呪詛調査 ——女子高生自殺事件——

 学校を抜け出した雪乃は、いつの間にか家の近くまで帰ってきていた。暗雲が垂れ下がる空の下、白い住宅が、道を挟んで四軒ずつ並んで建っている。その道の突き当たりに、さらに一軒。その家が雪乃の自宅だった。


 同じような外観の建売住宅。十年前、新築だった頃の面影はすでに消え失せ、どの家も外壁がくすみを帯びている。立ち並ぶ家々には雪乃と同い歳くらいの子供がいて、昔はよくこの真ん中の通路で遊んでいた。いまはもう、この道で遊ぶ子供は誰もいない。


 北風が吹き、雪乃の足元を落ち葉がカサカサ音を立てながら転がっていく。いま、この瞬間、この場所にいる人間は、雪乃と多分もうひとり。中学受験に失敗し、数年前から自宅に引きこもっているミノルだけだった。ミノルは雪乃の隣の家の住人で、昼夜逆転の生活をしている。


 ——みっ君だって、途中まではまともだった。みっ君がおかしくなったのは、あの最低な母親のせいだ。


 ミノルは、小学四年生から中学受験専門の塾通いをして、都内の難関私立中学校を受けることになっていた。だからなのか、派手でブランド好きなミノルの母親は、ミノルと近所の子供たちが遊ぶことを、ある時期から嫌っていた。「うちの子とあんたたちとはレベルが違うんだから、遊ばせない」と言って、玄関先で追い返された子供もいる。そのせいで、ミノルは同じ小学校の子供たちの中でも、だんだん孤立していった。


 ミノルは中学受験なんてしたくないはずだと、雪乃は思っていた。同じ小学校の私達と、一緒に中学生になりたかったはずだ。


 そんなことを言えば、私だって。

 別に県内の公立高校でよかったのに……


 雪乃の母親も、ミノルの母親とそう変わらないのかもしれない。ご近所の同じような年頃の子供を持つ母親同士や、学校の保護者会。親たちは表面上仲のいいふりをして、内心では、子供の出来不出来を探り合っている。それに、親たちは、人を貶めるような陰気な噂話も大好きだ。


 ——ミノル君、かわいそうにねぇって、今日の卒業式の後でね、お母さんたち、話してたのよ。卒業式に来れないなんて、本当にかわいそう。普通の子なのに、お母さんに能力以上のことを求められて、無理しちゃったのよねぇ、本当にかわいそう。ねぇ雪乃もそう思うでしょ?


 雪乃は母親のそういうところが嫌いだった。心配してるなんて口だけで、人の不幸を喜んでいるのが見え見えだと雪乃は思った。きっと、他の母親たちも似たり寄ったりだろう。


 雪乃は下を向き、自宅までの道を歩く。歩くたび、赤いチェックのスカートから膝小僧が見え隠れしていた。学校指定の紺色の靴下と赤茶色の革靴。履き古したローファーの爪先を見つめながら雪乃は思う。


 もう、学校行くのやめようかな、と。

 私もみっ君のように、家に引きこもってしまえば……


 ダメだよな、と、雪乃は頭をふった。できるわけがない。大体親になんて言えばいいのか。我が家にとって、決して安くはない高校の授業料や教材費に、学校までの交通費。今までの塾費用だって馬鹿にならない。それを全部無駄にして不登校になるなんて、お母さんが絶対に許さない。それに県外から都内の私立芝岡学園高等学校に通わせてることが、お母さんの自慢であり、ステータスでもあるのだから。


 ——家も、学校も、最悪だ。窮屈で、どこにも私の居場所がない。


 目の奥が熱を帯び、視界がじわじわ滲んでいく。雪乃は俯いたまま足を動かし続け、玄関ポーチまでたどり着いた。ふと顔を上げ、葉が落ちて枝だけになった庭木の向こう、隣家の二階の窓を見る。薄暗い窓にはカーテンが引かれている。その少し開いた隙間から、赤い光がチカチカ見えた。


 ミノルは今日も、あの部屋にいる。中学受験に失敗してから、ずっとあの部屋に籠っている。隣の家なのに、雪乃はミノルの姿をもうずっと見てはいなかった。それでも、雪乃にはミノルの部屋の中が見えるようだった。


 薄暗い汚い部屋。お菓子の袋や空のペットボトルが転がった不潔な部屋で、ボサボサの長い髪をしたミノルは背中を丸めてゲームをしている。それはきっとゲーム機ではなくパソコンだ。戦闘服を着た兵士のアバターは架空世界のものなのに、それが自分自身なのだと錯覚しながら、銃を片手に殺戮を繰り返している。岩陰から出てきた敵を撃ち殺し、倒れた敵にさらに銃を向け撃ち続ける。死ね死ね死ね。お前ら全員殺してやる。きっと、ミノルはそう言いながら次から次へと敵を倒していく。そして高揚感に浸っていく。


