶々光るベンツには、真新しい初心者マークがついていた。が、真矢はそれを完全に見落としていた。
——結果。
カイリの運転する車は首都高速をあちこち走り回り、目的地周辺に着いたのは、ホテルを出て一時間半ほど経った頃だった。
「もう二度と、カイリ君の運転する車には乗らない……」真矢は言う。カイリは「はははっ」と爽やかな笑みを見せ、高級住宅街を進んでいく。程なくして、カーナビが『目的地は左です』と機械的な声で告げ、車は無事に左折した。そのまましばし、木々に囲まれた砂利敷の道を進むと、重厚な門扉が見えた。どこか見覚えのある光景に、真矢の心臓が一瞬ひやっと固まる。
「カイリ君、もしかしてだけど、ここって……?」
「ええ。リンメイシャオ邸です」
——リンメイシャオ邸。それは、一年前、都市伝説『公衆電話の太郎君呪詛事件』を引き起こした元凶、蠱毒師リンメイシャオの邸宅。命をかけて事件に挑んだ真矢たちの最終決戦の場所。
「なんでこんな場所に、事務所を……」真矢は身を竦める。
リンメイシャオ邸は、不気味で恐ろしい建物だった。あの事件の後、建物自体をお祓したとは聞いている。でも、それでも、普通のお祓いでなんとかなるようなレベルじゃない気が真矢はしていた。真矢の脳裏にリンメイシャオ邸が浮かぶ。木々に囲まれた石造りの古びた洋館は、薄暗く、地下には儀式のための空間があった。六芒星に配置された地下室には、それぞれ歴代のリンメイシャオの遺体が壺に入れられ封印されていた。六芒星の真ん中にあたる部屋には人型の祭壇があり、その上には生贄が乗っていて……
眉間に皺を寄せる真矢の目の前で、おいでおいでと、誘うように重たそうな鉄の門扉がゆっくりと開いていく。真矢は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「まじか……、扉が勝手に……」
「リモコン操作ですよ」カイリがライターほどの大きさの黒い物体を真矢に見せる。「へぇ……」と生返事をしてカイリを見た真矢は、瞬きを数度繰り返し、「リモコン!?」と素っ頓狂な声をあげた。
「え、別に普通ですよ。門がリモコンで開くなんて」
「それはそうかもだけど、私の知ってるリンメイシャオ邸はこう、なんていうの、呪いの館というか、死霊の棲む家とかそういうイメージで……」
「はははっ。確かに、あの頃のリンメイシャオ邸はおどろおどろしかったですからね。でも、今は大丈夫。さ、行きましょう行きましょう」
カイリの運転する車は門を通り過ぎる。カイリが肩越しにリモコンを背後に向けて「ピッ」と鳴らすと、常緑樹に挟まれた重厚な黒い門扉はゆっくりと閉まっていった。
「なんか、すごいな……」
「はははっ、だいぶ改修工事しましたからね」
「改修工事?」真矢は聞く。「ええ」とカイリは含み笑いを漏らし、「ここで車をおります」と、カラフルなバスの横に車を駐車した。
「は?」真矢は思わずバスを凝視する。小型のバスは幼児用のお菓子のパッケージみたいなカラフルさで、動物のイラストが至る所に書いてある。真矢の頭に『???』が走りまわる。そんな真矢のことは全く気にならないのか、カイリは運転席のドアを開けた。車を降りながら不満そうに「それにしても真矢ちゃん」と顔だけ車内に向ける。
「なんで昨日買ってあげた服を着てないんですか?」
「え、だって、動き、……いや、汚したらまずいと思ってね」
真矢は今日、ジーパンに青いモヘアのセーター、黒いムートンブーツといったラフないでたちだ。カイリはもちろん、黒いモード系ブランド、キサキマツシタをかっこよく着こなしている。「へー」不満そうな声を車内に残し、パタンと運転席のドアが閉まる。真矢もコートと鞄を手に取り車を降りた。
「真矢ちゃんに似合ってたのにな」歩き始めたカイリがしょげた声で言う。真矢は「ははは。勝負服として大事に使わせてもらうね」とにこやかに返し、カイリの横に並んだ。
カラフルなバスの横を通り過ぎる。——と、シルバーグレーのセダンがその奥に停まっていた。刑事の棚橋が乗ってきたものだと、真矢は思った。さらにその奥には、映画『ローマの休日』でオードリーヘップバーンが乗っていたような、黄色いベスパ。
「黄色いベスパ……?」
真矢は足を止め、歩いてきた道を改めて見渡した。手入れが行き届いた常緑の木々に囲まれた砂利道。駐車された幼稚園バスと黄色いベスパの色が完全に浮いている。真矢は記憶の中のリンメイシャオ邸のイメージと、あまりにも不釣り合いな気がした。意味不明だと首を捻り、「あのさぁ」と、カイリの横まで走り寄る。と、その真矢の瞳に、さらなる意味不明建造物が映り込む。赤色に黄色、青色にピンク。色とりどりのパネルが組み合わさってできた建造物の上部からは、青い象の鼻が地面に向かって長く伸びている。
「なにこれはっ?!」
「コンビネーション遊具ですよ、真矢ちゃん。コンビネーション遊具を知らないんですか?」
「コンビネーション遊具はわかるよ、わかるけどさ?」
「夜は庭中にイルミネーションがつきます」
「イルミネーション?! えっ、待ってここ、警視庁外部組織の事務所なんだよね?」
「もちろんですよ。事務所兼、託児所です。真矢ちゃんも知ってるゲイバーシンデレラの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます