車窓を流れる都会の夜を見ながら真矢は思う。同じ都会の景色でも、高層階から見ていたとはまた違う景色だ、と。街路樹にはクリスマスが近いせいかイルミネーションが灯り、会社帰りのOLやサラリーマンらしき人々がコートの首元を手で押さえ歩いていく。と、その姿が突然消えて、そこに駅の入り口があるのだと真矢は気づく。表情のない人々は次々と地下に吸い込まれるように消えていく。


 隣に座るカイリが、「この時間は車混みますからねぇ」と、窓の外、赤いテールランプの群れを指して言った。


「でもあと五分もあれば着くでしょう。あ、真矢ちゃん、見てください。あそこが警視庁ですよ」

「へぇ、警視庁。ドラマでよく出てくるやつだ」


 そんなドラマはあまり見ないけれど、とりあえず真矢はそう言ってから思った。


 ——いや、それよりあそこが皇居ですよ、とかが普通では?


 真矢とカイリを乗せたタクシーは東京ラマンを出て、皇居の周りをぐるりと走り、半蔵門にあるイタリアンレストランに向かっていた。


「てっきりホテルのレストランで食べるんだと思ってたなー」

「だって、ホテルディナーはマナー必須だし、真矢ちゃんにはハードルが高いと思って」


「は?」真矢は反射的に肘でカイリの横腹を小突く。でも、確かに自分はテーブルマナーに関して言えば、「どのフォークとナイフを使うんだっけ?」と悩むくらいのレベルだ。


「ははっ、冗談ですよ。ちゃんとした大人なんだから、真矢ちゃんもテーブルマナーくらいは知ってて当然ですよね」

「……うん」

「今から行くイタリアンは高級ですが、気兼ねなく食事ができるお店なんですよ。イタリア人のスタッフさんも多くて、和気あいあいって感じの店なんですよね」

「ふーん、そうなんだ」


 それなら私でも大丈夫そうだと、真矢はちょっとほっとした。居酒屋よりは気を使うかもしれないが、多分、なんとかなるはず。


「僕は東京だと、そこのイタリアンが一番好きですね。それに、陽気な雰囲気のお店に黒い煙出すようなお客さんは少ないですしね」


「あ、そういうことか」と、真矢はカイリの方に顔を向けた。さっき、ラウンジのバーで人の悪意を見たあとのカイリは、ちょと辛そうだった。


「人の悪意は見てる方も障りをもらいますからね。見えてて良い気分はしないんですよ」

「それなんか分かるよ。悪口とか聞いてるだけでも疲れるよね」

「でしょ? まぁ、でも今日は個室を予約してますけど」

「個室?」

「ふふふ、行けば分かりますよ」


 カイリの含みを持った言い方が少々気になるが、ヨーロッパを拠点にモデルをしていたカイリが東京で一番美味しいというのだから、お店の味は期待できると真矢は思った。さっきから、バーで飲んだアルコールがいい感じに胃を刺激して、真矢のお腹はグゥっと小さく鳴っている。


 ——イタリアンということは、トマトにチーズに、あとえっと、なんだっけ? 


 イタリアンと聞いて、ピザかパスタくらいしか真矢は思い浮かばない。でも、なんでも美味しく食べれそうだと真矢はお腹を撫でながら思った。「イタリアンかぁ。楽しみ」と、つい言葉も漏れる。


「ええ、とっても。ちなみに、真矢ちゃんは、次の仕事は決まったんですか?」

「ぜーんぜん。なんかもう、どうしたらいいんだろうって求人雑誌見ながら思ってるよ。実家には帰りたくないし、となると仕事探さなきゃ家賃払えないし。もういっそ、住み込みで旅館の仲居さんとかやってみようかなって思ったりもしたけど」


「旅館って幽霊いっぱい出そうだし」と喉元まで出かかった言葉を真矢は飲み込んだ。タクシーの運転手さんに私達の会話は丸聞こえのはず。あまり変な人発言をしてはいけない。ただでさえ、二人とも変わったデザインの黒服なのだから。


 それに、真矢はまだ死者が見えることをカイリに話せていない。話そうと思ったタイミングで、カイリは電話に出るために席を外してしまった。そして、そのまま今に至っている。どこかでカイリに話さなきゃな、と、また窓の外を見ながら思っていると、タクシーは片側一車線の道に入り、程なくして、停車した。


 ——イタリアンレストラン『Donatelloドナテッロ


 カイリが絵本に出てきそうな、上部が丸くなっている可愛い木のドアを開けると、チーズやトマト、ハーブの匂いが真矢の鼻腔をくすぐった。店内の床や壁は、ピンクのテラコッタで温かい感じがする。至るところにイタリアの写真や絵が飾られていて、アットホームな雰囲気がした。イタリアンレストラン『Donatelloドナテッロ』は、ドアを開けてすぐに受付があり、そこから階段を数段上がった先が食事をするホールになっていた。


 真矢とカイリがホールまで上がるとすぐに、ホールスタッフの外国人男性が「ボナ・セーラ!」とこちらに向けて腕を広げた。耳につけているインカムで受付から指示が出ているのか、「キサキサン、コッチデス」と、店内を案内してくれた。


 確かに、すごく陽気な雰囲気だ。真矢は店内を見渡す。座席数はどれくらいだろうか。三十か、四十か、もっとかもしれない。店内の広さに比べ、座席数が意外と多いのは、テーブルとテーブルの間があまり広くないからだ。ほぼほぼ満席状態の店内は、日本人だけではなく外国人のお客さんも多い。賑やかで、どのテーブルもワインや料理を囲み、食事を楽しんでいるのが分かる。


 テーブルの間を抜け、ホールを進み、個室のドアまでくると案内をしてくれた男性は、「ドウゾー」とちょっと大袈裟なアクションをして、重厚な木の扉を開けた。「レディーファーストですよ、真矢ちゃん」とカイリに促され、真矢は個室の中へ入る。そこで、「え?」と、固まった。


 桃色のテーブルクロスがかかった六人がけのテーブルには、先客が一人。歌舞伎俳優ばりの切れ長の目に、丸坊主のスーツ姿。一見すると堅気じゃないようなオーラが出ている怖そうな男性。ガタッと音を立てて男性は椅子から立ち上がり、「真矢さん、久しぶりです。覚えてますか?」と、微笑んだ。思ってもいなかった再会に、真矢の笑顔が弾ける。


「もちろんですよ! 棚橋さん!」


 そこにいたのは一年前、共に恐ろしい体験を乗り越えた、刑事の棚橋俊光たなはしとしみつだった。


 





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