 俺は最強なんだ、と。

 この世界は俺のものだ、と。


 ニヒルな笑いを浮かべながら、きっとミノルはそう思ってるに違いない。バーチャル空間で、自分じゃない自分で。でも、ミノルにとって、本当に撃ち殺したい相手は母親だろうと、雪乃は思った。心が壊れたミノルと、再婚相手を捨てて、ミノルの母親は家を出て行ったそうだから。


 ——かわいそうにねぇ。お隣の旦那さんも大変よねぇ。血の繋がらない子供を育てなきゃいけないなんてねぇ。だってねぇ、知ってる? あの奥さん、元お水だって。どうりで派手だと思ったわぁ。お隣の旦那さんいい人だもん。きっと騙されちゃったのねぇ、かわいそうに。


 ある日の夕飯時、家族三人が揃った食卓で、雪乃の母親は父親にそう言った。父親は「ふぅん」と気のない返事をして、それなのに雪乃の母親はさらに陰口めいた話を続けた。雪乃はそんな話は聞きたくもなかった。再婚も、水商売も、ミノルには関係ないと思った。


 ——みっ君はみっ君だ。明るくて、スポーツ万能で、頭も良くて、いいやつだったのに……


 雪乃の脳裏に小学生の頃のミノルの顔が浮かぶ。その顔がどんどん歪んで黒ずんでいく。ミノルの口が弓形に引きつり、「お前も、こっち側にこいよ」と言われた気がした。雪乃は、妄想を振り解くように急いで玄関を通り過ぎ、自室のある二階まで駆け上った。


 自室に入るなりベッドに飛び込んで枕に顔を押し付ける。「大丈夫。私はみっ君とは違う。まだ、やれる。大丈夫」呪文のように何度も何度も口に出す。雪乃の吐く息で、枕が熱を帯びていく。目を瞑り、雪乃はどうやったら今の状況を変えれるかと考え始めた。


 そうだ。まずは原因だ。私がこんな風になった原因。それを思い出すんだ。なんで、学校で無視されるようになったのか。それは、なんでだ。私と、陽奈、明日香、美琴。四人で仲良くしてたのに。なんで。


 まぶたの裏にある光景が浮かび上がる。ヒソヒソと、誰かが私の悪口をあることないこと風潮している姿。それは雪乃の妄想なのか、それとも現実にあった出来事なのか。


 雪乃は思う。席替えで、私だけ三人と離れた。あの時からきっとおかしくなった。仲良し四人組を脅かす憎き存在。「席が近いから」と理由をつけて、途中から割り込んできたあいつ。夏休み明けから、妙に綺麗になった同級生。痩せて綺麗になった彼女は夏休み以降、クラスの中心的存在になりつつあった。


「そうか。あいつのせいだ……、絶対に……。あいつが私の悪口をみんなに吹き込んで、それで、それで……私の居場所を奪ったんだ……」


 どうして今まで思い至らなかったんだろう。あいつだ。あいつのせいで、自分はこんなことになってるんだ。考えれば考えるほどに、雪乃の心には憎悪の炎が燃え上がる。焚きつけられた感情は渦となり、雪乃の全身を包み込んでいく。


 悲しいと泣くよりも、ずっといいと雪乃は思った。この激昂する感情の方が、ずっと……。腹の底からエネルギーの塊が浮かんでくるようだと、雪乃は思った。


 ——刹那。


 雪乃の頭の中に稲妻のような煌めきが走った。雪乃は、はっと身を起こす。暖房をつけていない室内はとてつもなく冷えている。でも、雪乃の頭の中は沸騰した水のようにふつふつとある考えが浮かんでいた。


 もしかして、あいつさえ消えれば、私はまた元どおりになれるんじゃないだろうか。陽菜と明日香と美琴と、私。入学当時からの仲良しな四人組。


「そうだ、あいつさえいなければ。そして、取り戻すんだ……」


 雪乃はベッドから抜け出して、学習机に向かう。机上には、雪乃の祖母が「高校入学のお祝いに」と買ってくれたノートパソコンが乗っている。雪乃のお尻の下、椅子がキィと小さく鳴く。雪乃はノートパソコンの起動ボタンを押した。


 調べよう。憎い相手を蹴落とす方法を。確か以前、そんなネット広告を見かけたことがある。その広告には確か、『交際相手との復縁』や、『縁切り』の他に、『いじめの仕返し』『友人知人の裏切りに対しての復讐』と赤い文字で書かれていた気がする。


 まずは、その広告を探してみよう——、雪乃がそう思った刹那。雪乃の意識はコンセントを抜いたテレビのようにシャットアウトした。





 まるで透明人間になった気分だ。みんな私を避けていく。誰も、私と目を合わせない。


 暖房が効いて温かいはずの教室の中、雪乃は視線を落とした。白い陶器でできた花瓶には、白い菊の花。それはこの教室の誰かが飾ったものだった。はらはらっと、首を垂れる白い菊から花弁が数枚、机に落ちた。


 雪乃がいる席の隣では、つい最近まで一緒にお弁当を食べていた仲良しグループの陽奈や明日香、美琴が机をくっつけお弁当を食べている——



 




 








 



 



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