呪詛じゅそ犯罪ぃ〜?!」真矢の声が裏返る。だが、棚橋もカイリも真面目な顔で頷いた。「本気で言ってるんですか?」真矢は怪訝な顔でもう一度棚橋に訪ねる。「ええ、もちろんです」と、棚橋はまた大きく頷いた。


「真矢ちゃん、クッソ真面目な棚橋さんが嘘つくわけないでしょう」隣に座るカイリが言い、反射的に真矢は「そんな綺麗な顔でクッソって言わないで!」と、カイリの背中をバシンと叩いた。


「いてて、僕だって、クッソくらい言いますよ。棚橋さん真面目すぎるほど真面目なんですから」


「そこは、はい。申し訳ありません」棚橋が頭を下げ、真矢は「いやいや」と手を振る。


「棚橋さん謝るとこ間違ってますって」

「いえ、いいんです。本当のことなので。それに実はですね、真矢さん。一般に知られていないだけで、呪殺だと思われる事件について、捜査班をあてがうことは今までもあったんですよ。それこそ、昭和以前から記録は残ってます。ただ、それを立件して逮捕することは難しいというだけで」

「えぇ?! そうなんですか?!」

「真矢ちゃん、個室とはいえ、声が大きいよ」


「あ、ごめん……」真矢は肩を竦めた。


「真矢ちゃん、僕たちが出会った経緯を思い出してみてくださいよ。あれが呪詛でなくてなんだっていうんですか? それにあれ以降、僕は人の悪意が見えるようになったんだし、明らかに呪いでしょ」


 真矢は口をつぐみ、思い出す。

 あれは一年前の冬……


 WEB小説サイトで、真矢の執筆仲間の手によって創作された物語『公衆電話の太郎君』。それは、自分の生まれ年の十円玉で、深夜二時に緑の公衆電話から自分の携帯に電話をかけると、その後、公衆電話の太郎君から電話がかかってきて、なんでも望みを叶えてくれるという物語だった。ただし、願い事の大きさに合わせて、生贄を捧げなくてはいけない。


 本来なら、ただの物語のはずだった。しかし、創作された都市伝説は、現実世界に影響を及ぼした。実際に『公衆電話の太郎君』がインターネットを介して、世界に蔓延し始めたのだ。その都市伝説のせいで、カイリの姉——木崎花きさきはな(享年三十歳)——は、誰かに生贄として捧げられ、呪殺された。それも、カイリの目の前で死んだのだ。カイリの姉、木崎花の死は、事件性のない不審死として処理された。


 カイリは、姉が不審死した原因は都市伝説『公衆電話の太郎君』であると仮定。亡くなった姉とWEB上で繋がりのあった真矢を探し出し、『公衆電話の太郎君呪詛事件』に巻き込んだ。


 当時、カイリの姉の不審死を捜査していた刑事の棚橋、そしてカイリと真矢は協力し、その謎を解明した。元を辿れば、その昔、中国から日本に渡り住んだ蠱毒師こどくし、リンメイシャオ一族が生み出した呪詛が原因だったのだと。


 ——蠱毒師、リンメイシャオ。


 それは、時の権力者に利用されるだけ利用された不幸な女だった。誰かを愛することもできず、蠱毒のためだけに子供を産み、蠱毒のために我が子を殺す。唯一ひとりの女児だけを育て、蠱毒を継承し続けていた。おそらくそれは、江戸時代から、何代も、何代もに渡っていた。


 そして、最後のリンメイシャオは、代々受け継いできた蠱毒師としての運命を終わらせるため、密閉された空間に複数匹の貓と篭り、最悪のを生み落とす。自らの身体を貓に喰わせたリンメイシャオは、中国最強の蠱毒、貓鬼びょうき造蠱ぞうこすることで一族の呪いを祓い落とし、加えて貓鬼をこの世に放った。


 本来蠱毒とは主人あるじの指示によって呪いを発動するもの。主人のいない貓鬼は、野良蠱のらことなり、インターネットの世界に入り込むことで『公衆電話の太郎君』の名を得た。『公衆電話の太郎君』は、人々の心に巣食う悪意を喰らい、苦しみもがき死ぬ生贄の恐怖やその魂を喰らっていた。


 ——が、昨年の冬、恐ろしい都市伝説、『公衆電話の太郎君』の名前を得た貓鬼は、真矢、カイリ、棚橋らの活躍で封印された。


 真矢は、古い洋館、リンメイシャオ邸の地下室を思い出す。正三角形の地下室は鉄の扉でくぎられ、六芒星を描くように配置されていた。その各部屋には歴代のリンメイシャオの遺体が壺に入って安置されていた。真矢はそのいく先々で手を合わせ、リンメイシャオの魂に祈った。「どうか、安らかにお眠りください。そして、私たちを助けてください」と。


 あの時。最後の最後、もうダメだと思った時、リンメイシャオの魂は祈りに応え、真矢たちに力を貸してくれた。


 ——だから、私たちはいまここに存在できている。


 そこまで思い出した真矢は「ん?」と眉間に指を当てた。果たしてそうだっただろうか。あの時、祈るだけでなんとかなったのだろうか。


 ——一般人の私たちが祈りを捧げる。そんな簡単なことで?


