「へぇ、じゃあいま棚橋さんは、警視庁捜査一課の刑事さんなんですね。なんかかっこいいです」


「えぇ、まぁ」棚橋は苦笑して、「その話はまたおいおい。せっかくなので、まずは食事を楽しみましょうか」と話題を料理に切り替えた。


 テーブルの上には、コースディナーの前菜が真っ白な皿に美しく盛られて置かれている。カイリ曰く、今日のディナーは、棚橋さんのお財布事情に合わせたチョイスとのことだった。


「警察官が一般人にご飯をご馳走になってはいけない」というのが本当なのか真矢には分からない。でも棚橋さんは、さっきカイリが「やっぱり僕が出すから高いのに変えよう」と駄々をこねた時も、「自分、警察官なんで」と言っていた。なんにせよ、真面目な性格の棚橋さんらしいと、真矢は思った。


 前菜は、熊本の契約農園で取れた野菜のラタトゥイユ、燻製したカツオのカルパッチョ、牛肉とキノコの赤ワイン煮に、自家製モッツァレラがトマトに乗ったカプレーゼなどで、カラフルかつ、旨味が凝縮されたものだった。中でも真矢が驚いたのは、焦げ茶色をした小さなハンバーグのようなもので、材料は、ナスだという。


「凄いっ、ナスがこんなに美味しいなんて! え、絶対これ、ナスじゃないですよね?」


 ホール服をかっこよく着こなした、日本人だけど英国紳士のような佇まいの男性スタッフは、上品な微笑みを浮かべ、真矢に説明する。


「こちらのDonatelloドナテッロ特製、ナスのポルペッティーネ は、あ、ポルペッティーネとは、イタリア語で小さなミートボールという意味ですが。Donatelloドナテッロオーナーシェフの故郷の味、イタリアの家庭料理なんです。ナスをゆっくりボイルして、そこにサラミペーストやペコリーノチーズ、香草を混ぜていまして。うちの名物料理のひとつです」


「ふわぁ、凄い。じゃあ本当にナスなんですね!」感嘆の声をあげ、それでもまだ信じられないという顔をしている真矢に、男性スタッフは「ええ」と微笑して、「どうぞごゆっくりお楽しみください」と個室を出て行った。


「あぁ〜、お皿からなくしたくない〜。人生で一番美味しいナスだぁ〜」

「真矢ちゃん興奮しすぎ。それに、まだ前菜ですよ。これからまだまだあるんですから」

「でもでも、本当に美味しいんだって〜」


 向かいの席から「本当だ」と棚橋の低くて渋い声がした。棚橋も「確かに、美味しいです」と、何度も頷きながらナスのポルペッティーネを食べている。棚橋にとっても、初めての味だったようだ。


「トマトソースとの相性も最高ですよね、棚橋さん!」

「ええ、本当に」

「もう二人とも、庶民舌なんだから」


 カイリの暴言も今だけは、真矢の耳には入らない。バーで飲んだカクテルに食前酒のシャンパン。アルコールが血液中に周り始め、真矢は少し酔ったかもしれない。でもいいの、酔ったかどうか気にしない。これは魂の洗濯タイムなのだから。と、真矢は料理を名残惜しくいただく。噛み締めるたび、旨味と甘みが口腔内に広がっていく。これは、舌鼓を止めるわけにはいかない味だと、真矢は思った。


 久しぶりの再会で、会話も弾む。


「あ、それで、棚橋さんはいつから警視庁に? というか、去年会った時は警視庁じゃなかったんですね」真矢は白ワインの入ったグラスを手に取り、向かいの席の棚橋に尋ねる。棚橋は、「そうですね」と、カトラリーをお皿に置き、口元をナプキンで拭ってから「半年くらい前でしょうか」と言った。「真矢ちゃん、警視庁の捜査一課ってなかなかなれないんだよ」カイリが口を挟む。「へぇー」と、真矢は白ワインをひとくち飲んだ。琥珀色の白ワインも芳醇で、びっくりするほど美味しい。


 コトン、とワイングラスをテーブルに置き、「てことは、昇進おめでとうございますってことですね。棚橋さんっ」と、真矢はガッツポーズを決めた。私はやっぱり少し酔っ払っているようだ。語尾もテンションも上がっていると、真矢は思った。


 棚橋は、歌舞伎役者ばりの切れ長の目を細め、「まぁ、そうですね。一般的にはですが」と、冷静に返す。「一般的には?」真矢は首を傾げる。「自分の場合は、ちょっと特別な意味合いがありまして」棚橋はそこで一旦話を区切り、視線をカイリに向けた。


「カイ君、真矢さんにお話はどれくらい?」

「触り程度かな」


「そうですか」棚橋がそう返したタイミングで、次の料理が運ばれていきた。真矢はそんな二人の会話に『?』マークを頭に浮かばせつつも、前菜プレートを名残り押しそうに平げた。もちろんお皿のソースはフォッカッチャで拭き取って。


 次に運ばれてきたのは、『本日のシェフが選んだパスタ二種類盛り合わせ』で、二種類のパスタがお皿に乗っていた。


 スタッフの説明によると、平たくて太い麺は、『パッパルデッレ』という名前で、生クリーム仕立てのクリームパスタだった。


「えっと、麺が、ぱ、パパ、えっと、なんだったっけ?」

「パッパルデッレですよ。真矢ちゃん」

「なんか、舌を噛みそうな名前。でも、すごく美味しい〜。生クリームとチーズがいい感じで、あれだね、これは、カルボナーラだ!」


 多分、カルボナーラではない。


「こちらのパスタも珍しいですね」


 棚橋がワンタンのような形をしたパスタを指して言う。四角い一口サイズのパスタは中に具材が入っていて、周りがひらひらと波打っていた。「どれどれ?」と、一口食べた真矢の口の中で、野菜と肉の旨味が詰まったジュが弾ける。「ミートソースと最高に合う〜」と真矢は思わず身悶えた。


「真矢ちゃんミートソースじゃなくて、ラグーソースね。で、このパスタはラビオリ。てか、棚橋さんもいい歳して、ラビオリも知らないんですか?」

「お恥ずかしながら。自分、外食は基本的にあまりしないので。いつもはコンビニの菓子パンや牛乳で済ませてます」


「うわぁ、刑事ドラマみたい」真矢は興味津々に声をあげる。


「張り込みの時とかですよね? アンパンにコーヒー牛乳とかですよね?」

「真矢ちゃん、はしゃぎすぎ」

「だって〜、なかなか本物の刑事さんと話す機会ないし〜」

「はいはい。ほら、パスタ冷めちゃいますよ」

「あ、本当だ。それにしても美味しいし、楽しいし」

「それは良かった」

「東京来て良かった〜。ありがとねカイリ君」


 ここ最近、一人暮らしのアパートで求人雑誌を眺めながら、これから先どうしようかと不安になる毎日だった。ずっとこんな時間が続けばいいのに。地元に戻ったら、また仕事をさがさなきゃ。そう思ったところで、思考を遮るように、真矢は白ワインを飲み干した。


 今は、この時間を満喫しよう。真矢は話題を変える。


「それで? カイリ君大学生活はどうなの?」

「あぁ、さっきも話しましたけど、結構最悪ですよ。でもまぁ僕は大学生っていう肩書きが欲しくて在籍してるところもあるので」

「大学生の肩書?」

「いろいろあるんですよ。僕の年齢的にも」

「ふぅん、そうなんだぁ」


 ラビオリを噛み締めながら真矢は思う。確かに、二十歳そこそこで世界的に有名なファッションブランドの会長職というのは、いろいろあるのかもしれない。


「じゃあ、大学ではなにを勉強しているの?」

「まぁ、おいおい」

「ん? なんか、おいおい多いよね?」

「そうですか? あ、ほら、次のお料理がきましたよ、真矢ちゃん」


 真矢は急いでパスタを平らげる。パスタの皿がひかれ、真矢の目の前に、メカジキの香草焼きが置かれた。ハーブとパン粉の香ばしい香り。お皿を彩る付け合わせの野菜達。


「うわぁ。今度はお魚料理だぁ。焼き野菜も美味しそう〜」

「真矢ちゃん、そこはグリル野菜ね。焼肉じゃないんだから」

「もうっ。どっちも同じだし〜」


 その後も料理を中心にした、たわいもない会話を交わしながら、イタリアンレストラン『Donatelloドナテッロ』の料理に舌鼓を打った三人は、ドルチェのティラミスを堪能し、食後のコーヒータイムに突入した。


 香り高いエスプレッソとビスコッティなどの焼き菓子。もう食べれないとお腹をさすっていた真矢は、それでもビスコッティに手を伸ばす。


「お腹いっぱいだけど、もったいなくて、全部食べないと帰れないよ」

「おもたせに包んでもらうので、無理しないでください」

「でもこれだけはいま、食べたい……。あぁ、でも、やっぱ入らないかな……」

「はははっ。言いながら真矢ちゃんビスコッティ摘んでるし。その辺にしといたほうがいいですよ。それに、そろそろ本題に入りますか、棚橋さん」


「ええ」棚橋は言いながらエスプレッソに口をつける。「本題?」ビスコッティを摘んだまま真矢がカイリに訪ねた。向かいの席の棚橋が、「そうですね、食事も終わったことですし」と、コーヒーカップをソーサに置き、少しかしこまった様子で椅子に座り直す。胸元につけている小さな赤バッチを指で触れ、「真矢さん」と、棚橋は真矢の名前を呼んだ。


 なんだか、急に重々しい雰囲気だ。真矢はビスコッティをおずおず皿に戻すとナプキンで指を拭い、棚橋とカイリの顔を交互に何度か見てから「はい?」と、首を傾げた。




 

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