 何か、忘れている気がするのは気のせいか。誰か、力のある呪術師などいなかっただろうか。真矢は記憶を手繰る。概要は思い出せるのに、詳細な部分が所々思い出せない。でも、今日は結構飲んでいる。脳内の映像にモヤがかかっているのはアルコールのせいなのかもしれないと、真矢は思い直す。


 それでも一応と、真矢は「棚橋さんあの時って、私たち三人だけでしたか?」と、訊いた。棚橋は、一瞬虚をつかれたように眉を持ち上げ、「ええ、そうですよ」と、真矢に優しく微笑み返した。


「三人で解決しました。もっとも、捜査という点でいうと、当時バディを組んでいた相棒のヤスさんにも裏では手伝ってもらいましたが」


 真矢はヤスさんと聞いて、棚橋が乗っていた覆面パトカーのおじさん臭を思い出す。確か棚橋はあの時、「ヤスさんは定年間近の刑事さん」だと言っていた。そんなことまで思い出せるのだから、自分の記憶に、多分問題はない。はず……。


「そう、ですか……」真矢は、静かに頷く。

 でも——、と、真矢は思う。


 なんでだろう。この、大事なモノをなくしたような、そんな寂しさが急に胸に込み上げてくるのは……、と。だから、真矢は胸に手を当てて目を閉じた。この、胸のざわつく違和感。その理由を知りたいと真矢は思った。でも真矢は、やっぱりそれ以上は、なにも思い出すことはなかった。真矢はこの胸の苦しさは、あの時の恐怖からくる胸の痛みだと割り切るしかなかった。


 であればと、真矢は目を開き、「あの、それで、なんでその呪詛犯罪の話を私に?」と、棚橋に尋ねた。


「警視庁呪詛犯罪対策班じゅそはんざいたいさくはんは、警察組織の中でも一部の人間しかしらない秘匿されたチームで、警視庁内ではなく、外部組織として存在しています」


「外部組織?」真矢は聞き返す。「はい」と棚橋は頷き、「特殊な能力や、呪術に関して知識を持った人で構成されたチームです」と続ける。


「真矢ちゃん、僕も半年前から、呪対班じゅたいはんのメンバーなんですよ」と、隣に座るカイリが言い、真矢は「は?」と横を向いた。


 カイリはなぜか口角を上げている。これは、なにか企んでいる時の顔だと、真矢は警戒した。一年前、カイリは勝手に真矢のFacebookアカウントを作り、捜査に巻き込んだ前科がある。これは、あの時の顔に絶対似ている。真矢の眉間に皺が自然と寄っていく。


「呪詛犯罪対策班、略して呪対班の班長は棚橋さんで、僕はそのメンバーのひとり。で、真矢ちゃんが葬儀会社を辞めたってLINEくれたから、だったら、真矢ちゃんも呪対班にどうかなって、今回東京にお招きしたんですよ」


「私も?」真矢は話がみえない。「でも」と、カイリは肩を竦めて首を振り、話を続ける。


「残念ながら、真矢ちゃんは、僕みたいに見えないものが見える体質になってなかったみたいで、そこはがっかりしました」


 おいおい、勝手にがっかりするなよな。と、真矢はカイリにツッコミたくなった。でもこの話の流れなら、自分は死者が見えること、死者と話せることを二人に説明することができる。


「そのことなんだけど、実は私——」


 真矢は誰にも話せなかったことを二人に話し始めた。不思議と、すらすら言葉は真矢の口から流れていく。


 真矢は、話しながら、心の中の重たさがだんだん軽くなっていくような気がした。棚橋もカイリも、真矢の話をただ黙って聞いてくれている。真矢は、話せば話すほど、堰を切ったように、どんどん止まらなくなっていった。


 死者である故人の思いをご葬儀のナレーションに織り交ぜたら、故人からもご遺族からも喜ばれたこと。銀行口座のパスワードや貸金庫の鍵のありかをご遺族にそれとなくお伝えすることができたこと。


「それにね、それにね、こういうこともあったんだよ」


 本当は真矢も分かっていた。誰かに話を聞いてもらいたかった。でも、死者と話せるなんて、誰にも言えなかった。


 殺人が自殺と断定されたり、病死と断定されたりするケースもあった。死者がそれを「殺されたんだ」と私に訴えてきても、それでも私になにかができるわけじゃない。自分には全く関係ない殺人なのに、犯人に手を貸してるみたいで良心の呵責に苛まやれた。それが本当に辛かったと、真矢は二人に話した。


 真矢が一通りこの一年間で経験してきたことを話し終えると、しばし個室に水を打ったような沈黙が漂った。棚橋は目を閉じて腕を組んでいるし、カイリはカイリで、黙ったまま真矢を見つめ続けている。


 真矢は「ごめん、ドン引きした?」と眉を潜めて声を落した。が、カイリはパッと顔を輝かせ、「すごいですよ真矢ちゃん!」と真矢の手を握った。


「呪対班なら真矢ちゃんの能力を最大限活かせると思いますよ。ね、棚橋さん!」


「え?」と、真矢は棚橋に視線を向けた。棚橋は腕を組んだまま、ゆっくりと目を開ける。切れ長の瞳で真矢を見つめ、棚橋は慎重な声で、「そうですね」と、頷いた。


「ちょうどいま、呪対班で調査している女子高生の自殺案件があります。真矢さんがしばらく東京にいても大丈夫なのであれば、我々に協力してもらえませんか?」




 


 



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